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  2025/09/16 [火]   今日の一日


 朝、ウオーキングの時に、七本松通りの花屋さんで百日紅の鉢が目にとまり、購入。八百円。「日向に置いても、だいじょぶ?」と聞くと、女性店主が「おひさま、だ〜いすき」との返事。夏に桃色の花は、避けがたい。

 稽古会、参加者一名。肩胛骨のエクササイズを行う。坂本龍馬の“なで肩”の写真を見れば、誰もが考えこむだろう。
 
 夕方、百菜劇場の廣部さんが、新米120kgを近江八幡から車で運んで来てくれた。今年の収穫予想は、6800kg! この量を、一人で耕作し、一人で販売するとは・・・。感謝。
 
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 宇宙の生成、何億年という絶対的な時間(これさえも、人間の尺度に過ぎないが)からみれば、一人の生き物の生存など瞬間(相対的な時間)でしかない。しかし、生きている主体からすれば、自分の生は絶対的な時間であり、宇宙の時間は相対的だ。


  2025/09/15 [月]   お疲れさま


 千晶が昨日、大阪のイベントにチャリティー出店して疲労困憊。盲腸のあたりがシクシク痛むと言って―おそらく、からだの疲れが“古傷”に現れたのだと思うが―今日は休息の一日。

 こちらも―準備&片付けで手伝ったとはいえ、同行はしなかったのに―疲労感で、仲良く休憩。このごろは、エアコンの設定温度を、夜は26℃に設定しているが(以前は28℃)、寝つきは良いようだ。


  2025/09/14 [日]   今日の一日


 ユクスキュル『生物から見た世界』読了。生き物にはそれぞれ環世界があるということは、人間もホモサピエンスとしての環世界プラス民族(文化共同体)や個人(生得的なもの+後天的なもの)の“勘(覚)世界”があるのではないか。

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 稽古会で、勝海舟・福沢諭吉・坂本龍馬・高杉晋作の“なで肩”の肖像写真――小沢健志・編『幕末 写真の時代 』(ちくま学芸文庫)――を紹介して以来、毎朝の行気やウオーキングでも、肩を下ろすように努めている。
 
 道行く人を見ていると、ほとんどが“怒り肩”かよくて中間肩(なで肩と怒り肩の間、オレも)だ。あ、一人、なで肩がいた。近くの老人ホームに住んでいて、毎日歩き回っている認知症の高齢女性Aさん。
 
 「あ〜、わからない」「な〜んにも、わからない」と言いながら、店のまえに置いてあるチラシ類を持って行ってしまう(後で職員が戻しに来てくれるが)。これは、何を意味するのだろう?
 
 百数十年で、日本人の身体勘覚は、ここまで変わってしまった(欧米化した)のだ、と痛感。


  2025/09/13 [土]   稽古会


 参加者一名。火曜日と同じく、肩胛骨の可動域をひろげる内観の稽古を行う。Tさん、稽古を続けて十年。人生の難題に立ち向かって打ち負かせるほど、はら・こしがすわってきた。

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 今朝の朝日新聞〈「こども食堂」の名はもう使わない 名付け親が感じてきた疑問と怒り〉by 気まぐれ八百屋だんだん店主・近藤博子さんのインタビューから、一部抜粋――
 
 ――不安というのは?

 「大事なのは子ども食堂という『活動』ではないですよね。子どもであり、子どもを育てる親こそ大事なはずです。だから、当事者が置かれている状況を改善しようという議論は不可欠です。それをせずに、子ども食堂の数や利用者を増やすことが目的になっていないでしょうか」

 「『子どもの貧困』など、子ども食堂に課せられてきた子どもや社会の問題は、ずっと前から存在していました。私たちは子ども食堂より前の09年に、子どもの宿題を見る『寺子屋』を始めています。当時、世の中ではまだ、子ども支援というと『外国にルーツがある子ども』が中心でしたが、貧困によって勉強に手が回らなかったり、勉強がどうしても苦手で授業についていけなかったりする子どもはたくさんいた。今始まった話ではなく、そういうものに気付かなかったり『見て見ぬふり』したりしてきただけです」

