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  2026/09/20 [日]    菜芭から学んでいること


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉より――

 この一月半の看病で(初めての経験、手探りの)菜芭から学んだ2点のことを報告したいと思います。

(1)ネラわない

 病院という治療が意図的・目的的な場(それが病院の使命ですが)では、家族(+友人・知人)には、それを越えた役割があるのではないか、ということ。

 もちろん、早く治って欲しいor一日でも長生きして欲しい、というのは人情ですが、それに捕らわれすぎて接する(具体的には、声をかける、手をあてるetc.)というのは、かえって良くないのではないか、と感じるようになりました。

 ただ、見守る―座禅で、ただ座る、と言われているように―それが理想なのかな。

 私は調体(せいたい)を学んでいるので、手を代え品を代え、意図的・目的的に手をあててきましたが、もう止めようと。

 その時その場で、私と菜芭が感応して私の手がおもむくところに手をふれようと、今は心がけています。

(2)三角の間(ま)を創る

 今日は千晶と光太郎が病院に行きましたが、菜芭の表情がやわらいで、笑顔も見られたと聞きました。

 私または千晶一人では、1対1の直線関係になって、菜芭もシンドイ(息苦しい)様子が、なきにしもあらず。

 それが二人で行くと、三人の間(あいだ)に間(ま)が作られます。その余裕というかゆとりが、大事ではないか、と思えてきました。

 先日、千晶がupした動画では、即興で千晶が思いついたクッション放り投げで遊びました。菜芭は暴力的に足をベッドの柵に打ちつけることもなく、楽しそうにしていました。

 調体(せいたい)の内観技法でも、からだの中に、「三角の間(ま)」を創ることがキモになるのですが(そこから生命力の元気が生まれてくる)、私たちの社会生活でも、二者対立を避けるために、第三者を入れる(例えば争い事の調停などで)智恵がありますよね。

 看護や介護の場でも、同じ事が言えるのかな、と思っています。

 これからもご支援のほど、よろしくお願いいたします。

 ※

 今日は二日続きで病院通いは休んで、午後、ゲストハウスのレモンとザクロ(どちらも葉が茂って実がならない!)の剪定作業をした。


  2026/09/19 [土]   思わぬ副産物


 三木成夫『胎児の世界』をメルカリで検索していたら、楠本まき『乾からびた胎児』(親書館)が画面の候補に上がってきた。三十年前、和歌山・田辺でお世話になった“熊野のオババ”の孫娘。

 三姉妹の長女で、お茶の水女子大学在学中に、漫画家デビューしたという。アマゾンの書評を見ると、「駄作、装丁が評価」という声もあったが、繊細な筆遣いが魅せるものがあるのだろう。

 今日の病院通いは、帰省した光太郎と千晶に任せる。午後、剪定した無花果の枝を、月曜日のゴミ出しに備えてカッテイング。後は、ザクロ、レモン、ローリエ、そしてミモザの剪定が残っている。


  2026/09/18 [金]   転院五日目


 安楽寺天満宮のご託宣「ひるむな。引く波もあれば、打ち上げる波もあり」。今日も―気が重かったが―十二時前に病院へ行って、案の定、菜芭と格闘。ベッドの柵に掛け布団をかけたり、枕で足を押し返したり。

 その度に、菜芭の反抗(抵抗)は強まり、果てしないバトル&バトル。「もう止めた」、何もしないことにする。すると菜芭は、自分で手加減(足加減)をして打つようになった。

 看護師さんから言われて持参したアイマスクが、効果をもたらしたのかもしれない。おとなしくなって寝てしまう(短い時間だったが)こともあった。コツをつかんだ!

