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  2025/12/20 [土]   読書バトル


 木村敏(きむら・びん)『時間と自己』(中公新書)を読み始める。一ページごとに、いや、一行ごとに、考えなければ読みすすめられない。テレビを観るように字面を流しては、何も残らない。思考の闘い。

 “財布をはたいてなけなしの”知識と体験をフル活用して読んでいるが、調体の内観技法で勘覚――〈裏〉=「こと」・〈表〉=「もの」――を学んでこなかったら、何を言わんとするか理解できなかったにちがいない。


  2025/12/19 [金]   薄毛が気になる方へ


 歳相応といってしまえばそれまでだが、髪(特に頭のお皿の部分)が薄くなってきたのが気になっている。サプリメントには頼りたくないので、webで「薄毛 食べ物」で検索してみた。

 結論は「バランスよく」につきるのだが、一つ、生卵の白身が育毛成分を体外に排出してしまう、という記述があった。僕は毎朝、納豆に生卵をかけて食べているので、これはいかん! でも、加熱すれば問題なく、生よりも消化がよくなるそうだ。ただ、朝のあわただしい時間にゆで卵は・・・と思って、「レンジ 卵」でさらにググると、電子レンジで半熟卵の作り方がのっていた。
 
 ・小さめのマグカップに卵を割り入れ、かぶるくらいの水をそそぐ。
 ・爪楊枝で黄味に五カ所ほど穴を開ける。
 ・ラップをかけずに、500wで1分10秒、加熱する。
 
 これなら、手間いらずでできそうだ。水の代わりに、豆乳やお茶でもいいだろう。早速、明日からやってみることにする。


  2025/12/18 [木]   残念!


 その一:今年は裏庭の柿がまったく実らなかったので、店でつるし柿を買って干し柿にしてみた。第一弾は、陽にあてすぎて皮が黒く固くなって(失敗とはいえないが)ものたりず。第二弾は赤くやわらかいうちに収穫して冷蔵保存したが、冷蔵庫のなかで重ねて置いておいたら、汁がにじみでてぐじゃっとしてしまった。第三弾は、二回にこりて赤いうちに収穫&すぐに冷凍保存した。第四弾は、現在、吊し中。

 欲ばって第五弾、もう十二個を・・・と思って、業務スーパーをのぞいたら、もう販売してなかった。生協にもナシ。残念。
 
 その二:マルサンアイの有機豆乳、いくつかあるブランド・メーカー品の中で、もっとも安く品質も良かったのに、ケースで扱っている業務スーパーの店長さんから「もう入らない」と教えられた。マルサンアイのHPを見たら、来年二月末まで販売休止とのこと。値段も、上がるようだ。残念。


  2025/12/17 [水]   今日の一日


 午前、和田クリニックへ血液検査の結果を聞きに行く。予期したとおり、炎症を示す数値が良くなかった。先生に生タラの塩糀で湿疹ができてしまったと相談すると、糀は雑菌を引きつける、と教えられた。

 診断は、今の麦門冬湯を飲み続けること、粉末生姜(生ではなく)を食事にとりいれること――豆腐や肉(湯がいた豚肉や鶏肉)に生の生姜を摺り下ろして毎日、食べていたが、千晶が言うには、それでは体を冷やすと――風呂にゆったり入って体を温めなさい、というアドバイスだった。
 
 一ヶ月後に、再検査を受ける予定。このところ、ウオーキングの前にバナナ+納豆を食べているが、バナナは体を冷やすと言われているので、レンジで温めるか、豆乳に入れて温めてからシナモンを振りかけ、納豆+ターメリック(抗酸化佐用にすぐれている)と一緒に食べてみようと思う。
 
 豆腐や肉には、ネパリバザーロから今日入荷した粉末のジンジャーを振りかけて食べることにする。


  2025/12/16 [火]   〈理想に燃えて〉


 朝日新聞・朝刊、元国会議員・佐藤謙一郎(さとう・けんいちろう)氏のインタビューから一部抜粋――

 「僕の行動原理は一貫して、『目撃者責任』。ベトナム戦争勃発にたまたま鉢合わせして日本に帰国するのをやめ、兵士らの治療に当たった日本人医師の言葉です。見て、知ってしまった以上は、目をそらさずに行動する責任があるのだと」
 