 「『コロナで子どもの居場所がない』も『給食がない夏休みに子どもが痩せる』も同じです。まるで今その問題が生まれたかのように『発見』し、対策をアピールする。そんなことが繰り返され、『なぜその状況が生まれるのか』『そうならないためにどうすればいいか』という議論を社会がしてこなかった。そして『子ども食堂さん、がんばれ』と応援する。それがものすごくいやだったんです」
 
 ――怒っていますね。

 「だって13年ですよ。私が子ども食堂を始めて、全国に広がったこの13年の間に、社会は少しでもいい方向に向かったのでしょうか。子どもの自殺も、不登校も、虐待も、状況はどんどん悪くなっていませんか? 現場でがんばってくれている政治家や行政職員もいます。ですが、問題を直視せずに、子ども食堂を応援することで『自分たちはちゃんと子どもの課題解決に取り組んでいる』かのように振る舞う政治家たちも大勢いる。子ども食堂でそんな大きな問題を解決できるわけがありません」
 
 ――「こども食堂」の看板を下ろして5カ月半ですね。

 「誰も来ないかもしれないし、誰か来るかもしれない。そういう人を待つ場所なんだという最初の気持ちに返っているような気がします。おばちゃんにできるのは、それくらいまで。そして、そういう場所って大事だなと改めて感じています」


  2025/09/12 [金]   共生なき“共生イベント”


 小説家・市川沙央(いちかわ・なお)さんによる、〈朝日地球会議2024〉に対する批判寄稿。朝日新聞よ、電通や博報堂に「丸投げ」ではないでしょうね。


  2025/09/11 [木]   ネルケ無方『迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教』(新潮新書)


 夜九時から、四時間で読了。仏教“屋”に堕した日本の仏教者に対する、形式主義(僧侶の資格を得るためだけの修行)とパワーハラスメント(大日本帝国軍隊を思わせる)へのブラックユーモア的批判。

 99%同意・共感するが、1%の違和感は、彼が日本人女性と結婚したこと。仏教の「不淫戒」は? プロテスタントの家庭の出身として、出家者の住職が妻帯するのは自然なことなのか? 全く言及がない。
 
 ※
 
 朝、目を覚ましたあと、布団のなかで愉気。左手三本指を恥骨に、右手三本指を胸腺(鎖骨のあいだ)にあてて内観すると、心髄とはまたちがう柱のような勘覚を感じた。


  2025/09/10 [水]   税務署からの通知


 1月から6月までの所得税、4320円を七月に納め忘れていた。明日、郵便局へ。それにしても私の所得10万円/月に対して督促を行ってくるのに、自民党の“裏金議員”達の何百万、何千万の脱税は不問に付すのか(怒)。


  2025/09/09 [火]   稽古会


 参加者二名。今日のテーマは、NHKテレビの「とりせつショー」を参考に、肩を下げて肩胛骨を動かす稽古を行う。はじめに、とりせつで紹介していた肉体的な(肉体を刺激して、筋肉の可動域を増やす)方法で試し、つづいて、内観的に(肩胛骨中央から肩関節を経ずに肘→小指へと気を通す)肘を上にあげる=結果的に肩胛骨は可動するが、肘は肩の高さまでしか上がらない)。

 内観技法で行うと、こしが入り、親指よりも小指に力(深層筋+気)がみなぎる勘覚が生まれる。何故、活元の第三準備運動で「拳をにぎり、肘を肩の高さまで上げて〜」と言われるのか、二十年、疑問を持たずにやってきて、はじめて理解できた。
 
 何も「胸を開く」ためなら、両手は下げたままでもよいではないか―その理由(目的)は、こしを入れるためだったのだ。このようなことは、誰からも指導されなかった(誰も知らなかった?)。
 
 身体の所作には、勘覚の根拠がある――内観技法のテーゼを、改めて認識した稽古になった。とりせつショーに、感謝!


