第35号2006/06/01


豆ランチパーティー 春(4月〜6月)
 


過去から自分を解き放つ (4/17  高島 千晶(たかしま ちあき)

 今日は豆ランチパーティーで、人数が10人と少なかったこともあり、とてもじっくりとみんなの話が聞けてよかった。いつもながら司会者としてはいくつかの反省点はあるものの、個人的にも気がつくことの多い、期待した以上のとてもよい会になったと思います。ヒサコさん、ありがとう。

 「母」をテーマには話がしづらくて、このメーリングリストにも個人的な母への思いはあまり書けなくて、それがなぜなのかなあと思っていたのですが、今日はこんなことを思いました。

 まず、今日ただ一人の男性参加者の話で、自分は男だからお母さんとの葛藤よりもお父さんとの葛藤がずっとたいへんだったという話がありました。これはエコロジー事業研究会のMLで加藤哲夫さんも書いておられたことで、父親のせいで自分が思う通りの人生が生きられないと感じている男の人は多いということ。今日の男性参加者は、最近お父さんがある失敗をされたときにお父さんが小さく見えて、それまで自分を威圧してきたお父さんの像が妄想に過ぎなかったと気がつき、お父さんから自由になったんだそうです。この話はとても共感して聞きました。わたしの父もゴッドファーザーというにふさわしい人なので、わたしも父が経済的に失敗をしたときにやっと父のことを相対化してみることができ、乗り越えられたと思うのです。これは今日のパーティーの場でも話しました。

 そしてこれからが書きたいことなのですが、母親のことを考えた場合、そんなふうに相対化することで乗り越えたいかというと、実感としてどうも違うように思うんです。「この程度の男か」というような相対化が父と上手くつきあっていくうえでは絶対に必要で(そうでなければ脅かされ続けることになる)、しかもそういう相対化さえできれば父との問題はきれいさっぱり片づいてしまうのだけれど、母親の場合は違うのではないかと思えてならないのです。母の場合は、問題があるときに「その程度の女」とたとえ相対化してもその問題はすっかりは片づかない気がします。

 今日のパーティーで、はるかさんが「親っていうのは自分の人生をずっと見てる『その程度の存在』と思うのがいいのかもね」と言ったとき、そう、そうしたさばさばした見方がはるかさんにはとてもよく似合うし、父のことを考えるとそうなんだけれど、実感として、わたしは母にはそう思えないと思いました。

 父にはよくあてはまるんですね。父の方でも今は私のことをそう見ている気がします。「いろいろ親として期待もかけたけれどこの程度の娘だったか」と。そう思った上でお互いまあ仲良くつきあっています。半ば他人とつきあうように。でも母は違う。母にとってはこどもは今も特別に大事だろうと思う。今日、50年前に死産したこどものことを母がどんな風に感じているかということを豆ランチパーティーの席で話したけれど、死産した子どもにさえ母はひそかに、あふれるような気持ちを持っていたのです。

 そして子どもの私の側にも、どんなに母の言うことの俗っぽいいちいちがつまらく感じられ、それを心の中で批判し尽くしたとしても(実際、若い頃は対立ばかりしていました)なお、何て言うんだろう、特別に神聖な何かを母の中には感じずにはいられないんです。もう今は小さいおばあちゃんになってしまった母に対して、わたしはある種ロマンティックな思いを抱き続けている気がします。母のことを考えただけで泣きたくなるような何か、、。

 それは、わたしが母親として子どもたちに対し感じる気持ちの中に、わたしの小さい器(自我)を越えていくような力強さを感じる事ともつながっているかもしれません。命の源としての母親、、、というような。

 そして、それは少なくともわたしには相対化して色あせさせる必要のないもののように思える。母が死ぬまで、わたしは母の中に神聖なものを感じているだろうと思う。母が死んでもそうだろうと思う。もちろんこれは、あくまで私の場合の個人的な実感です。一般に母との葛藤がきれいに片づかないのも神聖視に原因があるのかもしれず、神聖視することがある人にとっては苦しみの原因にきっとなるんだろうと思う。そういう時、どうしたらよいのかわかりません(わたしの場合は、結局わたしが幸せな家庭を持ったのを見て母が安心し、葛藤は終わりました)。

