[高柳無々々.com・TOP]


  
  2025/02/20 [木]   ジョギング


 朝、このところ、ウオーキングの合間に、ジョギングというほどではないが、時々、小走りに走っている。その後は、ゆっくりと歩き、また小走り、というリズム。

 すると、膝がガクガクして、筋力の衰えを痛感する。冬や夏は休んでいるが、久しぶりに山へ登ると、足がガクガクして立ち止まり立ち止まりつつ、何とか頂上をめざす。
 
 それと同じように、毎日、小一時間ウオーキングをしていても、走る・登る時は、また別の筋肉を使うようだ。胸(呼吸)の鍛錬にもなるので、できれば小走りもリズムよくとりいれたい。


  2025/02/19 [水]   道徳と人権について、私見


 楽天堂フレンズのメーリングリスト[100年計画]より――

 一ヶ月以上前の1/3の私の投稿、「匿名の手紙」に対して、Tさん、Yさん、コメントをくださりありがとうございました。あれ以来、つらつら考えてきたことを書きました。
----------------------------------

 私と、投書主A氏とは、道徳観(社会規範意識・美的感覚)の相違ではないか、と思います。

 例えば・・・最近、町内会を通して、こんなステッカーが配られました。「サギ犯、ドロボウ、押し売買・・・お断り すぐ、110番します 警察・防犯協会」20cmほどの黄色い(蛍光?)とても目立つステッカーです。

 「人を見たら、泥棒と思え」そのもので、私は捨てましたが、街を歩いていると、地区にもよりますが6:4、あるいは7:3の割合で、多くの家々にこのステッカーが貼られています。

 道路に面した家の軒下に洗濯物や布団が干してあるのを見るより、こんなステッカーを町中で目にする方が、不愉快千万――でもこれは私の道徳観でしょう。

 「道徳」といったのは、法律や条例に反するかどうかの問題ではなく、また行政や警察に持ちこまれる案件でもない(行政や警察が対応するとは思えない)ケースをさしているからです。

 つまり、相対的な基準に過ぎず、時代や地域(すなわち文化)におおきく影響(規定)されるものだと考えます。

 例えば・・・私が子どもの頃は、通りでものを食べたり飲んだりしながら歩いてはいけない、はしたない、と教えられました。が、今は・・・。
 以前、香港人から.「香港では食事中にげっぷをするのは、あなたの食事に満足したことの証で、歓迎される」と聞きました。が、日本では・・・。

 ですから、私は、道徳は強制されるべきものではない(まして、国家が学校で「道徳」を教科として教えるなどナンセンス)、ただ、道徳観が異なる人々とも共存共栄していくためには、お互い“受忍”の姿勢が大切ではないか、と思うのです。

 で、お前は投書を受けてからどうしたんだ?という質問ですが、相変わらず、洗濯物は干してます(千晶さんは自分で奥に干し、私は“品数を落として”道路側に干してます)し、布団はゲストハウスの宿泊客があった後に、堂々と道路を見下ろしながら干してます。これがA氏に対する、私の(無言の)返答です。

 最後に、道徳と人権は、まったく性格を異にするということ、人権は、人類にとって絶対的な権利で、犯してはならないし、擁護されなければならない、と考えます。この点で、今、ローカルであっても日本社会に重大な影響を与えかねない人権蹂躙問題が、兵庫と京都で持ち上がっています。

 1)兵庫の斎藤知事の“えげつない”疑惑・・・ジャーナリスト・菅野完氏の2つの動画が、適切にえぐりだしています。
 2/12(水)〈斎藤元彦さんによる謎の「第三者委」、実態が判明【菅野完氏 政治解説切り抜き】

 2/18(火)〈朝刊チェック:【おさらい】もう一度、斎藤元彦兵庫県知事のいう「第三者委員会」のなにがどう問題なのかを確認する

 2)「京都府人権尊重の共生社会条例(仮称)骨子」案について「住民自治で差別を許さない人権条例を求めよう 緊急署名!」が、署名サイトchange.orgで提起されています。

 特に2)について、京都府民以外の方もぜひ署名に協力して下さい。以上、よろしくお願いいたします。


  2025/02/18 [火]   塩見三省『歌うように伝えたい』(ちくま文庫)


 脳出血で、半身不随になった俳優の著者。病名は違っても(私の方が、軽度といえば軽度か)入院時の心境など――まだ第一章の半ばまで読んだだけだが――身につまされる体験談だ。