  2025/09/08 [月]   「石破退陣」


 菅野完氏は、高市や小泉が首相になった方が野党は闘いやすい、と語っていたが。コバホークなら、確かに組にくし。


  2025/09/07 [日]   今日の一日


 今日は仕事は何もしない、と決めて、だらだら、ぐだぐだと、お昼寝に読書。岡潔『火花』(朝日文庫)、ユクスキュル『生物から見た世界』(岩波文庫)。

 昨日に続けて「補中益気湯」はどうかな、必要ないかな、と思ってオーリングチェックを行うと、腹と頭はNo、ところが胸はYes!? この漢方薬(小包)は飲まないと意味がないが、はて、さて――と思って、胸にパッチのように貼りつけてみたら、と気づいて絆創膏で胸骨の上に貼ってみた。
 
 効果は如何ほどに。


  2025/09/06 [土]   秋のひざし


 今年はじめて、陽光に秋を感じた。昨日、床屋に行って――スタッフはマスクをしていたが、布マスクを――コロナウイルスを被ってしまったか、何らかの関係で一旦くすぶっていた炎症がまた燃え上がったか、夜寝るときに咳&痰がしんどかったので、今晩は以前診療所で処方してもらった抗生剤を飲もうとしてオーリングチェックを行ったら、お腹がNoの応答。

 ん?と思って、試しに昨年、同じように胸がしんどくなった際に漢方薬局で処方された「補中益気湯(ほちゅうえっきとう)」をお腹にあてたら、OKのサイン。だめもとで飲んでみたら、今夜は昨夜のようなシンドサは起きなかった。この漢方薬は、はらの元気を補って胸を活性化させる薬だという。
 
 薬にもたれかかりたくはないが、“ここぞ”という時には、必要条件か。


  2025/09/05 [金]   鴉の死


 今日の午後、二条に髪切りに行って――床屋で髪の毛が薄く、白くなっていくのを見るたびに、かなしくなる――帰りに西京中学あたりの路上で、鴉が一羽、瀕死の状態でもがいていた。

 すると、十数羽の鴉が、弔いに来たのか、鳴き交わしながら集まってきた。ペダルを踏んで後にして、乾窓院の門前に掲げられた標語を、思い出した。
 
 人は生きねばならぬ
 鳥は飛ばねばならぬ


  2025/09/04 [木]   生きる


 菜芭が、昨日から二ヶ月の海外旅行に旅立った。トルコのイスタンブールから入り、グルジアなどの中央アジアの国々をまわり、ネパールに移ってヒマラヤに登る(頂上ではなく、ベースキャンプまで)という。

 旅行といっても、山ばかりめぐる旅――大学を出て勤めてきた会社を年末に辞めるので、一区切りつけたいのだろう。来年一月には三十歳をむかえるので、“生きる”ための仕切直しだと思う。私も千晶も、そうしてきたように。
 
 ※
 
 黒澤明の映画『生きる』を、千晶がDVDではじめて観ているので、つられて我がも。今まで、何度も観てきたが、忘れているシーンばかり。そして、はじめて――主人公・渡辺の通夜の席で、「渡辺さんの後につづこう!」と怪気炎をあげていた市役所の面々が、いざ日常業務にもどると、あいかわらず「事なかれ主義」に陥っている場面を目にして――これは、黒澤流の反戦映画、戦争責任を追及し得なかった日本人への警句ではないか、と思えた。
 
 そうすると渡辺は、戦いに散っていった兵士たち(例えばカミカゼ)の象徴でもあるし、役所の雰囲気になじめない二人の若者(渡辺につきあってくれた女性と、通夜の場で一人異議をとなえる男性)は、ていたらくな戦中世代を批判する、戦後世代の代表ととれるのではないか。


