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  2026/10/23 [金]   今日の一日


 朝、千晶と二人で九時に病院へ。十時から、主治医・看護師長と四人で話し合い。こちらの想い(鼻チューブを今日にでも抜いて欲しい)を率直に伝え、病院側からも来週月曜日に朝・看護師による経口摂取を予定している、と告げられた。

 その後、拘束や投薬についても、お互いに考えていることを投げ合い、しかし対立的にならず、最後は「菜芭に、薬をしっかり飲めるようになれば鼻チューブがとれるよ」と、直接説明して欲しい、という千晶の要望を聞き入れて、主治医が病室に来て、菜芭と「薬をしっかり飲もうね」と“指切りげんまん”をしてくれた。

 二人で小指を重ねて、主治医が「ゆびきりげんまん うそついたら」と言ったら、菜芭が続けて「はりせんぼんのーます」と受け答えた。それにはわたし達も、師長も、皆で笑ってしまった。

 昼食(摂食リハビリ)も見学したが、以前できていたこと(例えば、箸で食べられたりとか、車椅子に乗ってテーブルに向かう際は足をバタつかせないetc.)ができなかったので悲観的になったが、千晶は――主治医も同じ見解だったが――菜芭が自分の状況を客観的に見れるようになって、失意に陥り、“できない”ことにネガティブになっていると、捉えて楽観的だった。

 山あり谷ありの、これも一つの過程(プロセス)だと。


  2026/10/22 [木]   システム障害


 病院の帰りに生協に寄ったら、“システムの不具合”で生協アプリが使えなくなっていた。ニュースではAIによるシステム障害が報道されているが、身近な場で現実になるとは。

 ※

 毎日新聞・夕刊に、専門記者・田原和宏氏の〈誰もしないから・・・〉という一文―山岡淳一郎『炎と水 中村哲と名もなき人たちの旅 』(集英社)を読んだ感想―が載っていた。

 「印象に残ったのが、診療所で患者の治療を続ける中村さんに、日本からやって来た若者が偽善だとして活動の意味を問いただす場面。たばこをふかし、ただ一言「わしは馬鹿やけんね」。
 
 理を説くこともできたはずだが、自らの主義や理念を言挙げして語るのを嫌った。「人権」を振りかざし、独善的になりがちな欧米諸国の姿勢にも批判的だった」


  2026/10/21 [水]   一つの表現スタイル


 毎日新聞・夕刊、歌手・岡林信康氏のインタビュー記事から――「『こういう歌を作ったろ』という気持ちで作ることはないんです。今までもずっとそう。汚くて申し訳ないですが、俺にとって歌作りは“便意を催す”みたいなもの」


  2026/10/20 [火]   菜芭の様子


 今日は、千晶が病院へ。看護師長から、菜芭が昨夜、看護師の一人に「しんどい」と打ち明け、今朝、二人で話し合ったという。菜芭が泣きながら言ったのは、「できる、できる」と皆から期待されるのが苦しくなったので、リハビリをペースダウンし、食事は前に進めて欲しいと要求したそう。

 病院という(患者が主体的になりにくい)場で、感情を表し、さらに自分の要求を明らかにできるとは、我が娘ながら、敬意に値する。

 昼食は、初めて食堂へ。ただ、昨日とはことなり菜芭の感情が高ぶっていたので、車椅子ではなく、ベッドごと移動したという。金切り声は上げなかったが、それでも声が大きかったので、廊下に移って食べたそうだ。

 後で千晶が師長さんから、一人のおばあさんが「ずいぶん良くなったね」と言ってくれたと聞いた。


  2026/10/19 [月]   菜芭の様子


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉より――菜芭は、今日、初めてベッドの上ではなく、車椅子に座って食べました。(朝食と夕食は、まだ鼻チューブからの栄養補給です。)

 この2ヶ月で、よくここまで来れたな、というのが率直な感慨です。救急搬送された医大病院での主治医の第一声が、「このまま
意識が戻らずに、昏睡状態が何年、何十年続くかもしれない」でした。

 二週間後にはさらに「回復しません」と宣告されました(その後、「何ヶ月か何年かをかけて、会話ができたり指示動作(握手など)ができるようになる可能性はある」と訂正されましたが)。

