内観技法 覚書
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【体験講習会】
 

 「一人でもできる身体の鍛錬法は?」と問われた整体協会の創始者・野口晴哉は、「一に行気
(ぎょうき)、二に活元(かつげん)、三に気合(きあい)」と答えたそうです。体験会では、呼吸の基礎と、行気・活元・愉気をアレンジした“福は内”・“鬼は外”・手間の養生法を学びます。
日々のセルフ・ケア

基礎講習会1st stage

 稽古会では必須の、内観技法の三つの型を学びます。
[基本の型]
(一)[心眼
(二)[呼吸
(三)[元気

[養生法]
 
体験会で学ぶ“福は内”・“鬼は外”の技法を、内観技法の基本の型に則して行います。
“福は内”](行気)
“鬼は外”](活元)

稽古会2nd stage

[内観技法の理
(ことわり
 元気の源
(みなもと)は「はら」「こし」にあり――はら・こしこそ、からだの勘覚の礎(いしずえ)です。
はらは、「ねる」(寝・根・練)、ヨコ、母性の勘覚です。こしは、「たつ」(立・断・建)、タテ、父性の勘覚です。

 内技法では、はらを母胎にする生き物としての本能的な勘覚を〈裏〉、二本足で立つことによって人間が獲得したこしという社会的な勘覚を〈表〉と名づけ、二つの根元的な勘覚に位置づけています。〈裏〉と〈表〉は対になって、自身(自己の身心)の内に存在するだけでなく、自己と他者の間
(ま)でも、〈裏〉=「わ」(和・我・輪・環・倭)/〈表〉=「こ」(個・己・孤・小・粉)という言葉で表される勘覚として、共有・伝承されてきました。日本という和体(共同体)で、「勘覚こそ文化(言葉や衣食住のありよう)を創ってきた」というのが、内観技法のテーゼです。
はら・こし
〈裏〉・〈表〉

[養生法]
 
日々の生活で役に立つ次の養生法も稽古しています。
気合
(きあい)]“ここぞ”という時に
目の手あて]目が疲れた時に
腹の手あて]食後に一服を
頭の手あて]頭がモヤモヤした時に
仙椎(せんつい)と骨盤(こつばん)の手あて]深い呼吸を
肘と膝の手あて]からだの冷えに
足首と手首の手あて][肘と膝の手あて]に続けて、入眠を

[手間(てま)(いのちにふれる手
 
整体でいう愉気(ゆき)=手あてです。手間と名づけたのは、もの(者霊)に手をふれて、時間&空間の間(あいだ)を真(ま)に転換する(魔を避ける)技法ととらえているからです。

[自身への手間]
[他身への手間]
参考 野口晴哉愉気の思想]、早川一光
(はやかわ・かずてる)医の心を教わった父の言葉(A4サイズ)

[表現]
 
からだの内から現れる“いのちのもえ”を、形に表して日々の生活に彩(いろど)りをあたえましょう。
歌をうたおう!]「声はその人の魂の音色です」 by 三波春夫(みなみ・はるお)
柏手(かしわで)]神社でなぜ、柏手を二度うつのか?

[こころへのアプローチ]
  内観技法では、人間の心は、頭蓋腔(ずがいこう)・胸腔(きょうこう)・腹腔(ふくこう)という肉体的な間(ま)に一つずつあるととらえています。社会的な存在としての頭の憶
(こころ)・一般的に心をさす胸の情(こころ)・生き物としてのはらの性(こころ)です。憶の形象が□、性の形象が○、この二つの間でシーソーの支点△として常に平衡(へいこう)をとろうとゆれうごいているのが一般的に言う心=情ではないでしょうか。 
あたまとこころ
参考 宮沢賢治『春と修羅』序 W・H・オーデン「謎」

 整体にかぎらず武術などでも「無心」「天心」が求められますが、なかなか“無になれない”のが凡人の哀しさ。それならば逆手にとって、頭の(こころ)でイメージを活用してみましょう(初心のうちは、“イメージ倒れ”にならないように気をつけて下さい)。
イメージの活用

探求会
3rd stage

 からだ・こころ・肉体の三位一体のシーソー(動的平衡(どうてきへいこう))を調える身体技法です。
からだとこころを活(い)き活きと


からだノート
 一)からだ学び 事始め
 二)ことば遊び
 三)内観技法 覚書



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