第39号2007/09/01



みなさまのおかげで豆料理クラブは5周年を迎えました
  

高島 千晶
(たかしま ちあき)



■豆と野菜でおいしいものが作れるという意見に一票入れて下さった皆さま、ありがとうございます。お豆たちも野菜たちも喜んでいます。おいしい豆料理のレシピを改良するのに貢献して下さった方々、ありがとうございます。会員の方から教わるところの多い5年でした。レパートリーを増やすのに貢献して下さった方、ありがとうございます。おかげで、あり合わせの野菜でなにかしらおいしいものを作れる自信がついてきました。

■おいしい豆、おいしい小麦、おいしいお米、おいしい大麦、おいしいひじき、いろんなおいしい物を私たちのために作ってくださっている農家の皆さま、漁協の皆さま、ありがとうございます。それらの生産物を1年を通じて買い支えてくださっている会員の方にも感謝します。わたしたちのネットワークは、かなりうまくお互いを支えています。また、大きな店も駐車場も倉庫もないそんな楽天堂が商売を続けてこられているのは、むだな在庫を持たずにすむ会員制のおかげです。このシステムに賛同して一票を入れて下さった皆さまに、ほんとうに感謝いたします。5年前27人からスタートし、この間のべ千人以上の方に1年間のコースをご利用いただきました。

■豆料理キットや豆、スパイスなどの販売に協力してくれる豆パートナーや豆ショップもずいぶんと増えました。現在豆パートナーは6名、豆ショップは全国に約40店舗あります。おかげさまで日本のいたるところで豆料理普及計画はすすんでいます。

■今、わたしは、食べものの背景にある命の営みについて、調べていこうと思っています。その命の営みが次世代に引き継がれるよう守って下さっているのは、生産者。生産者の仕事の重みを食べる人にていねいに伝えていくのが、わたしたちの仕事だと思うようになりました。コップ1杯の牛乳、1カップのゆでた豆、、それらは100円であって100円以上のものです。牛乳をわたしたちが飲むためには、子牛を母牛から引き離されなくてはならない。子牛は大豆からできたミルクを飲まされます。そのおかげで、わたしたちは牛乳を飲むことができる。また、大豆は、根に着いた根粒に根粒菌を住まわせ、その根粒菌の働きによって畑に天然の窒素肥料をもたらしながら成長する。食べものには、それぞれ固有の値うちがあります。100円という経済的な価値でははかれない「ぜいたくさ」があります。わたしたちが食べものとしていただくのは、そのようにぜいたくなもの。

■世界中で収穫される穀物をちゃんと分配すれば、世界の人口をじゅうぶん養うことができると聞きます。科学技術が進歩するにしたがって経済格差がどんどん広がってしまいました。この問題を解決するのは子どもたち、孫たちの世代。せめてわたしたちは考える糸口くらいは提供したいと思います。

■みなさん、これからもよろしくお願いします。楽天堂は小さい小さいお店です。でも未来に希望が持てるような商売のあり方を実験しています。どうぞご支援下さい。



豆ランチパーティー 夏(6〜8月)



六畳の部屋はひとの国―尹東柱の詩を読む (7/10) 山上 公実(やまがみ ひろみ)

豆ランチパーティー 7/10

 今日、京都聖三一教会 井田泉牧師を囲む豆ランチパーティーに参加させていただいた山上です。まずはじめに、主催してくださった楽天堂さん、そして井田泉先生ありがとうございました。

 今回のテーマは「六畳の部屋はひとの国--尹東柱(ユン・ドンジュ)の詩を読む」ということで、井田牧師が尹東柱の生涯と彼が生きた時代背景、そして詩のいくつかをハングルと日本語で紹介して下さいました。

 尹東柱(以下東柱)と彼の詩に関しては、以前このメーリングリストで千晶さんやはるかさんが紹介して下さっていましたが、今回頂いたレジュメとお話をもとにもう一度以下にまとめたいと思います。

1917年12月30日、独立運動とキリスト教精神の地である 北間島・明東(プッカンド・ミョンドン)に誕生 幼児洗礼 を受ける(長老教会)
1932年 龍井(ヨンジョン)の恩真(ウンジン)中学校に 入学。このとき詩を書き始める1942年 日本渡航のため 「平沼東柱(ひらぬまとうちゅう)」と改名した名前を届け出 る日本に渡る。立教大学文学部英文科に入学、同志社  大学文学部英文科に転入
1943年7月14日 京都下鴨警察署(特高)に逮捕される
1944年3月31日 京都地方裁判所で懲役2年の判決を受 ける(治安維持法違反)福岡刑務所に収監される
1945年2月16日 午前3時36分 福岡刑務所北三舎2階 独房で絶命(解放6ヵ月を前にして) 