 それでもめげずに、私と千晶は菜芭に手をあて続けました。はじめは無反応で、体(足)が動くようになってからはおそらく無意識で蹴ってくるので、その痛みに思わず「おまえは気が違ったのか!」と叫びたくなる、身心ともに消耗する日々もありました。

 医師や看護士が「はじめてみる」と驚かれるほどの回復の速さは、治療の成果+菜芭の若さなど様々な要因が重なっているのでしょうが、私は自分自身の体験※から、“手あて”も一助になったのではないかと思い、自己満足しています。
 ※〈養生記――膿胸、大腸ガン、腸閉塞をわずらって〉

 具体的にはお腹や頭の調律点、脊髄などに手をあてて、内観(自分のからだの内を観る事)をしていただけですが(整体では「愉気(ゆき)」と称しています)。整体協会の創立者・野口晴哉は、いきものとしての人間なら誰もが持っている手あての力を、「民衆の力」と名づけました。民衆の力を、民衆に返せ!と。

 鍬も入らないごろ土の土地を、耕して耕して種をまき、ようやく芽吹いてきたかな、という印象です。これから登らなければならない階段が数多くあります。フレンズ会員の皆様には、変わらぬご支援のほど、よろしくお願いいたします。


  2026/10/18 [日]   菜芭の様子


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉より――今日は、僕とルークさんで病院に行きました。菜芭は、午前中は車椅子で4階の屋外ミニ庭園に行って景色を楽しんだそうです。食事は完食、スプーンで食べるのも上手になり、刻み野菜を箸で口に入れることもできました。

 食事の後、今日はルークさんの誕生日だったので菜芭からルークさんにプレゼントを渡してもらい、歌を歌いました。

(僕)Happy birthday (菜芭)to you
(僕)Happy birthday (菜芭)to you
(僕)Happy birthday Dear (菜芭)チアキ

 菜芭がワザとぼけたので、三人で声を上げて笑いました(その後、ルークと歌い直しました)。僕は先に帰りましたが、ルークさんが後で千晶にメールを送ってくれました。

 「千晶さん、こんにちは。まだ疲れてる?今家に帰ったばっかり。菜芭と一緒の時間とても楽しかった!いっぱい遊んで、わらって、歌ってくれた。急に眠そうになって、いい感じで別れた。プレセントありがとう!Tシャツ格好いい」


  2026/10/17 [土]   高次脳機能障害の本を二冊、購入


 長谷川幸子・長谷川幹『リハビリ医の妻が脳卒中になった時 発病から復職まで』(日本医事新報社)、長谷川幹『主体性をひきだすリハビリテーション 教科書をぬりかえた障害の人々』(日本医事新報社)。

 図書館でも二冊予約した―鈴木大介『「脳コワさん」支援ガイド』(医学書院)、長谷川幹『リハビリ』(岩波書店)。少しでも菜芭の理解に役立てれば。

 ※

 今日の菜芭は、自分でスプーンを持って、昼食を食べれた。残念ながら左手の自由がきかないので、食器をもつことはできないが。昨日は看護師さんにスプーンですくってもらっていたので、おおきな一歩だ。

 伊丹から叔父(千晶の弟)夫婦が見舞いに来てくれて、十分ほど、たのしく懇談――菜芭は、何度も笑っていた。三週間前に一度来院した叔父夫婦も、菜芭の回復ぶりに驚いていた。その当時は、まだしゃべれなかったのだ!


  2026/10/16 [金]   今日の一日


 朝、思い立ってウオーキングの前に、高次脳機能障碍&リハビリに関する本を、2冊は図書館で予約、2冊はメリカリで数百円で購入した。そのため、ウオーキングは普段のルートは通らずに、図書館へ本を返却し、コンビニで病院関係の支払いを行って帰ってきた。

 昼は、コーナンの向かいのラーメンショップ「なぶら」へ。鯖ラーメンが売りだが、唐揚げもおいしいので頼もうとしたら、2個や3個の+αはあるものの、1個がない。店の人に尋ねたら、1個180円で付けてくれた。
 
