知ると分かる
[2015・02・08]
堂守随想・INDEX



 からだとことばを育む会の稽古場(からこと舎)には、宮本武蔵の墨絵『枯木鳴鵙図』(大阪府和泉市「久保惣記念美術館」所蔵)を掲げてある。

 
宮本武蔵『枯木鳴鵙図』 『枯木鳴鵙図』

 一本、背筋のように伸びた枯れ木に百舌(もず)が留まっている。あたりを睥睨(へいげい)するような眼差しに鋭い嘴(くちばし)と爪。武蔵、その人を模したようだ。ふと見ると、百舌の足元、枯れ枝に一匹の毛虫がはってるではないか。あわれ、己の何たるかを知らぬ愚か者よ、生きるも死ぬも生殺与奪(せいさつよだつ)の権は百舌の手に・・・。

 というのが一般的な解釈ではないだろうか。

 私自身もそのように理解してきたのだが、昨年、ある場(大阪で開かれた哲学カフェ、テーマは「顔」)に出かけて百舌の別の面を知った。

 百舌には速贄(はやにえ)という習性がある。餌の少ない冬に備えて、秋のうちからばったやかえるを捕らえては木の枝に刺しておくことをいう(りすが木の実をしまうようなものなのだろう)。ところが百舌は馬鹿な鳥で、せっかくキープした餌を忘れてしまい、見向きもしないので、「百舌の速贄」とは愚行―不始末の喩えにもなっている。

 ところがところが――ここからが哲学カフェの講師から教えられたことなのだが――百舌は物忘れの激しい鳥などではなく、すばらしい記憶力の持ち主なのだそうだ。その記憶の仕方が人智も及ばぬほど優れているので――百舌は「画像」として記憶するそうな。ということはコンピューターのグラフィック処理のように、1ピクセルでも異なれば別の画像として認識してしまう、例えば、餌を刺した時には葉が一枚ついていたのに、いつしか落ち葉となって消えていた、というような場面では――人間のアバウトな記憶力とは異なり――認識が一致しないのである。

 う〜〜ん。宮本武蔵が、百舌のかような特性を知ってて描いたか、知らなかったか。

 その話を聞いてから、私は、絵の“主人公”は、ほんとうは百舌ではなく毛虫ではないか、と思うようになった。もし毛虫が尺取り虫のような動きをしたら――つまり、ちょっと動いては止まり、ちょっとまた動いては止まりして進むような動作――百舌の認識ははぐらかされて、一寸の虫も生き延びられるのではないか。

 百舌を嗤(わら)う毛虫。画の中央に。今まで武蔵のユーモアとしか思えなかった存在が、俄然、反転して意味を帯びてくる・・・。

 『枯木鳴鵙図』と同時期に書かれたと推定されている『五輪書』には、つぎのような一節がある。

 「我(われ)、若年(じゃくねん)のむかしより兵法(へいほう)の道(みち)に心をかけ、十三歳にして初而(はじめて)勝負(しょうぶ)をす。(中略)六十余度迄(まで)勝負すといへども、一度も其(その)(り)をうしなはず。(中略)其後なをもふかき道理(どうり)を得んと、朝鍛夕錬(ちょうたんせきれん)してみれば、をのづから兵法の道にあふ事、我五十歳の比(ころ)也。其(それ)より以来(このかた)は、尋(たず)ね入(い)るべき道なくして、光陰(こういん)を送る。」(岩波文庫『五輪書』pp.9-11)

 兵法の道にあふ:兵法の真髄を会得する。(原注)

 (誰が)勝った、(誰に)負けた、というのは、比較=相対の世界でしかあるまい。そこを越えて絶対の境地に達した武蔵にとって、百舌とは、若き日の自画像だったのかもしれない。

Can you follow me?

 私は勉強ができなくて二浪して大学に入ったのだが、浪人二年目に代々木ゼミナール(予備校)に通っていた時の数学の講師の言葉が、今でも忘れられない。

 田舎弁でしゃべる不思議な先生(私立大学の助教授)だった。何でもアメリカに留学して、向こうでも数学を教えていたらしい。講義の内容はとんと覚えていないのだが、ある時雑談で、こんなことを言ったのだ。

 日本でよく先生が生徒に向かって、「分かりましたか」って聞くよな。あれさ、英語で何て言うか、知ってっか?

 Dou you understand? という一文を思い浮かべた生徒たちに向かって彼は、Can you follow me? と板書したのだった・・・。

   ※

 中学生の息子が帰宅するやいなや、「あ〜、疲れた」と言って、通学鞄や部活のサッカー用具が入ったザックを、畳にほうりなげる。

 はらへったー、なんかちょうだい、とほざいてる子どもに、「帰ったら、後片づけが先じゃないか」としかると、「分かった」と素直に返事はするのだが、一向にからだが動かない。

 どなりたくなるのをグッと抑えて――ここは、ガマン、ガマン――しばらく様子を見守っていると、あいかわらず着替えもせずにぐだっとIpodでLINEを見ている。

 そんな日々の繰り返し。

 「おまえは、分かってないじゃないか」と言い続けてきて、「知る」と「分かる」の違いについて自分なりに考え始めた頃、息子はほんとうは分かってるんじゃないだろうか、と思えてきた。

 「一度聞けば、分かってるよ」(・・・でも、できない)

 そうだ、その通り。私も教師をしていた昔、高校生たちから、よく投げ返された言葉だ。「分かる」というのは、何かの理解に達すること。到達(点)を表しているが、それ以上でも、以下でもない。主体として用いる分には――例えば数学の問題が、「分かった!」――確かにある種の“達成感”が伴うだろうが、客体として言われる際には、「分かるか」という物言いには、権力的・抑圧的なニュアンスの匂いがかぎとれる。

 では、「知る」は?

無知から知、そして不知へ

 私がからだの勘覚を探求する際に重宝しているのが、白川静の『字訓』(平凡社)だ。ここには、漢字ではなく、和語(やまと言葉)の意味や成り立ちが豊富な文例とともに収められている。ちなみに「しる」という項目をひくと―

 「心にさとり、理解することをいう。『わかる』は分別することによってその異同を知ることであるのに対して、「しる」は全体的に所有すること、『領(し)る』ことによってその全体を把握することをいう」(同書 p.367)

 私が思うに、知るとは、(人間の内的な欲求から生まれた)絶対的な無知から別のフェーズへの移動ではあるけれども、そこにはまた「知らない」新たな未知の世界が浮かび上がってきて、それゆえに「知りたい」という欲求がさらに喚起されて探求が続く、いわば無知から知→不知→知→不知・・・へとつづく、永久の螺旋運動ではないだろうか。それは何も学問の話にとどまらず、武術や技芸の世界でも、いやわたしたちの日常生活そのものにひそんでいる可能態のように思われる。

   ※

 
最後に付け加えるならば、「知る」には――単に“情報を得る”場合とは異なり――何らかの〈感〉=喜びや悲しみ、怒りなどの身体感覚.がともなうのではないだろうか。そして、私が大阪へ出向いて『枯木鳴鵙図』を(あらたに)知ったように、〈行〉もまた随伴することが必要条件のように思われる。

 〈感〉〈行〉と〈考〉がないまぜになって――そのうえ他者(達)の運動と複雑にからみあいお互いに影響されながら、私たちの〈知〉は歩みを進める。



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