第40号2007/12/01



豆ランチパーティー 秋(10月)



暮らすこと越境すること (10/21) 千々石 有希(ちちいし ゆき)

豆ランチパーティー 10/21

  この日曜日の豆ランチパーティーのゲストスピーカーの加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンター代表理事)のお話、心にしみました。涙声になりながら自己紹介をしてしまい、内心恥ずかしかったです。でも、この過去15年間、心にしこりを残していたものが溶けていく感じがして、やはり涙がでてきました。

 怒らずに話し合いの場を持ってもいいんだ、と。(腹が立ってたら、腹を立ててもいいんだろうけど、、、)ただ、「私、こんなことが気にかかってるんだけどね、、、。」と話し合いの場を持つことに意味がある、と言われて心底ほっとしました。

 私事ですが、20代始めからちょこちょこと自分なりに、戦争加害者としての日本人の子孫としてどう生きるべきなのか、とか、障害者の問題、反原発の問題、環境に関する問題に関わってきました。身体と地球にいいといわれる農薬を使わない食物やスローな生活を求めたり、はたまた、地上のユートピアが求められないと絶望すると、せめて心のユートピアだけでも、と瞑想のワークショップに時間を費やしたり。挙げ句の果てには、「いやいや日本の外なら何かあるかも?」と自分探しではないけれど、フラフラとさほどの理由もないくせに日本から離れて暮らしてみたり、、、と支離滅裂な生き方をしていました。シングルマザーで京都の西陣に落ち着く事になり、ようやく地に足がつくようになってきた今日この頃でした。資産家の親からの援助金等ほとんどなく、里山で独自の生活を切り開く根性がなかったことも幸いしたのだと思います。

 さて、参加者の皆さんそれぞれに心に残ったポイントが違ったかと思います。私の感想ですが、まず、効果的な社会運動のあり方をシステマチックに“説明”してくださったのが印象的でした。

 歴史を知って、先人から学ぶこと。行政なら行政の意味、行政のできること、範疇を理解する。市民の(自分たちの持っている、行使できる)権利をまず理解し、使うこと。理解したことを、形(言葉)にして、伝えて(話して)いくこと。頑張っている人にはエールを送ること。心の不安を煽るマスメディアに頑張っている人々の意思が挫かれないように。

 あと、先に触れた私が20代から関わってきた問題に対する考えるヒントというか答えというか、どう表現すれば伝わるのか判りませんが、とにかく、私の心の中のわだかまりをお話の中で取り去って下さいました。
 20代の時に経験した、感情に任せて“怒り”の共有を強いるような“語り”からは対極にある、穏やかな、聞き手を安心させる口調でした。社会運動の講演や話し合いになると、“高ぶった感情に訴え、参加者の不満や怒りを煽動しての共有感、仲間意識の強制” が私の中ではいつのまにかお決まりでした。そういった、“(仮想)敵(壁)を作っての正義ぶった共同体意識の構築現場”に足を運ぶのはもうこりごり!とずーっと思っていました。でも、現実社会に生きる一母親として、「どうしたらいいねん!」とすぐ不安にかられる社会とどう向き合えばいいか、内心気にかけているところでの今回の講演は、社会への問題意識を日々の生活に忙しいことを言い訳に、おざなりにしていたところへ、喝という厳しいものではなく、やさしく手を差し延べてもらったように感じました。だからこそ、ほっとして涙が出てきたんだと思います。今までの自分の生き方への反省を促すのでは全然なく、現にリスク社会に生きていることを認識して、「あなたはこれからどう生きていきたいですか?」と聞き手に問いを残し、選択の自由をあることを示されていました。

 それから、ご自身の読まれた本の紹介とその感想を述べながら話をすすめていかれる場面がありました。「私はこの本をこう読みました(理解しました)が、あなたはどうですか?」と。講演後も意欲さえあれば自己学習が可能なように、ご自身が歩まれた思考の基になる軌跡を残されました。

 あー、書ききれない。ちゃんと伝わっているんだろうか?参加された他の方もぜひ書いて欲しい。他の方々はどう感じられたんだろう?

 あと、政府や大企業だけでなく、NPO団体が社会システムの一部にちゃんと組み込まれ、市民の声が決定権をもつようにならなきゃ社会変革はない、というような主旨のことをおっしゃってたと思う。あってるかな?

 それと、あんまり問題が大き過ぎたら、頭が思考停止しちゃう、、、これは誰でもあることで、だけど、その問題を考え続けて、データを集めて事実をきちんと理解、認識して、小さくても行動をおこすことが大事なんだとおっしゃってました。

 他にもいろいろ、ナチスドイツのヒットラーの話とか。ユダヤ人虐殺はヒットラーからの直接の指令として書面で残っていないにも関わらず虐殺が起こったのは、その当時の世論との相乗効果で成し遂げられた、というような主旨のお話でした。

 あと、キレやすい5、60代の話とか、喧嘩をせず、円滑にコミュニティー内で生きて行くための“本音と建前”の重要な機能とか。

 とにかく2時間、聞き手を飽きさせる事無く、盛り沢山なお話を穏やかに、でもはっきりとした口調で市民の私たちに分りやすいように、面白く、ウィットに富み、興味深く、“説明”してくださいました。聞き手に(少なくとも私に)感動を与えたのは、ご自身の辿った(死ぬまで辿るであろう)苦渋の経験が土台にあり、かつそれを乗り越えながら前進されているからだと思います。だからこそ、聞き手に対して不安を煽動するのではなく、共感をもって「大丈夫ですよ。」と安心させながら語ってくだっているのだと思いました。

 最後に「絶望する時はありませんか?」と聞いた時に、「そりゃ、ありますよ。そう言う時は夜中にとにかく悲惨な映画を観ます。1970年代のドキュメンタリーもので、今よりもっとひどい時代で、ひどい状況でも生き抜いてきた先人がいること知って寝ます。(だったか、安心します。だったかな?)」と言われました。千晶さんと「いやぁ、加藤さんでも絶望するって聞いたら、ほっとするよね。」と頷き合いました。加藤さんのそういった、超人ぶらない、人間的なところにまた、ホっとしました。