 ラーメンと唐揚げはおいしく食べたが、ほかに注文した玉子かけご飯がイマイチだった。今さら言うまでもないが、普段送ってもらっているキー坊の卵が、かけがえのないおいしさだと、知る。
 
 病院へは、千晶。午後、滋賀の姉が見舞いに来てくれた。菜芭は午前中は落ちついていたようだが、午後は情報過多になって疲れてハレーションを起こしてしまったという。気をつけないと。

 ※

 個別の中から、普遍を見い出すこと。特殊を――他者との共有・吟味・検証を経て――一般にまで高めること。


  2026/10/15 [木]   街を歩く


 こおろぎの鳴き声が、聞こえなくなってきた。天満宮の銀杏も、実を落として、臭い。近鉄大久保駅から病院に向かう道路沿いの飲食店で、外にワゴンを置いて富有柿を1袋(5〜6個入り)三百円で売っている。市価の半値。

 柿好きの俺が見逃すはずがない。一昨日から、四袋も買ってしまった。

 ※

 昨日・今日と、病院には昼前に着いたが、菜芭は声がうわずってハイテンションだった。薬(そもそも合ってないか、それとも減薬したリバウンド?)のためか、と思ってしまったが、昼食後に二人になると、少しずつおちついてきた。

 二時半にはじめて作業療法士のリハビリが入ったが、ちょうどルークさんが付添に来たので、バトンタッチ。後で送ってくれた動画を観ると、上手に右手・左手・両手で、起き上がった姿勢でリップクリームを塗っていた。


  2026/10/14 [水]   サルコペニア


 筋肉が減って、寝たきりなどの予備軍になるサルコペニアの記事を読んで、テストをしてみた。両手の親指と人差し指で輪をつくり、ふくらはぎのいちばん太いところを囲むと―隙間ができて、筋力不足。

 これではイカンと思い、さっそくふくらはぎを鍛える踵上げを、朝の行気の時と電車に乗っている時に、始めてみた。筋肉、特に腕の筋肉が減っているとは、前から感じていたが。「お父さん、太って!」と菜芭からも言われている。

 今日の菜芭は、食事二日目、難なく完食。主治医や管理栄養士も病室に来て、観察。菜芭が足りないと言うので、明日からご飯の量を倍に増やしてもらうことになった。


  2026/10/13 [火]   今日の一日


 朝、ウオーキングの際に、思いたって一条通の花屋さんに寄り、スプレー菊(300円 品種?は「セザンヌ」と書かれてあった)一鉢と浜菊(二鉢で500円)を購入。円町の交差点では、三井住友と京都の二つの銀行が閉店していた。

 今日の午後は、園芸仕事。朝買った三鉢を、スプレー菊はゲストハウス前に鉢植え(枯れてしまった百日紅の後釜)、浜菊はゲストハウスの庭に定植。先日、別の花屋で購入したコスモス二鉢(200円)を同じく鉢植え(こちらは、黒蝋梅の後釜)にした。

 さらにメルカリで手に入れた菫の種を、めだかの睡蓮鉢の周囲と、ゲストハウスの庭に撒いて、上から腐葉土をかぶせておいた。秋の花がなかったので、少しははなやかになったし、来春の菫の開花がたのしみだ。

 ※

 今日の菜芭は、初めて食事(昼食のみ、お粥・野菜の煮物・白身魚の煮付け・いちご味のフルーチェの軟軟食)を、一時間かけて完食した。見学した千晶によれば、医師や看護士・栄養士などが見守るなかで、余裕で食べていたそうだ。

 転院して一ヶ月、また一つの階段を上った。


  2026/10/12 [月]   街を歩く


 朝、恒例のウオーキングへ。天満宮の銀杏の木は、あきらかに緑色が褪せていた。安楽寺天満宮まで来た時、「ああ、もう蝉が鳴かないな」と思ったら、楠のとなりの大木(名前が分からない)から、つくつくぼうしが、鳴き始めた・・・。

 ※

 今日は、朝から千晶が、昼から私が菜芭の元へ。三人でしりとりをしたり、千晶と菜芭が“デュエット”で童謡を歌ったり、とおおむね楽しく過ごす。友人のMさんも、ハロウイーングッズを持参して、お見舞いに来てくれた。


