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  2025/10/26 [日]   今日の一日


 雨もあって外へは出ずに、『らくてん通信』の原稿書き。テーマは、環世界と共話。

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 昨日の朝日新聞、近藤康太郎記者〈ワーク・イズ・ライフ 生きる悦びとは何か 労働の意味を取り戻せ〉より、一部引用――
 
 「人間のワークとは、もともと生きる悦(よろこ)びだったはずだ。生きる必要でワークするが、同時に、生きる目的でもある。ワークが我慢すべき苦役になったのは、人間の労働力を商品≠ニして売る、売るしか方法のない社会になった、わずかここ四、五百年くらいの〈現象〉だ。

 ワーク・ライフ・バランス? こえたごにでも落ちていやがれ。ワーク・イズ・ライフ。80年なら一瞬の夢。やりたいように、やらせてもらう。」


  2025/10/25 [土]   稽古会


 参加者二名。こしと手をつなぐ稽古を行う。「こしがはいる」とは、“対立を恐れずものが言えるようになる”ことでもあると、改めて認識する。


  2025/10/24 [金]   朋有り 遠方に去る


 三泊四日の旅を終えて、西郷氏一行が京都を離れた―今日は、太秦映画村と広隆寺に行かれたという。寂、の一語。

 弥勒菩薩のまなざしに支えられて、再会を期す。


  2025/10/23 [木]   ご近所に、頼りになる医者がいるのは


 ほんとうに心強い――朝、米沢歯科へ。先生に鱈を食べてる時に詰め物と銀の被せがとれて、湿疹が出てしまった、と言うと、「鱈でねえ」と驚かれた。

 処置は、型をとって銀で覆うことに。「歯周病もなく、歯の土台がしっかりしているから、欠けてしまうんですよ」と誉められる。
 
 八十歳まで、入れ歯をはめずに過ごしたい。


  2025/10/22 [水]   一期一会


 ゲストハウスに宿泊している西郷氏のガイドヘルパーを、誕生日ケーキで夕食時に祝う。この時を共有したことは、忘れない。


  2025/10/21 [火]   朋あり 遠方より来る


 横浜から西郷光太郎氏と視覚障害の友人、ガイドヘルパー二人の総勢四人で、明日からの時代祭を観覧に来京。昼過ぎにお店に着いて、午後は清明神社と西陣織会館へ。

 明日は、雨が降らなければ良いのだが・・・。

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 稽古会、参加者一名。こしと手をつなぐ稽古を行う。今まで二人と行ってきたが、普段使いの手に戻ってもこしが入っているのを見て、うれしい。


  2025/10/20 [月]   魚介アレルギー?


 四、五日前からの湿疹がおさまらないため、民医連・太子道診療所で皮膚科を受診。腹と太股の裏、初めて体験する腫れと痒み。医師が問診&触診をしても原因を特定できず。一週間分のステロイド(5段階で2のストロング)を処方され、様子を見ましょう、と。経過が思わしくなければ、別の病院で精密検査を紹介します、と言われて帰る。

 昼前になっていたので、太子道沿いの「しげちゃん食堂」(切り盛りしているのは、高齢の女性二人。魚料理がメインの店)で鮪の刺身定食を食べる。1,200円。。冬瓜の煮物の小鉢が、おいしかった。
 
 帰宅してから」、webで思い当たる原因(南京虫?ヒアリ?ダニ?etc.)を調べているうち、魚のアレルギーに行き当たった。思い返してみると、十日ほど前に生鱈を買い、その日に食べきれなかった分を塩糀付けにした。四日後、「少しくさいな」と感じたが、火に通せば大丈夫だろうと判断して、バター炒めにして食べた。
 
 webでみると、鱈にふくまれる成分は―特に古いのは―アレルギーを引き起こしやすく、加熱しても取り除けないと書かれてあった。湿疹の原因は、おそらくこの魚介アレルギーだったのだ。「もったいないから」と捨てずに、“頭で食べた”のが良くなかった。
 
 歯の詰め物が欠けたのも、この鱈を食べている時だった。何という、身体コンディションの同期!