  2025/02/17 [月]   外食の落とし穴


 毎週月曜日は、ちかくのうどん屋・楽洛が――うどんではなく――蕎麦を出す日で、千晶がうどんより蕎麦が好きなので、二人で出かけた。

 十一時の開店だが、すでに行列が。店内に入って、二人とも天麩羅蕎麦を注文。千晶は禁糖中ということで、釜揚げ蕎麦の、何とつゆなし、ゆでただけの蕎麦に別皿で天麩羅をリクエスト。
 
 変わった客だ、糖尿病でも患っているのかしら、と思われたかもしれないが、注文を受けてくれた。二人しておいしくいただいたが・・・食べ終わって家に帰ると、普段なら気にならない“舌に残る”感じがして、千晶も私も腹もたれを覚えてしまった。
 
 ナゼか? 推測だが、揚げ油がよくなかったのでは。外で食事をする時は、これが恐い。この一事で、楽洛の評価を落とすつもりはないが、うどん店には野菜料理がほとんどない(あるのはキムチぐらい)ので、どうしても野菜天麩羅を頼みたくなる。考えどころだ。


  2025/02/16 [日]   今日の一日


 〈調体―からだのしらべ―〉を、2011年3月12日――奇しくも震災の翌日にスタートさせた稽古会へ――初心回帰、名称を再び〈からだとことばを育む会〉に改め、ホームページを全面的に改稿、体験講習会は閉講する。

 もう“伝道者”は自分の役割ではない、と悟り(諦め)、数を追うことは止めて、一人の――からだの勘覚(気)を通した――自己変革に、注力する。


  2025/02/15 [土]   『らくてん通信


 一ヶ月遅れで、第94号を発行。


  2025/02/14 [金]   脇屋友詞(わきや・ゆうじ)著『厨房の哲学者』(幻冬舎)


 朝日新聞の日曜版〈フロントランナー〉で紹介されていたので、図書館で借りて読書。

 中華料理一筋のシェフが語る人生論としては楽しく読めたが、ひろい意味での教養は――残念ながら――感じられなかった。「哲学者」というタイトルは、上げ底ではないか?


  2025/02/13 [木]   手作りカレーは、おいしい


 カレーが食べたくなると――疲れている夕方には――レトルトに手がのびる。が、ストックがなかったので、手作りすることにした。

 といっても、店で売っているベジタリアン・カレールーに、秋場農場の自然栽培の野菜(玉ねぎ・じゃがいも・人参)と自然派生協の自然鶏の手羽中を加え、入れる水の1/3をココナッツミルクにした。
 
 おいしい! 外食(個人経営の食堂で)もいいけれど、レトルトの工場製品よりは圧倒的に手作りの勝ち。


  2025/02/12 [水]   気と肉体の反ベクトル


 からだの勘覚(気)と肉体の関係は、同調(同方向)よりも反調(逆方向)の方が、強い。今朝、行気をしている時に、はじめて気づいた。

 内観技法の〈裏〉で吸い切ると、胸と腹はおおきくなるが気の玉は、縮小し、逆に〈表〉で吐き切ると、胸と腹はちいさくなるが気の玉は、拡大する。
 
 この呼吸が、勘覚の反調の礎になっているのではないか。


  2025/02/11 [火]   生活のリズムが乱れると


 昨夜は、夕食後、対話についてのワークショップをチェックしている間に時間が過ぎ、外出していた千晶が帰るのも遅く、十時を越えて布団に入り、就眠したのは半頃だろうか。すると・・・今朝、起きるのが遅くなり→ルーティーンのウオーキングができず→朝食前後にウンチをしていたのが、出なくなり→一日中、不快感をかかえ、悪いことに尿漏れも続き→ようやく、夜に排便した。

 残念だが、老いるとは、からだの柔軟性を失っていくことだ、と改めて痛感。


  2025/02/10 [月]   干し柿と柿酢


 今日は、『らくてん通信』の校正と細々とした仕事をこなす。前々から「急がねば」と焦っていた干し柿作り、柿が急にやわらかくなってきたので、三十個ほど皮をむいて軒下に吊す。

 まだまだ百数十個あるが、もうええかな。ということで、手抜きの柿酢に明日、挑戦しようと思う。


  2025/02/09 [日]   またしても、壊れた!


