第32号2005/09/01


はるかのお金考
―家をシェアし、お金をめぐらせる―
 
大関 はるか(おおぜき はるか)


 3つの側面からのアプローチ
1)共同生活をしている我が家「下鴨サプライズ!」には、お客さんがたくさん来ます。
2)わたしは、プライベイトでよくイベントを企画します。最近はSOUTHというグループのマネージャーでもあります。
3)そして、わたしは、お金の使い方に、結構濃淡というか強弱がある方だと思います。
 この3つのことを話すと、わたしのお金に対する考え方が整理できる気がしています。

1)共同生活をして、もう7年になります。いろんな人といろんなスタイルの共同生活をしてきました。私はもとから友達が多いし(友達の種類も多い)、すぐに新しく友達になる上、オープンな性格なので、お客さんを呼ぶのが好きです。ここで問題なのは、一人暮らしであれば、どんなお客さんでも、何日間でも、どんな滞在の仕方でも構わないのでしょうけれど、なにしろ、光熱費を等分したり、ごはんを一緒に食べたりする関係の人がいる中なので、そう自由に思うようにはいきません。「お互いがどういう風に捉えるか」も、もちろん大事です。幸い私の同居人たちというのは、私が連れてくる友達との出会いを興味深く思い、「つながれてよかった。」と言ってくれます。これは、とても大切なことです。ポジティブに客人を迎えてくれる姿勢がなければ、宝の持ち腐れです。「人は存在しているだけで宝だ」と思わせるような人に恵まれている私としては、なるべくたくさんの人がつながればいいと考えているからです。ただ、お金には到底代えられないような出会いや知識・芸術の交換がすばらしいものであっても、光熱費は、やはり同居人の中で頭割りされるのが普通です。現金で。だから、客人が多いうちでは、カンパの目安の金額を決めています。自分が一人暮らしだったら泊めていたような人なら(つまり自分の部屋で一緒に過ごす)、1泊200円程度の光熱費実費(これは客が払っても、泊めた住人が払ってももちろんイイ)。うちが共同生活をしているから、泊まりにおいでよ。といった相手なら、一部屋貸して1泊500円〜1000円程度。直接の友人でない場合は、1500円程度(留守で部屋を貸した人に半額を渡します)。 

豆ランチパーティーat下鴨サプライズ! 豆ランチパーティーat下鴨サプライズ!

 これは、みんなが一番気持ちの良い金額です。シャワーや洗濯機を、客人が遠慮なしに使えて、それを貸す住人が快く貸せて、うちが多少潤う。住人の光熱費負担が多少減る。

 この気持ちの良い金額というのは、不思議なものなのですが、お金が存在するこの社会にいて、なんとなしに身につけた基準なのでしょうけれど、今の下鴨サプライズ!では、かなり、この気持ちの良い金額が確かにあるように思います。

 たとえば、ぶつぶつ交換で成り立っているうちですが、私の料理を食べる人で、例えば美容師のAは、私の髪を梳いたり、頭のマッサージをしてくれます。これは、たぶん私が料理するという行為に対する交換事項であって、食材を買うという現金を使った行為に対しては、髪を切ってもらう(プロだから普通は金をとる)とか、楽器を教えてもらうとかいう、本来ならば現金を介在させる行為でもって交換されています。これが別のMならば、料理するという行為に対する交換事項は、洗い物をしてくれるとか、ごみ出しをしてくれるという行為であって、食材の購入費は実費で、150円くらいのカンパを現金で入れてくれています。こんなことを上のようにこまごまと話し合った事はなく、ただ「変な感じせぇへんか?」とだけ聞き合います。毎月の住人会議でも、誰かが損を感じていないか、システムに変更がなくても、必ず毎回「変な感じがしないか」を確かめます。お金というのは、変な感じがはっきりしやすいものだと思います。

 私は、楽器や言語や何か技術的なものを教えてもらうときに、お金を払って、やる気を出すタイプなので、「楽器を教えてもらう」が、食材との引き換えで「いい感じ」がするのですが、他の同居人は、残ったパンと楽器のレッスンがバーター取引されて、お金が介在しなくて「いい感じ」と思うこともあるわけです。これは人それぞれなんです。

 大事なのは、双方が不平等を感じていないか。共同生活をする上で、もっとも大事なことは、自分の家なのに、不快に感じるとか眠れないとかいう、感覚がないか、でなければなくせるかどうか、だと思っています。

2)イベントをよくするということは、それだけ広報をするということになります。自分で言うのもなんですが、私は日々広げているネットワークがかなり深く広いものだと思っています。それに助けられて、イベントを打つと、たいてい多くの人が来て喜んでくれます。

 たまに人から「こういうイベントをするんだけど、はるかネットワークあるし、広報担当してくれない?」と頼まれることがあります。私は、広報は、自分が心底やりたいイベントでない限り、どんなにお金やものをもらってもできないことがわかっています。もちろん自分が興味あるものなら、お知らせ程度は快くしますが。「心底やりたい」かどうかが問われるのは、広報という仕事は苦痛にも面白みにもなり得るものだと考えているからです。

 人を助けたい(大げさな言い方だけど)と思って、通訳をちょっと手伝ったり、料理をしたり、自分ができることで、お金が介在しなくてもやることはたくさんあります。それは私が役に立ててうれしいと思うからです。広報も簡単なものならばそうなのだけど、私がする場合はそうでないことがほとんどです。世の中ではどれだけ広告宣伝費に予算を取っていることでしょうか。