 が、セラピストの二人がリハビリテーションを始めたら、男性が菜芭を力づくで押さえようとしたため、また元にもどってしまったが。それでも遅れてきた千晶が、今日の菜芭は落ち着いている、と言った。

 確かに、転院初日のような笑顔はなかったが、硬い表情がやわらいでいた。赤ちゃんが、イヤイヤをするようなものなのだろうか。早くその時期を、抜けて欲しいが。


  2026/09/17 [木]   転院四日目


 安楽寺天満宮のご託宣「重荷を解き放て」――投げ捨てるか、他の人に代わってもらうか・・・。「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」(徳川家康の家訓?)が思い出される。

 昨日に続いて、菜芭と格闘。目を見開いたまま無表情に足を打ち続ける菜芭に、吾が娘ながら「お前は気でも違ったか」と叫びたくなる。今は一つの過渡期だと思いたいが、この状態がいつまでも続いたら・・・介護殺人や一家心中が、他人事ではなくなる。


  2026/09/16 [水]   転院三日目


 右足をベッドの柵に(骨が折れるほど)打ちつけたり、時折ミトンをした右手で鼻の栄養チューブを引き抜こうとする。そうさせないために、格闘。十二時前から六時過ぎまで、身心ともに消耗する。


  2026/09/15 [火]   転院二日目


 菜芭の表情が硬いのが気になる。


  2026/09/14 [月]   仲間が現れる


 今朝起きたら、庭でこおろぎの輪唱が聞こえた。空耳では、ない。何処からか、雄が飛んできたか、この庭で生まれたか。ライバルの出現である。

 菜芭、宇治脳卒中リハビリテーション病院へ転院。期待がもてる病院側の応接だった。千晶は、今晩は泊まりがけで菜芭に付き添う。


  2026/09/13 [日]   今日の一日


 ここ数日、雨続きで行けなかったウオーキング&神社参拝へ。北野天満宮では、今日の盆踊りに備えて、櫓(やぐら)が組み立てられていた。

 一念は、岩をも穿(うが)つ
 一願は、壁をも崩す

 豆吉明神では、「菜芭の転院がかないました。」と礼を言うと、「更に、願え」というご託宣だったので、「三ヶ月で快癒」と柏手(かしわで)を打った。

 ゲストハウスの庭のおおてまり、今春、二度の災厄(毛虫と成虫に葉を食べられて、丸裸になってしまった)を乗り越えて――緑が生い茂る中で、枯れ木の様を呈していた――若葉が芽吹いていた。

 私は、来春には復活すると信じて切り倒さなかったが、予測より早く“その時”が訪れた。明日は、九時に医大病院へ行って、民間救急車で宇治脳卒中リハビリテーション病院へ、転院する。


  2026/09/12 [土]   園芸日誌


 夏前から、やらねば、やらねばと思っていた無花果の剪定を――暑さと蚊の襲来におびえて、できなかった――今日、あらかた終えた。後は、整形とゴミ出しのカッティング。

 今年は柿と同様に、無花果も葉だけ茂って実がならなかった。去年の剪定の失敗か、ここ何年もたくさん実をつけてきたので、疲れてしまったのか。ザクロは、七年たっても、花さえつけないが。

 ※

 病院へは、千晶が行ってくれた。久しぶりに昼寝をしたが、かえって寝起きに疲れを感じてしまった。奈良へ通うのも、残すところあと一日半。明日は、二人で行く予定。


  2026/09/11 [金]   名を捨て、実を取る


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉への投稿より

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 楽天堂の高柳無々々です。菜芭の事で本日の経過報告です。度々の投稿で申し訳ありません。

 奈良医大病院と大原記念病院の二病院との交渉、これ以上“被害者の正義”をふりかざしてもラチがあかないと捉えて、矛を収めることにしました。

*奈良医大病院からの成果
 ・今日、「入退院支援センター」の責任者&救急救命室の副看護師長との面談の場を持ち、経過報告と原因解明、今後の取り組みについての説明を受け、話し合う場を持てたこと。その後、O医師から「医大病院名で文書にしましょうか」と言われましたが、「先程の説明で納得しました。もう結構です」と断りました。
 ・二十近くの病院に要請しても転院OKがない状況で、担当の乾さんが日赤(ここもアウト)のケースワーカーから宇治脳卒中リハビリテーション病院を紹介してもらい、入院にこぎつけられたこと。
 ・9/2の往復移送費用を負担してもらえること。
 