 ここまで書いていて、「私って今までまともな人にあんまり会ってこうへんかったんやろか?」と思ってきました。恐らく、そうなんでしょうね。自分も仮想敵に備えて仮面を被って、自己防衛して生きてきてたんやろうと思います。まともな人に出逢える機会が希薄な社会に生きているから、経済的に裕福になってもどうしようもなく不安で、生きている意味が判んなくなって自殺したくなる人々が続出する社会になっているんやろうか?だから、とにかく、「私、最近こんなことが気になんねんけど、、、。」と仮面をとって話せる場が必要なんでしょうね。

【加藤哲夫さんからの補足】
 いただいた感想で誤解になると困る部分についてのコメントを。

 「他にもいろいろ、ナチスドイツのヒットラーの話とか。ユダヤ人虐殺はヒットラーからの直接の指令として書面で残っていないにも関わらず虐殺が起こったのは、その当時の世論との相乗効果で成し遂げられた、というような主旨のお話でした。」

 ここは、森達也さんの著書『こころをさなき世界のために』(洋泉社)の中で触れられていることを紹介したのですが、書面はもちろん隠滅させられているかもしれないので、絶対に指令がなかったと私が言っていると伝わると困るのですね。森さんも困るか。で、わからないけど、直接の指令がなくても・・・という話でした。ニュアンスの違いをご理解ください。

【千々石有希さんの追加】 
 文章にすることの難しさを痛感した感想MLでした。でも、今日、電話で千晶さんが言ってくれた「(感想を書く事自体が)加藤さんのいっていた、形にして伝えていくってことだよね。まずは表現しないと、、、」――ちゃんと私の意図を理解して下さっていて良かったです。

 そして、やっぱり私の心配していたとおり、誤解を招きそうな内容の感想部分がありましたが、加藤さんがわざわざ読んで下さり、お忙しい中、コメントして訂正・補足してくださり安心しました。とりあえず、解釈の誤解を恐れず、勇気を出して表現すること、って大事ですね。現にこうやって助けてくれる方々の存在に気づけて、勇気づけられるんだから。

 感想の最後の方を読んだ友人からのコメントで「今までまともな人に会ってなかったんだろうか」というくだりで、「まともな人に出逢ってきてても、それがわからなかっただけじゃないの?」と言われました。今は私自身の人に対する見方が変化したから、今まで見えなかったものの見方や感じ方ができるようになったんじゃないのか、と。

 事実、そうだと思います。ですが、感想の中で私の意図したことは、「(楽天堂さんを通じて知り合った人間関係は別として)“まともな人”=“人間的な人” というのは、私自身も含めて、私の周りにいなかったように感じる(感じた)。」という表現がより的確かと思います。私の周りにいたと感じたのは、“合理的、効率的な生き方を良いとする人々”。もしくは、現社会システムに不満を感じ、怒りと共に社会改革運動を進める人々。現実社会に辟易として精神的悟りを求めるような、“(エセも含めて)精神主義的な人”、はたまた、“ラブ&ピース”を唱えれば人類皆兄弟、世界は一つになると信じる人々等々。

 要は、自分の中に存在した価値観を体現化した人々の存在のみを私が認識していたということでしょうね。今回の“まともな人”との出会いは、私自身が“まともな人”を認識することができるようになったんだと、今改めて思います。

 そうなんでしょうね、千晶さん。よく言われますもんね、「有希さん、変わったよねぇ。」って。
 読んで下さった方々有難うございます。MLに書く事によって自分自身の内面の整理ができた。自分一人の力じゃなかなかですが、見守ってくれている、信頼できる人たちがいると思うと本当に心強い。


豆ランチパーティーの報告(10/21) 郡 佳世(こおり かよ)

 千晶さんの「怒濤の回転寿司」っていう感想、本当にそうだなって思いました。加藤さんのお話は盛りだくさんでした。しかもどんな話も深く、深刻な話もサラリと明るく話されていたのが余計に心打たれました。

 薬害エイズ訴訟の支援をされていた時、たくさんの方(患者さん)が何年もしないうちに亡くなるということを仰っていました。当事者だけれども亡くなってしまい、継続することが難しい。当事者でない人が関わることもできたはずなのに、それをしない人が多かった。その場にいた加藤さんがどのような思いでそこにいらしたのかと思うと、加藤さんのお人柄が伺えるような気がしました。

 それから舛添大臣が不正を行った自治体の役人の刑事告発と発言したことについてもとても冷静な話をされていました。彼の発言はパフォーマンスの部分が大きく、その発言は人気取りであるとおっしゃっていました。公務員の立場もとてもよくわかってらっしゃっていると(私も公務員(学校事務員)です)感じました。庶民の心情的には、横領したのだから当然告発すべきというのは分かります。でも役人としては法的な根拠のあることしか職務に正当性がない。逆に言うと私情を挟んで職務を行うとフェアでなくなるのです。そこが役人が柔軟性に欠けるとか、冷たいとか評価されることに繋がるように思います。

 加藤さんは憲法25条、憲法99条などを引いて「権利を知らない」ということを仰っていました。これもプロである公務員の私も知りませんでした。こう告白することはみなさんに甘えているとしか言えません。豆ランチパーティーでも言ったのですが役所の人間は、権利(法律)に詳しい人が窓口に来たりすると嫌がります。新しいことはなるべくしたくないとか、意識が内向き(役所内の村社会に敏感)なので、みなさんには申し訳ありませんが、一般的に新しいことを持ち込む外来の方は「厄介な人」なのです。もちろんそんな役人ばかりではないと思いますが、私もそんな傾向は無いとは言いません。