 「僕の座右の書は、デンマークの哲学者キルケゴールの『現代の批判』です。フランス革命という情熱の時代が終わり、閉塞(へいそく)の時代に生きたキルケゴールは『誰もがたくさんのことを知っている。どの道を行くべきか。行ける道がどれだけあるか、我々はみんな知っている。だが、誰一人行こうとはしない』と書きました。そんな『賢い傍観者』が跋扈する時代にこそ、情熱ある行動者への称賛が必要だと訴えた。1846年の書ですが、SNSの隆盛で『傍観者』が増殖している今こそ、かみ締められるべき一節です」
 
※この日本人医師とは、誰のことだろう?(無々々)


  2025/12/15 [月]   薩摩焼の陶芸家・十五代沈壽官(ちん・じゅかん)氏の言葉


 ひと・健康・未来研究財団発行の月刊誌『ひと・健康・未来』vol.41 2025.11 スペシャル・インタビュー〈回るろくろの動かぬ芯として生きる命を伝えたい〉より、一部抜粋――

 「やっぱり僕たちはこの地を守っていかなくちゃいけない、それが一つ、僕に与えられた大きなな使命だと思っています。
 
 じゃあ、守るって何をするのかというと、我が家が灯台のようにここにあることだと思っています。動かない、不動であるということ。変わらずそこで光を出し続ける。そういう存在があることによって、港に停泊している自由な船は、自分の進むべき道が見えたりする。比較する対象がここにあるわけです。そうするといろんなバリエーションか生まれてくるんですよね。ガラス工房だ、木工だ何だって。動かないものがあるから、動ける。もっと言うと動かないものが動かしていると言えるのかもしれない。これがこの地域で、僕が多分できること。
 
 「回るろくろの動かぬ芯」という言葉があります。ろくろって天板は回ってるんですけど、真ん中は実は動かない。つまり、どんな物事にも必ずその動かない芯があるんだろうと思うんですよね。そこを見つけられるかどうかなんだと思うんです。そうじゃないと、現象に囚われて事象を追いかけてしまって、振り回されてしまう。
 
 時代って過去から未来に向かってまっすぐ伸びているかっていうと、決してそうではなく、僕らの周りを蜾旋状に回転してるもんだと思っています。だから、みんなが先に行くんだったら行かせればいいんですよ。お前は先行け、俺はここで待ってるからなと。その代わり、自分を深掘りして、もうちょっと高みに自分が上がっていければ、時代っていうのは必ず戻ってくるんで、その時にそこにいたら、一番先端な人になれるんでしょうね。で、しばらくしたらまた最後尾になるのかもしれない。
 
 だから息子にも、何も焦ることはない、と言っています。もちろん外で色々汗かくことも大切ですし、僕以外の誰かに仕えることも大切、よその家の釜の飯を仲間と一緒に食うことも大切です。いいものは必す認めてくれる人がいる、みんなに好かれる仕事なんかしなくていいんだって、いつも言ってるんです。千人に一人、一万人に一人、お前の仕事が大好きだっていう人がいたら、十分食っていけるから心配するなって(笑)。」


  2025/12/14 [日]   街を歩く


 石蕗(つわぶき)が咲きはじめた。が、残念なことに―夕方、イオンに買い物に行く道すがら、T幼稚園の脇を通ったら、4-5mに育った、子ども達の教育環境にも良い道沿いの木々が、皆、根元から伐られていた。フェンスには「園舎増築」の掲示が・・・。

 近くのK幼稚園でも、園庭の中央に、おおきく、たかく、うつくしく、屹立していた高さ二十メートルにも及ぶ大きな木(樹名は?)が、無惨にも掘り返されて、伐られた。ここでも、園舎増築のために・・・。
 
 それぞれ事情はあるのだろうが、何故、人間はこんなにもたやすく木を伐採してしまうのだろうか。
 
 ※
 
 不思議な事があった。数日前、北隣の住人から問われた「軍手」だが、今日、ゲストハウスの二階に上がったら、何と、ベランダに軍手が四足、あった。
 
 まさか、件の主人が塀を伝って置きに来た訳でもないし、十数メートルの距離を放り投げてうまく載る訳でもなく・・・動物が加えて置いたとしか思えない。鼬(いたち)か、猫か、フシギな物語。


  2025/12/13 [土]   筋肉を鍛える


 先月、岡山で那岐山(1,255m)に登った際、息切れは予期していたが、膝に力が入らず、10mおきに立ち止まって小休止しなければならなかった(下りはその点、ポールを使うので、二十代の若者にも負けなかったが)。