 東柱は朝鮮半島の歴史、言葉、文化が奪われ失われていく状況に対して民族の独立を願い、数々の詩を残しました。しかし日本の植民地下にあった当時、ハングルで詩を書くこと自体が犯罪だったため、投獄され絶命します。獄中では数々の拷問、虐待を受け、人体実験もされたであろう(注射をくりかえし打たれ、計算能力がどれほど衰えていくかを確かめるなど)と言われています。死の間際で大きな声で叫んだそうですが、監視員は彼が何を言っているのかは分らなかったそうです。

 「たやすく書かれた詩」という詩は東柱が立教大学時代に書いた詩だそうです。日本という、それも祖国を支配している国の六畳の部屋で一人この詩を書き、異国の独房で激しく叫び亡くなっていった東柱を想像し、胸がつかえました。

 今年は尹東柱生誕90年で、また第三次日韓協約100年でもあるそうです。井田牧師は1907年の大韓帝国高宗(コジョン)王の強制退位に遡り、朝鮮半島の歴史について説明して下さいました。1907年の王の退位により、約五百年続いた李氏朝鮮は崩壊するのですが、この背景には日本帝国支配下にあった韓国が極秘でオランダのハーグで支配の不当性を訴えたことがきっかけだそうです。日本政府はその事実を聞き、王を強制退位させ、表向きには「王が自発的に退位した」と発表。韓国政府は有名無実化されました。

 支配下にあった朝鮮半島では朝鮮語の使用は絶対禁止で、朝鮮語を話すと首から「私は朝鮮語を話しました」という札を下げなければなりませんでした。朝鮮半島でキリスト教が普及し始めたのは日本支配下にあった時で、当時みんなが集まれる場所といえば、学校・市・キリスト教会の3つであったそうです。しかし1000の日本式神社が建てられ(一つの村に一つの神社が建てられた)、200の教会はつぶされ、50人もの信徒が獄死しました。皇民化政策により国の文化は根こそぎにされるという中で、東柱は朝鮮の文化、文学を守らねばならないという使命感のもと、日本に渡ってきたのです。

 東柱の詩「序詩」の中に「風」という言葉が二回出てきます。それを井田牧師は、当時の日本の支配という時代の風(闇の風)と、「しんでゆくものすべてのものを愛」させる風(光の風)というふうに説明して下さいました。東柱という人の信念がこの詩に表れていると思います。(詩の一行目にハングル語で「ハヌル」という言葉が出てきます。「空」または「天」と訳されますが井田牧師はそれを「天」と訳しておられます。)日本に来る4ヶ月前の作で、この詩を書いた3年3ヶ月後に東柱は亡くなっています。


    序詩              
                      井田泉訳

 死ぬ日まで天を仰ぎ
 一点の恥なきことを
 木の葉に起こる風にも
 わたしは苦しんだ。
 星をうたう心で
 すべての死んでゆくものを愛さなければ
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。
 今宵も 星が風に吹きさらされる。
                     (1941.11.20)


 東柱は自分の書いた詩の通りに死んでいった、といくつかの作品を読んでくださった井田牧師はおっしゃいました。

 私は東柱のことを2年ほど前に京都新聞で取り上げられていたのがきっかけで知ったのですが、彼の詩を知ったのは今回が初めてでした。私よりも若い彼が混乱の時代に抱いていた気持や祖国への思いは計り知れません。東柱が自分の家から自転車で20分ほどの距離のところで暮らしていたということも感慨深いです。今度彼が下宿していたという京都市左京区田中高原町に行ってみようかと思います。 

 今回は参加者の方が詩の朗読や歌を披露してくださいました。はるかさんがこのメーリングリストで紹介されていた、野宿生活をする橘安純(たちばな・やすずみ)さんも参加され、自作の詩集『人間の臭い』(自費出版 500円)の中からいくつか詩を朗読されました。とても印象的でした。(橘さんの連絡先:tatibana8@msn.com)

(千晶より補足)
 昨日、山上さんが自己紹介の時、リコーダーでアリランを演奏しました。アリランにはこんな思い出があるそうです。福祉施設をボランティアで訪問していた時、お年よりが唱歌や童謡を楽しく歌っていたとき、一人ぽつねんと輪に入れずぼーっとされていたお年寄りがあったので、どうしたのかと山上さんがそばの人に聞くと、在日韓国人の人で日本の唱歌も童謡も知らないのだということがわかったそうです。山上さんは韓国の童謡を歌えないのだけれども、アリランのメロディーなら演奏できると思い、リコーダーで吹いたそうです、繰り返し。そしたらぼーっとしていたおばあさんが立ち上がって拍手をして喜ばれたのだそうです。

 山上さんがリコーダーを吹いている間中、尹東柱のこと、そのおばあさんのこと、わたしが今までお会いしたことのある在日の人たちのことが重なって、涙がいっぱいでてきました。参加者みんなも、アリランの美しい演奏に心が和んだと思います。