  2025/09/03 [水]   同世代の共通勘覚


 朝日新聞・朝刊、劇作家・野田秀樹氏(1955年生まれ)のインタビュー〈AI時代に「考える」〉より、一部抜粋――

 「当時(1970年代後半から80年代)はフィーリングとか言って、『感じる』が重視されていましたが、私はそれが気持ち悪かった。それでも演劇で『考える』を前面に出さなかったのは、60〜70年代の学生運動を少し下の世代として見ていて、考え過ぎた人たちの不幸を目の当たりにしたことが大きかったからだと思います」

 「既成の権威への反発は若さの特権で、それは今も変わらない。若い人口が多かったこともあり、大きな連帯が生まれ、世界を変えられるのではないかという夢があった。自分の思いもそちら側にありました。でも、72年、『あさま山荘事件』が起き、直後に連合赤軍内での残忍な内ゲバ殺人が明らかになった。これは絶対ついていけないと思った。それを上の世代がきちんと総括していないことに不信感も募った。この体験はその後、自分が理想について考えるのに影響していると思います」
 
 そして、現代への向き合い方――
 
 「頼みもしないのに、AIが勝手に何か答えてくることあるでしょう、あれ腹立つよね。お前は呼んでないよ、って。AIが作る文章は過去のデジタル情報の組み合わせ。それで未来が語れるのだろうか。人間がやっていることも同じかもしれないが、我々アナログな人間は、曲線的、曲面的にものを考えるから、創作では負けない気がする。怖いのは、AIが出してきたものを、クオリティーを吟味せず、人がうのみにすることです。その無防備さによって、まだ目に見えない恐ろしいことが起きているような気がします」
 
 「私がやっているのは、人間が生きていることの複雑さを書くことだけだと思うんです。答えは出ないが、そこにドラマはある、それを考えようという演劇。新しい技術が、短い時間で、短い文章で答えのようなものを出してくるこのご時世とはまるで違うけれど、そこは曲げられない。でも、それを見に来てくれるお客さんが大勢いるので希望はあると思っています」


  2025/09/02 [火]   街を歩く


 早朝、今年はじめて冷気を感じて布団をかけた。北野天満宮へ参拝に行くと、修学旅行の中学生らしい一団が、皆、浴衣姿に下駄をつっかけてそぞろ歩きをしていた。一度でも着物にふれる、よい体験。めずらしく、みんみん蝉が一匹、鳴いていた。

 夏から秋に移るころに、“あせも”がかゆくなる。昼間は目もくらむような暑さだが、それでも秋はちかづいている。昨日、NHKは関東大震災の報道をしなかった―朝鮮人虐殺の事は言うまでもなく。
 
 ※
 
 木村敏『新編  人と人との間 ――精神病理学的日本論』 (ちくま学芸文庫)を再読。人間の“こころの病”が他者との人間関係に起因し、また肉体に影響を与えるということは、人間の身体に間(ま)=心があり、他者とのあいだの間と感応する、という事ではないか。

 間は、真にも魔にもなりうるのだから。


  2025/09/01 [月]   つながり、つながる


 山口時代いらいの知友Mから電話あり。お互い自営業者の悩みを小一時間、打ち明け合う―「不況で、ボロボロやなあ」。律儀なMとの年賀状のやりとりは毎年続いているが、声を聴くのは一年ぶりだろうか。とにかく元気そうで良かった。

 こちらは七十五歳までゲストハウスの借入金の返済で、彼は七十九歳まで家のローンの返済で、お互い老身にムチ打って働かねば。もっともMの場合は、年金が手つかずにあって、子どもたちのために“美田を残す”そうな。
 
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 朝、店前の植木鉢に散水すると、周囲にわずかに生えている露草などの雑草(失礼!)から、おんぶばったが逃げ跳ねた。毎年、毎年、おんぶばったが、つながっている。以前は、めだかの睡蓮鉢の、睡蓮の葉を食べていた―生き延びるために。このちいさな草場で、命がつながっている。