二人の社会学者―〈二人の無期懲役囚〉追記―
[2023・01・10]




 宮沢賢治の詩集『春と修羅(しゅら)』におさめられた詩「小岩井農場 パート九」は、次のように終わっている。

 
明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに
 馬車が行く 馬はぬれて黒い
 ひとはくるまに立つて行く
 もうけつしてさびしくはない
 なんべんさびしくないと云つたとこで
 またさびしくなるのはきまつてゐる
 けれどもここはこれでいいのだ
 すべてさびしさとかなしさを焚いて
 ひとは透明な軌道をすすむ
 ラリツクス ラリツクス いよいよ青く
 雲はますます縮れてひかり
 かつきり道は東へまがる


 二十代から三十代にかけて、さびしくてさびしくて仕方がなかった時、私は夜、枕元にこの詩集を置いて、自分をなぐさめるようにくりかえし読んでいた。
 もう一冊、私の心の支えになっていたのが、昨年(2022年)春に亡くなった、ある社会学者の本だった。例えば、の代表作といわれる『気流の鳴る音』(ちくま学芸文庫)に書かれた、「人間解放の理論のために」「根をもつことと翼をもつこと」「束縛のない愛」・・・という言葉に、私は魅せられた。彼が新宿の朝日カルチャーセンターで行っていたワークショップを受講し、さらにある夏、東京・八王子の大学セミナーで開かれた〈エチュード合宿〉に参加することになった。
 この合宿での体験は、私の人生の転轍
(てんてつ)点になった。初めて受けた、いわゆる野口整体の活元(かつげん)運動で、押さえていた生/性のマグマがふきあげ、自我の鎧(よろい)がくだけてしまった。それは、求めて(原因)得られたこと(結果)ではなく、思いがけず(思惑の外から)訪れた“声”だった。
 一週間の合宿が終わって、家に戻る横浜線の電車の中で見た光景が忘れられない。日曜日の昼下がり、家族連れなどの乗客でまのびした雰囲気の車内に一歩、足を踏み入れた瞬間、見も知らぬ人達に「いとおしい」という感情がこみあげてきた。ただ、今、この時を共に生きているという、それだけで・・・。
 そのような鮮烈な感覚は、長くは続かなかったが、私の心身におおきな変化をもたらした。一言でいえば、外に向かっていたエネルギーが――横須賀の平和運動や日教組の教研活動を、自らのアイデンティティーにしていた――内へと反転し、私は“自分探しの旅”から“自分を生きる、生き直す”道を歩みはじめることになる。
 電車は曲がる際、おおきくカーブを描かなければならないだろう。それが常識というものだ。だが私の体験は、「かっきり」直角に方向転換するような、ハード・ランディングならぬハード・テイクオフだった。
 社会学者の彼が、参加者に(私のような)イニシエーションを授ける企図で、ワークショップを行っていたかどうかは分からない。でも私にとって彼は、人生の「ほんとうの道」へみちびいてくれた“導師”だった。少なくとも、そのような場を創ってくれたことには、感謝しかない(第一幕)。

 

 或る人曰
(いわ)く、「あまり人に近づきすぎない方がいいよ。アラが見えてくるから」

 〈エチュード合宿〉は、二十代から三十代がメインの男女が二十数名、寝食をともにしたので、自然に親しくなった。数年後、東京でもたれたOB・OG会のような集まりで、舞台は暗転する。当時、私はすでに横須賀を離れていたが、久しぶりに帰郷した折に、参加してみた(第二幕)。
 二次会で、一人の女性の告白から――#MeTo 運動を思わせる――告白の連鎖が続き、何人もの女性が傷ついた心境を打ち明けたのだ。彼がワークショップや合宿――東京で開かれることもあれば、インドへ旅行に行くような会もあった――の複数の参加者を、同時にさそってセックスをしていた、避妊もしないで(コンドームをつけず)、まして彼の二度目の奥さん(大学のゼミ生だったという)が妊娠・出産をしている時でさえ。
 主宰者(教授)vs.参加者(生徒)という圧倒的な力関係・上下関係のなかで、拒める女性は少なかったという――著名人の彼と“寝た”のを、自慢げにほのめかす女性もなかにはいたらしいが。
 「束縛のない愛」・・・“美しい”言葉とともに、彼の偶像は崩れ落ちた。思い返せば、男の私は彼から誘惑されることはなかったが、ワークショップでも合宿でも、常に(実験動物を見るようなまなざしで)観察の対象にされていたような気がするし、こちらもつられて笑ってしまうような心からの笑顔を見た記憶もない。
 それにしても、ナゼ? 聞くところによれば、彼は三歳で母を亡くし、継母とはそりが合わなかったらしい。昨今いわれるようになった“愛着障害”を、彼はかかえていたのだろうか・・・。
 三十数年を経て、私は精神科医の神田橋條治
(かんだばし・じょうじ)氏と臨床心理士の村山正治(むらやま・しょうじ)氏との対談本を読んで、思わずひざをうつヒントを得たと思った。

