第38号2007/06/01


豆ランチパーティー 春(3月〜5月)
 


豆農家・秋場さんご夫妻をお迎えして(3/12)  足立 未季子(あだち きみこ)

豆ランチパーティー3/12

 今回初めて豆ランチパーティーに参加した、足立未季子です。夫(豆料理クラブを見つけてきて、私の知らない間に入会していました!)と、三歳の娘と、一歳になる息子の、四人での参加でした。
 以前からランチパーティーは気になっていたのですが、一度お会いしてみたいと思っていた秋場さんがゲスト! しかも息子の一歳の誕生日だったので、何かしらの縁を感じ、即参加を決めました。

 息子の誕生は、たくさんの人に支えてもらわないと不可能でした。私は息子を産むことで、人に返しきれない程の恩を受け、感謝することと、助けてもらう事を学びました。息子には直接言う訳ではありませんが、これを感じて生きてほしいと考えています。そんな思いもあり、秋場さんのような方に祝福してもらえたら嬉しいと、厚かましい思いもありの日でした。

 パーティーは春の日差しを受けて暖かく、和やかに行われました。緊張していたのですが、すぐにほぐれました。文面からか、私は秋場さんは厳しいお顔をされているのかと、勝手に思っていました。が、なんのその、そのにこやかな事! 実は和やかさはそこから発せられていたのでした。

 秋場さんの右隣には、奥さんの房子さんがおられました。少し恥ずかしそうにちょこんと座られ、秋場さんの左にはマルカワミソの河崎さん、「量はたくさん作れないけれど、いいものを作りたい」と大真面目に語ってくださいました。魅力あるおやじさんの堀さん、眼光鋭く元気なサンスマイルの松浦さんと並ばれていました。(私事ですが、なぜか房子さんを拝見した時、涙が溢れました。千晶さんが初めての方にも懐かしい会になる、と書かれていましたが、分かる気がしたのでした。房子さんにはそのお姿から苦労も感じたし、やさしさも謙虚さも見受けられました)。


 まず自己紹介が始まりましたが、その時に秋場さんは房子さんとの馴れ初めを話して下さいました。
 房子さんは高校生の時に蓄膿症を患って、学校にも外にも出られない状態になったそうです。その時先生が秋場さんを紹介して、めでたく結婚することになったとか。房子さんは一生結婚などできるとは思っていなかったそうで、夫に対しても農業をすることについても、自分のおかれた状況に感謝しておられる様子でした。秋場さんの方も、彼女は(無農薬でやっている)自分でないとやっていけなかっただろうと、お二人の結びつきの深さをしみじみ語られました。

 秋場御夫妻には四人のお子さんがいて、子育ては祖父母がし、とにかく三十年間がむしゃらに夫婦二人で働いたそうです。(周りの人にはいつ倒れるかとうわさされていたそうですが)「若かったからできた」「そして夫婦だからできた」という意見に、堀さんも深く共感されていました。千晶さんが房子さんに、やめたいと思ったことは一度もなかったのかと質問された時、「やっぱりあるけどしなかった。本当につらい時、“お父さん今日はこれ位にしよう“ と言おうと思うけれど、言っても絶対やめない人だから」と。けんかについても房子さんは、「怒ったりして黙ったりするけれど、二人で仕事をしているからいつまでもけんかしていたら仕事ができない。だからいつの間にか終わらせている」とおっしゃいました(私にはそれが羨ましいです。息が詰まる事もあるでしょうが、家族が夫婦が同じ空間にいる時間が多い分、仕事も子育ても二人で・・・理想です)。

 そしてお二人は年をとられて、体を悪くされたそうですが、それからは朝起きるとすぐお互いの体をさすって治療し、今は快方に向かっているそうな(お子さんの熱についても一晩中体をさすってやっていると、明け方には下がっていたそうです)。

 五年毎を節目として、後5回! 25年は続けたい。体の方も二人で治療して皆に迷惑をかけないようにしたいと、お二人の強く深く静かな絆を感じ、夫婦のあり方を肌で、空気で教えていただいた一日でした。

 会の最後の方に来られた、丹波の黒豆を(無農薬でつくるのはかなり難しいそうです)無農薬で作られている方を秋場さんは励ましておられました。この場にいる人は、皆、あなたが本気でやろうとするならどれだけでも力を貸してくれる人達だ、と元気づけられていました。それは同時に私に対しても響いてくるのでした。

 さてお料理の方は豆がメインであれだけ多様でおいしいものが食べられるなんて!! 顔がほっこりしました。あのお料理一つ一つには真心も加わっていた為か、とても暖かい味がしました。私も特に房子さんの為に黒豆を使った料理を是非作りたいと思ってこしらえました。作っている間は大変なこともあるけど、おいしい!と言われるともっと努力できるし、おいしいものを食べただけで幸せな気分になれる。今回はその食材たちが私たちの元へ届くまでに携わっている方々に多く会え、命をつくることの大切さを知りました。

 子供達も自分の母親が作ったものはちゃんと知っていて、私が作ったものを娘が他の人に嬉しそうに「これお母さんが作った」と言っていたそうだし、私も、さのせんこさんの娘さんに全く同じことを言われました。有難いことに子供にとっては誇らしいのですね。農をする人が本気で命をつくる、それを母が心をこめて料理し、子に命を与える。そんな風にして食べた子はどんな子に育つだろうか。豆料理クラブがもっともっと世の中に広まりますように。