  2026/10/11 [日]   悲哀


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉より――長雨が終わったら、京都では好天の日々が続いています。

 千晶が菜芭の病室を訪れると、今日も菜芭は積極的な反応を示していますが、私の場合は、ここ1,2週間、よく泣きます。

 思い通りに体が動かない、思い通りに言葉が出ない、思い通りに記憶が戻らない・・・そのもどかしさから来るのかなと推測しますが、もしかしたら、もっと根元的な、人間存在(一人で生き、一人で死ぬこと)の悲哀を感じて涙をながしているのかな、と思ってしまいます。

 そんな時は、両手にミトンをしていて自分では拭えないのでタオルで涙をふいてやります。

 もうけっしてさびしくはない
 なんべんさびしくないと云ったとこで
 またさびしくなるのはきまっている
 けれどもここはこれでいいのだ
 すべてさびしさとかなしさとを焚いて
 ひとは透明な軌道をすすむ
   ――宮沢賢治『春と修羅』小岩井農場パート九の一節

 病床で
 悲哀の涙
 流す娘(こ)に
 為すすべもなく
 秋空を見る
   ――無々々  


  2026/10/10 [土]   見ざる、聞かざる


 Hさん来店―今日は千晶が午前中、病院に行っているので、私が接客。イギリス人の男性デザイナーで、楽天堂より北の山際に家を建て、一人で住んでいる。

 「シンプルな人生を」がモットーで、SNSやメールを止め、必要な事は電話(+SMS)で済ませているという。ガーデニングが好きで、剪定作業に没頭していると、何もかも忘れて集中できる、「座禅のようですね」と私が言ったら、頷いていた。

 できるだけ、見ない、読まない、webも新聞も。必要ない時は、目を閉じる。電車に乗っている時など、窓の外を何気なく見ていても、看板などの「文字」を拾っている自分に気づく。

 目を休ませよう。


  2026/10/09 [金]   読書


 京都駅から近鉄電車に乗って大久保駅まで、十数分の短い時間をつかって読んでいるのは、三木成夫(みき・しげお)『胎児の世界』(中公新書)・坂岡大路(さかおか・おおじ)『閉ざされた信仰を哲学がひらく 隣人と共に生きる対話篇』(ヨベル)。


  2026/10/08 [木]   秋の詩(うた)


 競(きそ)う?
 とも(共・友)なう
 こおろぎの
 鳴声(こえ)は虚空(よぞら)に
 我が魂(こころ)にも


  2026/10/07 [水]   街を歩く


 朝、北野天満宮へ。「七五三詣」のおおきな幟が大門にかかげられていた。修学旅行生(中学生)が多い。観光バスで来るのではなく、ジャンボタクシーで班ごとに乗り合わせ、降りてからも運転手の解説を受けている。

 その後、安楽寺天満宮へ。「御身たいせつに」というご託宣。大楠の幹、地上1.5mのところから、20cmほどの若芽(茎といってもいい)が伸びていた。何という生命力!

 帰宅してから、再度、病院へ行く間際になって、サングラスが行方不明に気づく。家まで着けてきたのは確かなのに・・・。気持ちが落ち着かないまま、自転車で発った(病院から帰って、ふと、いつもの置き場所から少し離れた同じようなポケット入れをさぐってみたら―ありました。ルーティーンを、はずさない事。

 病院で、菜芭は落ち着いていた。昨日、千晶が体験したような“劇的な展開”もなく。唯一、避難訓練で、病室までサイレンが十数分も流れたので、菜芭はしばらく涙をながして泣き続けた。何かの記憶が、呼び覚まされた、のかもしれない。

 最後は三時前にリハビリが始まったので、菜芭に「大丈夫?」と聞くと、うなづいたので退室。明日も昼前から、菜芭に会いに行く。


  2026/10/06 [火]   人は死す時、何を残すか


 石原吉郎の書いた物を読むと、ソ連のラーゲリー(強制収容所)に送られた者たちは、移送の貨車の壁に、名前を刻みこんでいたという。

 毎日新聞で紹介されていた元ハンセン病患者・東條高のCD3枚「生かされて」「この道」「こころ」を購入する――以前、『堂守随想』に書いた歌手・沢知恵さんのプロデュース。