*大原記念病院からの成果
 菜芭の入院扱いを外来診療に変更させたこと。
 
 この一月半、旅行会社や航空会社、保険会社に病院と、いろいろな企業・団体とキャンセルや返金の交渉をしてきましたが、つくづくそういう時にこそ、“本性が現れる”と思いました。

 人間でも同じでしょうが。


  2026/09/10 [木]   小心者には、ドキドキの一日


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉への投稿より

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 楽天堂の高柳無々々です。菜芭の事で本日の経過報告です。度々の投稿で申し訳ありません。

 まず、宇治脳卒中リハビリテーション病院の担当者と面談し、9/14(月)午前の転院が決まりました。

 そして、菜芭のために個室(差額ベッド料1万円or8千円)を無料で用意してくれ、そこに布団を敷き、右手のミトンだけで他の身体拘束なしで看護してもらえることになりました。

 さらに、奈良からの移送費用もサービスで病院が負担してくれます。

 大原記念病院との落差に、愕然としました。
(あちらでは、
・菜芭のレントゲンを撮っただけで、何も医療処置をせず、その日10時間、水分補給なしの状態に置かれた。
・「一泊でも置いてもらえませんか」と頼んでも断られ、病院側で手配した移送の介護タクシー代7万円弱も払わなければならなかった。
・結果的に7/2から7/14までの2週間が「回復期リハビリ病院」の入院扱いになり、菜芭の場合、150日間の入院可能期間から無駄に消化されてしまった。
 それでも入院費を請求して来るという)

 良いことは続くもので・・・
 最寄り駅(近鉄京都線の大久保駅です)に戻る道すがら、2ndストリートで千晶が欲しかったゴアテックスのウオーキングシューズ(アディダス製)を、5,900円でゲットできました!

 続いて奈良医大病院では、菜芭との面会中にO医師(この方は、両鎖骨の骨折と右肩関節の脱臼の外科手術を担当してくれた、急性期病棟の責任者でした)に呼ばれて面談しました。

 先週、私が「入退院支援センター」の主任の方に要望した2点、
 1)9/2の転院失敗の原因究明・検証・報告(文書で)と
 2)移送費用(往復で14万円弱)は患者が払うべきか、考えをきかせて欲しい
 への返答でした(正式には、明日、「入退院支援センター」の室長と面談を持ってお聞きします)。

 1)は、明日には間に合わないが、必ず行うと約束してくれました。
 2)は、往復の費用を医大側が負担してくれることになりました。

 私が、とても助かりますが、少なくとも京都から奈良への返送費用は大原記念病院が持つべきではないですか、と尋ねると、O医師は頷きながら「心情では・・・」と言葉を濁していました。

 好転に次ぐ好転で、少し怖くなっちゃいました。

 私は毎朝、近くの安楽寺天満宮(本来の天満宮、樹齢数百年の大楠が立っている)にお参りしているのですが、今朝は「溺れるな、止まるな」というご託宣でした。

 神様の言うとおりになったなあ、と感じた一日でした。

 長文、失礼しました。会員の皆様のご支援でここまで来ることができました。ありがとうございます。


  2026/09/09 [水]   ぬか喜びにならないように・・・


 菜芭の転院を、宇治市のリハビリテーション病院が受け入れてくれることになった。就活用語的に言うと、確定ではなく内定。

 明日、十一時に病院に行って、担当者との面談&施設見学を行って決めることになる。

 今年は庭の柿がならないなと思っていたら、一昨日、青柿が雨に打たれたものか、一つ、庭に落ちていた。その時、一つは転院先が見つかるのでは、と直感した。

 午後に一人で面会に行った病院では、今日の菜芭は落ち着いていた。看護師さんたちも、フレンドリーで気持ちがよかった。「こちらの不手際で」と謝ってもくれた。


  2026/09/08 [火]   今日の一日


 菜芭の転院先で、難儀している。身体拘束(活発に手足を動かす)・気管切開・経鼻栄養補給・意志疎通困難、のハンディがあって、受け入れ先が決まらない

 今日は私が脈のありそうな病院に打診&医大病院の担当者に連絡、千晶が参考のために紹介された訪問看護リハビリテーションの先生に会ってきた、役割分担。

 今後の展望としては、とりあえず短期でも受け入れてくれる病院に転院し(そこで経鼻栄養補給を胃ろうに切り替え&菜芭の意識回復を待つ)、その後は回復期リハビリテーション病院に再転院するか自宅看護(通所&訪問介護を受ける)も視野に、対応していく。