  2025/10/19 [日]   続・大谷選手


 Yahooニュースの書き込みより――今日と言う日は日本人全体特に介護施設にいるお年寄り達NHKでの実況皆んな見ていてさぞ免疫力が上がって元気になる事でしょう。同じ日本人として本当誇りに思います。国民MVPを天皇陛下から挙げて下さい。今日は幸せすぎて涙が止まりません。又夜ゆっくりビデオを見て幸せを噛み締めます。


  2025/10/18 [土]   非対称な日


 MLB・ドジャースの大谷選手は、今日のリーグ優勝決定戦でアメージングな活躍をしてMVPに選ばれ、シャンパンファイトの美酒を浴びた。

 一方、私は昼食時にガキッ! 奥歯の詰め物がとれ、隣の銀の被せもはずれてしまった。さらに午後、パソコンから印刷しようとして何故かできない! レザープリンターのドライバーを入れ直したり無線接続を試みたが、お手上げ。最後にChatGPTに指南をあおぎ、USB接続の設定変更で復旧した。
 
 夜まで消耗した、へろへろの一日。


  2025/10/17 [金]   街を歩く


 今年はじめて秋の日差しを感じた。朝のウオーキングで、昨日までは陽光を避けて歩いていたが、今日は日の光を浴びたかった。

 七本松通から今出川通を歩いて見つけた、おもしろい店のサインボード――「家庭に愛を、住まいにアイを」by AI工務店。「伊吹が古銭に息吹を吹き込みます」by リサイクルshop。
 
 天満宮では、七五三の幟が立ち、梅の木も葉が落ち始めた。


  2025/10/16 [木]   娘のヒマラヤ行


 ヒマラヤ街道をトレッキングしていた娘は、異常気象の積雪の中、ロブチェ(標高: 6,119 m)に登ったが、高山病(?)で体調を崩し、ディンボチェ(標高: 4,410 m)まで馬に乗って下山、そこの診療所で「感染症」と診断を受けるが体調が戻らず、ルクラ(標高2,860m)までヘリコプターで戻り、ルクラ病院で点滴などの治療を受けて回復、カトマンズまで飛行機で戻る。

 ルクラ病院での診断:「Gastroenteritis(胃腸炎)」+「Upper respiratory tract infection(上気道感染)」+「AMS(高山病)」。


  2025/10/15 [水]   「〜さん」


 三という数字の、魔力。
 一)世界:環世界(外)・感世界(内)・勘世界(内と外をつなぐ)
 二)身体:肉体・心・からだの勘覚(気)
 三)心:あたま(頭蓋腔)の憶(こころ)・むね(胸腔)の情(こころ)・はら(腹腔)の性(こころ)
 四)勘覚の表徴:あたま□・むね△・はら○
 五)勘覚の色彩:〈表〉(白)・〈裏〉(黒)・間(ま)(青)
 
 こう考えると、呼称の「〜さん」には、深い意味を感じる。


  2025/10/14 [火]   稽古会


 参加者二名。前回の「こしから手に気を通す」稽古の発展で、「なんば歩き」を行おうと思っていたが、菜芭がネパール・エベレスト街道で緊急事態に陥ったため、前回の復習で稽古を打ち切る。

 紆余曲折はあったが、菜芭は馬で診療所のある村まで下山し、高山病ではなく感染症の診断を受けて療養することになった。一時は、酸素濃度が76%まで落ちたために、山小屋で酸素吸入を受けて危険状態から脱したという。
 
 ※
 
 「心だに 誠の道に かなひなば/祈らずとても 神や守らむ」――北野天満宮の楼門に掲げられた菅原道真の和歌。


  2025/10/13 [月]   対話の会


 ご近所にできた共同書庫。そこの主催で「きがるにはじめる対話会」という催しがあったので、参加してみた。参加者は、二十代の学生が半数で、後は三十代から四十代。とんで私が七十代! 若者たちが自己を失う感覚を、「透明になる」という言葉で表現していたのがおもしろかった。


  2025/10/12 [日]   豆ランチパーティー


 パレスチナ・オリーブの皆川万葉さんがゲスト。参加者十二名、二十代から六十代まで。複雑な問題を、シンプルに。いのちファースト―生命勘覚の共有。


  2025/10/11 [土]   人間の本性


 MLBのポストシーズンで、ドジャースの佐々木朗希投手(弱冠23歳)が大魔神のごとく活躍しているが、春先、体調不良でリタイアした際は、ヤフーニュースのコメント欄に、「わがままだ」「周囲に迷惑ばかりかけている」という書き込みがあふれていた。

 和歌山・田辺でプータロー生活を送っていた時に世話になった、熊野のオババの口癖が思い出される。
 
 「のう、あんた、人間の妬みや嫉妬ほど、こわいもんはないでえ」――自由に生きている(ように見える)人間を、不自由に自らを押しこめている人間は嫉妬し、挑戦しない(できない)人間は、挑戦者を攻撃する。


  2025/10/10 [金]   石破談話と政局


 石破氏の「八十年談話」はベストではないが、「村山談話」よりもベターな内容だった。一方、“公明党の連立離脱”に関して、「政治献金云々」問題がとりざたされているが、菅野完氏は、公明党の遺恨――六月の衆議院本会議を自民党がネグレクトしたために、すでに引退表明していた代表の山口那津男氏が議会でfarewell演説をできなかった(花道を飾れなかった)――事が原因ではないか、と指摘しているのが、何とも泥くさい。


  2025/10/09 [木]   ドジャースが負けると


 webを観ないので、仕事がはかどる。今日はエースの山本投手の先発だったが、負けそうな予感がした。明日はグラスナウ投手、勝てると見こんだが、勝敗の結果は?