何を大事にして仕事をするか
フェアトレード団体 ネパリバザーロ代表・土屋春代さんを囲んで(5/23)
 高島 千晶(たかしま ちあき)

土屋 春代さん

 今日はほんとうに愉快でした。大人数でどうなることかと気をもみましたし、途中、食事を分けるのに手間取ったりしましたが、土屋さんのお話がすばらしかったし、40人の参加者全員の話もひとりひとり、すばらしかったです。あんなにたくさんの人が心を開いて話せた場があったことをとても嬉しく思いました。
 ネパリバザーロのスタッフの方とは皆、すぐにうちとけました。同じ空気だ、初めて会った気がしないと、皆さん、言ってくださったのですが、わたしも同感でした。

   * * *

 土屋さんは、ネパールの生産者の人をお二人、連れていらっしゃいました。仲の良い姉妹で、セーターや靴下を編んでおられる方です。お姉さんのマティナさんが六歳の時にお母さんを亡くされ、12歳で学校をやめて家事をし、残りの四人の兄弟を世話しました。他の兄弟たちは学校へ行きました。ある日、親戚の人が、おまえは勉強もせず家事ばかりしてるが、将来、どうするんだ?と聞きました。他の兄弟たちは学校に行ってるからよい仕事に就けるかもしれない。でもお前は、どうするんだ、と。そして、マティナさんはその親戚から編み物を勧められ、セーターを編むようになったそうです。お兄さんの店で売るようになると、それが売れ出し、自分一人では間に合わないので、ニッターの人を集め組織しました。それがどんどん大きくなって、今ではイレギュラーの人も含めると、なんと300人のニッターを抱えているそうです。編み物をする人は、ほとんど学校で勉強をしていない人なので、注文のあったとおりに仕事を指示したり、意志の疎通を図るのが大変だそうです(一カ所で仕事してるわけでなくそれぞれの家で編んでいるので、文書などで注意点を伝達する必要もあるのでしょうが、識字率が低いので、それが難しいということだろうと思います)。

ネパールの生産者と

 他の取引先とネパリバザーロとはどう違いますか、との質問に対して、全く違うとおっしゃっていました。「アメリカからの注文は、先方の都合だけだけれど、ネパリバザーロからの注文は、こちらの都合を考えてくれる。こちらの話に耳を傾け、応えてくれる。まるで家族のようだ」。取引先が自分のところの都合だけを考えて注文するということは、一時、たくさん注文してくれても、継続して注文してもらえないということです。一時のたくさんの注文に応えるために300人のニッターを抱えても、仕事がなくなると彼女たちはやむをえず道路工事などの仕事に行くようになり、せっかく身につけた技術(指)を忘れてしまう。その点、ネパリバザーロは継続して買い支えてくれ、自分たちの困っていることに耳を傾けてくれる。何でも話せる、、、。そういうことを土屋さんに通訳をお願いしながら嬉しそうに話す様子は素敵でした。見ている方にも、土屋さんと生産者の女性と間に交わされる友情というか親愛の情みたいなのが伝わってくるのです。

 数年前にパーカータイプのニットを発注したときのエピソードが、土屋さんから語られました。

   * * * 

 ある時、土屋さんがフード付きのパーカータイプのニットをネパールの生産者に注文しました。セーターやカーディガンは何度も注文してきたのだけれど、パーカータイプは初めてで、なかなか思うようなサンプルが上がってきませんでした。五、六回、作り直してもらって上がってきたサンプルに土屋さんはまだ満足できません。けれども、生産者の苦労を思うと、もう一回、作り直してほしいとは言えない気持ちになり、「もうこれでいいです」と言おうと思って、ネパールの生産者に会いに行ったところ、そう言う前から、何を土屋さんが言おうとしているか感じた生産者が、「遠慮しないで本当のことを言ってほしい。もしいいものができずに売れなかったら、困るのは私たちなんだから、ちゃんと納得ができるまで、作り直すように言ってほしい」と言ったそうです。

 この言葉に、土屋さんは感動し、また、考えを改められました。土屋さんのわがままで何度も作り直してもらうのではなくて、これは、彼ら自身の問題なんだ。ここで妥協したら、生産者が困るんだ。

 今では土屋さんは、一貫して生産者の方を向いて仕事をすることで迷いが無くなったそうです。八人のスタッフだけで商品企画から発送まで(アウトソーシングせず)全部自分たちでやっていくことにこだわっているけれど、あまりに仕事が多いとどこかを削らなくてはいけない。そういう時も、何を簡略化するか考えるのに、生産者を第一に考えると、自ずと答が出てくるそうです。

 「わたしたちの北極星は生産者」という言葉を、土屋さんたちは仲間とシェアして仕事しているそうです。
 とても共感して聞きました。消費者の利便を優先しすぎる社会は無駄が多く、ほんとうにこんなサービスが必要なのかと考えさせられることがしばしばです。24時間営業のコンビニの横で自動販売機がある風景からも無駄を感じさせられますし、農家の方々から、野菜セットに同じ旬の野菜を続けて入れるといやがられるから無理をしてしまうとお聞きしても感じます。豆屋のわたしとしても、その辺に知恵の見せ所があると思って、その年にたくさんある豆をおいしく食べる仕方をご紹介しています。