 お話を伺った後に「30秒で地球を変えちゃう新聞」というニュースペーパー(六ヶ所村ラプソディーの上映会場でも配布していました)を職員・生徒に配布してほしいと住民の方が窓口に見えました。正直に書かせていただくと、こういう方は上で書いたような「厄介な人」に当たるのですが、上司に取り次いだところ、上司も受けてくれニュースペーパーは配布される運びになりました。職務上このケースで窓口で私が考えることは・目的は何か・特定の思想信条(宗教)はないか・新聞を処理する費用のこと・職員生徒への説明責任などです。書いていると、改めて綻びだらけの組織で、綻びだらけの意識で仕事してるんだというのが迫ってきてしまいます。恥ずかしいことですが、このお客様を受け入れたことだけでも一歩進歩といえるのが私の職場です。

 大分話が飛んでしまいましたが、今回は千葉からの参加ということに甘えさせていただき、何も分かち合うものを持って行きませんでした。次回参加できる時には必ず!何か持って行きたいと思いました。というのは、みなさんのお料理をいただいていると、その味や食感でその人の人となりが分かち合われていると感じたからです。

 このような場を設けて、大事にはぐくまれてこられた高島さんに感謝の気持ちでいっぱいです。こういうことを実現されていることがとっても素敵で格好いいです!

 そうそう、私はこんな体たらくなものですから、いろいろなことを実行されている人をとても尊敬します。今回のランチパーティーの席にいらした方はみなさんそういった方ばかりでとても素晴らしいですね。まだ参加していない方にはぜひ一度行ってみてください!おすすめします。




ごみって何?  

横田美行
(よこた みゆき)



 「捨てるにはもったいないけど、実際は使わないしなあ」と、タンスや押し入れの肥やしになっているものはないですか?要らなくなったものは「ごみ」なのかなあ。何か食べるにつけ、「どうしてこんなにごみが出るんだろう」。「このプラスチックの包装、何とか少なくならないのかな」。『要らなくなったラジカセ、パソコン、修理しなくてもただで引き取ります』スピーカーから流して町を回る電化製品回収車。市の家電リサイクル法によって電化製品の回収にはお金が掛かるのに、ただで引き取るのはどういうこと?これって一体どこへ行くの?日々の暮らしの中で、様々な「ごみ」に関する疑問を持たれたことはないですか?

 こういった疑問や問題をテーマにした冊子が、『廃棄物学会』という厳めしい名前の付いた学会が発行している「C&G」です。ごみ問題を解決するのに、市民の協力なくしてあり得ないと、市民が参加し、市民の目線でごみ問題を考えています。通例の学会としては非常にユニークで先駆的な取り組みです。

 ごみは生活と切り離せないものですね。生活だけではなく、今や、ごみをめぐる問題は、経済、産業、法律、政治にまで及び、国内だけでの問題ではなくなってきました。しかし、その始まりは一人ひとりの行動ではないでしょうか。日本の消費者運動の礎を作られた野村かつ子さんの言葉に、『ものを買う、買わないというのは実は社会に対する投票であり、悪い物を買わないことは、その企業をボイコットすることであり、ノーを突きつけることで社会が良くなっていくのです。』というのがあります。つまり、市民一人ひとりが、自分で選択し、購買し、消費していくという行為は、社会に参与することであり、政治的な活動であると言われていると思います。同様に、ごみ問題も市民一人ひとりが意識し、より環境に良いものを、よりごみを減らすものを購買していくことが大事なのではないかと考えています。その為にも、学会として、ごみのスペシャリストから意見を聞き、私たち市民に何が出来るのかを一緒に考え、実践していく一つの道しるべになればという思いからこの本はできました。

 日本の食料自給率がとうとう40%を切ったとの報告があります。その一方で、毎日賞味期限切れとして、実は今や期限内でもかなり多く手つかずで廃棄されている食品たち。地球上では今も飢餓で苦しんでいる人々がいる。食べ物のありがたさをもう一度考えないではいられません。来年の3月に発行予定のC&G第12号では、そのものズバリ「食とごみ」を特集テーマとして編集作業を進めているところです。「食べるということは、いのちをいただくということ」を基本に、現在の食の状況、生産地と消費する都市との関係、食べ残しや賞味期限の問題、スーパーで売っている中食についてのレポートなどから、私たちのとるべき姿はどういったことかを考えていきたい。

 お豆さんは、考えればよくよくできた食べ物です。野菜くずは先ず出ない。身体にも良いし、滋養も高い。そして、何より保存食だから、賞味期限が来たからといって、簡単にごみバコにポイと捨てられるということがありません。一家のお台所から―豆料理を通じて世界中の人が満ち足りた食事ができるように―との楽天堂さんの願いは、私たち「C&G」制作スタッフの願いでもあります。

 ゆくゆくは楽天堂の豆ランチパーティーで、ごみのスペシャリストさんを招いて、産業廃棄物で作った鍋敷きを披露したり、ダム計画を中止させた村が作っているおからクッキーを紹介したりしたいですね。今後のコミュニケーションを発展させてゆくことを心から望んでおります。人ひとりの力は微々たるものですが、同じ思いをもった人々が集まると大きな流れになります。人と人とがつながれていくその模様は、私にはここ西陣という場所柄かもしれませんが、着物の横糸と縦糸が織りなす作品のように思われます。どうぞ、ご興味を持たれた方は、HP(ホームページ)等で「C&G」のページをご高覧いただければ嬉しい限りです。ご質問やご意見があればどんどんお知らせください。

 最後になりますが、Cは、サイクル、クリーン、シビル、コミュニケーションなどを意味し、Gはガベッジ、グリーン、ギフト、グローブなどの意味を込めた雑誌名なのです。「C&G」がごみを通して資源や生命、地球や宇宙の循環について考え、行動するためのヒントになればと思います。

 廃棄物学会ホームページ「C&G」 http://www.jswme.gr.jp/edit/cg/cg.html

廃棄物学会雑誌『C&G』



麹遊び その4 小紺 有花 (ここん ゆか)


