楽天堂フレンズのメーリングリスト[100年計画]より――
一ヶ月以上前の1/3の私の投稿、「匿名の手紙」に対して、Tさん、Yさん、コメントをくださりありがとうございました。あれ以来、つらつら考えてきたことを書きました。
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私と、投書主A氏とは、道徳観(社会規範意識・美的感覚)の相違ではないか、と思います。
例えば・・・最近、町内会を通して、こんなステッカーが配られました。「サギ犯、ドロボウ、押し売買・・・お断り すぐ、110番します 警察・防犯協会」20cmほどの黄色い(蛍光?)とても目立つステッカーです。
「人を見たら、泥棒と思え」そのもので、私は捨てましたが、街を歩いていると、地区にもよりますが6:4、あるいは7:3の割合で、多くの家々にこのステッカーが貼られています。
道路に面した家の軒下に洗濯物や布団が干してあるのを見るより、こんなステッカーを町中で目にする方が、不愉快千万――でもこれは私の道徳観でしょう。
「道徳」といったのは、法律や条例に反するかどうかの問題ではなく、また行政や警察に持ちこまれる案件でもない(行政や警察が対応するとは思えない)ケースをさしているからです。
つまり、相対的な基準に過ぎず、時代や地域(すなわち文化)におおきく影響(規定)されるものだと考えます。
例えば・・・私が子どもの頃は、通りでものを食べたり飲んだりしながら歩いてはいけない、はしたない、と教えられました。が、今は・・・。
以前、香港人から.「香港では食事中にげっぷをするのは、あなたの食事に満足したことの証で、歓迎される」と聞きました。が、日本では・・・。
ですから、私は、道徳は強制されるべきものではない(まして、国家が学校で「道徳」を教科として教えるなどナンセンス)、ただ、道徳観が異なる人々とも共存共栄していくためには、お互い“受忍”の姿勢が大切ではないか、と思うのです。
で、お前は投書を受けてからどうしたんだ?という質問ですが、相変わらず、洗濯物は干してます(千晶さんは自分で奥に干し、私は“品数を落として”道路側に干してます)し、布団はゲストハウスの宿泊客があった後に、堂々と道路を見下ろしながら干してます。これがA氏に対する、私の(無言の)返答です。
最後に、道徳と人権は、まったく性格を異にするということ、人権は、人類にとって絶対的な権利で、犯してはならないし、擁護されなければならない、と考えます。この点で、今、ローカルであっても日本社会に重大な影響を与えかねない人権蹂躙問題が、兵庫と京都で持ち上がっています。
1)兵庫の斎藤知事の“えげつない”疑惑・・・ジャーナリスト・菅野完氏の2つの動画が、適切にえぐりだしています。
2/12(水)〈
斎藤元彦さんによる謎の「第三者委」、実態が判明【菅野完氏 政治解説切り抜き】〉
2/18(火)〈
朝刊チェック:【おさらい】もう一度、斎藤元彦兵庫県知事のいう「第三者委員会」のなにがどう問題なのかを確認する〉
2)「
京都府人権尊重の共生社会条例(仮称)骨子」案について「住民自治で差別を許さない人権条例を求めよう 緊急署名!」が、署名サイトchange.orgで提起されています。
特に2)について、京都府民以外の方もぜひ署名に協力して下さい。以上、よろしくお願いいたします。