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  2025/06/14 [土]   稽古会


 参加者一名。前回と同じく、イメージの活用+「神社でなぜ柏手を二度うつのか?」の稽古を行う。強い雨の中、遠方の滋賀県から参加してくれたTさんに感謝。


  2025/06/13 [金]   「攻撃」?


 イスラエルのイランに対する爆撃や、殺害は、「国家テロ」ではないか。もし逆にイランが行っていたら、欧米のジャーナリズムは―日本も含めて、言うまでもなく―“許されない蛮行”と、わめき散らしていただろう。

 このダブルスタンダードを、疑う知性さえも、もう既に失ってしまったのか。いやしくも報道の“道”にたずさわる人間たちは。

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 「boundaries(境界)」と、「mind(心)」―この二つの言葉が、タニヤさん&アレンさんと知り合って学んだ(日本と西欧文化の相違を痛感させられた)用語だった。次回の『らくてん通信』のテーマに、書きたいと思う。

 


  2025/06/12 [木]   友となる


 先週、座禅会で初めて会ったイギリス人のアレンさん。話が合い、彼が私に会いたがっていると千晶から聞いて、今朝の座禅会に参加。終わった後、本堂の階段で、二時間話し込む。

 リバプールでの叔父の言葉、インドでの超越体験、日本での座禅修行etc. 彼は76歳、二年に一度、日本に来ているという(奥さんが日本人)。友愛は、boundaries を越え、会った回数や時間の長さではない。
 
 次に会えるのは、いつか・・・。固い握手をして、別れる。(写真は、初対面時に。2025/06/06)。
 
 


  2025/06/11 [水]   ピンチヒッター


 千晶が腹痛と高熱でダウンしたため、今日は一人で店を運営した。閉店後、明日、興聖寺の座禅会で一緒になるアレンさんの“お土産”に、調体の英語プリントを作成。就寝が十一時に。


  2025/06/10 [火]   稽古会


 参加者一名。〈イメージの活用〉プラス〈柏手(神社でなぜ柏手を二度うつのか?)〉の稽古を行う。


  2025/06/09 [月]   今日の一日


 不思議な夢を見た。先生から「妹が病(高熱?)で苦しんでいるから、レコード(?)を選んできてくれ」と頼まれ、アルバム帳のようなものを一つずつ一人オーリングでチェック。最後に「小泉八雲全集」がOKだったので先生のところに持って行くと、涙を流して喜ばれた。

 朝、図書館へ本を返しに行った時、歩くのに慣れてない白状の老人をみかけた。「どこまで?」と尋ねると、丸太町病院だったので、右手を添えてエスコートした。西郷さんをガイドした経験が生きた。
 
 午後は、明日の稽古に向けて〈イメージの活用〉の資料を作成。


  2025/06/08 [日]   今日の一日


 國分功一郎氏と熊谷普一郎氏の対談『〈責任〉の生成ー中動態と当事者研究』(新曜社)の読書。図書館から返却期限オーバーの連絡があったので、読み切ろうと思ったがかなわず。

 メルカリやアマゾン(中古)で購入しようと検索して、最終的にヤフーオークションで入札。ところが、千晶が一冊持っていることを知らされて、あわてて「入札取消」依頼を送って、出品者からOKを得た、ドタバタ記。


  2025/06/07 [土]   小女郎ヶ池トレッキング


 平バス停〜池〜蓬莱駅のルート。全行程の三分の一ずつ、上りと下りは植林帯で退屈だが、中の三分の一は琵琶湖を見ながらの尾根歩きと小女郎ヶ池でのゴクラクお昼寝タイム。赤坂山の次に、私の好きなコース。

 尾根道で鳴く鶯と感応した/下りの沢で、「熊の鳴き声を聞きませんでしたか」と青年に聞かれた。? 彼は、山椒魚を探していた/岩のあるゴロ道も、ポールを使って上手に後歩きで降りれた/座禅でよく言われる「半眼」とは、瞼を半分閉ざすことではなく、肉眼で外を・心眼で内を、それぞれ半分ずつ使え、ということではないか、と気づいた。
 
 勘覚が失われると、形式的―形だけの、〈表〉の、合理的な肉体の操作、に堕してしまった一例ではないか。


  2025/06/06 [金]   今日の一日


 朝、千晶にさそわれて、興聖寺(こうしょうじ)の座禅会に参加。六時半から三十分、その後で読経。

 市民に開かれた、無料の、類い希な場。久方に座を組んで、三無(no popularity, no benefit, no pride)に徹せよ、との託宣を得る。ただ、読経の時間は、住職がcryingするように読むので、苦痛だった。自然に発声すれば、よいのでは。
 
