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はじめに
保温調理用の鍋カバーというものをご存じですか?お豆を一度煮立てて火を止め、あとはこの布で鍋をくるんでおくと、ちょうどよいぐあいに豆が煮えるすぐれものです。豆料理以外にも、シチューやおでんなどの煮込み料理に使えます。
ただ市販の商品(鍋帽子など)は、デザインと機能で物足りなさが残ります。そこで京都の豆料理クラブ会員有志+インド・カルカッタ在住のモーラ・ハ−リ−さん+現地の女性団体JEEVIKAと共同でオリジナル鍋カバーを開発しました。
鍋カバー
着古したサリーを裂き織りにした布地を用い、裏面は無地でシンプルに、折り畳めばコンパクトに収納できます。お部屋のインテリアにもなる出来栄えです。閉じひもの長さや中綿の厚さなど、モニターになった豆料理クラブ会員の声を活かして随所に工夫をこらしています。2006年より販売を始めました。価格は
3,00円(税抜)です。
鍋カバーの売上の1割は、山口県上関町に建設が計画されている上関原発に30年にわたって反対運動を続けている祝島の人たちにカンパします。詳しいいきさつは、下記の豆料理クラブ会員リレー報告をお読み下さい(2006年記)。
このカンパの窓口として設けた〈わたしたちの海基金〉には一般の方もお振込いただけます。趣旨に賛同される方はどうぞご送金下さい。基金に関する事務費用は楽天堂で負担し、全額を〈上関原発を建てさせない祝島島民の会〉に寄付させていただきます。
省エネ+リサイクル+フェアトレード、プラス美しい海を守る“一石四鳥”の豆料理クラブ・オリジナル鍋カバーを、多くの方にご愛用いただけましたら幸いです。
【目次】
(1)鍋カバー、そもそもの発端は・・・ by 山上 公実
(2)鍋カバーができるまで 試作の苦労その一 by 小倉 なおみ
(3)鍋カバーができるまで 試作の苦労その二 by 川合 幸枝
(4)そして、鍋カバーが祝島と結ばれる・・・ by 高島 千晶
(5)わたしたちの海基金、誕生! by 佐野 仙子
【参考】祝島市場HP /
上関原発反対運動HP
※楽天堂では、2006年9月〜2009年2月までに販売した鍋カバー約320個の売上利益21万円+個人カンパ78188円=合計28万8188円を、〈上関原発を建てさせない祝島島民の会〉に寄付してきました。
(1)鍋カバー、そもそもの発端は・・・ by 山上 公実(やまがみ ひろみ)
かれこれ二年前の2004年冬、正確には11月28日(昔のスケジュール帳でチェック!)、モーラ・ハ−リ−さんの送別会がJEE事務所で行われました。その送別会でモーラさんと千晶さんの間で話が盛り上がり、送別会の直後、鍋カバープロジェクトが立ち上がることとなりました。
そのまえに、モーラさんって誰? JEEって何? と思われている方達のために少し紹介しますね。
モーラ・ハ−リ−さん:アメリカのバッファロー生まれ。大学で日本語や仏教を学び、1989年来日。京都で暮らしていた八年間、環境問題の活動家として、福井原発問題などに熱心に取り組んだ。その後、京都で出会ったインド人のパートナーと共にインドへ。現在コルカタ(カルカッタ)で暮らす二児の母。
モーラさんは「mustard seeds(マスタード・シード=粒からし)」というプロジェクトを家族で展開し、コルカタ市にある、子どものための図書館や、児童リハビリセンター(RCFC)、女性自己支援職業訓練(JEEVIKA)などに地道な支援活動を続けてられます。ちなみにJEEVICAの作業場で、鍋カバーは製作されています!彼女の活動をより知りたい方は、HPへお願いします(英文)
次に、JEE (Japan Environmental Exchangeの略)ですが、京都市北区に事務所を置く環境保護の市民グループで、モーラさんはグループ立ち上げ当初から活動をされていました。当初はメンバーのほとんどが日本在住の外国人で、その当時は少なかった環境問題に関するニュースレターの発行や、さまざまなイベントをされていたようです(私がこのグループの会員になったのは4年前のことで、彼等の活動を直接知りません)。残念ながら、当初からの外国人メンバーのほとんどは日本を離れられてしまっています。