 ネパールから来たお二人は、来日してからのこの二週間忙しく、仕事場とマンションの往復だったそうで、外出はファミリーレストランに一回行ったくらいだったそう。豆ランチパーティーのみんながもちよった手料理を食べるスタイルはネパールと一緒だそうで、「まるでネパールでご飯を食べているようだ」と喜んでくださいました。何より嬉しかったです。

豆ランチパーティー5/23

 ネパールの人に限らず日本人でも、豆ランチパーティーに参加した人は、よく「なつかしいかんじがする」とおっしゃって下さいます。たとえば「子どもの時のお誕生日会みたいだ」などと言って。

 たくさんお金があればレストランでごちそうすることもできる。だけど、そこにはないものもあって、こうやって手作りのパーティーをすると、みなさん、なつかしい気持ちになりうちとけて、そこで生まれてくる言葉もあります。食事の後で、参加者一人一人に話してもらったことを次に書きます。食事前の土屋さんのお話は多岐にわたっていたので、参加者の感想とともに、ふりかえりたいと思います。

   * * * 

 土屋さんの話の中で、ネパリバザーロをはじめたときの不安が語られた部分があったのですが、参加者の中の、今、失業中の人、不定期雇用で不安定な人は、そこが特に胸に響いたようでした。40人余りの人の前で、しかも大半の人が初対面という場だったのに、何人かの参加者が自分の不安な気持ちを話したのは、土屋さんが正直に自分が不安だった経験を話して下さったからだと思います。

 参加者の中には、人前で話すのが苦手なんです、と言葉に詰まりながら、でも、伝えたいことがいっぱいあるのがあふれるように伝わってくる方がありました。また、途中で用事があって帰られた人に後で電話してみると、自分の思うことを話そうかと思っていた、聞いてもらいたいと思っていた、と残念そうに言われるのをお聞きしました。土屋さんの話が呼び水になったんだと思います。

 土屋さんは、自分の食いぶちを稼がなくていけなかった中で、サラリーマンをやめて起業したときは不安でしょうがなかったそうです。けれども、稼がなくてはならないというプレッシャーがあったから、社会貢献と商売を両立させることができたとふりかえっておられました。

 こんな話が出てきました。もう何年も前、ネパールで昼ご飯を食べていたとき、「この会議が決裂したら、どうなるんでしょうね」と土屋さんが政局について話題にすると、ネパールの人がご飯を食べる手も休めず、「内戦でしょうね」と何気なく言ったそうです。土屋さんは、そのあまりの穏やかさに聞き間違ったのかと思い、そうでないとわかると、どうしてこんなに穏やかでいられるのだろうと驚かれたのでした。そして、しょうがない、どこに逃げられるわけでもないし、、、というような話を聞き、ネパールの人たちが「宿命」を受け入れて生きているのを感じられたそうです。

 実際、ネパールの人々は、厳しい貧困にも限らず、日本人よりずっと朗らかに暮らしている。逆に、どうして日本人はいつも暗い顔をしているのかと聞かれるくらい。日本人は、今、暮らしていくのにじゅうぶんな物を持っていても、将来を心配します。近い将来だけでなく遠い将来、老後の年金まで心配して暗い気持ちになる。土屋さんは、ネパールの人々の今を生きる明るい姿勢に影響を受け、力づけられたそうです。

 ネパリバザーロのスタッフの方々のお話も印象的でした。若い方が多かったのですが、みなさん本当に今の仕事に誇りを持っておられました。「仕事はいつか辞めるものと思っていたけれど、この仕事に出会って、一生続けたいと思うようになった」「仕事という気持ちがしない。仕事というより自分の生き方だと思う」とおっしゃっている方が多かった。土屋さんが自分の喜びをスタッフの人たちとシェアしたいということで、毎年、会社全体で地方にツアーに出かけるようになったそうですが、スタッフの方々はやっぱり、いつも電話だけの人にこうやって直接会えて嬉しいとおっしゃっていました。

 (それはお招きしているわたしたちの方もそうで、ネパリの特別に新鮮で香りが豊かなスパイスをつかってどんなふうに料理を楽しんでいるか、味わってもらえたのがとても嬉しかった。チリペッパーでラー油を作って、きんぴらや肉じゃがにも入れて楽しんでいる話などしました)。

 土屋さんも他のスタッフの方もおっしゃっていましたが、ネパリと取り引きして仕事をするようになったネパールの女性達が、仕事が軌道に乗るに従って自信をつけきれいになっていくのを見ると、本当にこの仕事をして良かったと思われるそうです。

 やっぱり収入があるということは何にもまして大事なことではないかという話になりました。たとえば、タイの識字率をあげる運動をある組織が長年続けていたけれど、なかなか成果が出なかった、ところがタイのGNPが上がると識字率はいっぺんに向上したことが報告されている、というような例が出されました。つまり収入が上がることで、子どもを学校に行かせることができる。識字率に限らず、乳児死亡率だって下がるとかいろんないい影響がすぐに出るのだそうです。

 その一方で、土屋さんは仕事を作っていくときに、ただ収入になるというだけでなく、一人一人の女性が自信を持てるような仕方を心がけておられるそうです。生産者とひとくくりにするのではなく、マティナさんというように名前で呼び、話をする中でその人に合う仕事を考えるそうです。「話すと本当にいろんなことがわかります、今回もマティナさんたちに来てもらって二週間話を聞いて、今まで気がつかなかったいろんなことがわかりました」とおっしゃっていました。

