第30号2005/03/01



もっとオーガニックコットン!紡ごう和棉
 高島 千晶(たかしま ちあき)


 
 5月のフェアトレード月間にちなんだ豆ランチパーティーは、オーガニックコットンでといこうと、半年前から決めていました。フェアトレードカンパニーがオーガニックコットンの商品に付けているミニリーフレットにこんなことが書かれています。

 「世界の耕地面積に占めるコットン畑の面積の割合は2.5%に過ぎませんが、コットン栽培で使われる殺虫剤の使用量は、殺虫剤使用量全体の25%に及んでいます。インドでは、コットン畑の面積は全体の5%、そこで使われる殺虫剤は全体の50%です」
「農薬の使用によって健康を害する人の数は、世界中で毎年100万人に及び、うち2万人が亡くなっています。また、農薬を買うための借金を返せなくなって自殺する人の数は20万人と推測されています」


 なんて、おそろしい!楽天堂が豆料理クラブをはじめたのもフェアトレードショップを開いたのも、世界の経済格差を解消したいという思いから。貧しい人々に危険な農業をおしつけるのは一刻も早く止めたいと思います。
 そこで、ゲストにオーガニックコットン一筋のメイドインアース(★)前田剛さんをお招きして豆ランチパーティーを開くことにしました。昨年11月の豆ランチパーティーでの短いスピーチが素晴らしかったので、アンコール!と今度はじっくりお話を聞きます。豆ランチパーティーの後、別枠で前田さんから手ほどきを受ける綿を紡ぐワークショップもあります。皆様のご参加をお待ちしています。

メイドインアースのホームページより抜粋
私たちは、 100%オーガニックコットン素材にこだわったブランド「メイド・イン・アース」を1995年に立ち上げました。天然素材の代表のようなコットン製品が、実は化学薬剤いっぱいなことに、とてもビックリしたのです。大量生産や生産の効率化、品質の均一化などが化学薬剤を多く使う理由ですが、本来天然ならどの綿も色や雰囲気がまったく同じように出来るわけはないのです。例えば、あるブランドのタオルを買ったら、いつ買っても、同じ色、同じ肌ざわりですよね。それはやっぱり人工的だから出来る技なのです。
 オーガニックコットンは、そんな大量生産や効率化などを考えない、天然を大切にした栽培方法で作られています。そして、メイド・イン・アースでは、糸や生地・製品加工も化学薬剤を使わずに、天然そのままを大切にしています。染色をせずに、天然のコットンの3色(きなり・茶・グリーン)の色は、ナチュラルでとても素敵な色です。天然のエネルギーいっぱいのオーガニックコットンは、驚くほど柔らかい風合です。お洗濯をした後のタオルは、柔軟剤を使用しなくても2倍ちかくに膨らみ、ぬいぐるみのようにふわふわなタオルになるのです。このふわふわな感触、天然無垢の感触をメイド・イン・アースでは、とっても大切にしています。



目に見えないもの
―内部疾患者のマーク「ハート・プラス」の紹介と共に―
 
小林 千穂(こばやし ちほ)


 みなさんにご紹介したいシンボル・マークがあります。それは、外見上では疾患を抱えていることが分からない内部障害者・内部疾患者に理解を求めるための「ハート・プラス」というマークです。これは、身体の内部に疾患を持つ数名の有志が、内部障害者の存在と権利の啓発を目標に始めた活動がきっかけで作成されたもので、まだ法令としては認められていないものの、今年2月2日には国会・衆議院予算委員会質疑で「内部障害者の社会的認知を向上させるべき」との趣旨で取り上げられるまでになったそうです。(私はTV中継を見ていないのですが、このマークもパネルで紹介されたそうです。)

ハートプラスマーク ハートプラスマーク

 今、みなさんが一般的によく目にする車椅子の障害者マークは、1968年のスカンジナビア・デザイン学生連合のセミナー特別プロジェクトで生まれた国際シンボル・マークで、日本では、1981年の国際障害者年を契機に障害者間題への関心が高まり、このマークも広く使用されるようになりました。しかし反面、このシンボル・マークの主旨を誤解している人も少なくありません。つまり、無意識のうちに「障害者=車椅子に乗っている人」という刷り込みができてしまい、それ以外のハンディキャップを持つ人々が日常的に苦労をする場面が少なくないのです。
 身体障害者のうち、肢体不自由障害は53.9%で、残りの半分近くは26.2%の内部障害者と20%の視覚、言語、聴覚障害者で占められています。
(参考:〈ハート・プラスの会〉のホームページアドレスhttp://www.normanet.ne.jp/~h-plus/ )