 彼は、歌(声)を残した。


  2026/10/05 [月]   政治をエンタメにするな


 昨日の毎日新聞・朝刊の一面見出しは「「サナ活」余熱と落胆と」、「「率直さ」で支持率維持」と続く――タカイチの、嘘や誤魔化しの数々を批判もせずに(できずに)。

 風刺漫画ならいざしらず、“社会の木鐸”も堕ちるとこまで堕ちた。

 ※

 今日の菜芭は、リハビリで初めてりんごゼリーを口にし、それを見ていた主治医の判断で、胃ろうの増設は見送りになった。おおきな一歩。


  2026/10/04 [日]   “形にならない何か”


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉より――

 振り返ると、7月下旬に警察から一報があり、その夜、向かった奈良・吉野署で、担当の警察官から言われたのが「50m滑落して、生きているのが奇跡ですよ」。

 翌朝、ヘリで医大病院に救急搬送され、手術(脳圧を計るために頭蓋骨内にセンサーを挿入する)へ向かうストレッチャーの上で、菜芭はぐったりとして片目は閉じ、片目は瞳孔が開いていました(←死の兆候)。胸がつまりました。

 右脳を挫傷しましたが、幸いにも脳幹や脊髄、心臓、肺、内臓などに損傷はなく、両鎖骨の骨折&右肩関節の脱臼ですみました。確かにヘルメットを被り、ザックで守られたとはいえ、「上手に落ちたな」と誉めてあげたいです。

 2ヶ月で、最も困難ではと思っていた言葉を取り戻せたことは、感慨を覚えます。

 菜芭は生後三ヶ月から“アトピー・クイーン”と言われるほど重症のアトピー性皮膚炎を患いましたが、私たち夫婦はできるだけ薬(ステロイド)や病院に頼らないで、整体で治そうと、必死になっていました。1歳の時に2回も緊急入院させてしまうなど、間違いもおかしましたが、菜芭はよく応えてくれたと思います。

 幼稚園の時のエピソードを覚えています。ある日、二人でスーパーに買い物に行くと、レジのおばさんが、菜芭の湿疹だらけの顔と手を見て「まあ、かわいそうねえ」と言った時、菜芭は「これ、いいんよ」と反論しました。整体では、からだの内にできるよりも外に出す方が良し、とします。

 5年後に生まれた光太郎も、同じくアトピーと喘息を患いました。夜、息が苦しくて眠れないと、布団の上に座ってゼイゼイしている。1時間、2時間と、懸命に背中をさすってやります。「お父さん、くるしいよ。ぼく、もう、しんじゃうよ」時計の針は12時を回って、あと5分、これでダメだったら救急車を呼ぼう・・・。そんな危機を、何度か乗り越えてきました。

 それもこれも、「財産は遺してやれないけれど、このからだだけは」という親のエゴからでしたが。

 18歳まで有無を言わさず育ててきて、高校を卒業してからは二人とも自由に選択しています。特に菜芭は、髪を染めたり、歯列矯正をしたり、何かあると直ぐに医者にかかってムムム。それはそれで「整体原理主義者」にならないで良かったかな、と。バランスをとってもらえれば。

 この二ヶ月の経過をみていて、菜芭には調体(せいたい)を教えたことはありませんでしたが―いわゆる野口整体の活元を二度ほど一緒にやったことはあります―“無形の何か”が伝わっていたのかな、と親バカ(自己満足)で感じます。そのような“何か”は、親と子の間柄だけでなく、例えば師と弟子の間でも、起こりうるのではないでしょうか。

 四十代まで、自分の中に核たるものを持ちえずに、人生をふらついてきた私は、不惑の半ばになって師と呼べる先生と出会い、十年間、整体の稽古を受けてきました。具体的な稽古内容はほとんど忘れてしまいましたが、何を学んだかと言われれば、一言、生き方です。今は離れていますが、私の中には師の恩愛が生きています。

 長くなりましたが、これから菜芭には、食事・歩行・記憶のステップが待っています。フレンズ会員の皆様、変わらずご支援をよろしくお願いいたします。


  2026/10/03 [土]   友の力


 今日は、東京から菜芭の友人が三人、見舞いに来てくれた。一人は高校時代以来の、二人は大学時代からの知り合いで、Hさんとは東京・大井町のシェアハウスで共同生活をしていた。