 その後、Zen coffee Kyoto で、コーヒーを飲む。その場で、参加者の一人だったイギリス人のアレンさんと親しくなり、友になる。彼はリバプールでソーシャルワーカーとして働いていた後、日本文化に関心を抱いて来日。英語を教えていたそうだが、岡山の寺で、住み込みで一年間仏教の修行もした経験を持っている。
 
 伝統的な日本文化への敬意、と同時に現代の日本文化・社会(それは、西欧の文化・社会にも共通する)への問題関心、失望を、共有できた。こんな友が、身近な日本人で得られたら・・・。
 
 固い握手をして別れる。その後、キタマチロージで、豆プレートを朝ご飯でいただく。
 
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 午後、ゲストハウスの梅、いちじく、桑、山椒を、楽天堂裏庭の柿の木を、剪定。


  2025/06/05 [木]   今日の一日


 ルーティーンの仕事+午後、ゲストハウスのザクロとローリエを、大きく剪定する。ザクロは六年目を迎えてもまだ実がつかず、失望。ローリエの枝は、ダ・マエダの直美さんとキタマチロージの糸井さんに、それぞれ一抱えずつもらってもらった残りは、「ご自由にお持ち帰り下さい」コーナーへ。

 明日は、同じく仕事の合間に、いちじくと我が家の庭の柿の剪定を行う予定。


  2025/06/04 [水]   手本と見本


 神田橋條治氏が常々、著書の中で語っているのは「手本ではなく、見本に」ということ。手本はコピー人間をつくり、見本は自主性を育くむ。

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 朝日新聞・朝刊の社説で引用されていた、長嶋茂雄氏のことば:「大衆の波動とプレーヤーのきらめきが一体となった時が、本当のスターが誕生する瞬間だと思いますね」「天覧試合のあのファンの波動が、長嶋茂雄を生み、高度経済成長が、育てたんですね」
 
 そして今、大谷翔平投手が、大衆の波動と重なっている。何が、大谷翔平を育てるのか?


  2025/06/03 [火]   訃報


 長嶋茂雄氏、逝去。子どもの頃、「王、金田、長嶋、廣岡」(=「おう、金だ、流すま、拾おうか」)と皆で唱えていたのを思い出す。昨日は、神道学者・鎌田東二氏の逝去が、朝刊で報じられていた。十年前までは、氏の多くの著作を読んでいた。ものたりなくなってっきたのは、現実世界との接点の希薄化のためか。
 
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 午前中は、明日のキット定期便の発送準備、午後は、上京区役所へ千晶と集団検診を受けにいった。帰りがけに、喫茶パーチで千晶はカレーを、私は(めずらしくメニューにあった)定食を食べて帰宅。
 
 昨日のトレッキングにもかかわらず、足の筋肉痛がほとんどないのに我ながら驚く。写真は、登山口近くの自然観察路で見た、銀龍草(ぎんりょうそう)。あざやかな白色、神秘的な雰囲気―はじめて知ったが、きのこではなく、ツツジ科の多年草。神の使者?
 
 


  2025/06/02 [月]   赤坂山トレッキング


 今春は、五月の週末に雨が多く、四月に堂山へ登って以来の山行になった。体力に不安はあったが――赤坂山は堂山400mの倍以上の標高――登り始めると、アライグマに出くわし、春蝉の押しつぶしたような声を聞き、ほおじろ・このはずく・うぐいすの鳴き声にみちびかれ、たにうつぎ・こあじさい・やまぼうし・ねじき・えごのき・あおだもの花々に惹かれ(赤坂山の代名詞、きんこうかは、まだ蕾だった)、充実した内省の時間を得た。

 彼女から与えられたもので、満ち足りること―欲望は限りなく、程々に(so so)。一瞬を、惜しむこと―すでに人生の第三(第四?)コーナー、若き日の茫洋とした未来は、無く。
 
 さらさ温泉からスタートしてピストンを予定していたが、山頂に着いてみると、まだ行けると判断して、三国山湿原から黒河峠を経て、白谷まで回った。「眼が洗われる」という慣用句は、こういう勘覚なのか、と体験した一日だった。


  2025/06/01 [日]   今日の一日


 朝方、霧雨。赤坂山トレッキングへ、家を出る頃には上がるだろうな、と思ったが、別に今日でなくても明日があるさ!、と思い直して山行は中止(予想通り、陽が差してきた)。

 今日は一日。ホームページの修正や、ゲストハウスの報告その他、などなど、月初にやらなければならないルーティーンを追えた後、ようやく気持ちが動いて、冬用の着物と、ストーブなどを仕舞う。
 
 ヤレヤレ。明日は、赤坂山へ。ピストンにするか、それとも黒河峠まで足をのばすか、体調次第で。