 毎日のようにウオーキングをしているが、平地を歩くのと、山歩きとは違う筋肉を使うようだ。筋肉―特に膝回りの―を鍛えねば、と痛感した。そこで、本を二冊:酒向正春(さこう・まさはる)『筋肉革命95』(講談社)をメルカリで購入、大谷義夫『1日1万歩を続けなさい』(ダイヤモンド社)を図書館で借りた。
 
 役立てたい。


  2025/12/12 [金]   街を走る


 午後、豆料理キット定期便をクリックポストで投函、丸太町堀川の「鍵のベストワン」でシェアハウスの自転車に合い鍵を作ろうと出向いたが、出張中で閉店、河原町寺町の「モンベル京都店」で取り寄せたグローブを受け取りに行き、帰りがけに―勘が働いた―三条商店街で「合い鍵作ります」の看板を見て700円で複製。

 寺町通は、平日の午後にもかかわらずインバウンド客で混雑していた。目立ったのは、食べ歩きの店とファッション店の数多さ。楽天堂の周辺では見かけないコスプレ日本人女性も目だって、普段感じられない印象を持った。


  2025/12/10 [水]   ご近所の消息


 丸太町七本松にある老舗の喫茶店・CC'sの女性店主が亡くなった。数年来、腰を痛めて二階の居室に上がれず、店のキッチン(古い町家なので、土間)に簡易ベッドを置いて寝ていた。亡くなる数日前まで店に立っていたという。

 享年八十後半歳。これからは「職人」と呼ばれていた男性(店主との関係は不明)が一人で店を営業するそうな。
 
 ※
 
 ゲストハウスの庭の北隅で、枝が伸びていたローリエや南天の枝を高鋏(たかばさみ)で切っていたら、塀越しに「こんにちは。この頃、軍手が無くなってませんか?」と斜め向かいの家に住む男性が、煙草をくゆらしながら尋ねてきた。
 
 「え? 軍手ですか。いや〜、それはないなあ。春に、子猫が五匹、糞をしたり床下にもぐりこんで困ってたけど、町内会長さんが市役所に電話してくれて、駆除されたようです。イタチはいますけどね」
 
 「イタチはいますよね」――私が話題を転じて、「すみません、お宅の方に枯れ枝が落ちてませんか」と謝ると、
 
 「いや、ゼンゼン、ゼンゼン、気にしてませんから」
 
 と言って、別れた。二十年前、ここへ越してきた当時は、竹細工の工場があったが、ほどなく廃業して、建て売り住宅が二軒、建った。奥のMさんご夫婦とは町内会の役員がご一緒になって顔なじみになったが、手前のTさん夫妻には顔を会わせる機会もなく、旦那さんと言葉を交わしたのは初めてだった。
 
 遠目から見るとマッチョ男性の雰囲気で、私の苦手なタイプだったが、あっさりとして良い男だな、と印象を持った。


  2025/12/09 [火]   稽古会


 参加者一名。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し 」――徳川家康の言葉にならって、10kgの荷物を“気の筋交い”で腹or背に抱いて、能の摺り足で歩く稽古を行う。

 ※
 
 松本卓也『斜め論』読了。木村敏『新編 人と人の間』と同時並行に読んだのがよかった。「斜め」とは、自己の身体における“斜め”=頭の憶(こころ)□と腹の性(こころ)○の間で揺れる胸の情(こころ)△の状態と、文化共和体における“斜め”=我と汝の間に第三者を介在させる△の形態との、二重の意味を持つのではないだろうか。
 
 からだの勘覚でいえば、気の筋交いを作った時、二つの股関節と肩胛骨の中央に、二つの△の間(ま)が生まれる。こし=タテ、はら=ヨコに次ぐナナメの重要性とは、この△の間をさすと思われる。


  2025/12/08 [月]   ニッポンへたれ狂会


 中国に関するNHKの報道が、挑発を帯びている。日中共同声明を逸脱した高市発言を批判せずに、「反発する中国」だけを報道している。

 今日の戦闘機レザー照射も真相は不明にもかかわらず、日本政府の発表を伝えるだけで、「公共放送」をうたうジャーナリストとしての矜持も資格もない。
 
 彼らアナウンサーやプロデューーサーには、歴史的に自分が何を行っているのかという自覚が、皆無なのだろうか。もっとも、自覚ある人間は、そもそもへたれ狂会に入ろうとは思わないだろうし、雇われもしないだろう。
 
 ※
 
 菜芭が、等持院南町のシェハウスに住み始めて、“スープの冷めない距離”になった。しばらく荷物が片づかないので、夕食は我が家に食べに来るという。千晶がリキを入れて食事を作っている。