 まさえさん、そう、昨日は母親、配偶者、子どもと一体化することの危険について話したんでしたよね。親しい人と一体化してしまうとそれぞれがいきいきと生きられない、つまらない関係になってしまうということ。わたしは無々々との関係で、そのことを話しました。危うく一体化してしまっていた時期を経て、また一人の他人として感じることができるようになったことで、お互いつまらないことでいらいらすることも減り、話していても楽しくなった。そうできるようになってきたのは、我が家を訪ねてきてくれたり、豆ランチパーティーで話をした人たちのお陰が多い。家で閉じた関係になっていると自分や相手を相対化しにくい。子どももきっとそうだろう。お母さんがダメだと言っていることをいいという人がいたり、お父さんをちゃかす人がいたりすると、子どもも楽なんじゃないか。昨日はそんな話をしました。

 そう、まさえさん、一体化、絶対化の反対は「相対化」です。これは、大事。これなしには成長できない。娘が小さいとき、わたしのことをじっと見て「お母さんって、どうしてこんなにきれいなの?」と聞いたことがあります。小さい頃はもう絶対化しているんです。これはこれで幸せで大事な時期です。でも、だんだん社会的な基準が分かってきて、今はわたしが「菜芭と光太郎は幸せだねえ、こんな美人で料理上手の母ちゃんがいて」などと言おうものなら、娘はもうにやにやとして「そうでもないと思うけれど」と言います。もう、娘はわたしをだいぶ相対化しているわけです。息子の方はまだ小さいので素直にうなずいています。たぶん、母や父を相対化し、同時に自分を「この程度の人間か」と相対化できるようになるということが大人になることだと、わたしは思っています。

 その「相対化」が大事だと思っていて、それができるのが知性だし、成熟するということだと思うのだけれど、にもかかわらず、絶対的なもの(美しいもの、尊いもの)が母にはなお感じられる。これはこれでいんじゃないかと昨日は思ったのです。
 わたしは母に感謝する必要はないと思っています。あえて恩返しすることは、つきつめて考えると、必要ないと思っています。わたしがちゃんと生きることで、既に母には報いているという気がしています。

 これは子どもを持ってはじめてわかったこと。「こういう事だったのか!」とわかった。子を持って初めて分かる親の恩、と俗に言うけれど、わたしは言葉にしてみれば逆のことを思ったのです。わたしは特に子ども好きということではなく、むしろ子どもを産みたくないと思っていた時期もあったのに、娘が生まれるやいなや、もうその美しさに圧倒され寝ても覚めても子どものことばかり考えるようになることに驚きました。夢中になるのです。自分の子どもなのに、それこそ神を思わせるような完全さが赤ちゃんにある。それにひきかえ母親である自分はとんでもなく不完全。感謝されるなんてあり得ないと思いました。

 それにしても先日の豆ランチパーティーでは、まったく初対面の人も二人いて、豆ランチパーティーの初参加の人があわせて四人いたのだけれど、すぐに密度のある話になった。ヒサコさんをはじめそこにいた人が話してくれたこと、話そうとしただけで何かが伝わってきたこと、忘れ得ないと思う。こういう小さい集まりがかくも有意義であることを思うと、たいして有意義でないことにお金や労力を使う必要性が、ますます感じられなくなる。

 先の話の続きですが、わたしは小さい頃から母に文句ばかり言っていたのですが、子どもを持ってみてそれが無理なかったことに気がついたのです。母親というものは完全でなくてはいけないと小さい頃のわたしは漠然と思っていたのでしょうが、自分が出産してみて、誕生してきたばかりの美しい赤ん坊にふさわしい完全さは、自分の中のどこをどうさがしてもないんだということに愕然としたのです。「こんな頼りない母ちゃん一人でなく、しっかりした母ちゃんをもう一人用意しなくちゃ、この子がかわいそうではないか。かみさま!」とかみさまに文句を言いたくなった。こどもが親にがっかりするのは無理からぬ事と思えました。がっかりさせる他ない宿命だと思ったのです。

 考えてみれば、わたしは子どもがお腹の中にいるときから、うっすらそう思っていた気がします。「どうせ生まれてきたら、たいしたことはしてやれないんだから、せめてお腹の中にいるときくらいは」という気持ちで、日々、お腹の中の子どもに話しかけていました。

