第43号2008/09/20


スパイス料理キットの発売にあたって 
メーリングリスト100年計画〉より 会員の報告



高島 千晶(たかしま ちあき) 
(6/25)
スパイス料理キットは以前から、ラー油、ベイガンバラタ(なすカレー)、カボチャのサブジなどで作ろうと思っていたのですが、豆料理クラブから生まれたことがわかりやすい豆料理キットとは少し違う位置づけのこれらの料理、どういうラインナップにしようか考えが定まらず、ペンディングになっていました。

 そして、先日、秋葉原での殺人事件をあつかったNHKスペシャルで見たことを考える中で、これからしたいことがはっきりしたのです。この番組では、何人かの20代から30代の青年が出てきたのですが、みんな健康そうな働き盛りの立派な青年だった。夜遅く二交代制の仕事から戻ってきた若者は、ご飯にお茶漬けのもとをかけてお湯を注いでそれを晩ご飯にしていました。わたしはそれを見たとき、小さいときのわたしの生まれ育った環境、時代とは何て違うんだろうと思いました。

 わたしの実家は小さい縫製工場で夜も編み立ての機械を動かすため寮生が夜勤していたのですが、夜勤の人に母たちがちゃんと夜食を用意していて、寮生がお茶漬けで晩ご飯なんて考えられなかった。高度経済成長を支えた中小企業の生産現場は多かれ少なかれそのような家族的な雰囲気を持っていたと思います。働く若者は大事にされていた。(中略)

 そういう家族的経営を支えるために負担を強いられた女性(経営者家族)もたくさんあったと思いますが、とにかく30年前の日本では、若者はそのように守られ育てられていたと思いました。

 男の子をお持ちのお母さん、わたしは思うのですが、以前にも増して最低限の生活力を男の子にも身につけさせることは大事ですね。不安定な派遣社員として働いていても、「おいしいカレーを作ったよ、食べないか」と仲間にふるまえる男の子ならば、たくましく生きていくでしょう。NHKスペシャルでも、自分も秋葉原事件のような犯罪を起こしていても不思議ではなかったと言っていた青年(勇気がある発言でした、泣きそうに彼はそう言いました)が、不当な解雇を取り消すよう仲間と力を合わせて会社に抗議する中で、気持ちが安定していったことを話していました。仲間がいれば、大丈夫。仲間を作る力があれば、どんな世の中でも生きていける。仲間を作るには、やっぱり同じ釜の飯を食うのが一番ではないか。仲間ができたら、自分たちでやっていく商売を思いつくかもしれないし。

 わたしは今度のスパイス料理キットを男の子が休みの日に作ってみようと思えるシリーズにしたいんです。もちろん女性にもつくってほしいんですが。今まで豆料理キットを販売して下さっていたお店は、フェアトレードショップ、自然食品店、パン屋さんでした。それに加えて、今度は酒屋さんに置いてもらえるようにしたい。酒屋さんに似合うスパイス料理キットを作ろう。実際、かぼちゃのサブジは、ビールに合います。それに、かぼちゃさえあればできる。ココナツ入りキャベツ炒め(赤レンズ豆入り)もシリーズに加えよう。これもお酒に合うし、キャベツさえあればできる。ベイガンバラタもなすさえあればできる。一つの野菜さえあればできる、そんなシリーズにしたい。 

(8/23)
 今日も一日、スパイス料理キットづくりにせいを出しました。やっぱりビートルズが合うよなあと思い、次から次へと聞いていたのですが、「With a little help from my friends」――この曲を聴いたとき、これだよ、これこそ、スパイス料理キットのテーマソングだと思いました。

 実は、豆料理キットのレシピの右上には、Give beans a chance!と書いてありまして、これは、ジョン・レノンの「Give peace a chance」をもじったものです。9.11と、アフガニスタンとイラク戦争の後で、豆料理クラブのモチーフは平和だったんですね。世界の経済格差が平和をおびやかしている。お豆を普及させて、浪費はやめよう、そんな気持ちがありました。

 今度は、このMLでも6月22日に書いたように、日本の中の若者、特に若い男の子たちに、友だちとご飯を食べようよ、と呼びかけたい気持ちがありました。非正規雇用の厳しい労働環境であっても、貧乏であっても、どうか孤立しないでくれ、という気持ちがあります。孤立しなければ、一緒にご飯を食べる友だちさえいれば、なんとかなるよ、っていう気持ちを伝えたかった。