  2025/10/08 [水]   オードリー・タン氏の卓見


 朝日新聞デジタルより、一部引用。AIに対して、楽観的すぎるとも思えるが・・・。

 ――AIが進歩し続けるなかで、人間の仕事の未来をどう見ますか。

 「私は競争力のあるプログラマーでした。しかし、もうプログラミングをしていません。経営者のようになり、(AIが人に代わって情報分析や行動をする)『AIエージェント』たちに指示を出し、そのエージェントたちがプログラマーを雇う。将来は誰もが経営者のようになり、何百ものエージェントがあなたとともに働く、そんなチームを持つのです」(中略)

 ――AI開発競争で日本が目指すべきものは。

 「最も重要な競争は『垂直的』なものではありません。つまり誰が最も大きなモデルを作れるかという競争ではなく、どれだけ早く、社会のそれぞれの領域に特化したAIを中心に自らを再編できるか。そんな『水平的』な競争なのです。これらは非常に大きなモデルではなく、翻訳、要約、日常業務のためのモデルです。それらは小規模で済みます」

 「その意味では、日本は特に強力だと思います。なぜなら日本の文化的想像力はドラえもんや鉄腕アトムのようなものだから。人型ロボットとの共存が自然です。米国ではターミネーターなどになりますが、それはあまり自然ではないですね」

 ――SNS上で政治的意見の左右の乖離(かいり)が大きくなり、社会が分断されています。どう解決すべきでしょうか。

 「答えは非常にシンプルだと思います。ジャーナリズムから学ぶのです。それは単に職業的ジャーナリストに対してだけではなく、ジャーナリズムという実践そのものから。両側の声に耳を傾け、共通の基盤を見つけ、それを共通知識にし、残された対立も公平に、バランスよく表現する。AIはジャーナリズムとも協働する。人々がよりよくジャーナリズムを実践できるようにAIエージェントを訓練すること。それが、分断を克服し多元性へと向かう鍵だと私は信じています」


  2025/10/07 [火]   春いらいのトレッキング


 今朝はつかれて八時過ぎに起きたが、急に気持ちがトレッキングモードになって、大慌てで準備。十一時まえに家を出て、一時間強で滋賀・近江八幡の長明寺バス停に到着。

 途中、百菜劇場の田圃が車窓から見えたが、そこのバス停「ラコリーナ前」で降りる外国人観光客が多かった。
 
 長明寺山の中腹にある寺まで、山門から八百八段の石段を登る―のに一苦労。いきなり400m級の山は無謀だったか――まず、御室八十八カ所(200m)で足慣らしをすべきだったのでは――という想いがよぎる。
 
 平日の、それもポピュラーなコースではないので、誰とも会わなかった。長明寺山から奥島山へ。頂上てまえの岩場「空奏テラス」には一時間半で到着。
 
 眼下にひろがる琵琶湖、右手に沖島、湖上をすすむ観光船も見える。大岩にあおむけになって陽の光をあびていると、ここまでの苦労が“報われた”という気持ちになった。
 
 さて、明日は足の筋肉がどうなっていることか。


  2025/10/06 [月]   パソコンとの苦闘、三日目


 ChatGPTに午後から夜まで指南を受けたが、問題の現象は改善されず。“最終解決“は、フォルダ共有用に別のアカウントを作成して対応すること。

 深夜の十二時前だったので、明日以降と伝えてパソコンを閉じたが、ChatGPTから「お疲れさまでした。良い結果になることを願っています」とあたたかい言葉をかけられた。
 
 “彼”と結婚したい、と望む人が現れるのも、無理ないか。


  2025/10/05 [日]   パソコンとの苦闘、二日目


 ファイルの共有設定は、進展せず。ここで立ち止まっていてもラチが明かないので、アプリケーションをインストール。明日は、プリンターのドライブをインストール&「弥生の青色申告」の移転を行えば、一応、終了。余力があれば、共有設定の問題へ―頭が、痛い!