 アーティストは特に、「あなた、何か楽器できるんでしょ?やってよ!」「絵描けるんでしょ?描いてよ」と、言われます。彼らがそれに深く関わっていればいるほど、パッとできるものじゃない。趣味なら程度にもよるけれど(私の料理みたいに)、それで生活している、あるいは、「現金の収入があまりなくても、心がこれが本職である。」と思っているならば、そう簡単には頼めません。

 ミュージシャンのマネージャーをするようになって、本当にいろいろ考えさせられました。すばらしい音楽やメッセージを持っている彼らが、自分たち自身を売り出すのがへたくそで、見ていられなくなって、もったいなくって、私はマネージャーになったのですが、彼らは私なしには、「これだけのお客さんに出会えなかった。」と言ってくれます。「CDも売れなかった」と。つまり、わたしたちは、3人でひとつと、お互いに認識しています(簡単にはそう思えなかったけれど)。だから、わたしも収入の一部を受け取ります。その代わり、責任のある仕事をします。広報も表面的なことではなく、もっと人間として気持ちのよい持続的な方法を、と思っています。大量のチラシを置きに、いろいろなお店を回るとき、チラシだけを置いて去るということは、絶対にしないようにしています。それならば置かない。

 繰り返しますが、世の中では、宣伝広告費には莫大なお金がかけられている。人をだましたかったら、なおさらに。私は、自分がしていることが本当にすばらしいことだと思っているので、ほんの少しのお金をかければ十分だと考えています。でも、ほんの少しはかける必要がある、と。カフェやレストランに置かせてもらうときは、その店とこちらの趣旨がかけ離れていないか。その店に来る客はどうか。店の主人とあいさつができる関係か。を考慮した上で、一杯のお茶か、食事か、それが叶わぬときは商品を買うようにしています。私の名前を知っていて、私がいろいろなことに手を出しすぎていることも知っていて、その上で「最近はどうなん?」と言ってくれる関係が、本当に効果のある広報結果を生み出してくれます。その店に自分のお金を落として、こころから自分の思いを話して、チラシを預けたとき、私は会話が楽しいし、お茶がおいしいし、他のお客さんにつないでくれたりすることを知っています。お金は一杯のお茶に代わり、自分の思いを伝えるための、重要な鍵の役目を担ってくれていると思っています。

 私は、数ヶ月に1回のペースで、イベントを打つことによって、いろんなお店や人や空間や出来事とコンスタントに関わることができています。このことは、自分の人生を間違いなく楽しくしています。イベントがうまくいくだけじゃなくって、ただの女の子であったら、ここまで幅広く、深く人や店と付き合えなかったと思う。ただの客なら、「はるか」と個人名で呼ばれることはなかなかないよ。「常連さん」と呼ばれるくらい。だから、私にとっては、こちらがとっても得をする広報活動なのです。それに係るお金はなんとも妥当。

 私は楽器も絵も知識も、これと言って人と分かち合うほどないけれど、私が伝えたいことを伝える術を持っている人があれば、企画をする。その人たちがもっと世にでることを手伝う。持ちつ持たれつで、少しの現金も入り、その一部は、よりよい企画になるように使う。よりよい企画になるようにちゃんとお金を使っているから、よりよい企画になって、人がたくさん来て、お金も入ってくるのかもね。

3)私の収入は、世間一般と比べると、だいぶ少ない方だと思います。でも、共同生活をしているおかげで、毎日おいしいごはんを食べながら、安く生活できています。それにあまり物を必要としていない。学生時代から、自分を豊かにするだろうと考えるものには、抵抗なくお金を使ってきました。そしてそれが何一つ間違っていなかったという実感が近頃強くあります。人との出会いや、おもしろい経験に使ったお金は、時間がたつに従って、形を変えて増えたり広がったりしています。現金は溜めておいてもなかなか増えないけれど、出会いや経験は、放っておいても、勝手に増える。京都に来てからは、気功や、心理学の勉強、遊びのワークショップ、日本語教師養成講座、写真、詩のワークショップ、環境教育やコーディネイターの講座、アコーディオンやムビラなど、いろんなものを学んでいます。自分の稼いだお金で存分にやれるのがなんとも気持ちイイ。ざっと計算すると月2万円くらいは、学びに使っている。収入の約7分の1だ!わぉ。でもこれらは、この後10年間の間に絶対役に立つことが、目に浮かぶ。たぶん7倍になり得る。

 7倍になると信じてお金を使っているなら、まだしも、別の1割は人のためにサクっと使ってしまう。でも、これはほとんど同じ金額で、すぐに回り戻ってくる。金が回っていることを実感するようになって、これは抵抗なくするようになった。

 ここで、一風異なるように見えるかもしれない使い方も紹介しなければ!だ。
 わたしは、どんなに高くてもオーガニックのものは、平気で買う傾向がある。たぶん母がそうしていたからだと思うけれど、異様にエンゲル係数が高い。自分の身体を作っているものに対して、ペイするのはなんなくできる。というのもあるけれど、他にもライブとか、フェアトレードの服とか、手作りの雑貨とか。

 私は、あまり物そのものには、そこまで固執していないみたい。たとえば、「アジアンなものが好きなのね。」と解釈する友人は、安いアジアンテイストの店を紹介してくれるが、私は全く興味がない。テレビに出るような人のライブも今のところ全く興味がない。