 わたしは32才で初めの子どもを産みましたが、豆ランチパーティーに参加した人の中には22才で出産した人もいて、わたしが「子どもが生まれてきたことによってどう生きていったらいいかが見つかった、子どもがいなかったら豆屋をすることは思いつかなかった」と言ったところ、「それは歳をとって子どもを産んだからだと思う、若いときに産むと『子どもがいるからできない』ということの方に目が向く」と言われました。若いお母さんは、思い浮かべていたのとちがう子育てのたいへんさにびっくりするという話でした。

 そうか、そうかもなあ、とその時、何となく思ったのですが、それは「年をとって自我を確立してから子どもを産んだ」というようなかっこいいものでは決してなく、きっと子どもを産む前にたくさんの挫折体験が私にあったことが影響しているように、後で思いました。

 さんざん、それまで職場でも恋愛でもありとあらゆる人間関係で挫折して自分の身の程を知ってから出産したので、おおよそ子育てが簡単にいくはずがないという見当がついていたところが違うのかもしれませんね。

 昨日の相対化の話ですが、以前まこみさんが『かけがいのない、大したことのない私』という題名の本を紹介してくれていました。「大したことのない私」という部分が、自分を相対化するということだと思う。

 そして、その相対化の重要性を確認した上で、相対化できないものを持っていることの大事さにも改めて気がつきました。相対化ばかりでは人生は色あせてしまう。親もこの程度の人間、自分もこの程度の人間、恋人もこの程度の人間、、、、。そうやって相対化した上で、それでもなお、その大したことのない母の中に、あるいはばかな自分の中に、あるいはぱっとしない男である恋人や夫の中に、絶対的に尊いものを感じるということもまた手放せない実感だなあと思いました。その実感は、世界に恋するということだと言ってもいい。セザンヌが実現しようとした感覚なんだとも思う。

 追伸:子どもが生まれたときは、自分の不完全さに愕然としたわたしですが、その後開き直って、堂々たるおっかさんになりました。これから産む方、上の私の文章を読んであまり心配しすぎないで。子育ては、習うより慣れろ、でした。


自然食品店を始めて (4/23) 成瀬 知詠子(なるせ ちえこ)


豆ランチパーティー

 23日の豆ランチパーティーに参加させていただきました成瀬チエと申します。
 豆ランチパーティ、初参加でした。都間さんに誘ってもらわなければ参加してなかったなぁ・・・というのも、基本的に私は腰が重いんです。でも、本当に参加させていただいてよかった。

 私、今、京都駅からさらに南の十条というところで、暮らしつつアロマとボディワークの店をやっています。店といっても、基本的には家なのでこじんまりと。

 前勤めていた店があってその店に来てくださっていたお客さんがそのままウチにも来てくださっているので一人立ちした今も、なんとか日々を過ごせていますがそれでも、不安は多大です。

 今月はなんとかなったけれど来月はどうなるんやろーとか。ちょうど、一人立ちして4ヶ月。始めたばかりの私の様子を見に来てくださったお客さんも来なくなったりするのだろうなー・・・なんて不安を抱いてた時に誘ってもらった豆ランチパーティーでした。

 店を始めた経緯も、まぁ、あまり後先考えずにって感じだったんですがそれでも、個人でイロイロやっていく上で今回のゲスト・サンスマイルの松浦智紀さんの話、千晶さん、無々々さんの話本当に力になりました。松浦さんの、「何にも考えてなかったんですよねー!あははー!!!」とあっけらかんと笑う姿に正直、ホレボレいたしました。お百姓水田さんの、無農薬に対する真摯なお姿にも。

 みなさんからパワーもらって自身のエネルギに全て変換できました。ああー、楽しかったなぁ。

 またこれからもできる限り豆ランチパーティーに参加して色んな人とお会いしてお話して食べる楽しみ、話す楽しみをじっくり味わいたいと思ってます。

 最後に松浦さん。本当に仕事が恋人のような方。でも、恋してるからこそ(?)イキイキしておられるのかな?(笑)

 今日も銀手亡豆のスープをいただき、みなさんの活躍があったからこそいただける旨みをヒシヒシとかみしめておりました。


ドイツでパン屋さんを見てきて (6/18)  金子 愛美(かねこ あいみ)