 そういうわけで、スパイス料理キットのレシピの右上には、「With a little help from my friends」をもじって、With a little help from the spicesと書こうかなあと思ったのです。「これならオレでもできる!スパイス料理キット」とWith a little help from the spicesはうまく結びつくし、豆料理キットのかくれたモチーフが平和だったように、スパイスの後には友だちが隠れている。あの歌の感じにもぴったりだし。

 「With a little help from my friends」は、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンドというアルバムの中におさめられた曲で、リンゴ・スターが歌っているのです。

  僕の歌が調子っぱずれだったらどう思う?
  席を立って僕を見離してしまうかい
  しばらく僕の歌に耳を貸してくれ
  音をはずさないように気をつけるから

  友達の助けが少しだけあればなんとかなるさ
  ほんの少し友達が助けてくれれば心も軽くなる
  友達に助けてもらいながら頑張ってみるよ

 リンゴ・スターはめったにボーカルをとらなかったのですが、時々、リンゴにぴったりの曲を歌うのがいいんです。「イエロー・サブマリン」、あの歌もいい。

  We all live in a yellow submarine.
  僕らはみんな黄色い潜水艦で暮らしてる

 この歌詞って、男が集まってご飯食べるイメージにぴったりだなあ、と思い、そうだ、スパイス料理キットのマークは黄色い潜水艦がいいんじゃいなだろうか、とひらめきました。ポップな黄色い潜水艦だ。 

潜水艦マーク

 「こんかなんじの絵を誰かに描いてもらおうよ」とわたしがラフにスケッチすると、無々々が「これでいいんじゃないか」と言い、とりあえずわたしのへたくそな絵がスパイス料理キットのマークになりました。 日に日にいいアイデアが出てきそうです。もうレシピをかなり印刷してるので、とりあえずマークなしのも売りますが、徐々に改訂していきます。いいないいな、黄色い潜水艦。

  なんて気楽な毎日
  不満なんかひとつもない
  青い空に緑の海
  ぼくらの黄色い潜水艦

  ぼくらはみんな黄色い潜水艦で暮らしてる
  黄色い潜水艦がぼくらの家さ
  ぼくらはみんな黄色い潜水艦で暮らしてる
  黄色い潜水艦がぼくらの家さ


大関 はるか(おおぜき はるか)) 
(8/25)
 スパイス料理キットを手に入れましたはるかです。
 千晶さんのロゴマーク見てみたい!その流れとってもいいと思いました。

 デンマークに100ほどあるフォルケホイスコーレ(160年以上歴史のある民衆のための学校)は共通して、朝みんなで必ず歌を歌うんです。音楽の先生がピアノをならして、みんなでうたう。みんなでWe all live in a yellow submarine!って大合唱するのが大好きだった。morning fellowship(朝のつどい)が終わっても、自室に帰る途中の廊下でこだましてた。とっても個人的な思い出で恐縮ですが・・・。「若い男性が料理を仲間に出す」という千晶さんのイメージをメールで見たときも(発言のタイミング逃したけれど)、とっても大事なことだと思いました。とてもいい流れでたどり着いたキットだと思います。

 デンマーク人から教えてもらったグレッグというホットワインも、キットになってうれしいです。北欧では、家庭でホットワインを作るのは年に一度クリスマスの頃くらいなんです。それのために、いろいろスパイスを揃えてちゃー大変です。でも、とってもおしゃれでおいしくて、みんなに喜ばれる。それがキットになったら最高です。私の提案は、南欧のサングリアのレシピも添えて、1つのキットで夏も冬もいけるようにしたらいいんじゃないかと思いました。

 私の漠然とした夢のひとつに、刑務所でのプロジェクトをやりたいってのがあるんだけど、そこでは、毎朝みんなで歌を歌うというのと、畑と料理と生ゴミの堆肥をするというのがあるんです。(他にも年に一度は劇やライブを見るとかいろいろあるんだけど、話が長くなる)いつかその夢がかなったら、かぼちゃのサブジとかをみんなで作りたい。それなら退所してキットを買ったら早速できる。出てきたばかりのときって、敬語しかしゃべれなかったり、電灯が明るすぎてしんどくなったりしています。ましてや、調理の担当にならない限り、料理を何年もしないことになる(調理をできない人は、調理の担当にならない)。新しい人生を切り開くのは容易でなくて、すぐに前の仲間とコンタクトを取ったり、悩ましい方向に進んでしまったりします。でも、もしも入所前は料理なんて一切しなかった人が、帰ってきて家族にかぼちゃのサブジを作ったら、家族はどんな気持ちになるかしら。