 私にとって大事なのは、たぶんむしろお金の回り方。たとえば、豆屋でフェアトレード屋の楽天堂さんに、自分の稼いだ大事なお金を落とせば、彼らは、間違いなく世の中が良い方向に向かうベクトルでお金を使う。私のお金は、楽天堂さんに渡した時点で私のお金でなくなったけれど、でもそこで終わりじゃない。その続きがある。食事処もそう。ミュージシャンもそう。つまり、世間一般が所属しているお金の世界は、その円周率が大きすぎる。コンビニに落としたお金は、ジャイアント企業に行って、そこのサラリーマンが、ゴルフに使って、農薬に使われて・・・となるであろう一方で、楽天堂に落としたお金は、無農薬の豆農家に行って、そこの農家はもしかすると、環境に配慮した製品を購入するのに、そのお金を使うかもしれない。あるいは、楽天堂に落としたお金が、早速わたしが主催するイベントに使われることもある。円周率が小さい上に、自分が望む社会に使われている可能性が高い。そして、こっちに投資あるいは投票している限り、この円(縁)にのって、自分にお金が戻ってくることがわかりよい。さらに、自分の望む社会(円)が広がる担い手であり続けられる。

 最近の一番大きな投資は、大学時代の友人が出版した本『絵本 日本国憲法前文』への出資で、100冊10万円。太っ腹だと言われたが、私の1ヶ月の生活費よりも高いものを、もらった手紙を読み終えて1秒迷うこともなく電話で出資を伝えたのは、売れる自信があったから。そして、広がるべきものが生まれることに、できる範囲で手伝いたかったから。ただの金持ちで、10万円の出資をするなら、私のところで本は腐ってしまう。私にとってのお金は、大げさに言うと、社会を変える日々の投票。

 お金って不思議なシロモノ。高校生のときに聞いた講演で、お金は食べられない。と気づいて以来、お金が世界をむちゃくちゃにしていると考えてきたけれど、確かにそうかもしれないけれど、最近の私は、お金があって、いろいろ整理できたり、ものごとがスムーズになったり、おもしろくなったりするなぁ。と、使い方におもしろみを感じるようになってきた。うまくつきあっていきたい。お金って、人に影響されることなく、人に影響することなく、自分の意思を主張できる方法だと考えています。

農業体験ツアー in 北海道に参加して
 
鈴木 宏子(すずき ひろこ)


 京都に楽天堂というお店があります。豆と豆料理を普及しながら百年先の文化やくらしを見つめるステキなスペースです。九月に北海道北見の無肥料栽培・銀手亡(ぎんてぼう・白インゲン豆)栽培農家を訪ねるツアーを企画中と聞いて、ぜひ参加したいという思いもあって、四月に豆料理クラブに入会しました。月に一度、豆料理のレシピと豆やスパイスなど食材を三千円程度のセットにして送ってもらっています。水曜日の昼はひよこ豆やレンズ豆、銀手亡や緑豆などと野菜、スパイスを使った料理を、スタッフの人たちと味わって食べています。いろいろ発見があって楽しいですよ。

 さて、農業体験&見学ツアーは、サンスマイルという埼玉の自然食品の店の主催で行なわれ、豆料理クラブから、おとな九人、子ども五人、豆を販売、加工する仕事の方々(和菓子屋さん味噌屋さん、自然食品店など)そして三人の生産者の方。さらにサンスマイルの会員で消費者の家族の方も二十人参加されていて、途中一緒に農作業や交流をしました。

 二泊三日のツアーは驚きの連続でした。初めてではないかのような親しさを感じる人たちに会い、語り合えたことが私にとっては大きな喜びでした。聖は三十一才の若いおにいさんたちと友だちになってずっとくっついて遊んだり作業したり、子ども同志もエネルギーいっぱいに一緒に遊び、よほど楽しかったようです。帰りの飛行機で「また北海道行きたい」と涙がにじんでいました。

 北見の農家の秋場和弥さん、訓子府(くんねっぷ)町の伊藤秀幸さん、帯広近く幕別町で農場を運営されている折笠(おりがさ)秀勝さん、息子の健(ますらお)さんとの交流と畑の見学、農作業はどれも印象深いものでした。そのケタ違いの広さ、一畝250mの長さでのカボチャの収穫、金時豆を束ねる作業をしつつ、その広さと大地と空間のエネルギーを実感しました。二十数町歩の畑で豆や野菜をいずれも無農薬はもちろん、無肥料で栽培が実際にできているのです。そこでとれたとうもろこしのおいしさ、生で食べてみた大豆の味わいの深さ、銀手亡豆、とら豆、紫花豆のつややかな美しさ・・・昼食には、しょうゆ味の黒豆と椎茸の煮物やスパイスのきいた銀手亡とキャベツの煮物。おいしさをどう言ったらいいかわかりません。

 そして夜更けまで続く交流会での生産者の方々のお話のおもしろさ。「自然はその人の力量を見てくれますよ」「感謝の心が一番大切。すべてのはじまりです」と伊藤さん。「マニュアルがないということがマニュアルなのですよ」―作物の声を聞き畑を見て考えること、どんな草が生えているか、何が育つかよく見きわめること、豆の根っこには根粒菌という植物にとって大切な栄養を植物が吸収できるようにしてくれる丸い小さなかたまりがたくさんついていました。