 
 金沢の冬は「鰤(ぶり)起こし」と呼ばれる雷雨に始まる。鋭い閃光が空を走ると地鳴りのような深く暗い轟音が響き渡り、窓ガラスがビリビリと震え冷たい雨やアラレが激しく降ってくる。この北陸独特の天候は、これから鰤や蟹が美味しくなりますよという合図なのです。寒いのは嫌だけれど、豊かな食材で賑わう季節の到来に心なしかソワソワするのでした。

 もうひとつ私にとって冬の訪れを感じさせるものは、スーパーに並び出す麹の姿です。麹は主にかぶら寿司や大根寿司と呼ばれる漬け物に使われます。これらの漬け物は冬の食材を使っていますし、寒くならないと美味しく漬からないので冬限定の味覚なのです。

 かぶら寿司は塩漬けした青かぶらに塩漬けした鰤をはさみ、麹と共に漬込みます。高級な食材を使用するので、年末年始の贈答品やお正月のご馳走として古くから親しまれてきました。きめが細かく歯切れの良いかぶらと脂ののった鰤を麹の甘さが上手くまとめてとても美味しい漬け物です。

 かぶら寿司は買うにしても自分で漬込むにしてもちょっと高嶺の花なのですが、その横にいつも並んでいる大根寿司はぐっと庶民的です。大根寿司は大根と身欠きにしんを麹で漬込んだものです。かぶら寿司よりもデイリーでお手ごろな食材で作れます。しかも美味しさはかぶら寿司に引けを取りません!!

 私はむしろかぶら寿司よりも大根寿司の方が好きです。ご馳走はたまに食べるから美味しいけれど、毎日食べても飽きないのは庶民の味ですから!!自分で作ってバリボリと好きなだけ大根寿司を頬張る幸せを満喫しています。

 今回は大根寿司の作り方をご紹介します。大根寿司は富山や福井でも親しまれており、にしんの他に鯖を使ったりするそうです。個人的には魚を使わず大根のみで作る方が手軽だし、さっぱりしているので好きです。魚を扱うのが苦手な方は大根だけで漬込んでみて下さい。

 そしてもうひとつ、甘酒とクルミのお汁粉をご紹介します。寒い季節にはホッと暖まる温かい甘酒がピッタリです。クルミを加えるとぐっとリッチでクリーミーな味わいになります。かぼちゃを練り込んだ白玉団子を浮かべると彩りも良く、とても元気が沸いてきますよ。

大根寿司 大根寿司

〈大根寿司〉
【材料】
大根 1.5〜2kg、天然塩 大根の重さの4〜5%、米 1合、水 1合、麹400g、身欠きにしん 4〜5本、人参 1本、
ゆずの皮 1個分、昆布 40cm、鷹の爪 3個
【作り方】
1)大根の下漬け
大根を5〜6センチ長、1センチ厚くらいに切り、塩を振って重しをして2〜3日漬込む。
2)甘酒を作る
米を普通に炊く。炊きたてのご飯に分量の水を混ぜ(これでご飯の温度が適温に下がる)麹をほぐして混ぜ合わせて炊飯器に入れる。蓋を閉めて保温モード(温度切り替えが出来る場合は低温を選択)で2時間置いてから電源を切る。その後そのまま4時間置く。
3)身欠きにしんの下ごしらえ
身欠きにしんはさっと洗って米のとぎ汁に浸し冷蔵庫で1〜2晩置く。柔らかく戻ったら1.5センチ幅に切る。
4)本漬け
@人参、ゆずの皮、昆布を千切りにする(昆布はハサミを使うと切りやすい)。鷹の爪は中の種を取り除き小口切りにする。
A下漬けした大根の水気を切っておく。
B漬込み容器に大根を一枚づつ並べ、にしん、人参、ゆず、鷹の爪の順に重ね、甘酒をのせる。同じ順番で次々と重ねて行く。全て重ね終えたらラップで表面を覆う。
 10日〜2週間後位が食べごろ。食べる時にはしっかりと水気を切る(上がって来た水は捨てても良い)。

*注*
1)漬け物用の甘酒は固めで甘さ控えめに作ります。(甘味料としての甘酒と作り方が異なります。)
2)室温で熟成させる場合は霜が降りるほど寒くなってからにしないと、美味しく漬からない。気温が高い場合は冷蔵庫で熟成 させると良い。その場合は半分の量で作ると場所をあまり取らず保存しやすい。
3)にしんの味も美味しさを左右します。良質の物を使って下さい。
4)大根寿司は重しの加減がポイントです。漬込み材料よりもやや重めの重しでしっかりと押しましょう。
5)漬込こんだ麹(甘酒)もこの漬け物の楽しみのひとつ。美味しいので大根と一緒に食べて下さい。大根を全て食べ終えて、麹が余っても、もったいないので捨てないで下さい。新たに塩漬け野菜を混ぜると即席麹漬けになります。魚の切り身を漬けても美味しいです。
6)にしんを使わず、大根だけで作りたい場合は、材料からにしんだけを除き後はそのまま作って下さい。


甘酒とクルミの汁粉 甘酒とクルミの汁粉

〈甘酒とクルミの汁粉〉
【材料】(5〜6人分)
白玉粉 120g、白玉用の水 100cc、蒸しかぼちゃ(皮をのぞいて) 60g、くるみ 50g、汁粉用の水 200cc、甘酒150cc、豆乳 300cc、塩 小さじ1/4、(お好みで)刻んだくるみ・松の実・クコの実(水で戻す)など適量
【作り方】
1)かぼちゃ白玉を作る
白玉粉に水100ccを混ぜてこねる。固めの生地が出来たら蒸しかぼちゃをつぶし入れ良く混ぜ合わせる。ふっとうしたお湯の中に丸めて入れ、ゆで上げる。冷水にとっておく。
2)汁粉を作る
@くるみをすり鉢に入れ、すりつぶす。200ccの水を少しずつ加えながら滑らかになるまですり混ぜる。
Aくるみ液を鍋に移して豆乳、甘酒、塩を加え火にかける。鍋肌がふつふつと沸いて来たら火から降ろす。
B器によそってかぼちゃ白玉を入れ、くるみや松の実、クコの実などをトッピングする。
*注*
甘酒の量は好みで加減すると良い。