 すみません。なんのこっちゃわからないですよね。
 豆キットができたのが、イラク攻撃の後であったこと。私の大事な友達が2度目の牢屋に入ったのとイラク攻撃が同じ頃で、その友達は最近出所したのだけど、私は彼だけの罪だとは未だに思っていなくて、これは社会の抱えている問題の現れでもあると思っているんです。だから、スパイスキットのきっかけである千晶さんのあの考えと私の想いがつながってるんです。

 もひとつ、若い男性が行き詰って自殺に追い込まれることも、私にとってはとても身近な問題なのです。彼が料理をして友達を家に招けたら・・・。自分がイベントスペースの拠点を持ったら、いつか、自殺者の遺族や刑務所に入っている人の家族や恋人が集える定期的な場になれば・・・というひそかな野望をもっていたこともまた、重なる熱い想いの理です。


高島 千晶(たかしま ちあき) 
(8/26)
 はるかさんのメールに勇気づけられました。イエロー・サブマリンの合唱っていいなあ。みんなで歌うことって楽しいものね。

 うちで誰かの誕生日会をする時、一人1曲ずつ誕生日の人のために歌うことがあったでしょう。あれも楽しかった。山上さんがウクレレを弾いてくれたこともあったし、足立さんがロシア語の誕生日の歌を歌ってくれたこともあった。

 昨日は無々々の誕生日で、娘はオリジナルの歌をプレゼントしていました。と言っても、替え歌だけど。ドレミの歌に歌詞をつけたもの。傑作だった。事前に練習して、わたしとこどもたちで歌えるようにして、ケーキのろうそくを消す前に、いつもの誕生日の歌と、もう一つこの歌を歌ったのでした。

 こんな歌です。(レのところは元の歌の「レーは」という間に「れいせい」と歌い、ミのところは「ミーは」という間に「みそしる」と歌います。)

  どーんなときにも
  れいせいちんちゃく
  みそしるつくるのうまい
  ファイトも出せる
  そうじがじょうず
  らくらく生きる
  しあわせなひと
  たかしまかずと

 何だかこの歌、声に出して歌ってみると、笑えます。お気楽な人って感じがするからかな。(イエロー・サブマリン的ですね。)楽しかった。(中略)

 スパイス料理キット、充実させます。これからチラシを作ります。HPにも載せます。少しずつ。サングリアもいいなあ。

 他にもさっそく注文してくださった方があり、励まされています。いつも取りあえず作ってやりながら考えるので、最初のうちはマークもキャッチコピーもなくて申し訳ないんですが、段々によくなっていくと思います。どうぞ育ててやって下さい。何度もレシピの書き方も改良しますので、どうぞご意見下さいね。

(9/10)
 スパイス料理キットのチラシがようやく完成しました。予定より1ヶ月遅れですが、商品を完成させて世に送り出すということは、なかなか嬉しい瞬間です。今回のスパイス料理キットのマークは、イエローサブマリン。そしてキャッチコピーは、次の通り。

  スパイスは楽しい。
  ごはんの支度中いい香りがする。
  スパイスは頼もしい。
  野菜ひとつでごちそうができる。
  スパイスの助けがあれば、
  一皿で友だちを呼べる。
  食べものは自然からの恵み、
  ふるまわれ、ふるまい、
  だれもが満ち足りた食事ができますように──
  それが楽天堂・豆料理クラブの願いです。

 スパイス料理キットを作ろうと思ったのは、秋葉原事件の頃に平川克実の『ビジネスに「戦略」なんていらない』(洋泉社新書)を読んだのがきっかけでした。商売というのは、ひとつのコミュニケーションのあり方なんだけども、それは一回半ひねりのコミュニケーションなのだという指摘があったのです、その本の中で。

 「商売の中では、人は商品を通してしか人と出会わない。」そうだった、そうだった。出会いたい人と出会える商品を作ろうと思った。
 商品は、豆料理クラブも豆料理キットもそうなのだけども、社会に投げる1種のラブレターみたいなもんですね。紙飛行機かな。

 あの事件を起こした青年のことを考えていました。あるいは、そのあとのNHKの番組に出てきた同じような境遇に置かれた若者たちのことを。彼らに届くかなあと思いつつ、マークや言葉を選びました。うまくいってないかもしれませんが。(うまくいかなかっても、次の紙飛行機を飛ばすだけのこと。どんどん工夫します。)