 井田先生も韓国の歴史について昨日はあまり話す時間がなかったけれど、別の企画を立てましょうとも言ってくださいました。

 橘さんから短い時間の中で、釜ヶ崎のホームレスのこと、いろいろお聞きしました。それについてはまた書きます。

 昨日は、定年退職をして年金生活をしていらっしゃると思われる男性の参加者もありました。「マラソンと尹東柱」という話を川柳の仲間うちで話したことがあること、それから神戸の大学の研究会で「尹東柱とマラソン」というテーマで話したことがあることを、自己紹介の時に言われたのが何だかおかしくて、味のある方でした。

 井田先生の奥さんの涼子さんとその方が同年代で、おふたりとも農村で育ったので、農作業を手伝わされてたいへんだったことを話してもりあがる場面があり、図らずも若い高野さん(農業志望)をちょっとおじけさせ、それから励ましたのも面白かったです。

 神戸から来た村上さんのお話もとてもよかった。去年の教育基本法の改正の時に、姉妹でこれは問題だと思いはじめて政治的な問題に関わったこと、姉妹二人でやっているお店で店として打ちだすか迷ったこと、おいしいものを食べたいと思って来られるお客さんにいきなりアピールするのは重たすぎるとためらわれたこと、でも、身近な関係から大事に伝えていこうと思ったこと、後でお聞きしたように一品持ちよりご飯の会を始めること、、、どれもがいきいきした話でした。実際、去年お会いした時よりのびのびされていて、たった1年できっといろんなことがあったのだなあと思いました。



麹遊び  その3 小紺 有花 (ここん ゆか)


 
 麹の事は麹のプロに話を聞くのが一番だろうと思い、いつも行きつけの麹屋のご主人に麹の使い方について聞いてみました。いつもは物静かそうなご主人なのですが、麹の話となるととてもおしゃべりになり嬉しそうに話をしてくれました。「古代米で麹を作ってくれと頼まれて作った事があるが難しくてひどい仕事だった」とか「どぶろくを使ってパンを作る人もいるらしい」などなど。。。そこでふと、「どぶろく。。。」その何となくあやしくも危険な響きのする言葉に私は惹かれました。

 どぶろくを造るなんて密造行為じゃん。でも知り合いが自家製どぶろくを呑ませてくれた事があったっけ。どぶろくなんてそんなに簡単に出来るものだろうか?昔ならではの酒饅頭ってもしかしてどぶろくで膨らましていたのかな?。。。。色んな思いが駆け巡りました。

 じゃあ、いっちょどぶろくでも造ってみるか!早速造り方を調べてみると、あっけないほど簡単ではないですか!!レシピにはいくつかバリエーションがあるものの、一番シンプルで基本的なレシピは堅く炊いた御飯、米麹、水、イーストを混ぜ合わせるだけなのです。どれどれ。。。とテキトーに瓶に仕込んで半日経っておそるおそる中をのぞいてみると、シュワシュワと泡を立てながら活発に発酵している!微生物が躍動している!とてもダイナミックな麹の発酵力を目の当たりにして思わず興奮してしまいました。試しに一口味見をすると、しっかりとアルコールも含まれている!いとも簡単にアルコールが出来上がった事に気を良くし、「どぶろく造りって面白〜〜い♪」とすっかり夢中になってしまいました。

 さてさて、出来上がったどぶろくをどうやって消費して行こう。酵母が生きているので、毎日ぐいのみ一杯程度ならこのうえない健康飲料となるでしょう。そのままでは飲みにくいという方は、お好みのフルーツと共にミキサーでシェイクして「どぶろくスムージーカクテル」なんていかがですか?正に大人な麹遊びを満喫出来る事請け合いです。もちろんパンやお饅頭も作れます。それでも残ったら料理酒として使ってみて下さい。普通のお酒を使うよりもまろやかなコクが出るように思います。

注*どぶろくは酒税法により許可なく造る事を禁止されていますので、ご注意下さいね。(ご家庭で少量造ってひっそりと楽しまれる範囲なら大丈夫だと思いますので。。。)

 今回ご紹介するレシピは「どぶろく」とどぶろくを使った「酒饅頭」、そしてクリーミーな「甘酒アイス」です。

 どぶろくの発酵力は結構強くて、饅頭の生地がとても元気に膨らみます。中にはドライフルーツだけで甘みを出したあんこをたっぷりと詰め込みましょう。蒸したてをほおばれば、もちもちしていてお酒の甘い香りが口いっぱいに広がります。甘酒アイスはココナッツミルクとアーモンドプードルを使い、スパイスも効かせてリッチな味わいに仕上げました。近所のおばさんが子供たちに摘ませてくれたブラックベリーで作ったソースをかけると目にも鮮やかな美しいデザートが出来上がりました。滑らかな舌触りはジェラードのようで、ブラックベリーソースの甘酸っぱさとの相性も抜群です。美味しすぎて食べる手が止まりませんでした。どうぞお試し下さい♪