 最後に、楽天堂の高島無々々が、ネパリバザーロの最初はいつつぶれるかわからないような印象だったのに、こんなにも発展したのはすばらしい、継続は力だと思った、自分も現実に一喜一憂せず100年計画で腰を据えてやっていきたい、大風呂敷を広げすぎかもしれないけれど、というような話をすると、土屋さんは共感して下さり、あきらめないことが大切なんだと強調されていました。「この場のように根っこがつながる関係が増えていけば、きっと社会は変わりますよ」と。


麹遊び 
 
その2
 小紺 有花 (ここん ゆか)


 麹料理のおいしさの秘密はアミノ酸にあるようです。麹は発酵する過程で様々な酵素を生産し、旨味成分であるアミノ酸を生成して行くのだとか。甘酒や麹をいろんな料理に用いた時にかもし出される深みのある味は、豊富に含まれているアミノ酸のなせる技なのですね。発酵によって旨味が増すのはチーズやワインなどその他の発酵食品にも言える事のようです。

 麹の利用法を色々調べていると、なめみそと言うものに出会いました。なめみそは調味料としてのみそと違い、そのまま副食として利用されるみその総称で、製法により醸造なめみそと加工なめみそがあります。醸造なめみそには浜納豆や金山寺みそなどがあり、加工なめみそにはゆずみそや鉄火みそなどがあります。麹を使って家庭でも金山時みそなどが作れるようですが、ちょっと手間がかかりそう。

 そこでしょうゆに麹を漬込むだけという超簡単なめみそを見つけました。これがとても美味しく重宝なのです!そのままご飯にのせて食べてもいいし、刻み野菜や薬味と和えれば冷や奴などにぴったりのタレになる。調味料として炒め物や煮物に使うととってもコクのある仕上がりになります。もともと旨味成分を含んだ発酵食品であるしょうゆに、更に麹を加えて熟成させるから、旨味が濃くなるのでしょうか、このなめみそを使うと料理の味が深まるように感じます。

 では、麹を混ぜると何でも美味しくなる!?と色々試してみました。麹と米酢(1:2くらい)を混ぜて1〜2ヶ月ほど寝かせておくとほんのり甘みが加わり、酸味がマイルドになりました。塩だけ加えてご飯に混ぜ込み、寿司酢として使うと上品で美味しい寿司飯になります(この時、漬込んだ麹も一緒に混ぜ込んでしまいましょう)。

 よく混ぜて粘りを出しておいた納豆(70g)と麹(100cc)と塩(小さじ1/2)を混ぜて1週間〜10日ほど冷蔵庫で寝かせておくと旨味の濃い麹納豆の出来上がり。麹の堅さがちょっと気になるかも知れませんが、噛み締める美味しさがあります(乾燥麹を使う場合は少し水で湿らせた方がいいと思います)。納豆菌と麹菌のコンビですこぶる健康になれそう♪
 それなら普通の味噌に混ぜたらどうなるか?つい先日思い付き、現在試作中です。

 今回のレシピは〈なめみそ〉と〈大豆とキャベツのなめみそ炒め〉、そして〈甘酒パンケーキ〉と〈甘酒いちごソース〉をご紹介いたします。

 なめみそは油と熱を加える事で、よりその旨味が引き立つようです。手軽にできる炒め物は我が家の定番料理になりました。使う豆によって仕上がりの味わいが異なりますので、色々と試してみて下さい。

 パンケーキはふっくらしっとりとした仕上がりで、冷めても美味しい。卵もバターも使わないけど風味豊か。甘ったるくないのでおかずとも合います。

 華やかな色が美しい甘酒いちごソースは刻んだいちごと甘酒を混ぜてなじませておくだけで出来上がり。フルーツと甘酒はとても相性がいいのです。シンプル&ナチュラルだけにいちごの質がソースの出来を左右します。ぜひ甘くて美味しいいちごを使って下さいね。フルーティーないちごソースをほかほかのパンケーキにたっぷりかける幸せを満喫して下さいね。三枚くらいはペロリですよ!!では、麹の旨味を存分にお楽しみ下さい。


〈なめみそ〉
【材料】
麹 3カップ、しょうゆ 2カップ
【作り方】
 清潔なびんに麹としょうゆを合わせ入れて常温で熟成させる。2週間位して麹がやわらかくなってきたら使えるが、1ヶ月くらい経った方が味がのってくる。時々かき混ぜると良い。麦麹を使っても美味しくできます。
(注)麹はふやけるとかさが増します。また、乾燥麹は生麹よりも多く水分を吸います。麹がひたひたになるようにふやけ具合を見てしょうゆの量を調節して下さい。

〈大豆とキャベツのなめみそ炒め〉
【材料】
大豆(ゆでて) 1カップ、オリーブオイル 適量、キャベツ(ざく切り) 200g、塩 少々、ねぎ(みじん切り) 大さじ2〜3、にんにく(みじん切り)2片分、なめみそ 大さじ1〜1+1/2
【作り方】
@フライパンに適量のオリーブオイルを熱し、キャベツを炒める。塩少々でほんのり味付けする。
Aフライパンからキャベツを取り出し、新たにオリーブオイルをひいてねぎとにんにくを炒める。香りがしてきたら大豆を加え、続いてなめみそを入れる。
BAの全体がなじんできたら、キャベツを戻し入れる。軽く炒め合わせて火を止め、出来上がり。
(注)キャベツ抜きの豆だけの炒め物もオツなもの。大正金時やひよこ豆などでも美味しい。