村山:とにかく文字とか、記号とか、そういうことですべてを置き換えてしまう。それで、どれほど命が枯渇しているかということですよね。
神田橋:そこから離脱しようとする命の最大の・・・最高の・・・でもないな、際立った活動は、痴漢だと思いますよ、痴漢。文字言語でつくられた学習の一つの特徴は、目的と手段の乖離なんですね。だから、目的と手段が同一である活動は、全部健康法になると思うんです。痴漢は、痴漢のために痴漢をするんですよね。もう、とても充全たるものです。目的が手段でもあるんです。
 賭け事は儲けるためにやっているけれども、どこかで三昧の境地に入ると思います。三昧の境地というのが、健康法だと思うんです。
村山:健康法・・・。
神田橋:なかなかないけれども、痴漢はそうだな。その傍証は、目的と手段が離れている仕事をしている人ほど痴漢になりますね。学者さんとか、裁判官とか、ああいう人たちは、やっぱり健康を何とか回復しようとする命の切ない動きとして痴漢をするんだろうなぁ、そうじゃないかな。
(『神田橋條治 対談集 どこへ行こうか、心理療法』創元社 pp.107-108)

 そう、記憶をたどれば、彼はホテルを予約する際に「南充二」という名前を使い、二人だけのプライベートな場では「充二さん」と呼ばれていたという・・・。
 神田橋氏の語る「目的」と「手段」という言葉を、私は整体(内観技法)の身体観を手がかりに、次のように読み替えて理解している。
 「目的」とは、心身のはらにある性(こころ)、生命とおきかえてもよい。それに対して「手段」とは、あたまにある憶(こころ)、観念である。憶(こころ)は分別し、性(こころ)は共感する。二つの間にあってつねに揺れ動いているのが、胸にある情(こころ)=一般的にいう心である。あたまとからだ(はら)の分裂、それは彼に限らず、現代人の宿業
(しゅくごう)と言ってもよいのではないか。
 いや、たとえそうだったとしても、それとこれとは別だ。おまえに何が分かっている。社会学者としての彼の業績を、否定するのか。かのカール・マルクスも、家政婦に私生児を産ませたというじゃないか――という声が、聞こえてきそうである。
 私は彼を全否定などしない。断罪などできない。私にも下心はあるし、人間とは間違いを犯す存在だと思うから。ただ、イデオロギーとしてのマルクス主義が、どれほどの人間を殺してきたか、そして彼が身近な人間を深く傷つけたことは、忘れまいと思う。声高に語られる功績よりも、低く小さな声なき声に、想いをよせたい。朝日新聞に論壇時評を書き、岩波書店御用達(『著作集』が出版されている)の知識人文化人、東京大学教授(後に名誉教授)であった彼の、もう一つの“素顔”が、公
(おおやけ)になる日はないだろうから。
 彼が亡くなった後、朝日新聞(2022年4月14日付け)に寄稿された大澤真幸
(おおさわ・まさち)元京都大学教授(東京大学で彼の下で学んだ)の追悼文は、次のように締めくくられている。

 
「美しく無駄のない先生の文章は、ひとつの詩でもあった。詩人の直観と科学者の堅実性。二つの才能をもっている学者は稀(まれ)である。しかも先生の場合、二つが融合し、完全に一つになっている。
 先生が愛した宮澤賢治に、「学者アラムハラドの見た着物」という未完の作品がある。先生は、「樹
(き)の塾」という私塾を主宰されていた時期があるが、それは、楊(やなぎ)の林の中のアラムハラドの塾をイメージしたものだ。あるときアラムハラドは、子供たちに問う。人がしないではいられないことは何か。何人かが答えた後、アラムハラドは最後にセララバアドという子を指名する。「人はほんたうのいゝことが何だかを考へないでゐられないと思ひます」。私は、どんなに力不足でも、先生にとってのセララバアドでありたい。先生の死を超えて、先生の問いを受け継ぎたい。」

 整体の稽古で自分が感じた勘覚を言語化しようとする際、言葉はザルで水をすくうようなものだなあ、と常々思う。たいせつなものが、失われてしまう――その通りなのだが、水滴は残る。光る場合もあれば、そうでない時も、ある。

 