 6月18日に行われた豆ランチパーティはドイツパン屋さんで働いていたナツキさんのお話。彼女の焼いたドイツパンも食べられるということで、天然酵母パン大好きのわたしはわくわくしていました。場所は下鴨サプライズ、飴色の床、重厚な家具、、お子さんも何人か参加してのとても和やかな中で始まりました。

 ナツキさんは現在25歳。若いのに自分をしっかりもっていて、とても魅力的なひと。美大に通い芸術で自己表現をしていました。そのころの彼女にとって芸術とは日常とは離れているものと感じていたそうです。作品を創っていく中でいかに、色、線などにひとつひとつ説明や意味づけをしていくこととかが大事とされている芸術表現に疑問を感じ、色ひとつ選ぶのも嫌になったそうです。

 あるとき、緑色のものばかりを展示した個展をおこなった。そして緑色のお菓子も作っておいた。入ってきたひとりのお客さんに、ひとつひとつの絵にどのような意味があるのかを説明しながら付いてまわった。その人がお菓子を食べてこう言った。「このお菓子を作るように作品を創ればよいのに」。ナツキさんははっとさせられたそうです。頭ばかりに気持ちがとらわれていて、自然体の自分がいなかったことに気付く。それから「食」で表現していくほうが自分に合っているのではないかと思ったそうです。

 そしてドイツのパン屋さんで働き始め、ついにドイツにまでいってしまった。そこではたくさんの貴重な経験をしてきたそうです。

 ドイツは駅に着くとそこかしこに食べ物があって、美味しそうな香りで満ちている。サンドイッチなど包装されずに山積みになっている、日本にはない風景があった。そしてたんまりあったパンも夕方にはなくなってしまう。そのとき、むかし大手のパン屋さんで働いた話もしてくれた。日本ではお客さんが選べないと売れないからといって、捨てるのを前提にパンを作るらしい。そうこうとドイツといろいろと比べると、ドイツはとても無駄がないように合理的になんでもできていると感じたそうです。

 盛り上がったのはドイツのスーパーで扱われている食品について。ドイツでは着色料や増粘剤など混ぜモノをしてある食品を販売することは法律で禁止されているそうです。千晶さんが一言「日本のスーパーの商品をドイツの法律でみると90%が法律違反になりそう!」日本でもぜひ取り入れてほしいという話をしました。

 今は調理師学校に通っているナツキさん。西洋料理と日本料理の違いをすごく感じると言います。西洋料理はたくさん手を加えていかに自分のイメージ通りのものを作るか。日本料理はいかに手を少なくかけ、素材を生かすかを大事にするそうです。この話を聞いて、私の中で西洋料理は支配的、日本料理は自然にそった料理に感じました。パンの話を聞いたときに「どう焼けてくるのかが楽しみなんです。焼きあがってくるまでわからないから。」といったナツキさん。絵を描いていたときの彼女とは違い、自然に半分身をゆだねている肩肘をはっていないまっすぐなナツキさんがいました。そんな彼女の焼いたパンは素朴で、噛むほどに味があって。お料理はとてもこころづかいがされているように感じました。

 彼女が話し始めたとき、黒い目でゆっくりと話す姿がとても印象的でした。本当に目なんてとても澄んでいて、ぴかぴかビー球みたいにキレイなんです!! ひとつひとつ頭に浮かんだイメージを私達に伝わるようにか、ちょっとずつ紡ぎだされていく言葉。その姿をみているだけでともてマジメな人なんだということを感じます。そしてこうして話しを聞いてきて、やっぱりとてもマジメで、こころにたくさんのひだを持っていて、とても感性の豊かな人だなと思い、すっかりファンになってしまいました。

 参加した方達もそれぞれ響いているところが違って、感想を聞くことでたくさんの感覚がわたしの中に入ってきてとても有意義な時間でした。人がこうして出会うってすてき!! 豆ランチパーティ最高でス。これからのナツキさんの活躍をとても楽しみにしています!! 