大豆とキャベツのなめみそ炒め 大豆とキャベツのなめみそ炒め

〈甘酒パンケーキ〉
【材料】(直径約13cm3枚分)
無調整豆乳 100cc、甘酒 80g、菜種油 20g、天然塩小さじ1/4、無漂泊薄力粉 70g、全粒薄力粉 30g、ベーキングパウダー 小さじ1、菜種油 適量【作り方】
@豆乳、甘酒、菜種油、塩をボールに入れて混ぜ合わせておく。
A@に無漂泊薄力粉、全粒薄力粉、ベーキングパウダーを合わせてふるい入れ、泡立て器で手早く混ぜ合わせる(混ぜ過ぎて粘りがでないように気をつけて下さい)。
Bフライパンを熱して菜種油を薄くひき、生地の1/3を流し入れ、直径13〜14cmの円形に整える。表面にプツプツと穴が出来て来たら裏返し、香ばしく焼き上げる。
(注)甘酒が入っている生地は焦げやすいので、火加減はごく弱火にする。

〈甘酒いちごソース〉
【材料】
いちご 200g、甘酒 150g、天然塩 一つまみ
【作り方】
いちごをさいのめに刻み、甘酒と塩を加えて混ぜる。甘酒とイチゴがなじむまで冷蔵庫で寝かせる。二、三日置くほどに、全体の色が奇麗なピンクになってくる。

甘酒パンケーキ&甘酒いちごソース 甘酒パンケーキ&甘酒いちごソース




「リフォーム料理でひとやま当てて!」なんていわれても・・・その4
 
根石 佐恵子(ねいし さえこ)


〈リフォーム料理 わらしべ長者の巻〉
 前回「魚の煮汁」のお話をしましたが、その後我が家では煮汁で作る「おから」がブームになりまして、いつものごとくド〜ンと作ってみたら、いろんな物に更に使い回しができることに気づき、楽しくなって「リフォーム料理わらしべ長者」とネーミングしてみました。すると子どもたちもおもしろがってアイディアを出してくれましたとさ。

 というこで、煮魚の後、まずは夕飯にお野菜たっぷり「煮物」、翌朝その残り汁に今度はたっぷりのわかめを入れて「わかめ煮」。これは、子どもたちに大好評で、みそしる代わりにと作ったのですが二人とも、ごはんを残してでもおかわりしてぺろっと平らげて学校にでかけていきました。

 いよいよ!その残り汁で「おから」!昼のお弁当には卵に混ぜて「おからオムレツ」。そして夕飯にはこれを「揚げ春巻き」に!これも子どもたちに大受けでした。ここで注意はできるだけ水分を飛ばしておくことです。私は結構汁気が多い方が好きなのですが、揚げるときは水分が皮からしみ出てかなりにぎやかに油がバチバチはねてしまいました。反省!それでもまだ残っていたので(いったいどれほど大きな鍋で作ったんでしょね!?)翌日片栗粉でとろみをつけてスパゲッティにかけてみました。これがなんと大ヒット!さっそく「畑のミートソース」と名付けて家族に食べてもらいました。だしとしょうゆの味がしっかりしてて、「和風ミートスパでいける!」って感じです。気をよくして、今度は卵でトロッととじて「おからボナーラ」。これもみんな笑いながら食べてくれました。私も改めて「おから」って実はすごい食べ物だったかもと再認識。

わかめ煮 わかめ煮


〈わらしべ長者その2―ぎょうざの具〉
 先日調子に乗ってキャベツを刻みすぎて、大量な野菜ぎょうざの具が残ってしまいました。そこでまずは、お弁当用に「ミートボール(実はキャベツ団子?!)」、続いて「キーマカレー」、さらにすりごま・味噌・しょうがを足してよーく炒りつけて「肉味噌」。これは、「じゃじゃ麺」や「三色丼」に重宝しました。そしてとどめは先ほどのミートボールとカレーを残しておいて、おやつに「肉まん」と「カレーまん」になり子どもたちのお腹に収まりましたとさ。めでたしめでたし。ちょっと視点を変えてみると、「おかず」って新たな料理の食材となるんですね。今回私もびっくり!皆さんのわらしべ長者ストーリーを作ってみてください。

三色丼 三色丼


〈おまけ〉
 これは、リフォームと言うより「ピンチ!お助け料理」かなとも思うのですが、かなり満足だったのでご紹介します。夕飯のおかずはサツマイモやねぎぼうずの天ぷらと決めていたのですが、なんとご飯を炊こうと思ったらお米がないことが発覚!確かに芋だけでも主食にはなりますがなんとも寂しい・・・そこで台所を見回して、ありました、ありました。心細そうに棚の片隅で忘れられかけていた、わらにつながった「かきもち」。そしてピンチを救うのは、そう、もちろん「お豆」!!