現在はイベントニュースの発行や、楽天堂さんのお店にも掛けてあるカレンダーを作成したり、京エコロジーセンターで子ども向けの環境人形劇をしたりしています(私は現在カレンダーの作成と人形劇に関わっています)。ハイムーン氏(本名:高月紘・石川県立大学教授)が描かれたかわいい絵のカレンダーは毎年好評です。来年度分ももうすぐ出来上がります。この場をかりて宣伝させていただきました。
さて、鍋カバーにもどりますが、モーラさんの送別会の日までに、一度千晶さんがJEEの総会でお豆のことや、楽天堂の活動などについてお話してくださったことがありました。集ったみんなは、初めてみるカラフルでかわいいお豆を前に、熱心に話を聞いていました。 その後、千晶さんもメンバーになられ、ニュースレターに記事を連載してくださったのでした。
送別会当日はたくさんの会員が集り、モーラさんを囲みました。モーラさんは先ほどにも述べたJEEVIKAで作れる、日本人向けのものはないだろうか?とたずねられていました。今までに、インドやバングラデシュで有名な「ノクシカタ」という独特な刺繍をほどこした、お箸入れやカード、しおりなどを作ってこられたけれど、もっと別な何かを、、。
私は当日の千晶さんとモーラさんの会話を直接聞いていませんが、別れる直前に、がっちりお二人が手を握ってられるのを見ました(今でも鮮明に覚えています、、)。楽天堂一家が帰られた後、モーラさんや私たちはまだ事務所で話していたのですが、そこへ一本の電話が。
千晶さんがさっそく鍋カバー、そしてスパイスホルダーをJEEVIKAで作ってはどうだろうか?鍋カバーやスパイスホルダーなら、実用的だし、豆料理クラブの会員にも買ってもらえるだろうし、、、。そしてそれがインドの女性達の自立にもつながるのなら、、。そんな内容の電話でした(ですよね?)。千晶さんの声は側にいる私たちにも聞こえてきました〜。勢いがありました。
そんなこんなで、鍋カバープロジェクトは始まりました。まずは、どんな形にする? それがテーマだったと思います。私は豆料理クラブを知ってまもなかったし、職人でもなんでもないのだけれど、なんらかの形で関わりたいと思っていました。
そこで、いつかのイベントで某鍋カバーの作り方のチラシを貰っていたのを思い出し、それを千晶さんに見せに行きました。でも実物が見たい、ということになり、ふと知人がそれを持っていることを思い出し、知人がそれを店に持って行きました。
そしたら、千晶さんの友人がその鍋カバーの製作にかかわっていたということがわかり、、。その某鍋カバーのコピーでなく、より優れモノの鍋カバーをつくるには、、?そう考え出してまもなく、デザインを考えてくれる他の会員(ひさこさんや、小倉さん、一澤帆布の職人さん達)が一同に集り、一気に流れに乗り出しました。
(2)鍋カバーができるまで 試作の苦労その一 by 小倉 なおみ(おぐら なおみ)
まず、楽天堂さんで初めて見せていただいた鍋カバーの試作品は想像以上の大きさとボリュームで驚いてしまいました。これはちょっと・・・
うちの台所には置きたくないぞ、というような印象でした (すみません)。でもこれくらいのボリュームがないと、保温という機能は果たせないのかなぁとも思いました。
そこで、うちの狭い台所にあってもうるさくなく、できるだけシンプルでかさばらない形を、ということで考えたのが二等辺三角形の厚みがある布に、ボタンとループをつけたものでした。ポイントは、使い方が一つではなくて、使う人によって何通りにもなるもの。使わないときでもイイ感じもの。
小倉さん考案の試作品
これだったら、折り畳んで鍋敷きにしたり、 鍋つかみにしたりと、鍋カバー以外にも使い道がある。布取りも無駄なくできるし、制作の工程も簡単じゃないだろうか。
でも包んだときにどうしてもできてしまう隙間が問題で、これだと保温力という一番大切な機能を果たせないかもしれないなぁ・・・というところで行き詰まり、楽天堂さんへ持っていきました。
後日、これを見たヒサコさんが最終形へつながるキャラメル型を考えてくださったのだと思います。
―千晶より補足―
なおみさん案の直角二等辺三角形は、今思ってもすごく魅力的でした。作って持ってきてもらったときに、その洗練された姿にほんとうに感激しました。それまで見てきたやぼったい鍋帽子と何て違っているんだろう!あのなおみさんのデザインが大きな転機でした。
また、なおみさんは、デザインのプロの立場から
@一つの使い方に限定されない
A作る途中でむだな端切れが出ない
Bデザインがシンプルで何年使ってもあきがこない