エチオピア・エッセイ (5)
 
シャシャマネの一家族から 中森 千尋(なかもり ちひろ)



ドゥナモ一家 ドゥナモ一家

  シャシャマネはエチオピアの首都から250キロ南に下がった地方都市である。年間の平均気温は15度から28度、そして年間の平均降水量は1700mmと緑豊かな過ごしやすい土地だ。街には馬車がポクポクと往来し、中心部には喫茶店でフルーツジュースを囲む学生たちが談笑し、横ではコーヒーをのみながらなにやら真剣な表情で熱弁をふるう市役所員、後ろにぼんやりと空を眺める老人が座っている。1974年からエチオピアを治めていた共産主義政権が1991年に崩壊すると、以後民主化したエチオピアはここ数年でようやく経済成長を遂げつつある。シェコの村での生活の不変性をよそに、地方都市ではモノと情報が大量に流れ込んで来ている。喫茶店の隣には、電化製品屋にソニーのテレビ、パナソニックのラジカセが並び、道を挟んだ向かいには銀行や貴金属店、CDカセットテープ屋も建ち並ぶ。

 しかし、街から2キロも離れるとのどかな農村がどこまでも広がる。すでに土壁と草葺きの伝統的な丸い家ゴジョベッドは姿を消し、トタンをかぶった屋根とコンクリと泥をまぜた壁をもつ「近代的な」家々が点在している。

シャシャ郊外風景 シャシャ郊外風景

 ドゥナモ一家もそんなシャシャマネ郊外に住み農業を営んでいる。父ドゥナモ(47)の他、母イジウ、長女イタレマ(17)、次男ザリフン(16)、三男ウシェートゥ(13)、四男イヨブ(8)、次女ベツレヘム(1)のエチオピアでは平均的な7人家族である。僕はここで半年もの間彼らと付き合って来た。ほとんど毎日過ごした彼らとの思い出は、たわいのないおしゃべりや、ともに料理をつくったり、子供たちの宿題をみてやったり、そんな断片のつながりのなかに凝縮されていて、それを何か大げさなドラマのように語り尽くすことは到底しがたい。でも「家族」という地球上どこにでもある生活のひとつの基盤をみることは、自分の生活を客観視するひとつのきっかけを与えてくれるかもしれない。

 そう思ったのは、三男ウシェートゥがすでに慣れた手つきでナイフをあやつり、ニワトリを捌いている様子を見たときであった。四男イヨブは、はやく自分もナイフ使いを覚えようとニワトリの解体に手を出し、お兄ちゃんのマネをしようとしてはウシェー(家族からの愛称。家族の中でも互いにニックネームで呼ぶことが多い。)から「違うよ!そんなんじゃダメだ!」と叱られている。13歳と8歳の少年がナイフをぶんぶん振り回してニワトリを捌く。日本なら少年動物虐待などとニュースで好んで取りあげられそうだが、ドゥナモ家族での日常風景である。エチオピアでは幼少の頃から男女問わず、ナイフや包丁の扱いを教わる。長女/長男は両親から、そして後は兄弟が年下のものに教えて行くのである。「危ないから」などといって刃物から子供を遠ざけるのではなく、逆にその「危なさ」を身を持って覚えさせるために刃物を子供に握らせる。

ウシェとベティ ウシェとベティ

ウシェートゥはさも得意げにニワトリの何たるかを僕に語り始めた。「ここに心臓があるんだ。ほらちっちゃいだろう?これは胃袋。ぼくらのお腹にあるやつだ。胃袋からほら腸がのびてる。なかのものは汚いからこうやって捨てるんだよ。ぎゃあ!これまだ出ていないウンチだよ!きったねえ!!」血も肉も汚物も、ウシェートゥの中では目を背けるべき対象なのではなく、完全に一つの当たり前な現実に収束されてしまっている。生き物が生きているという単純な事実。それを屠殺し、人間の口まで運ばれるプロセスを、文字通り身を持って体験している。「もも肉」、「ささみ」などと、部位ごとにきれいにパックされ陳列する社会とは根本的にあり方が異なる。社会の中に、生き物の死や、血や汚物といった「きたないもの」が隠蔽されることなしに、また滅菌されることもなしに、むき出しに放置されているのだ。生の中に、ほどよく死が混ざっている、ともいえるかもしれない。そこに住む人間は絶えず死という現実に直面させられ、それが生に対して貪欲に、あるいは謙虚な力を生む。

 エチオピアで少年がナイフで犯罪を犯すといった事件はついぞ耳にしたことがない。先進国の間で昨今よく耳にする少年犯罪の一因は、生と死の行き過ぎた乖離にあるのかもしれないと感じた。