 実は私も、外見上は全く何のハンディもないように見える…どころか、どこから見ても健康そのものなのですが、難病指定された心臓の持病があります。でも私の関心が、病気があることによるハンディキャップ(できないこと)よりも、「できること」の方により多く向いていて、制限された可能性を拡げるチャレンジを楽しんでばかりだったので、長いこと自分の病気が難病指定されていることも知らず、もちろん障害者認定を受けられることも知りませんでした。障害者手帳をもらったのも、つい最近のことです。私の勉強不足とはいえ、必要に迫られていなかったことは幸運だったのかもしれません。その分、多少のハンディを抱えながらも普通の人とほとんど変わらない生活をしてきたので、両方の立場で物事を見ることができるのです。

 病気の程度は何も変わっていないのに、障害者手帳がなかった時ともらった後で、人々の反応が全く違うということは大きな驚きでした。手帳というあんな小さな認定証が私自身の様子や言葉よりも信用されるのです。私があえて病気を声高に自己宣伝しないせいでもあるのでしょうが、以前は他人に事情を説明しても理解してもらえないことがたくさんありました。事情を知っているはずの友人にテニスに誘われた時のことです。驚いて、「心臓が悪いので運動ができない」と説明したら、「元気そうだし、大丈夫よ。」と言われました。励ましてくれたつもりなのでしょうが、私の心の中は「…。」でした。感受性や想像力には個人差があるので、同じ説明をしてもみんなが同じように理解できるとは限らないのですね。特に目に見えないものに対しては。

 「目に見えないものがある」ということに気づいていない人や、想像することができない人、分かっていても愛のない人、のおかげでとても嫌な思いをすることもあります。(あくまでも瞬間的に、ですが。) 例えば一つ上の階に行く為にエレベーターに乗る時、電車で座っている自分の前にお年寄りが立った時、車椅子マークの駐車場に車を止めた時…。悲しいかな、言いたい事があっても正面切って発言せずに、聞こえよがしにイヤミを言うだけの人もいるのです。堂々と意見を言ってくれれば、こちらも普通に説明ができるのですが。

 こんなこともありました。いつも病院に行く途中で使用するエレベーター前に その日たまたまヘルメットをかぶった人が立っていたので、「工事中ですか?」と聞くと「エレベーターは工事してないけど、上の通路が危ないから今日は普通の人は階段使って。」と、そのオジサン。 「(普通の人?と思いつつ…)私、心臓が悪いので使わせて頂けますか?無理ならいいですけど。」「だから、車椅子の人しか使えないんだよ。」「私も障害者なんですけど。」あー、この言葉 使いたくなかったのに…と思いつつ最後に私がそう言うと、そのオッサン(!)はトランシーバーで上の人に「はい、障害者一人!」と出前注文のように告げ、私に向かって「ちゃんと上に着いたら 障害者手帳見せなよっ!」と面倒くさそうに吐き捨てました。当然のやりとりなのに、まるで私が何かものすごく悪いことをお願いしたかのような態度。障害者手帳を見せる義務もないし、必要性も全く分からない。結局、通路の工事は行われておらず、上にいた係の人に手帳を見せることもありませんでしたが。

 これはほんの一例ですが、その人だけが特異だとは私には思えません。人々が「目に見えるもの(特に数字や名前、資格など)」に頼りすぎているのが、よく分かります。後ろに隠れている「意味」や「意義」を考える能力さえあれば、一つの勝手な決め付けに囚われることもないのに、物事を目に見えるものでしか判断できない不自由な人が本当に多いように思います。