 この日は寒かったので、ストーブを焚いていました。さっそくレンズ豆を鍋に入れてストーブに載せて調理開始。まず野菜の天ぷらを揚げて、次にかきもちを適当に割って揚げて(これは、かきもちが膨らむのが面白かったようで子どもたちが手伝ってくれました)。そうこうするうちに豆がいい具合に煮えてきたので、刻みネギ・塩・オリーブオイル・ガラムマサラなど好みの香辛料を入れて、味を調えて(このときは冷蔵庫に残っていた、山椒味噌を隠し味に入れてみました。ここの部分が残り物リフォーム?)「レンズ豆のスープ」が完成。

 ここに、揚げたてのかきもちをじゃっと入れて「おこげ汁もどき」といおうか、「でかでか和クルトンスープ」といおうか主食級の汁物ができたのでした。レンズ豆の偉大なうまみが香ばしいかきもちとマッチして、シンプルなのになんだかとーってもおいしかったのです。まさに身も心もほんわか!ピンチが功を奏した夕飯でした。

かき餅スープ かき餅スープ



会員エッセー ガチンコ!葬式対決 藤田 理恵(ふじた りえ)



 2003年末、舅が亡くなりました。12月21日容態が急変し、一度は救急車で病院へ行ったのですが、延命措置しかできないことがわかり、点滴だけして家へ連れて帰ってきました。姑が一晩中付き添い、翌朝家族に見守られて静かに息を引き取りました。その穏やかな顔を見ていると、誰にでもいつかは訪れるものなのだと、死ぬということに対して納得できたような気がしました。

 しかし納得できないのはその後!私と夫の計画した「簡素でも心のこもった葬式」に対し、見栄と体裁にこだわる親戚、近所からブーイングの嵐が襲ってきたのです。すったもんだの末、花輪の数、盛り篭の有無、会席膳の人数については妥協しましたが、あとはかなり地域の「常識」と違うことをしたので、近くに住む夫の叔父に、葬式の翌日「恥ずかしくて表を歩けん」と言われました。

親戚や近所が呆れているのは・・・
@葬儀後の会席膳に「引き出物」がつかなかった。
 遠州地方に生活する人ならおなじみのあの調味料詰め合わせの引き出物。内容も問題アリだけど、そもそも葬式に何で引き出物がいるの?その分香典も少なくていいと言ったのに、お膳の食べ残りだけ持って帰らされたのは初めてだ、とイヤミを言った人がけっこういたらしい。

A長男(私の夫)がいるのにばあさん(姑)が喪主をやった。女の喪主なんてこの地域始まって以来だ。
 54年連れ添い、舅に痴呆が始まってからもずっと面倒を看続けた姑こそこの日の主役にふさわしい、そう思って喪主を務めてもらいました。姑は立派に挨拶し多くの人が感激していたのに、それでも文句あんの?

B祭壇が小さい。長いこと働いて死んであれじゃあかわいそうだ。
 業者の持ってきたカタログで一番安かったのが15万円。それでも七段飾りのバカでかいしろもので、この前に棺と焼香台を置けばそれだけで一部屋いっぱい。もっと小さいのはないですか、と尋ねたら、担当者が法事用の三段飾りを提示してくれました。4万円だったので即決。だいたい祭壇の大小でしか評価できないなんて、そっちのほうがよっぽどかわいそう。

C御会葬御礼のはがきの文章、何じゃあれは、みっともない。
 業者のサンプルそのままなんて脳のないことはしたくなかったので、わかりやすいことばで私が考えたものを印刷してもらいました。もったいぶった言い回しでないとダメなんて誰が決めたの?

D遺族が司会をするなんて聞いたことがない。
 式の趣旨を理解している人でないと無理。最初から私がするしかないと思っていたのでそうしました。

 できるところは手作りにと、花を、夫の姉や友人など花栽培農家で用意してもらいました。会席膳は多量のため業者に頼みましたが、すまし汁だけ近所の手伝いの人たちにお願いして作ってもらいました。また、舅の若い時から亡くなるまでの写真を模造紙に貼って展示し、参列者に在りし日の舅を偲んでもらいました。この試みは女の人たちに特に好評だったようです。作業は、通夜のあと大急ぎで写真を選び、葬儀当日の朝、甥や姪が早く来て貼り付けてくれました。 

 香典返しは地元農協のお茶が普通ですが、私たちは静野園(磐田市・鈴木二郎さん)の無農薬茶を使いました。ただ、参列者の数の読みが甘く、葬儀の最中に不足しそうだと受付で騒ぎ出して、先に渡していた親族のところへ借りに行った時には肝を冷やしました。万一不足しそうなら追加するから親族のぶんは後にしてくれと受付に言ってあったのですが、きちんと伝わっていなかったようです。しかもまずいことに、受付を担当した近所の手伝いの中に農協の茶業課長がいました。農協のお茶を使わなかったので面白くなかったことでしょう。不足分のお茶は追加注文して事なきを得ましたが、手伝いの人たちに御礼で渡したお酒を彼が置いて帰ったので、翌日夫があわてて届ける一幕もありました。

 今回どうにもならなかったのはお寺です。舅の親が亡くなるとき「上座」の位の戒名をもらったため、高くつくのはわかっていたので夫は今回下げてくれるよう頼みました。また、坊さんが5人も6人も来るのは必要ない、減らしてくれ、と言ったのですが、全く聞く耳を持たない態度に、夫もあいた口がふさがらなかったそうです。曰く「あんたのところはバック(つまり舅の弟)がついてるじゃないか」「親の葬式は借金してでも出すものだ」「うちの格式では上座以下はない」「一軒がそういうことをして他の家がまねをするようになると、うちが本山に何と言われるかわからない」