 「健康で生命力の高い作物を食べていれば医療費もかからない。みんなを元気にすることが本当の改革ですよ。」と秋場さん。おりしも時は衆院議員総選挙の最中でした。折笠さんはたくさんのじゃがいもの栽培実験をして、その土地にあったものをさがし、「自家採種がとくに大切ですよ。」おみやげにインカパープルやレッド、しょうがのような形のラット(ねずみ)というじゃがいもなどいろんな種類のじゃがいもをいただきました。

 三人三様の個性ややり方で、共通するのは、無肥料で取り組んだ経験と不屈の精神、信念、そして明るくスッキリした風貌です。それにおつれ合いや子ども(すでに大人です)がよき理解者であり、共に無肥料栽培を推進するパートナーや後継者であることでした。あまりの感動とショックで今もまだ胸がいっぱいです。

 それとともに、規模は全て違うけど、夫(宣仁)やこぼれ種の会の仲間の寺田さん、羽田さん外山さんたちと通じるものを感じ、その強い信念や、草や虫のとらえ方(すべて大切なメッセージであるという)に改めて気づかされ、感謝しています。

 それぞれに与えられた場で大地や空間のエネルギーを実感しつつ自然にそっていけたらいいですね。私はまだ自分の感覚に自信が全くありませんが、もう一度じっくり草や木、作物と話そう、聞いてみよう・・・と思ったことでした。

 (編者注)『ひかり農園通信』第269号(2005.9.14)より転載させていただきました。

『波照間、今ここパラダイス』(1)
PooL’s プロフィール PooL オガワ知子(おがわ ともこ)


  豆料理クラブの皆さん、はじめまして。私の名前はPooL(本名は小川知子)と申します。2003年の春から2005年の春までの2年間、京都で暮らしておりましたが、今年の春先にふと思い立ち、日本最南端、沖縄の波照間島(はてるまじま)へ向かい、今そのままそこで暮らしています。
 昨年、京都の雑こくユニットさんから「豆と雑こくのワークショップ」を依頼された時に楽天堂さんを紹介していただき、豆料理クラブを知りました。今回から私の波照間滞在(移住?)記を『らくてん通信』で連載していただくことになりました。よろしくお願いします。今回はプロフィール的なことをお話したいと思います。


 1967年に大阪で生まれる。小学四年で奈良に引越し、小中高大と奈良ののんびりとした中で過ごす。1989年大学卒業後、学生時代に知り合った作庭家の古川三盛氏のもとで植木職人となる。その年の冬に仕事でしもやけになり、「古川さん、来年の冬には私は絶対に南の島で暮らしていますから」とあてもないのにお腹の底から声に出して宣言する。その年の夏に、大学時代の友人で現在料理研究家の高野克典氏と道でばったり再会、近況をたずねると、「千葉で私立高校の教師(英語と美術)をしているが、春からシンガポールの日本人学校に転勤することになった。」という。その頃から料理上手だった高野氏に移住前に料理を習っておこうと冬の間に数日訪ねたところ、あまりにも楽しくて、数週間後に結婚。1990年春から私も一緒に常夏の島シンガポールへ。日本が冬の頃、ヤシの木陰のプールで泳ぎながら、「腹の底からの宣言って効くなぁ・・・」と不思議な気持ちになる。しかし、一年半が過ぎ、仕事が忙しくて大好きな料理も読書もする時間がない高野氏を見て、「こんな生活間違ってるよ、もう辞めて帰ろ。」と退職をすすめる。

 1992年春、帰国。2人で一日2〜3時間アルバイトをしながら、他の時間はそれぞれ好きなこと(私は企画、彼は料理の研究)をして暮らす。1992年秋冬、アート屋台イベント「ぷぅるぅ’sマーケット」を奈良町にて開催。1993〜94年、同じく奈良町にて春から秋までの毎週日曜日、晴れたらOPENする青空カフェレストラン「ケルコラカフェ」を2人で企画・運営。自家製の天然酵母パンや野菜・豆・雑こくを中心とした高野の創作料理を出す。1995年から「ケルコラカフェ」は定住型から移動型へと移行。各地のアートイベントへの参加やパーティーケータリングなどに出かける。よって、ネットワークが広がっていく楽しさを知る。この頃から、絵を描くのが楽しくなる。1996年夏のある日、突然PooLの中から“自由な踊り”が始まる。1997年春内的変革が起こり、自分の内側の声が聞こえやすくなるとともに、その声に対して誠実に行動する勇気も持てるようになる。1997年夏、8月8日(無限大、末広がりの日)にふと結婚をやめるというアイデアがひらめく。早速伝えてみるとナントむこうも同じ日に同じことを思いついたらしく「私たちの心はひとつやね!」と一週間後に円満離婚(ちなみに高野氏とは今もずっと兄妹のように仲良しです)。この年の夏のある日、突然PooLの中から歌詞がなく声の響きだけでひらめくままに歌う“自由な歌”がはじまる。

 1998年春から一年間、9年ぶりに古川さんのもとで庭仕事をする。「やっぱり外で土や植物に触れて仕事をするのは気持ちいいなぁ」と思う。この頃から「奈良の街を離れて、どこか田舎で暮らしてみたいなぁ」と考えていたところ、1999年春、不思議な縁があって岐阜県加子母村の森の交流大使*1に就任。2年の任期で村づくりの企画の仕事をする。この期間にワークショップの企画・運営方法を学び、「かしも村探検」や「色で遊ぼう」などのワークショップを企画、この頃から自己の脳内アイデアファクトリーにて「脳内お天気しあわせ研究学会」*2が始まる。