 私の義父は車椅子生活なのですが、通りすがりの人々は時には彼が恐縮してしまうぐらい親切にしてくれる、といいます。見た目ですぐに分かるからです(もちろん、彼の人徳、というのもあるかもしれませんが)。ところが、一見健康そうな人の中にも、内部疾患を抱えている人たちだけでなく、たまたまその日に風邪をひいていたり、急に気分が悪くなったりした人たちも含まれているのです。そんなたまたま体調の悪い人たちが、例えば電車やバスの優先座席に座っていてもいいと私は思うのですが、そこに描いてあるマークは松葉杖の人、杖をついたお年寄り、妊婦さん、などの絵です。身体が辛くても座りにくいと思う人も多いでしょう。もし、一人一人がそれぞれ譲るべき人に席を譲ってあげようと考えて行動するのなら、個人の自主性に任せればいいので、優先座席なんていう設定は本来いらないはず。しかし、それが難しいので、一々強制的にルールを設けなければいけないのでしょう。

 海外では、女性が重い荷物を持っている時にさりげなく通りすがりの人が手を貸したり、困っている人や弱っている人を助けている人の姿をよく目にします。もちろん全て個人の問題である上に、場所やシチュエーションによっても個々に違いがあるので集合体で物事を定義づけるのは不適当ですが、一般論で強引に片付けてしまえば、日本人は概して気持ちの余裕が少ない国民ではないかと私は感じます。日本の街中で欧米ほど車椅子の人の姿を見かけないのは、単に法令や設備が整っていないせいだけではなく、ハンディのある人に対しての一般の人々の意識が低く、許容量も少ないからではないでしょうか。『時間をかけて一人でバスに乗り降りしようとしている車椅子の人を、誰も急かさずにみんなで手を貸して助け、本人も遠慮せずに初対面の人々と談笑しながら 自信を持ってそれを当然の権利として受け止める』というような欧米では日常的に目にするような状況が、今の日本で簡単に作り出せると私には思えません。結局は「人が人を思いやる気持ち」につきると思います。相手の立場を想像するイマジネーションも必要です。

 私の症状は内部障害を持つ人たちの中でもかなり軽い方だと思うので、実際にはたくさんの人たちがもっとずっと苦労していることが想像できます。今の世の中では「バリアフリー」という言葉は主に物理的な意味で使われていますが、今後は障害のある人もない人も、そんな定義を忘れるぐらいに両者の間の精神的な壁(バリア)をなくす(フリーにする)ために使っていきたいと思っています。

 そういう意味では、このハート・プラスのマークも結局は「目」に頼ることになり、今度はこのマークの有無が差別を生む可能性もないわけではありません。しかし、私はこのマークが単に免罪符的に使われるのではなく、「世の中には目に見えないハンディキャップを背負っている人が存在する」ということに気づいてもらうためのきっかけとして広がっていけばいい、と考えています。そして更には、それが病気云々の一つのことだけでなく、この世界には「目に見えるもの」と同じように「目に見えないもの」も無数に存在していること、両方大事だけれど、見えないものの方が「存在しない」と思って見過ごしてしまいがちだということを、広く全ての人が意識するきっかけになれば、と願っています。

豆料理クラブ会員より
 
求む!オトナの水筒
 樫田 幸枝(かしだ ゆきえ)


 今年の冬、私はよく水筒をもってでかけています。外へ出る時はいつも。会社へ行く時も、休日にも。外の寒い中で水筒から湯気をたくさん出しながら出てくるお茶を見るととてもあったかい気持ちになります。
 冬のはじめに2つ目の水筒を買いました。1つ目のはアラジンという会社の赤い小さい昔からずっとあるもので気に入っているのですが、少ししか入らず保温力も短いので、あまり持ち歩けませんでした。新しく買ったものは350mlの小さい魔法びんタイプのものです。誰しもがイメージできるシルバーステンレスのもの。いいのですが、何か少しもの足りなさがあります。それは何だろう?と考えたのですが、それはどうも「愛着」を感じさせない見た目や質感にあると思うのです。世間では(企業がかな?)「水筒はスポーツする人か幼児、子供の物」となっているようで、私のようなふつうの大人が水筒を探してもどうもしっくりこないのです。(ちなみに、千晶さんは光太郎くんにもたせるいい子供用のがない!と言っておられましたね。種類に幅がないのですよね。) 