 というわけで、スパイス料理キットを作ったことは、効率優先でちゃんと若者を育てない社会にささやかな疑問符を投げるという気持ちもあったのですが、昨日、平川克実のブログを読んでいたら、レイモンド・チャンドラーの小説が引用されて日本経済についての胸に響く一文が載っていましたので、よかったらぜひ読んでみてください。とても共感しました。「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく価値がない」。以下、http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/より全文引用。

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『思想の死』
 土曜日の夜、みずほ総合研究所の原稿を書きながら横目でNHKの『日本のこれから』を見る。翌日会社で、コンピュータを開いたら、書き上げた原稿が全て消えている、というかコンピュータが言うことを聞いてくれない。デジタルデータは、泡のごとし。テレビの方のお題は税金。争点は、新自由主義的な構造改革路線をこのまま続けるべきか、あるいは行き過ぎた市場主義に歯止めをかけて、福祉重視の国づくりへ舵を切るべきかというところで、そのために現在のグローバル化した世界経済をどのように分析するのかというのが、議論の中心になっていた。当然のことながら、竹中平蔵は構造改革を断行してきたから、不良債権問題や不景気から脱出できたのであり、その間のGDPは上昇しており、現在それが下降し、不景気になっているのは、構造改革が中途半端で、不徹底だからだというご意見。それに同調していたのが、慶応大学のなんとかいう教授(お名前を失念)。このお二人の見解はまことに、論理的、首尾一貫していてクリアカットであったが、俺は聞いていてまことに気分がすぐれない。彼らの首尾一貫はひとつのフレームワークの中でのみ有効な議論であり、その枠組みの外では徹底的に無力な議論である(ということに顧慮する気配がないからである)そのフレームワークとは、人も企業も国家も、お金稼ぎ中心で生きており、経済勝者が覇権を得るのであり、経済的な敗者は滅びてゆくという信憑である。これを俺は金銭フェテシズムと呼んだのである。確かにお金は大切であるし、GDPが増加すればは多くの問題を解決するし、人々は強欲で、身勝手なものであり、俺もまたお金を欲しがる欲得の人間のひとりである。この欲得を最適化するのが、ネオリベラリズムの思想の根幹だろう。タフなひとたちである。でもさ、ここには何かが欠けている。比喩的にいえば「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きていく価値がない」(@レイモンド・チャンドラー)ということである。彼らに欠けているのは国家としても、個人としても、その生き方への規範である。規範とは、誰にでも譲れないものがあり、それを譲ったら生きている甲斐がなくなるようなものを、損得勘定の外部に持つことである。

 真っ向から反対の論陣を引き受けていたのが森永卓郎。税の累進性を高めると所得の海外移転が起こるという論に対して、そんな企業は勝手に海外へ逃げればいいし、六本木でワインを飲みながら投資効率を語りあっている勝ち組の人々など、海外へ行きたければ勝手に行ったらいい。日本には必要のない人々だといきまいていた。随分乱暴な意見だが、俺はその気持よく分る。実際には、企業の所得移転は税の累進性とは無関係にすでに起こっているし、税金が高ければ海外へ逃げるぜと叫んでいた投資家は、海外へは逃げないだろう。(六本木で集まってワイン飲めなくなっちゃうからね。集めた金で何をしたいかがなければ、集めた金でさらなるお金儲けにいそしむことになる)構造改革を止めれば、国家が没落してゆくという思い込みは実現しないし、逆に大企業優遇、市場原理にしたがって自由化を進めたからといって、活力が生まれ経済競争で勝ち続けることもできないだろう。人も国も経済のみで説明できるほど単純なものでもないし、またそれだけで動いているわけでもあるまい。

 森永の発言に対して、竹中平蔵のいった言葉が素敵であった。「あなたは社会主義者だから・・・」ついに、言っちゃいました。(いつも言っているのか)まさか、福祉国家を社会主義と思っているわけではあるまいが、かれらはついついこのデマゴーグ的発言をしてしまうのだ。経済学者にとって、このような断言はきわめて政治的なものであり思想の死でしかないということに、このひとは気がついていない。俺は随分いろいろな場面で、「お前は社会主義者だ」という発言を聞いてきた。俺はこの言葉を発する人間を一切信じないことにしている。そういう形で自分の見解を補強し、相手の思想を貶めるような言葉に気恥ずかしさを覚えないような知性を一切認めることはできないからである。