Cどの台所にも合うように主張がないものを、というようなアドバイスをくれました。
「売るためのデザインではなく、使う人の側にたったデザインを」というのが、なおみさんの根本的な考え方で、とても勉強になりました。ついつい差別化をはかろうと個性的な意匠をほどこしがちだけど、それは売る方の都合で使う側にとってはうるさいだけ、ってことになりがちだという視点でした。はっとさせられました。
なおみさんが書いて下さっていたみたいに、このあとヒサコさんが楽天堂の座敷で折り紙を折って一緒に考えてくれ、今のにかなり近いアイデアを出してくれました。それを川合さんが布で再現しているうちに、さらに改良された現在のアイデアが生まれました。その両方の時に、とても感激したのを覚えています。
そのあと川合さんが一澤帆布の同僚にも聞いてくれて段々と細部がよくなっていき、最終的には去年の七月の豆ランチパーティー(雑誌『ナナムイびと』の撮影時)で、ふちにステッチを入れることをヒサコこさんが思いついてくれ、同じ時に収納用の留めボタンなども決めたのでした。ラベルの刺繍もヒサコさんが最初の一枚を見本として作ってくれました。ラベルの豆の絵も、もともとヒサコさんが考えてくれました。あの豆から芽が出ている絵はHPや商品にも使わせてもらっています。
ああ、ほんとうにたくさんの人にお世話になったのでした。他にも楽天堂に来たたくさんの人の意見を聞かせてもらって進みましたし、特に一澤帆布の前川さんにはサンプルを作ってもらうときにたいへんお世話になりました。ありがとうございました。
そのお礼をどのようにしたらいいのか分からないと思いました。どなたにどのくらいお礼をしたらよいのか考えられなくなったこともあるし、また少しのお金でお礼しきれないくらいの嬉しさがあり、せっかくこうやってみんなの力でできたものだったら、みんなのために使おうと思ったのです。
それで非営利のプロジェクトにすることにしたのでした。この鍋カバーの販売利益は豆料理クラブのコミュニティにとって公共的な目的で使いたいとお話し、主な協力して下さった方に了解いただいたのでした。
(3)鍋カバーができるまで 試作の苦労その二 by 川合 幸枝(かわい ゆきえ)
私は試作段階から参加させてもらったのですが、その段階ではまだ三案くらいありました。そのうちのひとつを実寸大で、生地もインドで作れるものになるべく近
いもの(カディ?という織りのインド綿です)、千晶さんの要望でシンプルなデザイン(というか無地)のものを、野村テーラー(京都で一番メジャーな手芸やさん)で選び、留め具も何種類か考えて試作開始。
あ!まるで私一人かの様ですが、あと二人、一澤の先輩と三人でやって いました。
はじめは、正方形の布に、対角同士の三角形の部分に綿を入れ、入れて ない対角三角形の端同士を留める、という予定で始めたと思うのですが、やってるうちに鍋の上辺を作って形づけた方がきれいだし、鍋とカバーの間に無駄な隙間もできにくいよね、となり、綿の入れ方を再度検討。結局十の字に綿を入れ、入れていない四つ角をそれぞれ引っ張ると、き
れいな立体四角形ができたのでした。
なやんだのが、その留め方。ひもか、マジックテープ、ボタン。それぞれに試作し、千晶さんや会員の方に感想をききました。この頃が、丁度雑誌『ナナムイびと』の取材の頃ですね。結局、インドで調達する事も含め、見た目にも応用も利くひもに決まりました。
じゃあ、どこにつけるのが一番か?ながさは?ひもの太さは? この問題も、鍋カバーの大きさを決めるときと同じで、「ある程度の幅で鍋の大きさを選ばない」という基準で決定しました。綿の厚さも、保温力を保ちながら、収納を考えてかさばらない所が難しかったですね。
一度は、インドに行ってモーラさんやジービカの方達と生地選びや、作る作業を一緒に、、という話にもなったのですが、予定があわずそれはなくなり、ゆっくりですがなんども試作を郵送で送りあって、今日に至る、、というかんじでしょうか。生地も結局、着古したサリーを、インドのその土地の伝統技術である裂き織りでリサイクルしたものを使った事は、よかったですよね、
千晶さん。
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製造工程@ 着古したサリーを裂き織りにします(Tagore Society の作業場にて)。 |