 ※

 今晩は、チェコ出身でアイルランドで育ち、中国でも暮らしたことのあるPさんが、夕食に招いてくれた。素材をいかしたシンプルな野菜料理。料理してくれたものを食べるのは、うれしくおいしい。


  2026/09/07 [月]   事態は暗転


 期待していた転院先の京都S病院から、受け入れ不可の連絡があった、と医大病院の担当者から聞かされた。悪いことに、千晶がミトンをはずしていた右手で菜芭が鼻チューブを少し抜いてしまい、一度引き抜いて後でまた挿入するハメになった。

 千晶は何度も詫びたが、看護師(中堅クラスの女性)から、怒りのヘドロのようなものを浴びせられてしまった。あれこれと要求の多い“わがままな”患者家族と思われたのだろうか。

 患者が鼻チューブを抜いてしまうこと自体は“あるある”だと思うが、両足の拘束をとることやベッドの柵を外す事まで、ブーブー言われ続けた。

 彼女も楽天堂と同じサービス業。患者からはお手伝いさんのように扱われ、医師からは上意下達の一方的に指示される立場・・・ストレスがマグマのようにたまっているのだろう。

 それを思うと、同情するが、菜芭のためにマイナスにならないように対応しなければ。


  2026/09/06 [日]   今日の一日


 朝、千晶と二人で北野天満宮(稲荷神社・竈社)と安楽寺天満宮をまわる。その祈りが通じたのか、今日の菜芭は、ベッドから何度も上体を起こそうとした。

 初めて見る動きで、これだけ腹筋の力が強ければ、痰も自分で出せるようになるのでは、と希望を感じた。


  2026/09/05 [土]   なぜ、石原吉郎なのか


 奈良の電車の中で、読み返している。彼との共通点、一)言葉を失ったこと、二)沈黙の時期に「日記」を全て焼却したこと、三)回復期に詩を書き始めたこと。

 石原は、なぜ「告発」と「被害者意識」を否定したのか? また、「加害者意識」に触れた文章がないが、どう考えていたのか?

 今日の菜芭は、痰で苦しい、というのではなく、くやしい+かなしいが入り混じった表情をした。思い出すたびに、せつなくなるが、これもからだが思うように動かないのを―回復してきた―意識で捉えられるようになった、一つの過程だろうか。


  2026/09/04 [金]   初秋


 こおろぎの鳴き声が、こころに響く。今日は私が午前中に病院の「入退院センター」に話に行き、千晶が午後、面会に行った。初めて言語聴覚士のリハビリがあり、立ち会わせてもらったら、菜芭は咳払いができたという。


  2026/09/03 [木]   菜芭、転院後日


 昨夜、千晶から聞いていたとおり、菜芭は元気だった。もし体調が少しでも悪化していたら、「この落とし前、どうつけてもらいまひょか」と啖呵を(たんか)を切って怒鳴り込んでいたかもしれないが。

 ただ、感情表現が弱かったのが気にかかった。


  2026/09/02 [水]   菜芭、転院当日


 漫画チックな展開。朝八時に医大病院へ。民間救急車で大原病院へ移送。入院手続きを終えて、しばらく待っていたら、医師から「受け入れ不可」と宣告される。

 理由は、多動による拘束と意志疎通の困難。二病院間で認識の齟齬があったのか?とりあえず一泊も認められずに、病院の手配した介護タクシーで再び医大病院に向かう(千晶が付添)。

 菜芭は一日、飲まず食わずでこの大旅行に耐えたという。


  2026/09/01 [火]   菜芭、転院前日


 特にかわった様子もなく、三人で過ごす。