  2025/12/07 [日]   豆ランチパーティー


 等持院南町のシェアハウスで、菜芭の海外旅行(山旅)の報告会。参加者十一名。二十代、三十代がメインの楽しい会になった。

 私が強調したのは、「挑戦。何歳になっても、挑戦、挑戦、挑戦」――菜芭がネパールで死の危険を体験してもまたトレッキングに挑んだように。義父が七十歳で単身中国・上海に渡り日本から工場を移転したように。


  2025/12/06 [土]   二冊の本を読んで、考えたこと


 松本卓也『斜め論』・木村敏『新編 人と人の間』(筑摩学芸文庫)――人間の生きる意味、生命の本質は、こし−タテ−垂直性と、はら−ヨコ−水平性の動的平衡にある。
 
 前者がプラスに働けば個立/マイナスに働けば孤立、後者がプラスに働けば委存/マイナスに働けば依存(一般的には「共依存」と呼ばれる)になる。
 
 求める在り方は、個立(個人としての自立)&委存(共和体の一人として、他者に委ねる)、避ける在り方は、孤立&依存(孤独な存在であるがゆえに、他者にもたれかかる)。
 
 次回の『らくてん通信』は、勘覚としての斜めの探求をテーマに。


  2025/12/05 [金]   娘、東京より戻る


 菜芭が明後日から等持院南町のシェアハウスで暮らすため、京都に戻ってきた。会社が分社化して、その流れでリモートワークが可能になったもの。

 日曜日には豆ランチパーティーで旅の報告をし、その後、荷物が搬入される予定。これから、どんな展開がひらかれるのか。


  2025/12/04 [木]   閉店


 年末を迎えて、店終いや「テナント募集」の掲示を見かけることが多くなった(ような気がする)。丸太町通沿いの都饅頭。いつまで続くかと、以前から案じていたが、先日「しばらく休業します」という張り紙が出て、木戸が閉められた。

 その名にそぐわず、ぼろぼろの店構えで――何しろ、ドアというものがないので、真冬も寒風が吹きさらしになる――苦労ゆえか背の曲がった老店主と、いつも店の前に出て歩道の通行人を見ている(これは、いかにもお客の入らない印象を与えてよろしくない)奥さんとの、二人のお店。
 
 一、二度、和菓子を買ったことがあるが、輸入の餅米や小麦粉をつかった、スーパー並みの品質だった。これでは、ねえ。同情は人を弱くする(野口晴哉)。郷愁は店を低くする(高柳無々々)。


  2025/12/03 [水]   和田クリニックへ


 一年間おいて、和田クリニックへ。先生の問診と血液&尿検査を受ける。六月の京都市・集団検診の結果を診て、食事のバランスは良いが、糖分の摂りすぎに気をつけるように、とのアドバイス。

 今は下(腹)よりも上(胸)が気がかりで―八年前に膿胸を患ったため―インフルエンザやコロナにかからないように気をつけていますが、と相談すると、「漢方の麦門冬湯(ばくもんどうとう)を試してみたらどうか」とすすめられて、一月分処方していただいた。
 
 効果は如何に。


  2025/12/02 [火]   干し柿


 手作りの干し柿が熟れてきたので、一つ食べてみた。その濃厚な甘さ! 砂糖以上、甘柿も足元に及ばない。三十六個を作ったが、これでは一週間に一個で十分か。


  2025/12/01 [月]   タテ(垂直)からヨコ(水平)へ


 松本卓也『斜め論』(筑摩書房)では、垂直化(=権力による上下関係)が避けられないジャンルとして、教育−学校(先生/生徒)・治療−病院(医者/患者)・統治−国家(上級国民/下級国民)が挙げられているが、私はさらにスポーツ・稽古の分野も加えたい。

 すなわち、指導者/選手、師匠/弟子の関係性である。ここでのナナメの試みは
 一)「先生」と呼ばない、呼ばれない
 二)役割を逆に―sometimes
 三)手本ではなく、見本を示す―神田橋條治氏が著書で強調しているように
 
 〈からだとことばを育む会〉の稽古会では、一)はOK、二)は現在、稽古の前半( “気の豆まき”の定例化)を参加者のイニシアチブに委ね、私が後半を主導している。三)は、未知の稽古を行う場合に例を示さずに取り組むことを心がけている。
 
 何よりも勘覚としてのX(気の筋交い&左右の勘覚〈表出〉〈受容〉の交差)をとりもどすことが、第一になる。