 「火」もまた然りである。長女イタレマは「私が最初に覚えた仕事は火を焚くことよ。」と述懐してくれた。木炭が主要な燃料であるシャシャマネ郊外では女の仕事は家の火焚きから始まる。5歳ぐらいから女の子は人間の生活のひとつの根幹をなす「火」を覚えさせられるのだ。そんなイタレマも多感な17歳である。オシャレもしたいし、将来に不安をもつ年頃だ。「チチロ!今日の髪型どう?」「このドレスとこのドレスどちらが私に似合う?」「指輪もしたいし、ネックレスもしてみたいな。」けれども彼女は常に家族の生活を考えている。近所の裕福な家で、学校が終わった放課後に家事手伝いの仕事をして日銭を稼ぎ、それをすべて苦しい家族の家計のために投資しているのだ。「将来は大学にいって、銀行で働いて家族を助けたいわ!」と、はずかしげもなく彼女は話す。

 シェコの村の生活と、首都アジスアベバのストリートチルドレンたち、シャシャマネの家族の生活。エチオピア国内でも経済的格差がひろまってゆくなかで、彼らの生活はこれからどこに向かって行くのか。

 「チヒロ。肥料や農薬が悪いってお前はいうけど、いったいなにが悪いんだい?動物や虫に畑が荒らされなくて済むんだ。隣のタショーマだって農薬や肥料を使い始めてから収穫量が増えたっていってるんだ。」週末ごとにシャシャマネの中心街にある飲み屋で、一緒によく喋った父ドゥナモは農薬や肥料の有用性を訴える。現在、エチオピア政府は安い中国製の肥料や農薬を大量に輸入し、農業生産性の向上をはかっている。肥料を一度使えば、肥料なしには野菜や穀物が育たなくなる環境になってしまう。結局、近い将来、エチオピアでも先進国が問題にした土壌汚染問題を繰り返すことになってしまうのだろうか?

 土壌汚染問題だけではない。彼らが目指す生活は、メディアが流すいわゆる先進国的価値、すなわち西洋的価値に基づいた「裕福な」暮らしだ。ドゥナモは「生活は苦しいけど、徐々にお金を貯めて、テレビやソファが欲しいなあ。」ともいう。長男のザリフンは街に流れるアメリカのヒップホップや、ヨーロッパのサッカーに夢中だ。イタレマは、もはやエチオピアの民族衣装ではなく、テレビで流れる華やかなドレスに身を包みたい。母イジウは、木炭ではなくガス式のコンロがもてたらどんなに生活が楽になるだろうと語る。

 ドゥナモ一家だけではない。エチオピアで出会った人びとは、みな一様に西洋的価値に基づいた生活に憧れている。テレビやラジオから情報が大量に流れ込んで来たここ数年でその傾向はますます強くなっていると思われる。さらに、エチオピアの片田舎で起きている現象は、エチオピアだけのものではなく、他のアフリカ諸国でも、そしてアジアの片隅でも同様に起こっていることなのだろう。世界はヨーロッパが生み出した文化的価値に収束されて行ってしまうのだろうか。世界の文化の多様性が徐々に失われていくのだろうか。19世紀以降、我々が経験した「近代化」に伴う功罪を、同じようにエチオピアも味わってしまうのだろうか。将来、シャシャマネにスーパーマーケットが誕生しようとも、ウシェートゥにはニワトリをナイフで捌き続けてほしいと切に願うばかりである。

「リフォーム料理でひとやま当てて!」なんていわれても・・・
 
根石 佐恵子(ねいし さえこ)


 はじめまして。お豆さんがつないでくれたご縁で我が家の残り物救済料理を恥ずかしながら書かせていただくことになりました。一見豪華に!時間をかけず!できればおっとさんにほめられそうなものを・・・と心がけています。これからみなさんとリフォーム料理自慢をしていければいいなぁと思っています。どうぞおつきあいくださいね。

〈とにかくオムレツ&とにかくグラタン〉
 冷蔵庫が寂しくなるとよく作るのが「じゃがいも・ひじき・マカロニのサラダ」(味付けは、塩・こしょう・オリーブオイルが基本で気分で柑橘系果汁をたします)。ついいっぺんに、たくさん作るのでよくリフォームされます。形・味は変えたいが時間がない!そんなときはとにかく!ケチャップを混ぜたり醤油を足したりしてあとは卵の力を借りてオムレツです。フライパンにガーッと流し込んで弱〜中火でふたをしてほわっと焼くだけで子どもたちは大喜びしてくれます。(我が家は卵は貴重品なので余計に!)余裕があるときは庭のねぎやしそを刻んでぱらり。