「リフォーム料理でひとやま当てて!」なんていわれても・・・その9
 
根石 佐恵子(ねいし さえこ)



 今年の夏は暑かったですね。こんな時こそ家族に「しっかりおいしいごはんを!」と思いながら、やはりついつい麺類で済ますことが多かったです。反省。そして、去年も同じようないいわけをしたような気がしますが、今年は麺でなくおつゆが残っちゃった!そこで3品。リフォームしてみました。

しょうがご飯
しょうがご飯

 食後、それぞれが残してしまっただしつゆを集めて、一度冷蔵庫に入れたのですが、傷ませてしまいそうなのですぐえいやっと作りました。ちょうどおろしたしょうがが薬味として入っていたので、そうだ!としょうがをどさっと千切りにし、あらったお米にだしつゆとともに入れ、お塩や醤油で味を調え炊くだけです。

 炊きたてはしょうががふわぁ〜っと香って食欲をそそるし、冷めても味が落ち着いておいしいです。彩りとアクセントに大葉を刻んでのせてもよいと思います。ちなみにうちは、おひつがないのでざるを2個組み合わせて、炊いたご飯をすぐ移しておきます。適度に水分がぬけてつやつやになりグッドです。

 ざるにごはんつぶがひっついて、後が大変そうですがそこはあわてず、とれないものは無理に洗わず、放っておきます。するともう半日でごはんつぶはからからに乾くので、指でぽろぽろとおもしろいようにとれたらそのままお口へ。干し飯は立派なおやつ!と実感!手間もかからず二度楽しめますよ〜。

冷やし麩


冷やし麩

 こんなもの料理かい!と怒られそうなのですが、残っただしつゆにたっぷりわさびを溶かし込みます。(そうこの日はおそばでした!)そこにこれもどさっと細ネギを小口切りにして混ぜ込みます。あとは、軽〜く水にひたしておいた麩を絞って浸します。これは必ず冷蔵庫で冷た〜く冷やして下さい。夏はできるだけ火を使いたくないのでこれだけですが、麩が、しっかりと味を含んでお酒の肴としてもいけます。これを食べたおっとさんは、「だしのおいしさが際だつね!」とのこと。自慢のだしが残ったらやってみてください。そして、断然わさびとねぎですぞ!

しょりしょり丼

しょりしょり丼

今度はお弁当箱に流し込み冷凍庫で氷にしてみました。しかも量があまりないから薄〜い氷しかできません、スプーンとかでつつくと簡単に割れます。

 そこで、ごはんに、いちょう切りにしたきゅうり、氷だしを割って載せ、刻んだみょうがやおろししょうが、ごまをひねってぱらぱらかけます。(体を冷やしすぎないように薬味はたっぷりと!)食欲がなくても、このしょりしょりぱりぱりの食感が楽しく、おいしくいただけます。

 せっかくなのでご飯は炊きたてよりも冷めていた方が長く楽しめます。さらっといきたい方は、このままで十分おいしいですが、パンチを効かせたいときは、ラー油などを回しかけても風味がさらに食欲をそそってくれます。こどもに大人気でした!

憧れのラザニア

憧れのラザニア

 今年は、家族4人できっちり2束の麺をいただくので、なかなか麺が余らない!いつものひやむぎに今年はきしめんが加わり、おいしくいただいていたのですが、娘と「きしめんってラザニアにできるよね〜♪」と思いつきその日を待っていました。ちょうどおっとさんがいない日、残りましたよ!1/4束分の麺が。 

暑い中ミートソースを作るのもな〜とのことで、たまねぎをさっといため、刻んだクルミ、ざく切りにしたトマト、ケチャップを混ぜ合わせ味を調え即席ソースの出来上がり。耐熱皿に麺と交互に盛っていき、クリームコーン、豆乳、マヨネーズを好みのゆるさで溶き合わせ上にかけてオーブントースターで焼きます。

 あのときの娘の幸せそうな顔といったら・・・でも食べ終わって一言「今度はほんもののラザニアが食べたい!」ラザニアはやはり憧れの食べ物なのでした!