 2001年春、岐阜県立情報科学芸術大学院大学(http://iamas.ac.jp)に入学。「人の中に眠っている可能性の種を目覚めさせる方法」について研究。「+cafeプロジェクト」*3を立ち上げる。

 2003年春から京都に移り住み、また庭の仕事をしながら、2003年秋から2004年秋までの一年間にお「おくるみ展+週替わりカフェ」「紙紫色見本装丁展と布紫色見本洗濯展」「乳母車カフェ」*4「おひるねカフェ」*5「アイデアの工場」*6「眠りの物語と子守歌の夜」などを次々と企画。楽しいけれど忙しい日々を過ごす。人にくつろいでもらう企画をしながら、自分自身はものすごく忙しいという状況に段々と疑問を感じるようになってきたのでした。(続く)

鴨川べりでの乳母車カフェ


*1岐阜県の山村の村づくりに外からの風を入れようという県の企画事業で、1995年〜2001年までの6年間、2年ずつ3期にわたって実施された。
*2ある日突然私の頭の中で「♪パンパカパーン♪」と音が鳴り、「え?え?」と驚いていたら、また頭の中でピラピラピラ〜〜っと万国旗が広がり、「脳内お天気しあわせ研究学会ー!」と声がしたかと思うと「しあわせエネルギーの法則ー!」と開会宣言のような文章が出てきたのでした。この文章はPooLのHP(http://pool.i.am)に載せてあります。
*3人の中に眠っている種が発芽し、育ち、花を咲かせ、実り、次の種を生み、伝播していく・・・。これらを促進させる装置としての場(時空間)づくりを『+cafe』(波を起こすしかけとしての何らかの企画+自由な交流場としてのカフェ)というスタイルで行う。人の中に、そして人と人との間にゆるやかな波を起こしていこう、というプロジェクト。『+cafe』には大きく分けて「イベント+cafe」「シェアシェア+cafe」「インスピレーション+cafe」という3つのラインがあります。
*41対1のセッションのカタチで子守歌のコースをする屋台。PooLの子守歌は歌詞がなく、一人ひとりの方に向かった時に感じられる、その方の中心にある光のようなものを音に変換して、声の響きで歌っています。子守歌のコースは「色糸あわせ」→「糸でんわで子守歌」→「お茶の間」→「色糸薬」→「お守袋」と、一つの流れになっています。昔の籐でできた乳母車にコースで使う道具などをのせて出かけて行くのと、コースの中にお茶の時間があるので「乳母車カフェ」と名づけました。
*5おひるねをしてもらうためのカフェ。京都知恩寺の塔頭内の小さなお堂を借りて、数回イベント的に行いました。やわらかなしつらえ空間でのおひるね1時間+お目覚め後は縁側カフェにてごゆるりと。「おひるねカフェ」では、ご自分と一緒に過ごしていただく静かな時間を大切にしていました。
*6参加者6人という少人数制で3ヶ月間にわたって行った長期ワークショップ。「一人一人がその人の中心(オリジナリティー)で生きられれば・・・、そこから生まれてくる様々なアイデアやモノや事柄を他の人と分かち合えれば・・・。世界はきっと、もっと素敵で楽しいところにな るだろう。」『アイデアの工場』は、そんな願いから生まれたPooLの実験プロジェクト。


豆ランチパーティー・夏(6月―8月)  会員による報告


エコビレッジ in デンマーク 6/12 小俣 恵津子(おまた えつこ)

 前回のはるかさんの豆ランチパーティに参加していた私。その時、住まいはシェアしているんだよ、と聞き、見てみたいなぁと思って、今回のランチパーティに参加しました。正直私の出身地である岡山県は京都ほど人がいなかったりするせいかあまりシェアという感覚がないんです。

 はるかさんの家へきっと着けるという強い信念のもとに京阪出町柳から歩いていました。しかし案の定いつの間にか通り過ぎてましたが、はるかさんのメールにあった目印(Pとか右とか東とか北とか)を頼りに引き返し、黒い門を目指しました。黒い門を私は鳥居くらいなのをなぜかイメージしてしまい、えっ!?これ?どうしよ〜。でもなんか入り口まで遠いし〜、違ってたら、捕まるかも!とこの門じゃないかなぁとウロウロしていると、ジェントルマンが声をかけてくれたんです。はるかさんの・・・というと、ココデス。と教えてくれて、はぁ〜良かった〜。この辺りから急にスイッチ入りましたね。

 下鴨サプライズ!に入った瞬間、若干意識飛んじゃいましたね(^^;)なんじゃこりゃぁ〜っていう、ひとつの家に8人が住んでいて、シェアしてるんですね。庭なんかもあったりして。寮で2人生活でもなく、マンションのシェアとも違うような・・・。刺激の多い家だったなぁ。。。

 さて、はるかさんのデンマークのお話。前回に引き続いて、いろいろ聞けました。エコビレッジについてですが、エコビレッジが存在した背景、デンマークのエコ、おしっことうんちくりんを別々に流せるトイレなどいろいろな状況を聞くことができました。デンマークのお話もさることながら、はるかさんの部屋の居心地のよさ、みんな始めて会ったはずなのになんかおんなじ方向向いてる感じでしたね。引き寄せられてました、はるかさんに。