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製造工程A 次にミシンで縫製して仕上げます(JEEVIKAの作業場にて)。 |
(4)そして、鍋カバーが祝島と結ばれる・・・ by 高島 千晶(たかしま ちあき)
豆料理セットにお入れしているひじきは、瀬戸内海に浮かぶ山口県の祝島でとれています。この祝島の対岸に、25年前から中国電力による上関原発の建設計画があります。祝島の人たちは漁で生活しているので、大事な海を守るために島の九割の人が団結して反対運動を続けています。島の人たちは、原発マネーに頼らなくても暮らしていけるよう、海産物、農産物の販売に力を入れています。楽天堂では、ひじきとびわ茶を扱っていますが、その背景には次のような物語がありました。
わたしは1991年から2003年春まで山口県山口市に住んでいました。山口県に原発建設の計画があることを住み始めてしばらくして知りました。親しい友人の何人かが上関原発反対運動に関係していました。その一人がパン屋の山本由起子さんでした(今は会員になって下さっています)。毎週一回、パンを配達しに来て下さるときに、折に触れ、上関原発計画のことを聞かせて下さいました。『ふぇみん』という新聞も配達して下さって、友人がドメスティックバイオレンスにあったときに、相談に乗ってもらったり、何かと頼りにしていました。
わたしが京都に来てからも、豆料理セットをお送りすることを通じておつきあいが続いていました。そんな折り、作年の春に、ひじきを豆料理セットに入れることを提案してくれました。そして取扱いを始めたら大好評。わたしもおいしいひじきが大好きになりました。当時会員だったWWF(世界自然保護基金)の長沼さんも、WWFの通販・パンダショップでひじきを取り扱って下さいました。
今年の春のメーリングリストで、藤田さんが「原発モニター見学会」を書いて下さり、それから吉田さんが「原発と農業」を書いて下さって、それから六ヶ所村の再処理施設が稼働し始めたという報道があり、楽天堂としては何ができるだろうかとわたしは考えました。
親しい会員で、長年、上関原発に関わってられる山本由起子さんに京都に来てもらって、豆ランチパーティーで原発のお話しをしてもらうのが一番いいなあと思いました。かねてから、山本さんもひじきを食べてくれている京都の会員に会いたいとおっしゃって下さってました。そこで出会いの場が作りたいと思って、七月の豆ランチパーティーを企画しました。
今度は、わたしが行く番だと思いました。山本さんの話から、25年もの間、島の九割の人が団結して反対運動を続けてこられた事を知りました。その背景をもっと知りたいと思いました。すばらしいことだと思ったのです。コミュニティの持つ力に希望を感じました。
八月に家族で祝島に行きました。ひじきの収穫現場を見せてもらったり、海で泳いだりしました。たまたま宿がこんでいて泊まれなかったので、祝島市場の山戸孝さんのところに泊めていただき、親切にしていただきました。その時、かいまみた島の人たちの助け合って成り立っている暮らしの空気に、とても心惹かれました。
ひじきが採れる三浦湾を背に山戸孝さんと
お忙しい中、泊めていただいたお礼に、山戸さんに運動資金としてのカンパを少しばかりお渡しすると、祝島漁協が抱えている借金の話をして下さいました。祝島漁協が山口漁協に合併したために欠損金を解消しなければならなかったのです。島には中国電力から調査の迷惑料として支払われたお金(注)を受けとる選択もあったのですが、原発マネーを使いたくないために、島の内外からカンパを集めていることにしたことも伺いました。そこで何かわたしも協力できないかなあと思ったのでした。
京都に帰ってしばらくして、鍋カバープロジェクトの販売利益を寄付しよう、それからカンパも集めようということを思い立ちました。
(注)十年前の環境調査時に、中国電力から祝島漁協に二千万円ほどの協力金が支払われることになりました。それを漁協の人たちが受け取らなかったので、法務省に供託されています。祝島漁協が合併する時に赤字を解消する必要から一時はこのお金を使うことが決議されたのです。でも漁師やその奥さんをはじめとする島の人が、電力会社のお金は使わないと、再度議決し直したのです。
(5)わたしたちの海基金、誕生! by 佐野 仙子(さの せんこ)
八月末に京都の会員・つまひとみさんが、楽天堂が祝島を応援する基金を〈わたしたちの海基金〉と名付けました。
