銀手亡(ぎんてぼう)という不思議な名前は、なぜついたのでしょう?サンスマイルの松浦さんが北海道の農業試験場に問い合わせたところ、諸説あるが不明であるという返答でした。実は、日露戦争で負傷し片手を亡くした元兵士が、北海道に入植し、ロシアから持ち帰った豆を広めたことからその名前がついたことが分かりました。日露戦争(1904-1905年)から100年。ひるがえって考えれば、もともと中南米原産のいんげん豆は、コロンブスの侵略によってヨーロッパにもたらされ、それが回り回って日本まで伝えられたのです(江戸時代に隠元禅師が中国からもたらした豆を“いんげん”と呼ぶようになりました)。豆―食―文化は、このように戦争と悪縁を持っているのでは、とも思えてしまいます。
2002年10月に、私たちは豆料理クラブをスタートさせました。前年の9月11日、アメリカでのテロであらわになった世界の不平等――この圧倒的な現実を前に、沈黙に代わるものとして〈豆〉を置きたかったのです。一粒の豆、生きている、それをコトコト煮て、味わう。食卓で、分かち合う。日々の小さな営みですが、そこにこそ(それ故にこそ)変革の可能性が宿されているのではないか・・・言うまでもなく、今日明日で私たちの願いがかなうことはないでしょう。銀手亡が百年かけて北海道の大地に根づこうとしているように、それこそ三世代にわたる人から人への継承が求められると思います。私たちはそれを〈豆料理普及100年計画〉と名づけました。
今日のことで力を落とすことはない。明日を思いわずらう必要もない。百年後に、分かち合う文化が実を結ぶのを願って、日々の歩を積み重ねていこうと思います。 |