 ランチでは車麩のカツ、ハモス、おからコロッケ、うずら豆かぼちゃのスープ、ドイツパン、フランスパン、ベイクドビーンズ、などありました。そうそう、こうたろうくんがハモスを作って瓶に“こうたろう”と直筆サインと共に持ってきておられました。とっても優しい味がしました♪ランチもまた盛り上がりました。お話も尽きることなく、流れは、はるかさんの経歴に・・・千晶さんも触れていましたが、はるかさんのエネルギーについて。とっても大きくって、ドラマじゃねぇのか?と思うほどでした。久々にすっごい集中して人の話聞いた気がする。そして、自分に置き換えてみる、私のエネルギーはどこに費やしていたのかなぁと。そして、いろんな方の話を聞いて、どこかつながっていたり、共通点があったりするんですね。やっぱりどこか似通ってるひとたちが集まるものです。だから居心地がいいんですね。

 ちゃんとまたいろいろ整理して、動いていきたくなりました。千晶さん、私もとりあえず、台所を整理しましたよ☆何か自信が着いたような気さえするんだなぁ〜これが。自分もできるような感覚が・・・錯覚の間違えかしら。。。昨日感じたことをぼちぼちとたらたら自分の感覚で書いてしまいました。刺激的な日曜日でした。はるかさん、下鴨サプライズ!のみなさん、楽天堂さん、そして、そこへ居合わせたみなさん、素敵な時間をありがとうございました。 


分かち合う楽しみ 7/24 瀬戸 淳子(せと じゅんこ)

豆ランチパーティーat陀里 豆ランチパーティーat陀里

 「分かち合う楽しみ」−以前、MLで御紹介させていただいたとおり、私は現在、健常者と障害者が一緒に普通に生活できる場所作りや、そのために購入した甘夏山で採れた無農薬甘夏を利用したイベント等を企画する「甘夏プロジェクト」に参加していることもあり、今回の豆ランチパーティはかなり楽しみにしていました。今回参加された方々も、将来友人と共同生活を送りたいと思われていらっしゃる方、現在友人と2人でルームシェアされていらっしゃる方、家の一部を人に貸して共同生活を送っていらっしゃる方、多くの方との共同生活を送られていらっしゃる方々など様々で、これらの方々のお話も大変勉強にもなり、興味深いものでした(後述します)。

 メレディスさんがお話されたことは、先日のMLで紹介された彼女のレジュメ〈コミュニティ作りに関する草稿〉に譲りますが、コミュニティを上手く運営していくには、そのコミュニティに属する人の意見(発言)にしっかりと耳を傾けなくてはならないのだ、ということを私はあらためて思いました。以前何かで、人というのは他者の話を聞いているようでいても、聞きながら自分の発言のことを考えていて、本当にしっかり耳を傾けて聞いている人というのは実は非常に少ない、ということを読んだのですが、今回の豆ランチパーティでも、メレディスさんは、参加者の発言や質問1つ1つに対して丁寧に耳を傾けてくださっていて、彼女のこういう姿勢が、彼女自身からも話され、また私が読んだ本でも言われている「しっかりと耳を傾ける」ということなのだ、と思いました。また、ご自分が話される以上に、参加者の発言を求められていて(それはレジュメの冒頭からもわかることですが)、独りよがりにならない、「分かち合う」ということを、豆ランチパーティの場でも実践されていらっしゃることに、私はひとしきり感心してしまいました。

 彼女のレジュメをご覧いただければ、メレディスさんが色々なコミュニティを作り活動されてきていることがお分かりいただけるかと思いますが、これまでの活動を行うきっかけとなったものは、という私の質問に対しては、子供を持ったことも含めて色々な人との交わりなど、というお答えが返ってきました。1つ1つのことを自分の問題として捉え、そして行動する(メレディスさんと千晶さんは似ていらっしゃる、と私は感じました)・・・ヒサコさんのお宅にいらしたときから、お話の最中もずっと、おだやかで落ち着いた雰囲気をかもし出されていらっしゃるメレディスさんの、どこにこんなエネルギーが潜んでいるのかとちょっと不思議な感じもしました。でも、上述のメレディスさんの回答からも解るとおり、彼女の中にある人間への愛おしさ、というものが、(私の勝手な思い込みにせよ)私にはひしひしと伝わってきて、それが彼女をこれだけの活動に駆り立てているのだと、お話を伺いながら納得した次第です。

 通訳をしてくださったゆらさんも、メレディスさん同様発言される方の話をしっかりと聞いてくださり、非常に話し易い雰囲気をお持ちの素敵な方でした。今回は通訳ということに徹されて、あまり会話に入られなかったり、お料理もあまりお口にできなかったようで、大変申し訳なく思う気持ちと、ゆらさんなくしては落ち着いた雰囲気での会話も成り立たなかったということで感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。次回お会いできる際は、あらためてゆっくりお話させていただければ、と思います。それから、この落ち着いた雰囲気、ということでは会場を提供してくださったヒサコさんのお宅も、非常に貢献度が高かったと思います。ヒサコさん、どうもありがとうございました。私が撮った写真から、どのくらいその雰囲気が伝わるか疑問ではありますが、ご覧ください。