「リフォーム料理でひとやま当てて!」なんていわれても・・・その6
 
根石 佐恵子(ねいし さえこ)



  今年の秋のテーマは「鮭とサツマイモかなあ」と思い、その時々で楽しく想いをめぐらせてみました。お米つながりで、ほぼ毎年北海道から鮭を届けてもらっています。今年も、お腹にいっぱい卵のつまった鮭が届きました。早速手際よくおっとさんがさばいていろんな形の食材ができあがり、(あの醤油漬けイクラを作るときのしあわせそうな顔といったら・・・・!)ひととおり冷蔵庫、冷凍庫、冷燻器(ここんところはまってます燻製!)に無事に収まりました。

 そこで、まず作るのが〈定番鮭あらの石狩汁〉。ここで、もれなくリフォームわらしべ長者。いつものとおり、土鍋一杯につくっちゃいますが、ほんとうにおいしい!「今年もここまで旅してくれてありがとう」と感謝しながらいただきます。その時の気分で味噌味だったり、醤油味だったりします。そして、翌日は、たまねぎや、じゃがいものとろみがでてるところに豆乳を投入!キャベツやパスタを足して〈クリームシチュー〉に変身。やはり子どもたちはこちらのほうが好きみたい。最後は、さらにごはんやパスタを足して、味付けしたやまいものすおろしをかけて焼くと、いつもの”一見豪華”鮭グラタンや鮭ドリアになってにこにこ顔の口にすべりこんでいきました。

 ここでとろろに一工夫。マヨネーズ味を子どもは喜びますが、いつもマヨの力を借りるのもしゃくに障ります。そこで、同じ事じゃんと卵、オリーヴオイル、ゆず酢、醤油を混ぜてみたところ・・・マヨというか、ほんとにとろろがチーズのようでやったー!という感じでめでたし、めでたし。でした。

 そして、今年の燻製はちょっとぽろぽろタイプになっちゃたので、端っこを使って、〈鮭のミルフィーユ仕立て〉。どうしても、あのべっこう色がかったピンク色を大事にしたくて、耐熱皿に大根や玉ねぎのうすぎりと交互に塩こしょうを振りながら重ねていき最後にいつものやまいもを上にかけて、10分ほど蒸して(電子レンジなら5分くらいかな?)からオーブンで焼き目をつけました。層になったピンクと白がきれいで持ち寄りごはんのときにうけました。でもこんな手間をかけてらんないときは、残り野菜をいためて、ココット皿(ケーキ屋さんで買ったパンプキンプリンや、チョコムースがはいっていた2こずつのなんだか不揃いなセット!「重ならないから場所ばっかりとって・・!」と何度となくおっとさんの手によって”埋め立てごみ”として闇に葬り去られようとしたところから無事生還した貴重な代物と私だけが思ってる。「やっぱリユーズだよねぇ!」)に鮭と交互に重ねてやまいもかけて、後はオーブントースターで焼くだけです。スプーンですくってピンクの層をお楽しみ下さい。


鮭のミルフィーユ仕立て 鮭のミルフィーユ仕立て


 また、先日は酢飯にゆで三つ葉、炒り卵と一緒にぽろぽろ鮭をまぜこんで〈鮭ちらし〉。イクラをちょこっとトッピングすると「わ〜なんかのお祝いみたい!!」と娘が大喜びしてくれました。


鮭ちらし 鮭ちらし


 そうそうこのピンク色の食べものって食卓にやさしい色を添えてくれますよね。先日赤カブをおっとさんが買ってきて、さっそく愛媛の「緋のかぶら漬け」を真似て、ゆず酢(本当は橙酢だけど)で漬けてみました。ちょっと発色は遅かったけどけっこう紅く染まり感動していただきました。

 そこで残った汁がどう見てももったいない、ちょうど残ってたやまいもの端っこを短冊にしてつけ込み、やさしい〈ピンクの山いも〉をほおばりしあわせでした。そうしてこれから、冬にむかってまだまだ鮭との楽しいおつきあいが続きます。


ピンクの山いも ピンクの山いも


 続いてサツマイモ。先日庭の松の枝と松葉でたき火をし、焼き芋を焼いた子どもたち。その後で、本命の芋煮(火から手作りだと満足そうなおっとさんであった。)、おき火で焼いたいかでお腹いっぱいになり焼き芋は半分かじって残されちゃいました。オーブンで焼き芋を焼くと天板のあいたところがもったいなくて、ついついたくさん芋を並べちゃって余らせていた過去を反省してた私、ここでなんとかしなくてはと思いつきました。スィートポテトは手間がかかるし・・・でもつぶすしかないかなぁ〜とやってみたのがクレープポテト。炒ったクルミを混ぜ込むと香ばしくて焼かなくてもなんだか和菓子っぽくて簡単で良かったです。

 他には・・・と見回したらテーブルにはバナナと柿とパンの耳。そこから〈いもかきブルスケッタ〉〈クレープポテト〉がうまれました。どちらもさいころ状に切ってパン耳にのせてオーブンで焼いただけですが、なかなかおいしいスィーツ&スナックもどきでした。


いもかきブルスケッタ クレープポテト
いもかきブルスケッタ クレープポテト


 そのうち、そうだパンがなくてもと輪切りにしてみたらそのまんま台生地になるではありませんか。そこで、いろいろトッピング。クルミにメープルシロップ(いち押し!)、ココナッツ、バナナにオリーヴオイル(けっこういけました)、芋&芋(おろした山芋黒糖がけ)、ちくわとろろ、サーモンキャベツ、(スナックは好みが分かれた)などなど、〈いもカナッペ〉大会は楽しかった!子どもたちとあれこれ工夫するときっとおもしろいと思います。こんどからは、天板いっぱいに並べても、スライスして冷凍しておくといつでもおやつに間に合いそうです。今回は切ってそのままでしたが、ひと手間かけてオーブントースターで先に焼いてからトッピングするともっと香ばしいかもしれません。大収穫の秋の味覚でした。


