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  2021/01/12 [火]   


いちばん大事なことは忘却の中にある、これは鶴見俊輔さんの言葉です。お子さんとの思い出を書かれた短いエッセイの中で、そう書かれていて、これは清水眞砂子さんの「無名の人に希望がある」という思想にも通じるし、昨日の内田樹さんのお話での「まずは社会の歯車になれ」とのアドバイスにも通じる。

自分にはもう少しちがった人生があったのではないか、そんな思いが湧く瞬間が暮れにあったけれど(忙しくて疲れていたのだと思います)、お正月に友人が書いたエッセイを読んで、ああ、文章の書き手とは、このように文章を書く人のことのだなあと思い、自分にはこの人生の他にどんな人生もなかったと思えました。

商売人という社会の歯車であることにまずは徹しようと思ったし、そしてただの商売人として終わっていこうと思えました。
そのためにも勉強し続けることは大事。


  2021/01/11 [月]   


今日はオンラインで内田さんの講演も聴きました。自由と平等の相容れなさを露骨なまでに抱え続けるアメリカ。自分の中にもリバタリアンはいるので、コロナ禍の始まりには、自然をコントロールする必要はないと思った。でも、その思想はナチズムに近くなる。自然に任せたら、平等も人権もないんだ。

自然はコントロールできないという考えから、甲野善紀さんみたいな立場に立つと、自然淘汰を拡大解釈するナチズムに近くなってしまう。
だから戦後ドイツは人間の尊厳を憲法の基盤においたのだし、日本も憲法25条で健康で文化的な最低限の生活を保証した。
自然礼賛と、憲法25条は相容れない。

甲野さんの中には、自然を破壊する人間への絶望と憎しみがある。だからコロナという自然の力が人間を戒めるとしたら、それを受け入れようと考えている。
わたしも野口整体を生活の中心に置いてきたからお気持ちはわからないではないけど、同時に日本国憲法の25条は尊いものとの思いがある。社会は弱者を守らなければならない、

https://twitter.com/levinassien/status/1348471165149343748?s=19


  2021/01/08 [金]   


【おいしい小豆粥の作り方と、コロナ禍を奇貨として生かすならば、、、】
コロナ禍での残念な変化がたくさんあることに気持ちがふさぎがちですけれど(特に経済的弱者にしわ寄せがきていること)、自分に起こりえるいい方の変化についても思いをめぐらせています。
昨年の秋に会う約束をしていた遠方の友人と会えなくなり、じょうだんで「夢で逢いましょう」って言ってたのがほんとうに夢で会えたので、ああ、これって何かに似てるなあと思いました。
前の店をたたんだ時と同じです。
いきなり貧乏になって、どこにも行けなくなり、何も買えなくなったときに、人間、最大限の想像力を発揮する。
夢から告げられることも増える。
人との交流が減って、ノイズが減って、動物に帰巣本能があるように、魂が求めるものに行きつけるんじゃないだろうか。
懐かしさやあこがれを頼りに、わたしたちは見つけられるんじゃないだろうか。
これを奇貨として生かすならば、わたしたちの眠っていた能力や、使わないでさびていた能力が、活性化するんじゃないかなあと思います。
万葉集の防人の歌をこのところ多い浮かべることが多いです。
※写真は、小豆粥。毎年つくるたびに感動します。どうぞおためしあれ。できれば、自然に近い栽培方法の小豆で。
楽天堂は、13日に開店します。
【小豆粥のつくりかた】
(材料・2〜3人前)
小豆(乾燥)大さじ4
米(乾燥) 半カップ
塩     適量
@小豆は洗って鍋に入れ、1カップ半の水を加えて強火にかける。
煮立ったら小豆がおどらない程度の火加減にし、八分通りやわらかくなるまで、
ゆでる。
A米は水が澄むまで手早くとぎ、土鍋に入れて3カップ半の水を加え、30分ほ
どしっまで吸水させる。
BAの鍋を強火にかけ、沸騰したら弱火にして、@の小豆をゆで汁ごと入れる。
鍋底から一混ぜしてふたをし、時々、静かにかき混ぜて、40分くらい炊く。
C炊きあがりに塩を入れお好みの塩加減にする。火を止めて5分蒸らす。



  2021/01/06 [水]   