 或る人曰
(いわ)く、「コピーにコピーをくりかえすと、画質は劣化するばかり。いわんや人に於いてや」

 昨年、彼の死去した翌月に、ジャパンマシニスト社という出版社が企画した〈親子で性教育〉という講演会が、批判・抗議を受けた。というのも、講演者のある社会学者(以下、彼2)が、未成年だけでも参加可としたことに教育的配慮を怠っているのではいかという倫理面と、それまでの言動から果たして彼2に性を語る“資格”があるのかという疑念が主な反対理由だったと思う(結果的に、講演会は実施された)。
 私は彼2の名前は知っていても、著作を読んだことはなかった。初めてツイッターをのぞいてみると――批判者に対してだけでなく、「クソ」「トンマ」「クソフェミ」「便所女」etc.という罵詈雑言
(ばりぞうごん)のオンパレードだった。たとえ私企業が運営しているとはいえ、SNSがパブリックな場であるという認識(ということは、礼儀というか節度が求められる)を欠いた社会学者とは???
 さらにwebで検索すると、愕然としてしまった。彼2とアダルトビデオ監督・二村ヒトシ氏の共著『どうすれば愛しあえるの』(ベストセラーズ)の出版を記念した対談2017.11.14付けで、彼2は「セックス歴40年で「人数を稼いだ男」に言わせれば」と、自慢げに語っていたのだ。BEST!TIMSESのHP(https://www.kk-bestsellers.com/articles/-/7441)。
 今の若い人達はセックスを知らない、経験豊富な自分が教えてあげようと、常に「何もかも分かっている」上から目線でものを言っている。「数を稼がれた女」の立場にたってみる、そのさびしさかなしさへの共感など微塵
(みじん)もない。まさに『感じない男』(哲学者・森岡正博氏の本の題名―ちくま新書)である。居酒屋談義ではあるまいし、大学教授もここまで堕ちたのか。これでは、知性ではなく病む知、痴性である。
 十一月に、彼2が大学構内で首を切られて重症を負うという事件がおこった。容疑者(防犯カメラの映像では、若い男性らしい)は今日まで、検挙されていない。この傷害事件をめぐっては、彼2の政治的発言が背景にあるのでは、という論評もあったが、私はそうではないと思う。くらべるのは適切ではないかもしれないが、安倍元首相を銃撃した山上容疑者が抱いたような“私怨”ではないかと、私は推測している。
 彼2もまた、東京大学で彼のゼミ生であった。

 

 整体(内観技法)の理
(ことわり)を学んできた私は、冒頭にあげた宮沢賢治の詩(
ラスト)を、今、このように解釈している。
 「かっきり」=直角90度ととれば、馬車は西から東へではなく、南または北から曲がったことになる。地球の南北のライン(経)は、人間の心身では、「タテ」の勘覚にあたり、こしからあたまへと分別を生む。一方、東西のライン(緯)は、同じく「ヨコ」の勘覚にあたり、はらにひろがる共感を産む。
 明るい雨(整体的には、白=〈表〉の勘覚)とは、般若心経で説く色
(しき)の世界であり、黒い馬(同じく、黒=〈裏〉の勘覚)とは、生命、いや敷衍すれば生死をつつみこむ存在界、心経の空(くう)ではないだろうか。馬車に立つ御者(ぎょしゃ)は、私たち一人一人の人生(生きる意欲)である。
 馬は、西の浄土ではなく、東の誕生へ向かった。三つの心(性・情・憶)をもつ人間として、私は性(生命)に裏づけられた憶(観念)を、すなわち共感のうえに立つ分別を生きたい。あたまとからだが切れていない、心身をトータルに律する思想を――という表現が大仰(おおぎょう)なら、生き方を、日々の暮らしの中で追求したい。二人の社会学者を、反面教師として。
 「ほんとうの言葉」とは――宮澤賢治が希求し、私自身も人生の探求課題にしている――言語の二重性、すなわち深層としての身体性(音声に現れる言霊
(ことだま)、いわば母なるもの)と、表層としての記号性(文字で表わす意味、いわば父なるもの)の調和の上に“ある”のではないだろうか。それは、常に揺れ動いて(迷い続けて)やまない心身にとって、“一瞬の奇跡”に感じられるかもしれない。
 〈身体は人生であり、人生が身体である〉というのが整体(内観技法)のテーゼであるが、私はそれをもじって〈言葉は心身であり、心身が言葉である〉と言いたい。

  
三つのこころ



 父に“なる”ことはむずかしい。父を“する”こともむずかしい。父で“ある”ことは、さらに難しい。男にとって、女にとってはなおのこと。
 母に“なる”ことはむずかしい。母を“する”こともむずかしい。母で“ある”ことは、さらに難しい。女にとって、男にとってはなおのこと。
 愛に“なる”ことはむずかしい。愛を“する”こともむずかしい。愛で“ある”ことは、さらに難しい。人間にとって。

:見田宗介
(みた・むねすけ 1937-2022年)ペンネーム・真木悠介(まき・ゆうすけ)
彼2:宮台真司
(みやだい・しんじ 1959年-)東京都立大学教授


堂守随想・INDEX

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