 洗濯機よ、お前もか?! エラー表示が出て、排水できない。webで検索していろいろ試してみたが、アウト。排水弁や排水ホースの修理には、出張料金も含めて二、三万の費用がかかる由。

 ふと思いついて、もしや寒気による凍結が原因では? 案の定、排水ホースが一度下がって下水管につながっていたため、そこに水が溜まって凍っていたのだ。
 
 ホースの口からお湯を流し込んで氷を溶かし、まず洗濯機内の水を排水し、ホースを鋸で切って水が溜まらないようにした。安堵。
 
 ※
 
 『らくてん通信』の原稿を、書き終えた。明日には、他の人の原稿もwordにあげて、pdf化→出来上がり、の予定。


  2025/02/08 [土]   ダブルパンチ


 昨夜は、四度トイレに立ち、もどって布団に横になると咳が(痰が出そうで出ない)続いて、眠れなかった。呼吸がしづらいというのは、痛みや痒みとはまた別の、シンドサだ。

 思い返してみると、朝に鶏肉を夜に豚肉を食べて動物性脂肪が多すぎたためか、今冬“最強”の寒気が流れてきたためか、その二つが重なって、肉体が過剰な反応を示したのではないか、と。
 
 しばらく肉はひかえて、大腸ガン手術後に多飲していた野菜+豆スープを――ベビーリーフ+豆腐+バルサミコ酢+カシスパウダー+亜麻仁油のサラダと、納豆+生卵+ひじきの粉+ちりめんじゃこの二品は、かわらず――摂ることにした。
 
 肉体は老化でこわれやすくなっていることを、常に忘れずにいなければ―自戒。


  2025/02/07 [金]   若き前途に


 光太郎の小中時代の友人の兄が、晶文社から本を出版した。重永瞬『Y字路はなぜ生まれるのか?』。まだ二十代後半、祝!

 ※
 
 灯油ストーブが壊れてしまった。2001年製だが未使用だったものを譲り受けて、五、六年使ってきた。が、昨日――前兆は数々あったが――ダイアルが回らなくなって、消火できなくなってしまった。耐震装置もアウト。
 
 webで検索して、メーカーは違うが同じ火鉢型(石油コンロ?)を14,000円で購入。明日、届く。今日はエアコンでしのいだが、室内が乾燥して閉口。やはり灯油ストーブで、ことことお湯をわかしながら暮らしたい。


  2025/02/06 [木]   骨と肉


 お客さん(女性)から聞いた話:コロナ禍で落ちた体重をとりもどそうとして、最初はヨガ教室に通ったが効果ナシ。そこでジムでボディービルに挑戦したところ、体重が増えたそうな。ポイントは、筋トレの前に炭水化物でエネルギーを入れておき、筋トレ後はタンパク質で筋肉を修復すること。

 それを聞いて私も早速とりいれた。朝のウオーキング(小一時間)の前にバナナを食べ、帰ってから納豆+ちりめんじゃこ、それに生卵を食べている。体重増は、500gくらいかな。
 
 ※
 
 整体やヨガで骨を鍛えても、肉がともなわなければ、体は弱い。逆に、筋トレで肉を鍛えても、骨がともなわなければ、やはり体は弱い。骨と肉の調和が大切だろう。


  2025/02/05 [水]   初氷


 強い寒気。めだかの睡蓮鉢に、厚い氷がはった。昼過ぎには、小雪も舞った。こんな日には、昔の人はどうやって暖をとっていたのだろ、と思ってしまう。竈の火とと、火鉢だろうか。


  2025/02/04 [火]   気力


 気は「気まぐれ」、意識的に脱力を vs 力は「力ずく」、意識的に入力を。

 ※

 次号の『らくてん通信』に詠んだ歌への反歌。
 
 憶(こころ)の窓は閉ざされて気は澱(よど)み、
 情(こころ)の波は荒立って水面下は見えず、
 性(こころ)の炎は燃えずにくすぶってないか。


  2025/02/03 [月]   消耗戦


 本来なら先月に提出を終えていなければならない年末調整の書類(税務署&京都市へ)。昨年まではアナログの手書きで記入し郵送していたが、今年はじめてwebでの電子送付に挑戦。

 国税庁のHPでは比較的スムーズにすすみ、終了。次にeLTAXというサイトに移って京都市への書類記入を行ったが、ユーザー・アンフレンドリーな、分かりにくさに難航――予期していたが――使えないシロモノだった!
 
 三時間も費やして、最終的に手書きの記入用紙に戻り、郵送するハメに。デジタル後進国の、面目躍如である。


  2025/02/02 [日]   義母の誕生日


 九十七歳。親族五名が参加して、宝塚の湯葉店で食事。その後、義母が暮らす伊丹のサ高住に戻って、千晶が持参したバースデーケーキで祝う。

 このようなイベントがなければ、なかなか集まれない。親戚は、良いものだ。


  2025/02/01 [土]   『らくてん通信』の原稿


 『イルカと否定神学』をめぐって、考えることの格闘、書くことの葛藤。