 愛着のもてるよいデザインの水筒が欲しい!と心の中ではいつも大声で叫んでいます。この「良いデザイン」は年齢によってや、目的によっていろいろあるべきだし、もっと多種多様であっていいと思うのです。私の友人はお茶(紅茶)が大好きで、彼女は水筒の蓋兼コップが気に入らないと言います。陶器でお茶を飲む時の口にあたる感触や両手の中にすっぽり入る感じを大切にした水筒が欲しいと言っていました。軽量化、コンパクト、イメージの画一化を追求するのではなくても、いろんな発想で持ちたくなるような水筒がつくれたらいいのになあと日々考えています。残念ながら私は専門的な知識がなく自分では作れません。今はお友達3人で「すいとうの会」と称して小さな井戸端会議をたまにしイメージをふくらませているのみです。どなたか作ってくださーーーい。

 2つ目を買う理由になった麻のような繊維であまれた水筒ホルダー。ビーズなんかもついていて、とてもかわいい。これを見つけて、それにあう水筒がこれだったのでした。

水筒 水筒


信じないで、疑わないで 村瀬 桂子(むらせ けいこ)

 初めまして。私、楽天堂で豆を買いだして1年ちょっとになる村瀬桂子といいます。住み込みで、寮の管理・調理(朝・夕)の仕事をしています。今日は、今思っている事を皆さんに聞いて頂こうとペンを取りました。
 今、私はテレビを見ないようにしています。厳密にいうと、時々つける事はあるのですが、すぐ消してしまいます。どうしてそうなったか、始まりはあのNHK問題です。

 私は昔から殆どNHK1本という人でした。テレビを置いていない時はラジオでNHK(第1・FM)を常につけておくという日々を過ごしてきました。京都に来てからテレビを置くようになり、NHKを主体に見るという日々でした。
 でもいつの頃からか、ニュースが政府よりだなあと感じる事が多くなってきました。もっと言えば、小泉さんにやけに好意的だと感じたり、北朝鮮・中国のニュースの後に防衛力強化のニュースがきたり、なんかタイミングがよすぎると思いました。

 これだと世論が防衛力強化もやむなしになるんじゃあないのとまあこんな具合の?が始まってきました。その後NHKの数々の不祥事、会長の辞任問題、番組への政治家介入問題等が起こってきました。
 私は非常に腹が立ちました。そして、「やっぱり私の感じていた事は本当だったんじゃあないか」と思ったのです。今迄、NHKを信頼してきた私だったので、どうしたら今の自分のこの気持ちを表せるだろうと考え、もうNHKを見ないことにしようと思いました。

 そして即実行。色々好きな番組はありました。でもでも抗議の姿勢を表さなきゃあと考えたのです。日頃、仕事の後はボーッとしたくてすぐテレビをつける癖がありました。暫くボンヤリと見ているのです。でも、民放の番組は、食べる場面か、お笑い芸人がたくさん出て笑い合っている場面、後はいとも簡単に人が殺される場面が出てくるドラマ等、私には見たくないものばかりでした。
 もうテレビはやめようと電源を抜きました。2−3日はなんかどうしようかなという感じでしたが、そのうちなんか時間が少しゆっくりしていると感じられてきました。

 昔、テレビ放送が開始された頃、評論家の大宅壮一氏が「テレビのお陰で日本人は一億総白痴になる」と言っていたことを思い出していました。なんか、当たっているともいえるのではと、イラクの人質問題の世論などを考えると思えてきます。そのイラク人質問題で大宅映子氏(壮一氏の娘)が、人質の家族が挨拶もしないで要求だけしてウンヌンと非難していましたが、あれはとても変でしたね。少しでもテレビと関わったことがある人ならニュース等の編集がされているということは周知の事実です。その場面がカットされていることがわかっていながらのコメントではと私は思い、この人の意図しているものは何かしらと非常な不信感をおぼえました。

 今、テレビは本当に怖いなあと思います。NHKにも電話して、今の私の気持ち、考えている事を伝えました。NHKの方は「今すぐに貴女の危惧されているマスメディアとしての最も大事な姿勢が変わるとは私も思っていないが、NHKの文化面の放送は充実しているので、一概に排除されないでこれらはご覧になって頂きたい」ということでした。