いもカナッペ いもカナッペ


 大急ぎ料理の結末・・・〈わらしべドリア〉。夜は学校で役員会があるのに、冷やごはんの量は中途半端だし、ごはんを炊く時間がない。昨日からのリクエスト、春巻きが気になってる・・・だけど揚げ物はやだ。ということで、メニューは「生春巻き」になった。冷蔵庫の中をかきまぜて、4種類の具「エリンギとちくわのイタリア風」(なんてことはない、じじばばからのイタリア土産のミックスハーブと醤油で炒めただけなんだけど、なぜか気分はイタリア!)、「残りもの千切り野菜のキムチ蒸し」(これが、うまかったんだなぁ)、「春菊、コーン、鶏ミンチとろり」、「えのきだけのマヨいため」を作りました。


わらしべドリア わらしべドリア


 急いでると余計になんだかいっぱい作っちゃう私。「じゃあお母さんの分も残しといてね〜!」とダッシュで学校へ。ところが、実は役員会は翌日で、真っ暗な学校の前庭で深くため息をつき帰宅し、案の定「おかえり〜。えらい早かったね!」と言われちょっぴりおちこみました。が、気を取り直して4人で巻き巻きしたけどまだ具が余った!もれなく翌朝は全部がミックスされて偽チーズ(案外気に入ってます)のとろろ芋がかかりめでたくわらしべドリアになりました。コーンのつぶつぶが見えてますね。



新連載 大人になって出会った子どもの本 (1) クリスマス 宮島 百合(みやじま ゆり)



 クリスマスというと、皆さんは何を連想されるだろうか? サンタさん? ケーキ? プレゼント? それとも、愛、喜び、希望といった言葉だろうか。

 11月に入ると、街にはもうクリスマスイルミネーションが飾られる。「クリスチャンでもない日本人が、何でまた」と苦々しく思うこともあるひねくれ者の私も、やはりクリスマスが近づくと、子どもの頃の思い出と共に、わくわくする気持ちがよみがえってくる。

 クリスマスを題材にした子どもの本は多い。それだけで図書館がひとつできるのではと思うほどだ。私の好きな本をいくつか挙げてみると、まず、本来のクリスマス――つまりイエスの誕生を描いた本では、スイスの画家ホフマンの『クリスマスものがたり』(福音館書店)。小さな女の子セシの、初めてのクリスマスを描いた『クリスマスまであと九日』(エッツの絵がすばらしい。富山房)。和風のサンタというのが可笑しい『とのさまサンタ』(本田カヨ子・文、ながのひでこ・絵 佑学社)などなど、挙げていったらきりがない。

 これらはどれも大人になってから出会った本だが、クリスマスになると必ず読み返したくなる一冊がある。ルーマー・ゴッデン文、バーバラ・クーニー絵『クリスマス人形のねがい』(掛川恭子訳 岩波書店)。

『クリスマス人形のねがい』

 「これは、ねがいごとのお話です。それに、お人形と小さな女の子のお話でもあります。」という文から始まるこの物語。人形の名はホリー。女の子の名はアイビー。アイビーは孤児で、クリスマスだというのに誰も迎えに来てくれず、『幼子(おさなご)の家』で過ごさなくてはならなくなる。でも、アイビーは「おばあちゃんのところへ行くんだもん」と、勝手に汽車を降りてしまい、クリスマスの市でにぎわう小さな町を歩いていく。そして・・・。

 この物語を読む時、私の胸の中には「希望」という言葉がうかんでくる。ほんとうにわずかなものしか与えられていなかったアイビーが、希望=ねがいごとを捨てずにいたこと。恵まれた暮らしをしているようで、心の中に満たされない思いを抱いていた「ジョーンズさんのおくさん」(このおくさんに、ゴッデンが名前を与えなかったのがなんとも残念だ)も、自分の「ねがいごと」を大切にして行動したこと。そしてもちろん、ホリー。人形にできたひとつのこと、「ねがいごと」が、物語の最後には、全てのピースがカチッと音をたててはまったかのような、幸せな結末を導き出してくれる。

 クーニーの絵がすばらしい。雪の日のキーンとした冷たさや、暖炉の火の暖かさ。この絵のおかげで、愛すべきアイビーも、愛らしいホリーも、他の人々もみな、私の心の中に生き生きと息づいている。

 この物語を、大切な人と分かち合ってほしいと思う。ひとりで読むよりも、ずっと深い感動があるだろう。(子どもたちにも読んでほしい。ただし、音読したら1時間はかかるのでそのつもりで。)私は大人になってから読んだせいか、子どもがいなくて淋しい思いをしていたジョーンズおくさんに1番共感する。

 アイビーを前におくさんが涙するところでは、こちらも泣きそうになる。もし私が子どもの時に読んだら、アイビーの方に共感するのだろうか?

 この世界には、残酷な現実や無情な仕打ちがたくさんある。アイビーをばかにするバーナバスや、ホリーを苦しめるアブラカダブラのような。でも、この(このような)物語を読む時、どのような逆境にも希望はあり、「ねがいごと」には力があるのだ、という思いに心が満たされ、私たちのほおに笑顔が戻ってくる。それこそが、クリスマスのもつ力なのだろう。みなさんにも、幸せなクリスマスが訪れますように!