〈どぶろく〉
【材料】
米 3合、水 1リットル、米麹 250g、ドライイースト(パン用のドライ酵母) 大さじ1、3リットルの広口の蓋付き容器(漬け物用のカメなど)
【作り方】
1)炊飯器で米3合を2合の水加減(分量外)で炊く。この時、大さじ一杯くらいの日本酒を入れておくと米が芯まで炊ける。
2)米が炊きあがったら、そこへ水1リットルを注ぐ。これで水温が人肌くらいになる。
3)Aに米麹、ドライイーストを入れて混ぜる。よく混ざったら、容器に移してフタをして室温で置く。二酸化炭素が発生するのでフタはかるくしておく。
4)半日くらいたつとフツフツと発酵が始まる。1日に一、二度かるく混ぜる。
5)3〜5日くらい経ったら出来上がり。日が経つにつれ辛口になる。ミキサーにかけて米や麹ごと飲んでもいいし、ザルやネットでこしてもいい。搾りかすは捨てずにパンや饅頭の酵母として使える。
6)ペットボトル等に入れ替えて冷蔵庫で保存する。発酵が進んでいるので二酸化炭素が充満して蓋がはじける場合があるので、炭酸飲料用のペットボトルを使うか瓶の蓋は緩めに締めておくようにする。冷蔵保存で2週間ほどもつ。


どぶろく&甘酒アイスクリーム どぶろく&甘酒アイスクリーム

*注*
1)水は美味しい天然水が好ましいが、浄水器の水や水道水でも構わない。しかし、アルカリイオン水は絶対に使わない事。イーストはアルカリに弱い為、上手く繁殖出来なくなる。
2)搾った後そのままでも飲めるが、ペットボトルに入れてしっかりフタをして3時間ほど寝かせるとシャンパンのように微炭酸のどぶろくになって美味しい。
3)一般的なドライイーストは発酵力が強く使いやすいが、安価なイーストを使ったどぶろくは頭痛が起きるらしいので、パン用の天然ドライ酵母やワイン用のイーストを使う方が良い。
4)一度に全量造るのが多い場合は半量でも大丈夫。
5)気候気温によって発酵の進み具合や仕上がりの味は変化する。


〈酒饅頭〉
【材料】
無漂泊強力粉 200g、どぶろく 50g、水 60g、塩 3g、菜種油 8g、あんこ 適量
【作り方】
1)材料全てボールに入れて混ぜ合わせ、だいたいまとまったら台に取り出し、10〜15分ほどこねてなめらかな生地にする。
2)しっかりこねたら丸めてボールに入れ、ラップをかけて室温で5〜6時間寝かせて約1.5倍に膨らます。(気温によって時間は異なる)
3)膨らんだ生地を台に取り出して軽く手で押さえてガス抜きをする。(生地がくっつきやすい時は軽く打ち粉をする)
4)生地を8〜10等分して丸めて台に並べてラップを軽くかけて5〜10分休ませる。(ベンチタイム)
5)生地を手で軽く押しつぶしてから、指を使って丸く広げる。丸めたあんこを生地の真ん中に乗せ、指でひだを寄せるようにしてあんこを包み込んでゆく。
6)クッキングシートを5センチ角くらいに切ったものの上に丸めた饅頭を乗せてラップをかるくかけて30〜40分ほど休ませる。
7)よく蒸気の上がった蒸し器に饅頭を並べて強火で15分ほど蒸し上げる。(蒸し器のふたの内側には布巾をかける)

*注*
あんこを詰めずに生地だけを丸めて蒸しパンにしても美味しい。


酒まんじゅう 酒まんじゅう

〈ドライフルーツあんこ〉
【材料】
小豆 1合、レーズン 1合、干しイチジク 40g、クコの実 10g、くるみ 10g、松の実 20g、天然塩 小さじ1/2
【作り方】
1)小豆はたっぷりの水に浸してもどしておく。戻した小豆を鍋に入れ、かぶるくらいに水を注いで火にかけて柔らかくなるまでゆでる。
2)レーズン、干しイチジク、クルミは細かく刻んでおく。
3)小豆が柔らかくなっら木ベラ等でかき混ぜながら水分を煮詰めて行く。木ベラで1本線を引いた時に鍋肌が一瞬見えるくらいまで煮詰まったら火を止めて、レーズン、干しイチジク、クコの実、くるみ、松の実を加えてよく混ぜあわせる。ドライフルーツが水分を吸うので、煮詰め加減は普通のあんこよりもゆるめにすると丁度良くなる。
4)バットに広げて冷ましておく。