 まあ長々と書いてごめんなさい。最後に今、私がこれからやっていきたいことを書かせてもらいます。それは20年程前に出会った考え方。“すべての事に対して、信じないで、疑わないでどこまでも本当はどうかと調べていく”―以来、先の言葉を実行しようとして生きてきましたがこれがとても難しい。つい先日、同じ内容を若い女性が「科学する心を持つ!」という言葉で表現している新聞記事を読みました。なるほどなあと思いました。どこまでも、自分の考えを入れないで本当はどうかと調べていく生活をしていきます。

エチオピア・エッセイ(1)
 
まめ 中森 千尋(なかもり ちひろ)


ごあいさつ 
 はじめまして。今回から楽天堂さんに記事を書かせて頂くことになりました中森千尋ともうします。大学の研究というあくまで名目の、その実遊び呆けたエチオピアでの一年間。エッセイという形で、決して大学では書けない、いえないエチオピアのオモテ話もウラ話もいろんな角度から書いていきたいと思っています。しかし、それは単にエチオピアの話だけをするのではなく、そこからみえてくる日本の文化や非?文化、日本で暮らしているとついつい気付かず見落としてしまう実は素晴らしい習慣や言葉たち、はたまた逆に通り過ぎてしまう現代社会の面白くない点。そういった視界に入りにくい目に見えにくい所を顕在化させることができればいいなあとたくらんでおります。さてさて第一回は楽天堂さんにもちなんで「まめ」です。


 豆は強い。エチオピアの豆について感じる第一印象はそんなものだ。豆はどこにでもいる。豆はどこからでも顔をだしてくる。民家のボロボロの冊の脇に頭をだしている豆。誰が植えたとも知らず伸び放題に雑草と戯れる豆。掘建て小屋の簡易トイレを渦巻くように取り巻く豆。野生の豆など目にしない日はないぐらい地方の田舎町はイコール=豆なのである。だがしかし、それだけ多く目にする豆も、エチオピアにおいては決して主役にならない。なぜならエチオピアだけでなく東アフリカの多くの国は穀物文化圏なのだ。テフというエチオピア独自の穀物の粉を、水でといて発酵し、その後クレープ状に焼きつけるインジェラが主食なのであり、またお隣のケニアもとうもろこしを同じように粉にして水でといてから発酵させてウガリを作る。では。エチオピアではどんな豆がどんなように使われているのであろうか??

ワット
 基本は「煮る」である。彼等はまず煮てみる。とにかく煮てみる。インジェラで包んで食べるためだ。そこで登場する豆はレンズ豆とキマメである。インジェラの主な食べ方はワットとよばれる香辛料をふんだんに使った煮込みを包んでそのまま口に放り込むというお気楽なものだ。その香辛料はでかい唐辛子といった趣のものでバルバレとよばれ、それを粉にして煮込みに混ぜ込んでいくのである。当初インジェラの酸っぱさが苦手であったもののこの酸っぱさとワットの辛さの組み合わせのよさに気付くともうとまらない。インジェラを食べないと体調を壊す域にまで達してしまった。しょっぱいものと甘いもの(すいかに塩)や、苦いものとあまったるいもの(お茶にお饅頭)、はたまたあぶらっこいものにさっぱりしたもの(トンカツに大根おろし)に慣れて育ってきたものにとって味覚の常識をぶちこわされたとともに、新しい舌を創造されたのである。さてこの辛いワットの中身はなにか?肉、野菜、豆である。基本的には作り方や味付けは同じで中身が変わる程度のものであるが、豆についていえば、レンズ豆の殻を取り、半分に割ったオレンジ色の豆(ムスルという)のワットはエチオピアで広く食べられる家庭料理だ。家庭料理というのはどこにおいても概して創造的なものである。あれを混ぜてこれを一緒に煮たらどうだろう??決してレストランでは味わえない新しい味の生成の場なのである。今回紹介しているのはいわゆる「普通の」ワットであり、実はエチオピアの田舎をバター入りの瓢箪を片手に、ゆったりと歩くエチオオバチャンの頭の中はそこにある食材でおいしいものをつくりだそうと考える芸術家であったりするのだ。そしてまたレンズマメと同様に、キマメもたいへんよくワットに用いられる。こちらはあまり辛く煮ることなく、ターメリックなどを加えて辛いものの「くちなおし」的に添えられるものである。