 出されたお料理は、これまたいつも通りとてもおいしく、メレディスさんは「いつもこんな感じなのか。今回は私のためということで、特別に用意されたものではないのか」とびっくりされていました。レシピはすでに紹介されていますので、皆さん是非お試しあれ、です。(私はその後我が家や友人宅での集まりに、今回御紹介いただいたレシピのいくつかを実践してもって行きました。いずれも大好評です)。

 食事のあとも、共同生活を行うことについて話が続き、主にルール(というほど堅苦しいものではないのですが)とか、気の遣い方といったことが話題になりました。各人がそれぞれ共同生活や人との関わりにおいて感じたことなどを話しているうちに、なんとなくお金の話に。人とのかかわりにおいては、一番ややこしい部分です。以前はお金を扱う仕事をしていましたし、日頃から様々なことを考えていた分野でもあり、興味深く話を聞き、色々と勉強になりました。


〈コミュニティ作りに関する草稿〉 by メレディスさん 2005年7月 日本・京都

 コミュニティ作りにおける私の経験を分かち合うためにご招待いただきありがとうございます・・・私は皆さんにこうしなさいと言うためではなく、このことについて皆さんと対話するためにこちらに伺いました。アメリカでは、私たちは個人主義に非常に価値を置いていますが、これはしばしば孤立感を引き起こしてしまいます。コミュニティ作りは人々がもう一度互いにつながりあえるための1つの方法です。

 コミュニティには文化の違いには関係ないいくつかの要素があると私は思っています。
1.共通の問題、考え、または主張へのコミットメント(=主体的な関わり):これは、例えば支援グループの場合では個人的なものかもしれませんし、選挙で誰かを当選させるような場合には政治的なものかもしれませんし、平和や正義を目指して活動している場合には、そのコミュニティの価値を高めるものになるかもしれません。
2.コミュニティのメンバー相互の信頼とコミュニケーション:信頼を築き上げるには時間がかかります。それは、グループの規模にもよりますし、人々がお互いをどのくらいよく知り合っているか、どのくらい行き来があるかにもよります。またグループ内の人々がグループから離れざるをえなくさせずに感情や意見の相異を表現できることも必要です。話したりお互い深く耳を傾けたりする際に「寛容で誠実であること」がとても重要なのです。
3.皆が協力して発展させ誰もが気持ちよく賛成して従えるような一般的なルール:これが実践を組織立てるのです。このルールはグループのメンバー構成や目的が変わった場合に対応できる柔軟性や適合性が必要です。
4.目的に応じて規模を変えること:数人で構成するコアな(=中核的な)グループが大きな影響力を持つことができるものの、リーダーシップを発揮するには財政的にも時間やエネルギーの面でも、メンバーの支援が必要です。

 さて、私がかかわってきたコミュニティは以下のようなものです。
1.「エンプティ・ボウル・プロジェクト」(空のスープボウル・プロジェクト):陶芸家のコアなグループがコミュニティで飢餓に苦しむ人々を救うために自分たちの技術や資産を使うことでコミットメントしました。彼らは、他の陶芸家にスープボウルを作るよう呼びかけました。コミュニティの大きなイベントでスープボウルが集められました。参加者は、好きなボウルを選び、地元のレストランが提供したスープの中から好きなものを選んでボウルにいっぱい入れてもらい、ほかの人と食事を分かち合い、コミュニティにおける飢餓で苦しんでいる人々のことを忘れないために、スープボウルを家に持ちかえりました。ミュージシャンがイベントを企画し、地元のメディアが大きく取り上げた結果(ボウルの売上が寄付されたので)food pantry(注1)の財源が大幅に増大されました。これは毎年恒例のイベントとなり、国中の多くのコミュニティで取り組まれています。

2.CSA(農業支援コミュニティ):このグループの目的は、小規模農家の収入を安定的なものにし、消費者に夏の間毎週有機栽培の野菜を提供することです。消費者はその季節の割り当て分量を購入し、毎週農家は新鮮な野菜を箱詰めして集配場所まで配達します。

3.共同住宅:これは資産を分かち合いより経済的な生活を望んでいる人々がその目標に向かって働く生活環境を創造するするための1つの方法です。入居者はユニット(アパートまたは小さな家)を私有しコミュニティの施設や資産を共用します。普段、彼らは食事を一緒にとり、社会的なイベントを行い、ガーデニングやその他のプロジェクトで一緒に働きます。グループミーティングで共同住宅の色々な決定が行われ、コンセンサスの下で決定が守られます。

4.スピリチュアルな修養会(1日または泊まりがけの合宿)とカップル支援グループ:この2つは非常に類似したモデルで、私は数年間参加しています。どちらも進行役に導かれた修養会(注2)から始まりました。スピリチュアルな支援グループは1グループが6人の女性で構成され、10年以上毎月ミーティングを続けています。グループの各人は自分の人生について話し他のメンバーに自分のこういうことのために祈って欲しいと頼む時間を与えられます。カップル支援も同じような前提で運営され、毎月会い、それぞれのカップルが順調に行っている事と助けを借りたい問題を分かち合うための時間が与えられます。私たちは助言をしたり物事を“修理する”ことはせず、よりよく聞きカップルにとって何がベストなのかをそれぞれのカップルに考えさせるようにしています。