*注*
ドライフルーツを入れてから長く煮込むとドライフルーツがふやけ過ぎて味が抜けて美味しくなくなるので、必ず火をとめる直前か直後に混ぜ込む事。


〈甘酒アイスクリーム〉
【材料】
ココナツミルク 200g、甘酒 200g、アーモンドプードル 30g、カルダモンホール 2粒、生姜のスライス 2〜3枚、天然塩 ひとつまみ
【作り方】
1)カルダモンはサヤから種を出しておく。(サヤも種も両方使う)
2)甘酒以外の材料を全て鍋に入れ、中火にかける。
3)鍋肌がふつふつと沸いて来たら火を止めて、蓋をして蒸らす。冷めたらザルでこす。
4)Bと甘酒をフードプロセッサーかミキサーにかけて良く撹拌する。
5)バットに流し入れ冷凍庫で凍らす。
6)凍ったらバットから取り出して賽の目に切ってフードプロセッサーにかけて滑らかなクリーム状にする。

*注*
1)さいの目に切っただけでも美味しいアイスキャンディーとして楽しめる。
2)甘酒の量は好みで加減しても良い。



「リフォーム料理でひとやま当てて!」なんていわれても・・・その5
 
根石 佐恵子(ねいし さえこ)



〈リフォーム料理 わらしべ長者の巻〉
 今年の夏はカレーとそうめん!とテーマを決めていました。が、確かにそうめん(我が家は毎年名古屋から届く「スズガミネ」という冷や麦ですが・・・)はよく登場しいろいろバリエーションも出てきましたが、カレーはあまり作りませんでした。なんでだろう?そんな中、貴重なカレー作品を二品!「もやしカレーとオクラカレー」


もやしカレーとオクラカレー もやしカレーとオクラカレー


 カレーが残ったお鍋に、しゃきっとゆでたもやしをざばっと入れて混ぜるだけ。あとは、醤油をたらりとかけてできあがり!あつあつもおいしいけど油脂の少ないカレーなら冷蔵庫で冷やしたほうが断然おいしかったです。オクラも一緒、ゆでて混ぜるだけですが、オクラは切ったりせず一本そのまま混ぜて、ぼりぼり食べるのが一番おいしいと思います。こんなんなんてことないのですが、「あーおいし!」と思ったのでご紹介。

「オニトマスパもどき」

オニトマスパゲッティ オニトマスパゲッティ


 先日、李政美さんのコンサートの打ち上げで、オニオンスライスとトマトスライスが、たっぷり余ってしまっていました。誰もひきとらないので私と共に帰宅。その日は疲れ果てていたので、翌日冷蔵庫から出すとドレッシングもかかっていたため結構くたっとなってしまっていました。さっそくそのままとろみが出るまで炒めて、ついでに一緒に残り物のお揚げの焼き浸しを刻んでまぜて、カレー粉と醤油で、ちょっと濃いめに味付けをしました。すぐに使い道がなかったのでいつかの出番を待って冷凍庫へ。そして先日はらぺこ家族が私の帰りを待ちかねて「スパゲッティが食べたい!」などとのたまう。そこで活躍するのが、そう”オニトマソース”冷や麦をゆでている間にボールの水で解凍し、ゆであがった麺にじゃばっとかけて、さっとゆでたモロヘイヤをのっけてできあがり!お揚げの歯ごたえとカレーのぴりっと味で、「オニトマスパゲッティ(?)」は、瞬く間にみんなのお腹に消えていきました。よかった!!あまり、冷凍はしない質なのですが、この時ばかりは冷凍オニトマに感謝でした。そして、そうめん。

 「チャンプルー」にするなら、玉ねぎ、ゴーヤ、かつおぶし。くらいのシンプルなのがいいです。味付けはそうめんのつゆが残っていればそれを、あとは塩こしょうがおいしい。炒めすぎないことがポイントですね。そして、よく登場したのが、「サラダ」です。豆料理のハーブコースの「ダブリ」がめちゃおいしかったので、さっそくクスクスの代わりに冷や麦を刻んで混ぜたらこれまたおいしかった!ひよこ豆はいつでも思いついたらゆでておこうと心に誓った!