おやつ
 インジェラとワットを食べ終わっておちついたら、コーヒーで一服だ。コーヒーももちろん豆である。世界のコーヒーの発祥地という説もあるし、また「モカ」種に限ってはエチオピアがその原産国であることは間違いないとされてる。エチオピア西南部を旅すればいまでも野生のコーヒーの木を目にすることができるし、すでに巨木と化しているものさえある。エチオピアのコーヒーセレモニーについては以前、詳述されているので繰り返さないが、ここで記すべきは「おやつ」だ。「ブンナコルス」とよばれるコーヒーに附随するおやつは、地方によって、また86もいるエチオピアの民族によって違ってくるのでおもしろい。とうもろこしを煎ったものであったり、ポップコーンにしたり、イモを茹でたものであったり、インジェラをそのまま食べたりしさえする。もちろん豆も登場してくる。そのなかで代表的なものは「いかり豆」と「ひよこ豆」だ。どちらもゆでたり煎ったり、家庭の好みでいろいろなスタイルがでてくる。個人的には煎ったのものの香ばしさとコーヒーの苦味と甘味のコンビがとても好きだ。塩も砂糖もふらず、そのままの味でいかり豆をいただくのである。日本ではあまいものや脂っこいものを中和する役目としてお茶があるのだろうが、エチオピアではあまーいコーヒーをそのままの味のいかり豆で中和するという逆転構造を持っている。9月から12月にかけてちょうど雨季が終わり乾季にさしかかるとき、今度はひよこ豆(シュンブラとよばれる)のシーズンとなる。バスの中にはとりたてのまだ殻に包まれまたままの、そして枝や葉っぱさえもついた新鮮なひよこ豆を売りに来る少年であふれる。片手一杯につかんで3円ぐらいと破格のこのひよこ豆はエチオピア人が長いバス移動の際のおやつにも変身するのであり、食ってはポイ!食ってはポイ!と目的地につく頃にはバスの床に大量のひよこ豆の枝と殻で床が「フカフカ」しているほどだ。

道ばたの豆
 こうした豆達はまた最初に書いたようにどこにでも生えている。いってしまえば勝手に自然農法なのである。エチオピアは野菜も果物もほんとにおいしい。そのもの自体の味が強いのだ。にんじん、トマト、じゃがいも何をとっても調味料が邪魔になるくらいである。もちろん豆もしかり、である。生で食べる新鮮なひよこ豆はシャキシャキと歯ごたえて、豊かな甘味が口一杯に広がっていく。だがそんなエチオピアも現在、政府が農薬を大量に輸入し、田舎のほうにまで農薬がひろまりはじめている。つまり「食べる為の野菜」から「売る為の野菜」にシフトしてきているわけだ。エチオピアもついに大量生産=コピー商品の時代に突入しようとしている。豆も農家で作られているところでは同様に農薬散布がはじまっているのだろう。しかし、これを憂慮すべく庭の先に、また道ばたの片隅でゆったりと寝そべっている豆達は、にょきにょきムキムキと力強く美しく、そしてまたエチオピア人の子供達が喜々として「見つけた!!」と、それをむしってそのままおいしそうにほおばるのである。

中国茶の魅力(3)
茶藝 こじま ゆり


 まるでおままごと道具のように可愛い茶器たちに、小学生の姪っ子も興味津々。集まった際にはお茶会が始まります♪ と言いましても、日本の茶道のお茶会のように堅苦しいものは一切なし!美味しいお茶を飲みながら楽しく会話を弾ませるのです。お湯をシュンシュンと沸かし、お茶を選び、そして茶藝をお披露目し目を楽しませる。彼女の目は釘付け。やりたいと言い出す。さすがに熱湯ではやけどの心配があるため、お水とからの茶壷を使って、小さな茶藝師の誕生!?です。
 しかしなぜそこまで興味を惹かれるのかと考えると、日本の茶道を「静」とするならば、中国のそれは「動」であるからかもしれません。優雅な音楽の流れる中で両手を優雅に動かし、お湯を茶壷に高い位置から低い位置へと回しかけたり、聞香杯をくるりんとひっくり返したり…と。なんともパフォーマンス性が高い!!!
 ところでこの茶藝なるもの、お茶の飲用が始まった昔からあったのでしょうか?お茶の歴史は今や5000年とも言われておりますが、この茶藝の歴史は30年ほどしかないのです。しかも中国大陸からではなく、お茶の歴史の浅い台湾で確立されたということは意外に感じる方も多いかもしれませんね。もともと茶業の盛んな福建省〜広東省のあたりで時間をかけておしゃべりを楽しみながらお茶を飲む習慣があり、この時間をかけて飲む或いは手間をかけて飲む方法を「工夫茶(こんふーちゃ―)」と言います。後に台湾にお茶が伝わり、1970年代後半〜1980年代前半に「茶藝」として確立されたわけです。