最後におまけのわらしべ長者から1品
 幾分涼しくなって、ずっと目があっても気づかないふりをしていたムング豆さんに活躍の舞台へ上がっていただくことに!思い切って一袋水に浸してしまったら・・・すごい量。でも餅米に混ぜて炊いたお赤飯ならぬお緑飯は好評、これまた小豆の代わりにかぼちゃといとこ煮にしても珍しがられました。しかしだんだんはしが遠のき・・粗くつぶして、たまねぎ、とにんじんをいためてプラスしマサラを加えてカレーに変身。

焼きコロッケ

焼きコロッケ

 さらに、つぶして、刻んだクルミ、じゃこ、ごまなどを混ぜ込みます。揚げずに焼いちゃえ!と、少し小さめに丸めてオリーブオイルを薄く引いた耐熱皿に並べて、ココナッツパウダーを混ぜ込んだパン粉を上からかけます。オリーブオイルを回しかけオーブンのグリルモードで15分ほど焼きます。とっても香ばしくて、冷めるとさらにおいしかったです。夏は焼きコロッケに限ります。作ってみてね!



 大人になって出会った子どもの本 (4)
エロスを感じる絵本 宮島 百合(みやじま ゆり)



 絵本とエロス。つながらないように思われるかもしれないが、絵本には、生きることへの過剰なまでの「愛」が詰まっている――時々私はそんなふうに考えてみたくなる。

 今回は、「大人になって出会った」絵本の中で、性愛的な、官能的なもの――エロスを感じてドキッとした本を紹介したいと思う。

 まず、長谷川集平。彼の絵本はどれもエロチックだ。『トリゴラス』(文研出版)は、夜、少年が父親に「ぼくはほんまのことがききたい。そらでびゅわんびゅわん ゆう、あの音のことや。あれは かいじゅうにちがいない。そうやろ、おとうちゃん」と語るところから始まる。街をわやくちゃに破壊していくトリゴラスは、かおるちゃんをさらって街を去っていく。

 これは怪獣映画のパロディだ。でも、パロディで終わらない。読んでいる私たちに、少年の鬱屈した性の情動が「びゅわんびゅわん」と伝わってきて、思わずゾクッとする。怖い本なのだ。

 『パイルドライバー』(ブッキング)もへんな絵本だ。「ブンくん」は「エッちゃん」が好きだ。でも、いつもいじわるをしてしまう。「それはぼくがエッちゃんを好きだからなんだよ、きっと。」そこへエッちゃん登場。エッちゃんはブンくんに、次々とプロレス技を仕掛け、「おどろいた?実はわたし、ほかにもいっぱい、あぶない技を持ってるの」と言い残して去っていく。「その日、ブンくんは、エッちゃんのことをいっそう好きになった。」という終わり方。ス、スゴイ。めちゃくちゃで、なにかエロスが渦まいてるぞ〜〜!と言いたくなる世界なのだ。

 もう一人は、片山健。この人の絵本も傑作ぞろいだ。でも今回は、エロスをぞくぞくするほど感じた『おなかのすくさんぽ』(福音館書店)を。

 「ぼく」がどうぶつたちと、どろんこ、どうくつ探検、みずあそび、と大あばれ。「ぼく」とどうぶつたちが「ワーオ ワーオ ブギャー、ギャーオ ギャーオ クアー」とほえる場面は圧巻。ここだけでも十分に肉感的だが、話は更に続く。

 ――ところが くまが こんなことを いいだしたのです。
 「なんだか きみは おいしそうだねえ。 ちょっとだけ なめて いーい?」「ほんとうに なめるだけだよ」と ぼくは いいました。――

 ぼくはこのあと、くまになめられ、そして「ちょっとだけ かんでいーい?」と、くまとみんなからそーっとかまれる。

 この場面。幼い子と日々暮らしたことのある人なら、3歳、4歳、5歳くらいの子のぷくぷくした「おいしそう」な体を思い出し、まるで自分が「ぼく」をそーっとかんでいるような気がして、身ぶるいしてしまうのではないか。

 このあと、みんなのおなかが「グー グー グー」となり、読んでいる私はますますゾクッとしてしまうのだが――結末はご自分で確かめていただくことにしよう。

 片山健は『どんどんどんどん』(文研出版)でも、子どもの爆発的なエネルギーを絵本という媒体上でいかんなく表現していた。

 長谷川集平や、片山健。他にも、絵本というメディアを使って、自らの情動――エロスの表現の可能性を広げていっている作家がたくさんいる。それはまた、別の機会に紹介することにしよう。

『おなかのすくさんぽ』 『『おなかのすくさんぽ』


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