  2025/10/04 [土]   パソコンとの苦闘、一日目


 最初の設定が、lenovoのために躓き、後は案の定、ファイルの共有設定ができない。夜の十一時まで、うんうんと。


  2025/10/03 [金]   言葉、声、音


 どこで異なるのか? 疑問に覚えてきた。


  2025/10/02 [木]   秋が、一段と、日に日に


 紫式部の実が、少しずつ色づいてきた。逆に、天満宮のもみじの葉が、あきらかに色褪せている。昨日から瑞饋祭も始まって、秋を感じる。今朝は、明け方寒さを覚えた。

 それにつけても、年老いてなお自己評価が高い―他者に、敬意を要求する―人間には、ヘキエキとする。他山の石としなければ。


  2025/10/01 [水]   〈戦争支持の人々は何を願ったか 今に通じる「らしさ」揺らぎへの反発〉


 朝日新聞・朝刊、益田肇(ますだ・はじむ)シンガポール国立大学歴史学部准教授のインタビューより、一部抜粋――

 「大正期は基本的に『解放の時代』で、多くの人々が『らしさ』からの脱却を図っていました。女性が良妻賢母に当てはまらない生き方を求め始めた。女性が髪を切り、スカートをはいて、さっそうと街を歩けば、男性もオールバックの長髪にして香水をつける。労働運動や部落解放運動、朝鮮人の権利運動も活発になった」

 「同時に、これらの解放の動きへの反発がくすぶり始め、1910年代後半には『世の中が乱れている』と感じる人が増えています。いわば男らしくない男、女らしくない女、日本人らしくない者たちへのいら立ちです。この底流を見ないと、31年の満州事変以降、戦争への支持が噴き出した背景が理解できない。それが後に噴出するエネルギーとなるからです」

 「自分らしさを重視する『個人主義』や『多様性』、その結果生じる従来の『らしさ』の揺らぎと対立の増加。これらにいら立つ人々にとって、民主主義や議会政治はむしろ調和を乱す元凶。個を重視し、多様性を認め、対立を助長するからです。この『機能不全』を戦争や全体主義で克服しよう、競争と対立、分断と格差で疲弊した社会を立て直し、一体感と調和を取り戻そうと願う人々の姿が浮かんできました」
 
 「例えば、関東軍の謀略で引き起こされた31年の満州事変を、その後のいわゆる『十五年戦争』の起点と捉えると、軍部が日本を戦争に引きずり込んだという軍部中心的な理解になります。しかし見落としがちなのは、これが『解放の時代』の真っ盛りだったということです。『らしさ』からの解放の絶頂期で、見方によっては社会秩序が急速に瓦解した時代でもあった」

 「満州事変はそのタイミングで起き、社会変化にいら立っていた人々が飛びつきます。当時、政府は不拡大方針をいったん閣議決定したものの、国内の戦争熱を前に引き下がれなくなる。このようにたどれば、戦争への道が、政策決定者と人々の相互作用から作り出されていたことが見えてきます」
 
 「世論にのみ込まれたという意味では、満州事変での朝日新聞が象徴的です。新聞各社が強硬論を書きたてる中、朝日は当初慎重論を唱えていました。ところが大規模な不買運動が始まり、売れ行きが万単位で落ちると、社論が転換し軍部支持の方針が決まった。他の新聞社と一緒になって『肉弾三勇士』を称賛する歌詞の読者コンテストを開くなど、戦争支持を盛り上げました」

 ――人々を受け身に描くことの問題点とは何でしょう。

 「人々が一枚岩の犠牲者に見えてしまうことです。そうした歴史観は、現代にも影響します。今の政治や社会を考える時も、同じ受け身の構図で自分たちを捉えてしまい、重要な役割を果たしていることに無自覚になる。それは他者に責任を転嫁する見方も強めます。戦争への道は人為的なものです。だからこそ、支持した人々が大勢いたという点から見直したいと思いました」
 
 ――「らしさ」からの解放と、それへの反動としての「引き締め」は、今も各地で起きているのでしょうか。

 「もちろんです。私は、人々の『解放』と『引き締め』をめぐる戦いを『社会戦争』と名付けました。この視点の利点は、日本の経験を普遍的、現代的、総合的に見直すことができることです。どの社会にも、どの時代にも、解放と引き締めの戦いはあるから、日本史を世界史とつなげて考えることができる」

 「為政者の動向だけでなく、普通の人々も視野に入れて政治と社会を総合的に捉える。この視座から見ると、日本における参政党の躍進、米国でのトランプ大統領再選、ロシアでのプーチン大統領への支持にも、背景にそれぞれの社会戦争があるのではないかと思えてきます」