投稿 六ヶ所から感じたこと (上) 高野 潔樹(たかの きよき)



 9月22日の夜行で京都を立ち、23日〜26日の昼くらいまで青森県六ヶ所村の〈花とハーブの里〉(TEL&FAX 0175-74-2522)の菊川恵子さんの所にお世話になりました。夜行列車は日本海から弘前、青森へと至るルートで、帰りは八戸から東京へのルートで帰りました。広がる田園、雑木林、小川の流れ、緑の山々の東北地方と見渡す限りの住宅地帯の関東の景色の違いは面白かった。

 菊川さんの所は、援農すれば1泊食事付きで1500円〜2000円で泊まれることや、六ヶ所村ラプソディーの影響からか、段々と訪問客が増えてきているそうです。

 主な作業は、チューリップの球根植えと、小豆の収穫と、牛小屋のテラスの解体の手伝いをさせてもらいました。チューリップの畑の土はとてもふかふかで今までに触れたことのない土の感覚でした。2日目の午後に車で村内をざっと案内してもらいました。核然施設のPRセンターと泊漁港の集落には車を止めて、しばらく見学させてもらいました。

 広大なごぼう畑、長芋畑、トウモロコシ畑、牧草地は、さすが日本屈指の農業地であるなと感じ、クマザサ、ススキの群生地帯や、松林、海と淡水の自然の恵みがとれる沼や晩のおかずを釣に来る人もいる場所などもあり、まさに自然豊かな所であるなと感じました。泊の漁港で、干してあるイカや、昆布を干すおばあちゃんを見た時、自然の恵みをいただいているという感覚を本当に得るには、こういう体験がいるだろうなと感じました。さらに原然のもたらした温泉、研究所、従業員寮、マンション、公共施設等も見ることができました。

 そんななかでも一番印象に残ったのは、再処理工場と日本一の風力発電所が併設されていて、それを一望できたことでした。地域の個性を活かした風車群と、外部からやってきた富と雇用と破壊をもたらす施設群。時間の一点で見たら富と雇用をもたらすが、長い目で見たら破壊以外の何ものでもない。何のためにあるかといえば、電気を産み出す施設のない都市のため。富と雇用を求める人々のため。単純な善意では判断しかねるが、自分の血となり肉となり骨となり心となっているものは何なのか?を、見つめれば答えは出る。

 近くの土地の自然の恵みを食し、いただき、生かされてきた御先祖。米、野菜、魚、肉を食べている我々、そのいのちはどこからきているのか?電気ができたのはつい最近、食の歴史は人類の歴史。電気の恩恵ははかりしれないが、自然の恵みには及ばない。

 地球温暖化防止、再処理工場阻止と声をあげるのはもちろん大切なこと。ただ自分自身の姿を見つめることをおろそかにしてはいけない。枝葉を見て、根を見つめなおす。枯れた枝葉は腐った根から。今ある現象を全て世界の全ての分野のあらゆる人間が己に還す。政治家、事業者、労働者、市民・・・。

 我々は市民という消費者から逃れられない。消費するものとして、そこに感謝の心がなくなれば、欲望の虜になる。今日の様々な問題から感じられるのは、足るを知る心を忘れ、ありがたい、もったいないと感じる心を手放し、失ってきた我々自身の姿ではないか?自然に還すことのできないゴミの問題を人のせいにだけして自分自身を見ることを忘れてはいけない。

 自分が変わらなければ人は変わりっこない。人を変えようとするやり方は行政や、事業者の買収のやり方に近いものがある。変えようとする心自体は悪くはないが、自分が変わった結果、そのエネルギーが相手に伝わって相手も変わるというのが筋だと思う。

 菊川さんも長年反対運動を続けながら、それだけでなく、その地域にあるものを活かし、核燃事業に頼らない生活の実践を心に、花とハーブの里を始められた。最近では、カフェ併設、植林事業、エコヴィレッジ構想等がこれから展開されようとしていて、その実践がますます活発化してきている。内外様々な人々との交流を通じて六ヶ所を活性化させ、自分達で立ち上がっていこうと努力されている。長年の反対運動の中でも村民の結束は分断され、村の財政も8割が核燃事業によりもたらされている六ヶ所で、新たな風が吹こうとしている。

 反対の声をあげ続けるのは絶対必要だと思う。それに加えて、自らも変わっていこうとする姿勢が求められているのだと思う。暑い寒いといってはエアコンをつけ、のどが乾いたといってはジュースを買い、腹が減ったといってはコンビニのパンを買うというような習慣もそろそろ見つめなおす時期ではないだろうか? その行為自体は悪くないが、その中に感謝の心を持ち、節度を持って接していかないと、金を出せば何でも買えて、ゴミにして出せばそれでおしまいという構造は変わらない。そういう接し方がどのような形で自分に還ってくるかはわからないし、考えもしない。そんな心のあり方が極端に危険な現象として現れたのが六ヶ所の問題であると思う。根っこはまだまだありそうだが・・・。

 原発に限らず、薬品公害、食品公害(添加物)、合成洗剤、農薬、化学肥料、自然に還すことのできないゴミの問題等、いのち、くらし、自然の破壊につながるありとあらゆる問題にどう主体的に向き合うのか?六ヶ所のことは極端すぎて目につきやすいが、どれも根っこはつながっている。

 ひとつひとつ意識的に見つめなおさないとこの社会の病は治らない。まずは一人一人、自分自身の根をしっかりさせてやらないと病気は治らない。この社会の根は一人一人の人間なのだから。枝葉を追っかけているだけではいつまでたっても、どうどうめぐり。行ったり来たり。同じようなことが繰り返される。逆にこんな中でも楽しんでやれたらもの凄いことが起こると思う。

 戦争を体験した祖父母の世代、戦後の父母の世代、その父母に育てられた自分の世代、それぞれに凄い時代だと思うが、今まさにあらゆるものが臨界点に近づいていると思う。今、生きている自分達が踏んばらなければ、全てが幻になってしまうのではないか?自分は無力だと嘆く人は多いみたいだが、これだけやることが満載なのだから、もうやれることを片端からやっていくしかない。ひとりひとりの存在がこれほど重要な時代も珍しいのではないか?