 で、坊さんは最低人数でも4人。渡された料金表(お布施に料金があるのも変)の合計が72万円!お金を包む時、舅と姑が汗水たらして貯めた金をクソ坊主に取られるのが悔しくて、思わず涙が出ました。あとでわかったのですが、このお寺はかなり評判が悪いらしく、住職が愛人を作って奥さんが出て行ったとか、末寺の住職が危篤になりまだ死んでないのに檀家の引き抜きにかかったとか、ケンカして檀家をやめた家が二、三軒あるとか、ろくな話を聞きませんでした。私が喪主なら、こっちからお断りだとタンカを切ったでしょうけど、姑の立場上それもできず(今思い返してもむかつくー!そのうちバチが当たるぞー)。

 ところで、親戚や近所への対応は夫が引き受け、私はもっぱら葬儀屋と交渉しながら進行役みたいになっていたので、あまり火の粉は飛んで来ませんでした。ところが葬式の最後の「お念仏」の席で、夫が何気なく「関西じゃ葬式の坊さんは一人なんだってさ」と言ったためさあ大変。「それは街のやり方でしょ」「小貫(うちの地区)じゃ小貫のやり方でやってもらわにゃ困る」「坊さんが一人だけなんてどこの宗派だ」と、いっせいに私へ集中攻撃が!姑の手前、ニッコリと穏やかに答えたけれど、腹の中では(じゃかあしい!!ひとの家の葬式に何ガタガタぬかしとんじゃ!ふざけんな!)大阪から嫁に来た私が葬式の首謀者だと思われたようで、この時ばかりは長男の嫁であることにほとほとうんざりました(あとでキレて夫に八つ当たりしたのは言うまでもない)。

 もうひとつおかしいと思ったのは、客の接待にエネルギーが使われ、一番疲れている遺族への配慮がない点です。今回は死亡が平日だったので、集まってきた近所や親戚は年配者ばかり。座ってああだこうだ言うだけで殆んど役に立ちません。昼近くになり、夫の叔父が「みんなに昼飯出さにゃあ。寿司でも取れや」と言った時は、「何で?」と思いました。私達は朝食も取ってないのに。お茶運び、玄関の掃除など、裏方は夫の姉だけ。この日休日だった甥が、唯一車で何度も買い物に行ってくれ助かりました。お通夜も知らぬ間にビールや酒が注文され、夫が言わなかったら夕飯まで用意させられるところでした。葬式当日は近所の手伝いが来るけれど、家が会場なので、みんなが使いやすいようにこちらが準備しなくてはならず、結局大変。

 まあ私たちが通常と違う葬式をしたから、近所や親戚もどう動いていいかわからなかったかもしれません。やはり新しいことをする時は、手足になってくれる実働部隊を作っておかねばと痛感しました。

 最後に、嬉しかったことを書きます。農協葬祭センター(実際は下請)の担当者がとてもいい人で、こちらの趣旨をよく理解してサポートしてくれました。彼の一言、「葬儀は、集まる人それぞれの人間性があらわに見える場です」はまったく実感です。将来いつかは独立したいとのことで、環境にいいものを使いたいといろいろ質問され、二十一世紀の新しい葬儀を作りましょうと大いに意気投合しました。

 また、葬式のてんまつをある農業関連ホームページの掲示板に書いたら、全国から激励のメールを頂き、いちように、簡素な葬式に姑が賛同した点を評価して下さいました。日頃夫が、金のかかる葬式のくだらなさを姑に話していたのが功を奏したのか。やはり、舅が家で楽に逝ったので、姑も満足したようです。

 そして、親戚の20代の女性が、「上の世代がみんなこんな風にしてくれたら私たち若い者は助かるよ」と年配者に話してくれたとのこと。これを聞いて、私たちが新しいやり方をするのは自分たちのためだけでなく、後に続く世代のためなのだと気がつきました。もちろん、田舎で商売をしている人などは、実行したくてもなかなかできないでしょう。だからこそ、できる条件のある者が第一歩を踏み出す必要がある、踏み出してよかった、こうなったらもうあとへは引けないわ、と思う私なのであります。(2004年1月記) 

【後日談】 
 四十九日まではすったもんだしましたが、そのあとはしだいに収まってきました。夫の叔父が言った「よそと違うことをしてもいいけれど、何もうちが一番先にすることはない」ということばが、大半の人の本音だろうと思います。また、強欲なお寺は、翌年住職が窃盗で逮捕されました(夜中に軽トラでホームセンターへ植木を盗みに入り、御用になった)。バチがあたったと言うより、自分で墓穴を掘りましたね。

 整体をやっている人くらいにしか話しませんでしたが、この葬式が終わった日の夜がおもしろかったです。
 葬式の直後、私はもう頭にきて悔しくて悲しくて、ふとんに入ってからも涙が出てとまらなくて、もうこんな家誰が居るものか、あんなバカな親戚や近所とつきあっていくなんてもうたくさん、今度こそ出て行こうと、本気で考えていました。

 そうしたら、酔っ払った夫が部屋に入ってきたので、「何であんなところであんなことを言うのよ、おかげでとばっちりがみんな私に来たじゃないか」「アンタは酒に弱いから今日は飲むなと言ってたのに、火葬場にいる間に断りきれず飲んじゃって、肝心の葬式のとき居眠りばかりして本当に困った」「香典返しのお茶が足りず、その穴埋めに走ったり、司会をしながら大変な思いをしてたのに、アンタは何も役に立たなかったじゃない」「だいたい私がいなかったら、お父さんだって家で楽に逝けなかったわよ」「今日の葬式も、誰のおかげでやれたと思ってんの」まあこんな感じで、それまでこらえてたものをいっぺんに噴出したので、夫はオロオロ。