 その後、残った冷や麦は、長いまま使われると”サラダ風パスタ”になって堂々メインディッシュに。短くされてしまうと混ぜ込まれて、”パスタサラダ”になっちゃう!冷や麦はくたくた加減と残った量でその運命は決まってしまうのでした。そして今年の傑作「ネバーネバーギブアップサマー」

ネバーネバーギブアップサマー ネバーネバーギブアップサマー



 今年は本当によくオクラをいただきました。このねばねばのおかげでめちゃハードだった今年の夏を乗り越えられたのかも知れません。そこでこのネーミング。オクラ、モロヘイヤ、納豆、おまけにえのきだけ(その時あるもので)、に夏の薬味三種混合(しょうが、みょうが、大葉)を刻んで混ぜ、オリーブオイル、ゆず酢、醤油かだしつゆで味付け。あとは麺を混ぜ混ぜ・・・(長さはお好みで!)見た目も白と緑で、シンプル涼やかおいしかったぁ!(刻みめかぶや、とろろ昆布、わかめも仲間入りすることもありました。味わいも深まりました。)時々、かにかまぼこの赤が入ったり、ほぐした開きあじの残りが塩味をプラスすることもありました。本当によく食卓にのぼりました。ラストは心太(ところてん)

 幼い頃近所にこんにゃく屋さんがあって、夏場だけところてんを売っていました。「けいこちゃんとこ行ってくる〜!」と百円玉2個握りしめて、ボールを持ってよく通ったものです。ほんとに好きでした。こんにゃく屋のけいこちゃん今なにしてるかな〜。

 そして、結婚して石川に来たわけですが、なんと40才のお誕生日に愛媛から届いたものが、「ダンボール箱いっぱいのテングサと母の手縫いの濾し袋(袋の端にはマジックペンで、日付まで書いてあったりして・・・)」晒すのにほんっとに手間がかかるテングサを、惜しげもなく私に譲ってくれたおばちゃんの優しさと、ちょっとおせっかいだけどこんなものを送ってくれちゃう母の愛にしばらく泣き笑いし、誕生日が夏で良かった!と両親に感謝し、その年はとにかく「ところてん」を作りまくりました。おっといけないセンチメンタルに浸っている場合じゃなかった。締め切り過ぎてるんだった!

 そう、そんなに大好きなところてんですが、”いつも酢じょうゆ”これが定番で、涼しくて良いのですが。せいぜい、「からしorしょうが」「のりorごま」の選択くらい。たまに千切りのきゅうりか輪切りのオクラがのっかるくらい。だから一度にそんなにたくさんは食べられない。そこで、他の食べ方はないのか?と思うようになり。とうとう最近、「私は、こんなに大好きなところてんと酢じょうゆの仲だけで終わってよいのか!?」と焦りさえ感じるようになってきていたのです。そして、夏休みが終わりを告げようとした先日、スーパーで目が合っちゃった、魚屋さんのむかいの冷蔵ケースに居た「漁師さんの作ったお刺身ところてん」ネーミングからして、もう連れて帰るしかない!帰宅すると、これまた大好きな娘が目ざとく台所に入ってきて、早速二人でところてんを突き始めました。(我が家にはところてん突が2つもある!一つはばあちゃんの形見、もう一つは共同購入の通販で買った!)

 そして、1パック350円で山のようにできちゃった!しかし、というか案の定そんな一度にたくさんは食べられません。残りました。しかし今回は違いました。最近の我が家のはやりの「ネバーネバー」と「グリーンリーフまきまき」が頭の中で合体。そこへきらきらのところてんが降り立って、「きらきらクールぱお包」がうまれました。


きらきらクールぱお包 きらきらクールぱお包


 しつこいですが、オクラ、えのきだけ、残り物のモロヘイヤのおひたし、ちょっと味を豊かにするために、炒り卵、彩りで人参を加え、マヨネーズを少し加え、醤油、ゆず酢、オリーブオイルで味を調えます。そこへ、軽く刻んだところてんをさっくり混ぜ、レタスやグリーンリーフなどの葉っぱで包んでいただきましょう!この、さくさくぷるぷるの歯触りは、春雨でもなく葛きりでもなく、やっぱりところてんじゃないとこのおいしさは出ない!と自負しております。味付けにしょうがを効かせると、パンチがきいて、すっきりさわやか!子どもも大丈夫!やった!あと、もうひとつデザート「南の国のきらきらあんみつ」


南の国のきらきらあんみつ 南の国のきらきらあんみつ

 ちょうどもちよりご飯でゲットした、友人の京子さんお手製のうずらまめの甘煮と、蒸し煮したころころかぼちゃが残ってた。ところてんの上にそのお豆(うす味で、塩も効いていてそのままでもめちゃおいしい)とかぼちゃをのせ、真ん中に凍らせておいたバナナをミキサーにかけてアイスクリーム状にしてこっぽり盛る。ミントとドライバナナを添え、最後に黒蜜を控えめに回しかけ完成!我ながら、あり合わせでここまでできて大満足!海藻くささもなく、甘味にぴったり!お試しあれ。



会員エッセー はるかの怒り考 大関 はるか(おおぜき はるか)



 みなさんは、どういう時自分が怒っていると感じますか。怒っている時の自分は、何に対して怒っていますか。人ですか、事柄ですか、物ですか、状態ですか。怒っている時、自分は何を考えていますか。どうなりますか。どうすると、その状態から脱しますか。