 ちょっと時間があって一見豪華に見せたいときは、オーブンの出番です。ホワイトソースの代わりに登場するのが、下ろしたながいも、ミキサーにかけたコーン、これもミキサーにかけたご飯(プラス水)など。その日の気分や、いまあるもので間に合わせます。基本的にはさっくり混ぜ合わせて上にもとろっとかけて焼くだけなのですが、ここで欠かせないのがマサラです。リフォーム料理に「えっ!?」と言いながらもけっこう楽しんで食べてくれるおっとさんがブータン生活で手に入れたいろんなマサラ(こどもたちはカレーのにおいや!としか言いませんが・・・)を混ぜたりふりかけたりして家の中に香りを充満させます。するともうそれだけで、おおごちそうのような気分にさせてくれます。もちろんカレー粉でもよいのですが、ターメリックやパプリカなどで色を変えると、こどもたちは「赤だ!黄色だ!」と楽しんでくれます。

〈おやき&そのまんまおやき〉
 残る(冷める)と逆に扱いやすくなるのがご飯!このねばりを活用します。我が家では、焼くから“おやき”なのです。

 ご飯にじゃがいもを皮付きのまますり下ろしてまぜます。このときに醤油・塩・ナムプラーなどで味をしっかりめに付けるのがポイント!これで生地はできあがり!(ご飯とお芋の割合は適当です、ごめんなさい。お芋のでんぷんと水分がつなぎになるので、結構少なくてもまとまってくれます)。後は好みの具を混ぜてフライパンや、ホットプレートなどで小さめに落とし焼きのように焼くのですが、具はもちろん残り物おかずを刻んで入れてもgood!火が通りやすく、すぐ焼ける。そしてもちっの中にかしっと歯ごたえのあるものが入っていると二度おいしいのですよ!例えば・・・

ごま・じゃこ・さくらえび・おかかなどの乾物の類。すぐ間に合うのでもうがさがさ入れちゃいます。
しょうがのすりおろしと細かく刻んだ油揚げ(一手間かけてあぶっておくともうたまらん歯触りです)おつまみにはもってこい!
くるみの刻んだの(意外とごはんとくるみって合いますよ)焼いた後にはちみつプラス味噌を塗ると・・・・そうです!お口の中でくるみ味噌の完成!うまいです。
カレー粉(でた!)とコーンは子どもにうけます。お豆さんでもよいですよね!
びんからなめたけザーッとかキムチの素ザーッでも結構大人の味でいけます。あとはみなさんの好みで楽しんでください。生地も冬はじゃがいもの代わりにレンコンがよく登場します。サツマイモならチーズやナッツを入れるとスゥイーツに?(これは今思いつきました。冬になったらやってみよう!)スナック・おやつ・おつまみ感覚でアイディア出して下さい。

 そのまんまはもちろんそのまんまアルミ箔か耐熱のお皿にごま油やオリーブオイルをたらっと塗ります。ご飯をそのまんまべちょっとおしつけて平たくならします(ちょっとつぶす感じで)。オーブントースターなどですこし焦げ目がつくくらいに焼きます。これでピザ生地のようなでか厚せんべいのようなものができます。とっても香ばしい香りです。そこに好きなものをトッピングして、焼くとライスピザ。そのままだとオープンサンドのようになります。おにぎりだけじゃなく形を変えてみると喜ばれます。つなぎがないのでほろっとくずれることもありますが、パンがなくってもできるのがうれしいかな〜と思っています。待ちきれない子どもたちはマヨネーズとマサラをぱらぱらかけて焼いて食べています。案外いけます。醤油をちょっとたらしたりして・・・ああやっぱりご飯ってえらい!と思わず唱えてしまいました。みなさんやってみてね!

補足:「豆が出てこないじゃないか!」と言われそうですが、そこはみなさんお得意のお豆さんを混ぜたり、ミキサーにかけてトッピングしたり、すてきにアレンジしてみて下さい。


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