(小さな仕事塾MLより〜欲望の資本主義2021〜)
2020年はほんとうに例外的な年になり、それがわたしたちの社会に与える意味をまだつかめないほどの大きな変化のあった年でした。
元旦にはNHKで「欲望の資本主義2021」が放送され、その番組の中で2020年の変化に対してさまざまな捉え方のあったことが紹介されていました。1929年の大恐慌以来の経済的な打撃だと捉える経済学者がいたり、過去35年を1年に凝縮したような年だと捉えている学者がいる一方で、思われてるほどたいした不況は来てないと捉える学者もいました。
前者の、不況を深刻に捉えていた学者達が問題にしていたのは貧富の拡大であり、後者の問題を小さく見ていた学者が言っていたのは、自動車産業の好景気や株価の高止まりでした。
うちの売り上げは今までになく好調でした。先の番組でも言ってましたが、2020年1月にあった仕事のいくつかはもう二度と戻ってこないでしょうから、早く新しい時代に合った仕事をシェアしていきたいという気持ちで1年過ごしました。
スポーツジムや飲食店での仕事がなくなって収入がゼロに近くなった人に、物販の仕事の始め方をお伝えして、できるかぎりサポートしました。
一応、うちの売り上げをあげておきます。
たぶん今は小さな店で食品雑貨など生活必需品を売る仕事をすれば、軌道に乗る可能性が高いんだと思っています。
以下は店頭だけの売り上げ推移です。
(これから棚卸をして決算を出したら、楽天堂全体の売り上げの推移も紹介しますね。)
2015年  546万
2016年  796万
2017年  805万
2018年  847万
2019年  935万
2020年 1298万
前にも書いたのですが、2015年に無々々が大病したので、それまでの経営を見直し、店頭に比重を置いて行ったのですが、2015年から比べたら2倍以上の売り上げ、毎月100万円のペースで店頭商品が売れていました。
2020年の月ごとの売り上げ推移。
(中略)
2019年2月から週4日の営業です。
正直、今の環境での営業だと売上はマックスだと思います。2021年は売り上げを増やさず、経営内容を改善していこうと思っています。利益率をあげるように、仕入れ方を検討する。
そして積極的に経営カウンセリングをして、自分のような店をしたいと思ってる人になんでもお伝えしていきたいです。
欲望の資本主義を見て、「付加価値」をつくりだす時代は終わったなあと思いました。
たとえば洗剤や柔軟剤、マイクロカプセルに入った香料を次々に開発して、町中に人工的なにおいが蔓延している。こんな付加価値っていらないですよね?
大の大人が何をしているんだろう。
たぶん、ふつうに石鹸とかたわしとか付加価値のついてないシンプルなものを地域社会で健全に売ることが、これからの時代にはあってるんだと思います。
人々が、特に若い人(小学生まで!)この社会の持続可能性を心配するようになってきました。
肌で感じます。若い世代ほど、倫理的な買い物をしたいと思ってる人が多いなあと。
大手のスーパーは、これだけの健康被害が出ていても、香料付きの洗剤や柔軟剤の販売をやめられないでいます。
わたしたち小さな商店ならすぐに方向転換できる。ちがう提案ができる。
そこがわたしたちの強みですよね。
匿名じゃなく個人でやってるなら、そんないいかげんな商売はできないでしょう。
個人が責任をもって、これはいい商品、これは売るべきじゃない商品と判断して成り立ってるお店の気持ちよさ。まちがいがあったらすぐに方向転換できる。そういう店は周りのみんなが育ててくれるだろうと思います。
わたしもまだまだ知らないことばかりです。いっしょに成長していきましょうね。
『アラン・デュカス』っていう2017年のドキュメンタリー映画がとてもよかったです。この映画見ても、常に学ぶこと、周りの人たちとシェアしていくことの大切さを感じました。持続可能な社会に向けてできることをしたいです。
低炭素社会ではランニングコストの低い店が今まで以上に信頼されるということも思いました。
また書きます。



  2021/01/05 [火]   


(豆料理クラブMLより)
みなさま、新年あけましておめでとうございます。
今年は三が日寝ても寝ても眠たくて、ひたすら眠っておりました。やっと今日は緊張がゆるんだかんじです。
みなさまはどんなお正月ですか?
昨年はほんとに例外的な年でしたね。どんな風に世界が変わったのかつかみかねて、どなたにも新年の挨拶が上手くできない気持ちでした。
それは今も続いています。
また気持ちがまとまったら、昨年をふりかえり、今年の抱負を語りたいと思います。
SNSにはわが家の息子が二十歳を迎えたことを書きました。
豆料理クラブは、彼の誕生がきっかけでした。
楽天堂をスタートしたのは娘が生まれたことがきっかけで、豆料理クラブは、息子が生まれたことで、親から受けついだ洋服屋を畳む決心がついたことが端緒でした。
子どもたちが生まれてきたことで冒険をすることができた。子どもがいるから冒険はできないというのじゃなかった。子どもがいるから、子どもに対して責任があるから、冒険しなくてはと思えた。
未来の社会にあってほしいものを作りだしていこうと思えました。
そしたら目の前の子どものことはおろそかになることも多々あります。子どものことを最優先するのが親の役目だという気持ちもあるから、子育て中は引き裂かれる。
目の前の困ってる人を放っておいていいのか。そんなことしたら、人と人とが助け合わない社会に自分の子を送り出すことになる。自分の子を少々ほったらかしても困ってる人にできるだけのことをしよう。いや、身近な自分の子どもも大事にできないで、人のことを大事にできるのかな。
そんな葛藤がずっとありました。
人生って短いですね。なんにも答が出ないまま、子どもは二人とも成人して、家を出ていきました。
そしてまた親じゃない(誰かの責任者じゃない)若者とおなじような気楽な心境。
昨日、アラン・デュカスのドキュメンタリー映画を観て感銘を受けたのですが、この2016年時点のアラン・デュカスは今のわたしとほとんど変わらない年齢であることにびっくり。
話が脱線しました。
とにかくぼーっとした親の元でも、子どもたちがちゃんと育ったことだけはめでたいと思えましたので、新年のご挨拶をできる心境になった次第です。
絶望的な気持ちになる方もあると思いますが、たいていの望みの無さは錯覚です。
3日くらいよく寝たら、たいていの絶望感は薄らぐと思います。日本にはまだ立派な憲法があるので、望みがないなんてことはなく、基本的人権も、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利もあります。もしそれが脅かされてる方がいらしたら、一緒に戦いましょう。そんなことはあってはいけないのだから。
今年もどうぞよろしくお願いします。