 私は怒っているとき、その怒りの矛先を何かの対象に向けると、腹の中が煮えくりかえって、その場にあるものを破壊したい気持ちになります。その対象(人)にぶちまけることができるときは、そうしてきました。反抗期は、とにかく何に対してもムカついている状態で、その矛先は主に両親と先生という身近な大人に向けられていました。そして、そのエネルギーは膨大で、持続力もかなりありました。小学校6年生の終わりに、泊まりに行きたかった3月の雨の日、両親は「今日はダメ。」と言いました。何年も経って聞いたときには、親戚のごたごたが理由でその日、私に構う余裕がなかったと言っていました。(今の私がアドバイスするならば、その理由を彼女(小学6年生の私)に言うべきだったよ。と言うと思います。)

 そのときの私にとって、毎晩の様に妄想してきたその楽しみなお泊まりが、却下されたことは、怒りの種を生み、ほとんどそれを育てるかのように、反抗期を走りました。エネルギーは有り余っているので、母親の食事を食べずに過ごすということも可能でした。[「おなか空いた〜」と言って、結局やっぱり仲直り]という構図は完全拒否のつもりでいました。私の洗濯物を母がすると、「汚い!」「人のもん勝手に触んじゃねぇ〜!」と言って、私は洗濯をし直していました。これは中学生時分には、なかなか大変なことですが、なにしろエネルギーはそれでも余っていました。

 8つ下の弟をとてもかわいがっていたのですが、弟が保育園を卒園する頃、私は、保育園の先生たちに感謝の手紙を書いたことがあります。人生の中で一番、生きるのに必要なあれこれ(一人でトイレや、着替えやごはんを食べる、遊ぶ、しゃべる等々)を修得するのを、見守ってくれている保育士は、その後の人生でほとんど存在を忘れられてしまうことでしょう。私自身、幼稚園の時の先生を恩師とは思えません。だけど、私は幸いにして8つ下の弟がいることで、自分自身の先生には感謝の気持ちをうまく伝えることができなかったけれど、せめて、弟に代わって、この気持ちを伝えたいと思ったのです。それで、長い手紙を書きました。けれど、確か母親が「あなた、海平(←弟)の先生になにか渡すものがあるんじゃないの」と、卒園式の朝聞いてきたことで、怒り爆発、その場で捨てました。彼女が何かの拍子に、それを横目で読んだのか、それとも、何で知ったのかわかりませんが、とにかく自分の領域に入られたことに対する怒りを、手紙をもみくしゃにして捨てることで表現しました。きっと、それだけでは飽きたらず、つばを吐き吐き、学校に行ったことだと思います。

 それから12年経って、最近の私は、もっぱら同棲中の彼氏に対しての怒りがほとんどですが、その怒りの変換方法がうまくなってきたことを感じます。たとえば、先日、なにがきっかけだったか全く覚えていませんが、私は外向的なので、怒るととにかくそのエネルギーを外に向けます。一方彼は内向的な人なので、だんまりじっと動かなくなる。うんともすんとも言わなくなる。私が外にエネルギーを発すれば発するほど、彼は動かなくなります。私は、たまっている(そしてできれば普段やりたくない)洗い物や、気になっていたけど怠惰で先延ばしになっていたシーツに布団を入れる作業などを、片っ端から片づけ始め、あんまりむかついて、夜中外に飛び出します。一人遊びの支度だけは抜かりなく、クラブに踊りに行こうか、24時間営業の喫茶店で本を読もうか、ケータイで友達に連絡して遊べないか聞いてみよう…。そして、結果的には、喫茶店で本を読んだり、自分が発行するニュースレターを書いたりしていたら、友達から連絡があり、ちょうど隣の店にいることが分かって、2人に2時間話を聞いてもらい、それでもまだまだエネルギーがあるので、夜中3時に職場へ行き、パソコンを開いて、ケンカ中の彼氏のアラスカ報告会のチラシ作りを始めました。エネルギーが有り余っている時は、なぜか寝付けません。そのほかのチラシづくりなどの作業もして、朝、おいしいパンを買って家に帰りました。多少の発散は出来たようでも、怒りの大元はまだガス抜きされていないので、結局泣いて泣いて、昨晩から自分を観察して、現時点で分かっていることを伝えました。タオル一本分の涙を流すと、喉が渇き、少し疲れが出てきます。それでも、まだエネルギーが余っているので、普段の生活でエネルギーが必要なこと(=たとえば私の場合、物を捨てる作業)を求めて見回しました。そして、即座に写真の整理を始めました。気持ちが落ち着いている時、写真の束を見ても、懐かしいな〜。かわいいな〜。この人どうしてるかな〜。。。と整理が進みません。

