2025/09/05 [金] 鴉の死
|
今日の午後、二条に髪切りに行って――床屋で髪の毛が薄く、白くなっていくのを見るたびに、かなしくなる――帰りに西京中学あたりの路上で、鴉が一羽、瀕死の状態でもがいていた。
すると、十数羽の鴉が、弔いに来たのか、鳴き交わしながら集まってきた。ペダルを踏んで後にして、乾窓院の門前に掲げられた標語を、思い出した。 人は生きねばならぬ 鳥は飛ばねばならぬ
|
2025/09/04 [木] 生きる
|
菜芭が、昨日から二ヶ月の海外旅行に旅立った。トルコのイスタンブールから入り、グルジアなどの中央アジアの国々をまわり、ネパールに移ってヒマラヤに登る(頂上ではなく、ベースキャンプまで)という。
旅行といっても、山ばかりめぐる旅――大学を出て勤めてきた会社を年末に辞めるので、一区切りつけたいのだろう。来年一月には三十歳をむかえるので、“生きる”ための仕切直しだと思う。私も千晶も、そうしてきたように。 ※ 黒澤明の映画『生きる』を、千晶がDVDではじめて観ているので、つられて我がも。今まで、何度も観てきたが、忘れているシーンばかり。そして、はじめて――主人公・渡辺の通夜の席で、「渡辺さんの後につづこう!」と怪気炎をあげていた市役所の面々が、いざ日常業務にもどると、あいかわらず「事なかれ主義」に陥っている場面を目にして――これは、黒澤流の反戦映画、戦争責任を追及し得なかった日本人への警句ではないか、と思えた。 そうすると渡辺は、戦いに散っていった兵士たち(例えばカミカゼ)の象徴でもあるし、役所の雰囲気になじめない二人の若者(渡辺につきあってくれた女性と、通夜の場で一人異議をとなえる男性)は、ていたらくな戦中世代を批判する、戦後世代の代表ととれるのではないか。
|
2025/09/03 [水] 同世代の共通勘覚
|
朝日新聞・朝刊、劇作家・野田秀樹氏(1955年生まれ)のインタビュー〈AI時代に「考える」〉より、一部抜粋――
「当時(1970年代後半から80年代)はフィーリングとか言って、『感じる』が重視されていましたが、私はそれが気持ち悪かった。それでも演劇で『考える』を前面に出さなかったのは、60〜70年代の学生運動を少し下の世代として見ていて、考え過ぎた人たちの不幸を目の当たりにしたことが大きかったからだと思います」
「既成の権威への反発は若さの特権で、それは今も変わらない。若い人口が多かったこともあり、大きな連帯が生まれ、世界を変えられるのではないかという夢があった。自分の思いもそちら側にありました。でも、72年、『あさま山荘事件』が起き、直後に連合赤軍内での残忍な内ゲバ殺人が明らかになった。これは絶対ついていけないと思った。それを上の世代がきちんと総括していないことに不信感も募った。この体験はその後、自分が理想について考えるのに影響していると思います」 そして、現代への向き合い方―― 「頼みもしないのに、AIが勝手に何か答えてくることあるでしょう、あれ腹立つよね。お前は呼んでないよ、って。AIが作る文章は過去のデジタル情報の組み合わせ。それで未来が語れるのだろうか。人間がやっていることも同じかもしれないが、我々アナログな人間は、曲線的、曲面的にものを考えるから、創作では負けない気がする。怖いのは、AIが出してきたものを、クオリティーを吟味せず、人がうのみにすることです。その無防備さによって、まだ目に見えない恐ろしいことが起きているような気がします」 「私がやっているのは、人間が生きていることの複雑さを書くことだけだと思うんです。答えは出ないが、そこにドラマはある、それを考えようという演劇。新しい技術が、短い時間で、短い文章で答えのようなものを出してくるこのご時世とはまるで違うけれど、そこは曲げられない。でも、それを見に来てくれるお客さんが大勢いるので希望はあると思っています」
|
2025/09/02 [火] 街を歩く
|
早朝、今年はじめて冷気を感じて布団をかけた。北野天満宮へ参拝に行くと、修学旅行の中学生らしい一団が、皆、浴衣姿に下駄をつっかけてそぞろ歩きをしていた。一度でも着物にふれる、よい体験。めずらしく、みんみん蝉が一匹、鳴いていた。
夏から秋に移るころに、“あせも”がかゆくなる。昼間は目もくらむような暑さだが、それでも秋はちかづいている。昨日、NHKは関東大震災の報道をしなかった―朝鮮人虐殺の事は言うまでもなく。 ※ 木村敏『新編 人と人との間 ――精神病理学的日本論』 (ちくま学芸文庫)を再読。人間の“こころの病”が他者との人間関係に起因し、また肉体に影響を与えるということは、人間の身体に間(ま)=心があり、他者とのあいだの間と感応する、という事ではないか。
間は、真にも魔にもなりうるのだから。
|
2025/09/01 [月] つながり、つながる
|
山口時代いらいの知友Mから電話あり。お互い自営業者の悩みを小一時間、打ち明け合う―「不況で、ボロボロやなあ」。律儀なMとの年賀状のやりとりは毎年続いているが、声を聴くのは一年ぶりだろうか。とにかく元気そうで良かった。
こちらは七十五歳までゲストハウスの借入金の返済で、彼は七十九歳まで家のローンの返済で、お互い老身にムチ打って働かねば。もっともMの場合は、年金が手つかずにあって、子どもたちのために“美田を残す”そうな。 ※ 朝、店前の植木鉢に散水すると、周囲にわずかに生えている露草などの雑草(失礼!)から、おんぶばったが逃げ跳ねた。毎年、毎年、おんぶばったが、つながっている。以前は、めだかの睡蓮鉢の、睡蓮の葉を食べていた―生き延びるために。このちいさな草場で、命がつながっている。
|
|