 以上がこれまでの人生で私が経験したコミュニティ作りのいくつかです。私は、皆さんが日本でコミュニティを創造するために努力していることを素晴しいと思います。社会を変える運動というのは大変ですし、どのくらい成果が上がっているのか良くわからなくなります。私たちは変革の種を蒔き、将来それが実になることを信じなければなりません。私たちの子供のためか孫のために。
 お終い:100番目の猿の話・・・

注1food pantry:その地域で寄付された日持ちする食料品を集めておき、必要な人が無料かもしくは安価で手に入れるための公共施設。
注2修養会:retreat(後退、避難所という意味の単語)の訳です。


子ども豆料理ワークショップ at ちるみゅー 8月 高岡 久子(たかおか ひさこ)

 篠山チルドレンズミュージアム(愛称“ちるみゅー”  兵庫県篠山市)ほんとに素敵なところでした!つっきーこと大月さん、お疲れ様でした。

 実は私「ひよこ豆のワークショップ」とは聞いていたけれど、どんなところなのか、いったいどんな風にするのか、私が行ってお役に立てるのか・・・でも特に何の確認もしないまま楽しそう♪とフラフラついて行かせてもらったのでしたが、行ってビックリ!ドラマなんかに出てきそうな、昔の校舎の見本のような中学校跡を、そのまま残しつつも子供達がのびのびと遊べるようないろんな工夫がされていて子供がいなくても一日のんびり過ごしに来たいと思いました。

 私が印象に残ったのは、やんちゃな男の子達のテーブルで、やっぱり女の子はお母さんの仕事を見ていたりおいしいものを作るためにけっこう慎重だったりするのかそう外れておかしい物になると言う事はなかったように思うのですが、やんちゃくれたちは、ターメリックをドバッと入れてみたり、レモンが好きで、ほとんど何を作ってもレモン味ベースの子がいたり、こしょうを入れすぎてものすごく辛くなったのを「辛い・・・」と言いながらも食べて、皿に余った残りのこしょうを一人静かにビンに戻していたり・・・かわいくて、いとおしくて、楽しかった!

 その中の一人の男の子が、豆をつぶして味をつけるというときにつぶしたひよこ豆にみかんジュースをたっぷり入れたんだけど、それが添加物(香料)入りのジュースだったので変な味になってしまい、ものすごくやる気を失って落ち込んでいたのです。「なんか足したら味変わるかもしれんで」というと、「ほな塩入れてみる」と言って入れてみたけど「うえっ」「醤油入れてみたら?」「まずい」ってな感じで、もうどうしようも修正が利かなくなり・・・「もう僕一生ひよこ豆なんか食べへん」とまで言い出してしまったのです。せっかくこんな素敵なワークショップに参加したのにこんな事で嫌なイメージを抱いて帰って欲しくない!と思い、「よし、ほなおいしいのつくったるわ!」と目の前にあったすりこ木で豆をつぶし、味付けをして「これでどうだ!」「まずい」またちょっと味を足して「これなら?」「食べれる」よしよし。ゆがいただけの豆に塩をつけて食べたのはおいしかったと言っていただけにあれこれする事でおいしくなくなるというイメージを私は持って欲しくなかったのです。

 そんなことに必死になって楽しそうに味付けている大人を見てやんちゃくれたちはなんだか嬉しそうで、私の周りにむらがって「僕にもやらして」と、私のボールを取って混ぜ混ぜしてみたり、自分でも味付けようとしてみたり・・・そのまずいと言った男の子も、嫌だ嫌だと言うわりにはどう?と差し出す度にちゃんとひとつまみ食べてくれて、最後には「ひよこ豆食べてな!」というと「うん」と言って帰ってくれました。嬉しかった。今度はどんな出会いになるんだろう♪


子ども豆料理ワークショップを主催して 8月  大月 傑(おおつき たかし))

ワークショップatチルミュー ワークショップatチルミュー

  昨日、夏休みにちるみゅーに来るのが5回目という人がいて、話をしていたら、「ひよこ豆のおかげで今年の夏休みは助かっています。」と言われました。そのお母さんは、家で6才の娘に何もすることがないと「たいくつ、たいくつ」と言われて困っていたけど、ひよこ豆のワークショップに参加してから、「あれ、やりたい」と言われるようになって、毎日娘がひよこ豆のカレーやらサラダやらを作ってくれて、勝手に遊んで、勝手に料理を作ってくれているので、それでたいへん助かっている、ということなのです。
 千晶さんの「テレビに勝った」を連想するんだけど、こうして家の中に、生活の中に、仕事の中に楽しいことを見出せれば、何も毎週のように遊園地だとかテーマパークだとかの楽しいところへおでかけしなくたっていいんじゃないか。いや、そういうところへ行くのはもちろん楽しいと思うし、それはそれでいいんだけど、どこかへ連れて行ってもらったり、何かイベントがないとたいくつでつまらなくて楽しくないというのは、何か「遊び力」というようなものが萎えているように思うんです。
 豆料理のワークショップをしたいと千晶さんに相談に行った時、子どもだけじゃなくて、同時に親にも伝わるもの、親子で楽しめるようなものであれば、その子がいつか親になったときに、再びその子どもに伝えられる可能性がある。というようなことを話し合いましたよね。予想を超える素敵な親子のエピソードを聞いて、うれしく思うとともに、お母さんってすごいなぁ・・・と思ったのでした。
 やっぱりお母さんには負けるよなぁと。いえいえ勝つ必要はないんですよね、まったく。(笑)


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