 千晶によると、友人達が持参した手作りアルバムを見て、菜芭はとても喜んだそうだ。そして、二十分ほどして彼らが帰った後は、余韻・感慨で静かになっていたという。家族とはまた別の、力を友人は持つのだろう。


  2026/10/02 [金]   菫


 このあたりの歩道を歩くと、民家の玄関先で、コンクリートのわずかな隙間に菫が根づいているのを、よく見る。靴で踏まれて、水分や養分も難しいと思うが、菫はもともと“雑草”でつよいのだろう。

 メルカリで、菫の種―4種、各50粒ずつ―を、三百円で購入した。たちつぼ菫はめだかの睡蓮鉢わきに、後の紫・白・薄紫ののじ菫は、ゲストハウスの庭に・・・来春の花が、楽しみだ。

 ※

 今日は、千晶が病院へ。菜芭は、昨日にもまして「こうたろう」「おとうさん」「おかあさん」「いちごがたべたい」と、発声したという。


  2026/10/01 [木]   今朝のエピソード&今日の菜芭


 楽天堂フレンズのメーリングリストより――

 ■今朝のエピソード

 今朝、いつものように北野天満宮に参拝に行くと参道脇の伴氏社(とものうじしゃ)という末社の前で、三脚を立てて写真を撮っている人がいました。

 誰かと思って見ると、パトリックさん!

 「何をしてるんですか?」と聞くと、鳥居の礎石を指さして、「蓮の文様、分かりますか」と。今まで数限りなく前を通ってきましたが、気づきませんでした。

 「神仏習合です、明治時代までの」「外国人の京都ガイドで使うためですか?」「ハイ」

 そんなやりとりを二人で―日本語で―していたら、少し離れて見ていた日本人の中年女性が近づいてきて「長時間、こんなところで撮影していたら、他の人に迷惑でしょ」と、一方的に言い立てて、去って行きました。パトリックさんが「私は他の人が来たら邪魔にならないように・・・」と言うのに耳も貸さず。

 確かにパトリックさんは、正面から社が見える位置に三脚を立てていましたが、脇から難なく通り抜けできましたし、そもそもこの小さな神様にお参りする人は、ほとんどいません。

 「No problem!」とパトリックさんに言った後、私は「残念だな」と溜息をつきました。

 件の女性も、「何を撮っているんですか?」と近づいて行ったら、日本建築に造詣の深いパトリックさんから―私のように―新たな知見を得られたものを。自らその機会を捨ててしまった!

 “他人に迷惑をかけない”≒“自己責任論”でフリーズしてしまった、昨今の日本で増殖している、日本人の一例でしょう―狭量な、
余りに狭量な。

 北九州で活動しているNPO法人抱樸の奥田知志さんが常々語っている“「助けて!」と言える社会へ”≒“お互いに迷惑をかけ合う”社会に向けて、小さな実践を積み重ねて行きたいです。

 ■今日の菜芭―気づいたこと

 *昨日と同じような「あ〜」という叫びを10回ちかくあげましたが、2回は“言葉の原型”というか“言葉にならない言葉”で、1回は、看護師さんが退室する際に「やあ」と言ったように聞こえました。

 *「あ・い・う・え・お」の五十音よりも、「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」のいろは歌に、より注意を向けて耳を傾けていました(私は、はらの5つの調律点を内観しながら、発声=歌っています)。

 *中国式目の体操(疲れ目に効く4つのつぼを押さえる)をしてやると、気持ちよさそうに瞼を閉じますが、すぐにまた目を開けてしまいます。そこで「菜芭さん、目を閉じて下さい」と言うと、自分から瞼を閉じます。うとうととして寝てくれるかな、と期待しますが、また目を開けて・・・。の繰り返しでした。

 *点滴で鼻チューブの食事中に、足を器用に使って両足とも拘束をほどいてしまいました。しばらくそのままにしてやりたかったのですが、看護師さんが様子を見に来たので、二人で再度、拘束しました。「ごめんね、こんなこと誰もしたくないよね」と、看護師さんが―とてもイヤがる―菜芭に謝っていました。