そしてとにかく祝島に行ってみる、どんなところか見てくる、と言って、私のことも誘ってくれたので二人で9/28から自費の旅行として、行くことになりました。千晶さんからことづかった、会員モニター用鍋カバーの販売利益(二十枚分、二万円)を、祝島に持って行きました。
正直に書きますと、私はかなり緊張して、〈上関原発を建てさせない祝島島民の会〉の事務局長・清水さんに会いました。清水さんは、五十代はじめ位の、よく日に焼けた、きさくな方でし
た。うちのこどもたちもすぐうちとけていました。
そのさわやかな第一印象にほっとしながらも、それでも私はまだカッチンコッチンのまま言いました。
「楽天堂の高島千晶が、何か継続して自分たちも祝島を支えたいと、鍋カバープロジェクトの売り上げの一部を、今後は祝島へのカンパにあてることに決めました。今回はその第一回です。微々たる額ですが、どうぞお納めください」
さのせんこ、三十五歳(二児の母)。胸の内は、「はじめての おつかい」。笑いたくば笑え(怒)。二十年以上も反対運動をしてきている人を前にした時、私は自分がまるで小さなこどものようだわ、と思いました。
清水さんは、ふだんは船での運送業が本業の人です(自分の船で、島で必要な生活物資を運んでいる)。でも反原発運動の時は、そちらの仕事は遅れてしまうことがあるが、島の人たちはそのことは理解してくれているので両方の仕事をやれている、ありがたい、とおっしゃっていました。
そして楽天堂のカンパを受け取ってくださり、その使い道については次のようにおっしゃいました。
「漁協の借金は、ほとんどめどがついているので、このカンパは今後の運動の諸経費にあてさせてもらいたい」
楽天堂のスタッフとしては申し訳ないことですが、情況がよく把握できていない状態で、その場では、それ以上は何も質問できずにもどってきました。
祝島の集落から臨む対岸の原発建設予定地
京都に帰ってきてから千晶さんにそのことを報告したところ、これから〈わたしたちの海基金〉として鍋カバープロジェクトからの入金以外に個人のカンパも募っていくのであれば、祝島魚協が抱えている借金の正確な額やカンパの使い道について一度確認しておいた方がいいだろうという話になって、千晶さんが直接、清水さんに電話をかけてまとめてくださったのが、以下のものです。
『せんこさんと都間さんから聞いた報告の中でわかりにくかったところを10月17日の夜、島民の会事務局長の清水さんに電話してお聞きしました。
(1)まず、祝島漁協の借金の額(祝島漁協としてこの春に設定したカンパ の目標額)がどのくらいだったのかお聞きしました。清水さんによると、昨年十二月末に山口県漁協との合併を決めた段階では二千万円余りでしたが、最終的に合併した五月には、二千五百万円余りになったそうです。
(2)次に、その目標額に対して現時点でどのくらいのカンパが集まっているかお聞きしました。清水さんによると、ほぼ目標額に達しそうだということでした。当初は 二、三年かかると思っておられたそうですが、これまでの反原発運動の支援者の みならず全国からたくさんのカンパが寄せられたそうです。はじめの頃、千五百万円を無期限無利子で貸し付けてくれるという申し出があり、後には順調にカンパが集まったため、その千五百万円の返済のメドも立ったそうです。
(3)最後に、これからのカンパの必要性についてお聞きしましたところ、運動資金(抗議行動や裁判傍聴にかかる交通費など)としてカンパして もらえるのはほんとうにありがたい、ということでした。今までは親戚関係を中心になんとかまかなってきたけれど、反対運動が25年続いた今、支援者も高齢化し、年金生活者も多い。経済的にはかなり厳し
い状態になっている。一方、ボーリング調査がはじまった今、これか らが反対運動の正念場なので、島の外から新たにカンパがよせられるととても心強い、ということでした。
私は、鍋カバープロジェクトから生まれる販売利益の全額を、少しずつではある
けれど、継続的にカンパさせていただくことをお約束しました。』
お金の流れを少しでも透明にするために、わたくし佐野仙子が事務局として〈わたしたちの海基金〉の会計管理をすることになりました。個人的にカンパしていただける方も、こちらの口座までお振り込みいただきますようよろしくお願 いいたします。
わたしたちの海基金 郵便振替口座 00970-8-192786