 この日、私は、小学生からの写真の山を、残しておきたいものと、もうさよならしようと思うものとに、分別しました。そして10分の1の量になりました。彼氏は横目で見ながら、「何もネガまで捨てなくても…」と、言っていましたが、「写真からネガも起こせる時代!」と言って、バンバン捨てました。それで、もうひとしきり涙のやりとりをやって、やっと気持ちが落ち着いてきて、「外に出ようか」という誘いに応えられるようになりました。天然酵母のパン屋で買い物をし、図書館で10冊ほど本を借りて、鴨川で寝そべりながら、泣いた分だけのグレープフルーツジュースを飲み、パンをたらふく食べて、本を枕に徹夜後の昼寝を楽しみました。できたチラシを垣間見て、彼は少々驚いている様でした。あまり感情表現をしないのでわかりませんが、友達たちには、とても驚かれました。「ケンカの対象である彼の報告会のチラシ作成がどうしてむかついてる真っ最中にできるのか。」と。

 怒りのエネルギーを今ほど活用できず、代わりに涙に変換する方法は、割と長いことやってきたと思います。思春期の頃、特に社会に対する怒りに対し、体が硬直するというか、ふるえるというか、そうだな、わなわなする感じがして、そしてぽろぽろ泣くという感じだったかな。ダイオキシン問題が炸裂していた高校生の頃、ベトナム戦争の枯れ葉剤の被害の写真や文献を見ては泣いた。布団の中で身体をふるわせて泣いた。地元の「ごみ問題・ごみ発電所を考える会」で、企業庁と親たちがやり合ったとき、母校の中学の体育館の隅で跳び箱の上で高校生の私は泣いた。長崎で大学生活を送っていた頃、干上がった諫早湾の上を歩いては、「海の上を歩けるなんて不思議だ」と思って泣いた。長崎に落ちた原爆の話を聞いては泣いて、日本が加害者となった側面として、長崎で被爆した在日の方たちの話を聞いては泣いた。南京などから元従軍慰安婦の方たちを招いて証言を聞いては泣いて、犬や猫が「処分」される前の写真展をやった時は、番をしながら泣いた。もちろん、温暖化問題や原発問題、ごみ問題に対する怒りは、ペットボトルを絶対買わないとか、自販機は絶対使わないという誓いの様なもので表現したりすることもできたけれど(今はかなりなぁなぁになってる)、それこそ原発に対する怒りが絶頂の時は、自販機の………ていた。それが、19歳の頃で、24歳頃の自分の日記を見れば、「怒りのエネルギーの変換方法なんて、ちっともわからん!」と言っている。12歳頃から18歳頃の「怒れば爆発、目の前の人を怒鳴り散らす」とは様子が違う。現在27歳で、やっと怒りのエネルギーを片づけや溜まっていたことをすることや、自分の不得意な作業に使えるようになってきた。これが良いことなのかどうかは分からないけど、ひとまず人をもろに傷つける代わりに、どこか生産的な感じがしてます。

 「怒り」などの「感情」は、とても奥が深いです。それ自身も変容している様だし、こちら側(主)のとらえ方も変わり、つきあい方も変わる。日本語で「感情的だ」と言うと、「論理的だ」の逆の様で、しばしば冷静に論理的に物を言えないときに、それができる人から幾分小馬鹿にされる感じで言われます。私は、母が住民運動に関わったとき、「感情的じゃダメなのよ。企業庁に勝てない。」と言っていたのを思い出します。最近の気づきでは、「感情」は、単純に喜怒哀楽などという言葉では表せないほど、いろんなものを含んでいるということです(当たり前か…。いわゆる喜怒哀楽してない時にも外からはわかりにくい感情が存在しているということ)。おやつに何を食べたいかに始まり、赤の他人に対し、この人は怪しい、あるいは付いていきたいくらい好感を持つ、という感情であったり、場の雰囲気に対して感じる何かであったり…。何かを選択する場面や受動的な場面など、その後の行動を決めるのに理論と同時に感情が使われている。私はこれをおもしろがって取り入れたいと思っています。周りの人に分かるように、なるべく言語化できたらいいなと思っています。うまく言葉にできなくても、身体も物を言いますから、それも使っていきたい。この前悔しかったとき、最初笑われていたけど、吠えて悔しさを表現したら、笑いながらも向き合ってくれた。そうしたら、悔しかったことが笑えてきた。

 次、怒りの感情が出てきたら、じっと観て、そして、自分はどうそれと付き合ってるのか、どう変化していくのか、対象はなんなのか、どう表現するのか教えてください。(ここでたやすく怒りと言ってきたけれど、やりきれない怒りを持った経験のある人もいると思います。たとえば極端に言えば自分の愛する人を殺されたとか。けれど、たとえば、つらさや悲しみが人と比較できないように、感情を比較することはできないので、青い若者の怒りとして、「そんなことで怒りとか言うなよ」って思うかもしれませんが、ご理解いただければ幸いです。怒った方は、どの部分に怒りが生じたのか教えてください。)



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