 わずか数日間ですが六ヶ所の自然に触れ、自分自身を見つめなおすことで、自分の身の回りにあるものがいったいどこからどのように来ているのか?ということを考えることの重要さを感じることができました。

 自分とは何か?ということを考えると、家族、食物はもちろん、電気、ガス、水、衣服、家、空気、友人、社会、学校、行政、国、世界、全てがつながっていて無関係なものなどないと思うようになりました。だからこそ、もう一度その関係を見つめなおして修正すべき所を修正していかなければならない時期にきているのかなと感じています。

 電気に関していえば、関西地方は52%が若狭の原発から送られていて、残りは火力25%、水力12%(その他1%?)となっています。全てとはいえないが、我々の使わせてもらっている電気は若狭の原発から送られています。そしてその使用済み核燃料は六ヶ所に送られ、このように日本全国の使用済み燃料が六ヶ所に集められます。その中から再び燃やせるウランを取り出し、プルトニウムも抽出します。その行程の中でクリプトン、トリチウム、炭素という放射性物質は何の処置もなされずに全量放出することを、行政、事業者も認めています。

 原発を持つ町の人々や、六ヶ所の人々は常に危険を感じながら生活をしています。我々は、近くに核燃施設がないため鈍感になっていますが、地震や臨海事故が起きた時の被害は想像もつきません。ひとたび事故が起きれば、日本中に核の脅威が広がってゆきます。また事故が起きなくとも食を通して、汚染されたものから核の被爆を受けます。核、原子力、核兵器なども我々の生活と密接につながっていて、我々の生活の中に核があります。核の脅威は我々の現実の目の前にある問題なのです。

 再処理工場を稼働させるということはこれからも原子力産業を続けていくということ。インドネシアをはじめアジアにも原発が輸出されようとしています。日本が英仏に使用済み燃料を送ったように世界各国から送られてくるかもしれません。そのうちその現地に再処理工場も建設されたらそれこそ核拡散につながりうる重要な問題であると思います。そしてその構造を支えているのが、我々の生活であったり、意識であったり、無知であったり・・・。みなさんはどのようにお考えでしょうか?(10月27日記 以下次号)



焙煎したて、フェアトレードのコーヒー豆はいかが?
珈琲工房 まめ福  緒方 綾こ
(おがた あやこ)



豆福 豆福コーヒー

 珈琲工房まめ福は、フェアートレードの珈琲豆を自分たちの手で焙煎し販売しているワーカーズコレクティブです。素人の主婦が立ち上げて、ようやく1年が過ぎました。

 以前の私は珈琲に対してあまり知識も無く、私自身は専らスーパーのワゴンセール500g498円を飲んでいました。賢い主婦としては、まだ前に買ったのを消費し終わってなくても、安いのを見つけるや否や買い置きしていました。そんなだから、珈琲の味などにさしてこだわりもありませんでした。沢山飲みたいので某珈琲店のグランデも良く愛飲していました。

 いつだったかNHKの「ためしてガッテン」で珈琲のことが取り上げられていていました。ペーパードリップで入れる珈琲では、最初に蒸らしの為のお湯を注ぐ時、「こんもり」盛り上がるのがいいと言っていました。その後、大阪にあるカルチャーセンターの珈琲グルメ入門講座に参加しました。蒸らしの時の「こんもり」は、焙煎しておよそ2週間位で挽き立てである事が条件と知りました。最近、缶コーヒーのCMでも「挽き立て」と言って販売しているものがあります。私自身、試飲会などの時もなるべく挽いてから時間の経ってないものを使う様に心がけています。

 さて今回、楽天堂さんで私たちの珈琲を扱ってもらえる事になりました。出荷間際に焙煎したものを楽天堂さんに送り、定期的に送られるお豆と共に豆料理クラブの会員さん(私も会員です!)のお手元にお届けしたいと思っています。しかし、先ほど申し上げたように、挽き立ての珈琲を味わって頂くためには、まめ福で挽いたのをお送りすると、時間が経ちすぎてしまうのかなと思っています。おいしい珈琲のためには、是非ミルを手に入れて頂き、珈琲を淹れる作業の一貫としてミル挽きすることをお勧めします。面倒だけれどミル挽きのときに出てくる香り(フレグランス)と、ドリップ抽出のときに出てくる香り(アロマ)、飲んだときに感じる香り(フレーバー)を存分に味わってもらえると思います。珈琲ブレイクがより贅沢な時間になるのではないかと思います。

 ここまで書いて気づいたのは、珈琲豆の流通はよりシンプルなのが良いのだなぁという事ですね。自家焙煎店の100gの珈琲豆の値段を見ると「えっー」と財布の紐を思わず締めてしまっていましたが、折角の香りが飛んでしまったものを安く買って、しかも自宅で熟成(水屋の肥し)させていたなんて!そのほうが"もったいない"です。

 又、古い珈琲は、珈琲の中に含まれる油分が酸化し体に良くありません。まめ福スタッフにデリケートな人がいて、古い珈琲を飲むと途端に反応しています。焙煎し立ての新鮮な珈琲は、最近では健康効果も伝えられるようになりました。新鮮なまめ福の珈琲を鮮度の落ちない内にお楽しみ頂けたらと思います。
 ところで販売する珈琲ですが、まめ福は東ティモールの珈琲をメインに扱っていましたが、情勢不安や裏作などの影響で今年は十分な珈琲が確保出来ませんでした。当面、楽天堂さんで扱って頂く珈琲は、ペルーとキリマンジャロにさせて頂きます。どちらもフェアートレードの珈琲豆で、ペルーにはオーガニックの認証が付いています(まめ福では認証ラベル代が捻出できないので無印販売)。

 どちらも200g800円で、ご希望により粉に挽いたものもお送りできます。楽天堂さんの発送日の5日前(土日を除いた)までに楽天堂さんまでご注文ください。よろしくお願いします。



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