 それでも、酔ってたのと睡眠不足とで、「まあまあ、よくやったよ。うん、アンタがいなくちゃできなかった。これからも頼む」なんて私のご機嫌を取って即寝てしまいました。のんきにいびきをかいて寝ている彼を見ていると、ますます悲しくなってきて、私の苦労なんか誰もわかってくれないんだとしくしく。20分くらいたったでしょうか。

 突然夫が「うわあああああ!痛い!痛い!痛い!」と叫んで転げ回りだしたので、びっくり仰天。「背中!」と言うだけで、目をむいてけいれんをおこしたようになっているので、どうしてよいかわからず、あわてて整体の先生に電話しました。ことの次第を手短かに伝えたところ、無理に止めようとしないで、藤田さんの手がいくところに愉気してあげると、しばらくしたらおさまると思う、そのあとも何か反応が出るかもしれないので、また変わったことがあればいつでも電話下さいとのことでした。

 15分位して痛みは収まりました。夫の話では、肩甲骨の内側に、これまで経験したことのないような痛みが突然襲ってきて、私に説明するどころではなかった、叫んで転げまわるほか何もできなかったそうな。整体をしていなかったら、間違いなく救急車を呼んだでしょうね。

 そして翌日から、夫は咳が止まらなくなりました。本人は、気管支が弱いので線香の煙にやられたと言いますが、よその葬式に出たときの比ではないくらい咳が続き、病院へ行って咳止めをもらっても止まらず。

 この頃遺跡から出土した遺物の整理作業の仕事をしていて、図面書きは咳をしてたらとてもできない、仕事は当分休む、と本人が言うので、またまた整体の先生に相談。そうしたら、仕事をすれば咳は止まるから行った方がいいと言われ、半信半疑で出勤したところ、本当に咳が止まりました。でも昼休みになると咳が出る。

 そのうち、咳が出るのは、休憩時間とか食事や入浴時、床についたとき、つまり「ほっと気が緩んだとき」であることがわかってきました。反対に、仕事をするときは緊張するので、ぴたっと咳が止まる。それと、自分の見たいテレビ番組を見ている時。そういえば正月特番の「レ・ミゼラブル」を見ている間だけ、咳が止まっていたっけ。

 結局一ヶ月くらい咳は続きました。あとで、藤田さんのご主人はいい身体してるよ、と整体の先生に言われましたが、確かにこんなすぐ反応が出るなんてすごいのかもしれない。親が亡くなるということは、本人はさほど自覚していなくても、無意識のレベルではかなりダメージになるのですね。

 もっとも、(整体の)会員の人たちには「藤田さんが出て行く!なんて言ったものだから、ご主人の身体が出て行かないで〜って反応したんじゃない?」とからかわれましたが。確かに、夫がうめきだしてから、私の怒りはどこへやら。あのときよりはるかにずうずうしくなっている自分を思うと、みんなこうやって一家の主婦になっていくのかなあと思います。

【今から思えば・・・】
 うちの葬式のケースは、都市部と違って田舎の葬式の問題点を改善する一例としてお読み下さい。都市部の葬式の主な問題点は、業者が人の死を金儲けの手段に利用していることですが、田舎の場合は多少事情が異なります。もちろん田舎の葬式と言えども業者抜きには存在せず、うちの周辺でも葬儀場がだんだんできてきて、業者にふんだくられる割合がどんどん高くなっています(田舎は農協が葬祭センターを持っていて、そこに頼むことが多い)。

 私が葬式をやってわかったのは、田舎の葬儀を主催するのは葬儀業者と隣近所とお寺であること。遺族ではないのです。それを私たちは、遺族が主催でやろうとした。周囲ともめた一番の原因はそこでした。葬祭センターの担当者が理解ある人だったので、業者とだけはあまり摩擦を起こさずにすみましたが。

 以前新聞の「葬儀を考える」特集で、どこかの田舎に住む人が、「父が、自分の亡くなるときは坊さんも来なくていい、身内だけで簡単にしてほしいと言うので、近所の人にその通り話したら、猛反対され、あんたの家がそうしたくても近所は近所で(普通の葬式を)やるからと言われた」と投書していました。これは極端な例でしょうけど、田舎の意識はそんなものです。

 事実、去年隣家での葬式の際は、長老たちが「慣例」や「しきたり」「常識」を強調し、近所で出す香典も一律五千円でそろえてほしいと通知してきました。うちの葬儀の時はそんなものはなく、五千円の人もいれば二千円の人もいました。「自分たちがもらう番が近くなったから、今のうちから値上げしとこうという魂胆じゃないか。うちのやり方を若い連中がまねしたら困ると思ってるだろうよ」とは夫の見方。

 またその家では、業者の言いなりでいろいろ「オプション」をつけたので、業者に払った金額はかなりになると思います。だいたいこの辺は、お寺、業者、料理と引き出物にそれぞれ70〜100万円ずつが相場で、200〜300万円が通常レベルの葬儀費用です。うちはそれをトータル120万くらい(と言ってもお寺が72万も取ってる)でやったので、文句を言われる訳ですね。



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