 茶藝実演の中にはウーロン茶だけでなく、緑茶や花茶などを淹れることもあります。そもそも中国茶は、香・形・味の3点そろって優秀なお茶とみなしますことから、お茶葉の観賞も大切になってまいります。そこで、若い目で作られる緑茶などはグラスを使ってお客様にお出しすることもあります。お茶を淹れる段階でお茶葉がお湯の中で踊る様子を見て楽しんで頂くことも大切だからです。
 茶藝師として大切なことはお茶の葉(状態)を見て、お茶の良い香りと美味しい味を引き出すということ。またそういう場を提供すること。姪っ子の「ぷは〜っ 美味しい♪」の一言でこちらも至福の時を迎えられると言うものです。

: この地域で多く製茶されるものはウーロン茶。
ウーロン茶は質の良いものであれば10煎でも20煎でも飲むことができる。
【番外編】そうでした、そうでした。今回の茶藝とは全く関係ありませんが、以前千晶さんにメールをした中で「ご飯を食べるお碗なのになぜ「茶」碗なのか?」と問題を投げかけておいてそのままでした。これはやはりお茶と関係があると言えるらしいのです。日本にお茶が入ってきたのは紀元後7世紀ごろ(中国は唐の時代)。お茶の利用が薬用としてではなく飲用として用いられ始めたのが紀元前200年位(前漢末)。「煮茶法(しゃちゃほう)」と言い、生葉か固形茶くずし生姜やニッキ、塩などを混ぜてお鍋で煮てお碗に入れて飲む(茶器=食器)。また唐の時代になると「煎茶法(せんちゃほう)」となり、固形茶をくずし塩のみを加えて煮て飲む(茶器=食器)。ちょうどこの頃日本にお茶が伝わったために、現在に至るまでその碗のことを「茶碗」と呼ぶようになったと言われているのです。その後「点前」が日本に…いやいやこれは次回の【番外編】としてとっておきましょう。

《お詫び》
 茶藝編(其の壱)として緑茶の入れ方を御紹介する予定でしたが、内容を少し変更させて頂きました。


豆ランチパーティー報告  瀬戸 淳子(せと じゅんこ)


自由な教育inデンマーク(1/23)

 豆ランチーパーティの報告の第1回目をボキャ貧の私が書く稚拙な文章が飾るというのは楽天堂さんに対する冒涜であり、恥ずべき行為であることは十分に認識しているものの、こんな程度の文章でも報告に足りうるのだと豆ランチパーティに参加された方が思ってくださり、(私が参加できない回などの)報告を今後気軽に引き受けてくださればという思いもあり、僭越かつ不肖ながら報告させていただく次第です。今回参加された皆さんには、私の報告で足りないことや感じ、考えられたことを是非MLでご紹介いただきたいと思いますし、参加されなかった会員の方とはこれらから何かを共有できればと思います。なお、テクニカルタームなどについての詳細ははるかさんのHPや関連サイトなどに譲ります(キーワードは『』で表示していますので、皆さんお調べください)。

1/23 豆ランチパーティー 大関はるかさん(右端)を囲んで

 私が1月23日の豆ランチパーティー(ゲスト:豆料理クラブ会員・大関はるかさん)に参加したいと思ったのは、村上龍氏主催の『JMM』というメルマガでデンマーク在住の造形作家がデンマークを紹介しているコラムを購読していることによる。昨年のうちに千晶さんに参加の意向をお伝えしたところ、「はるかさんって若いのにしっかりしていていろんな経験をされている素敵な方よ」と紹介を受けた。メルマガから私がデンマークに対して抱いていたものとしっかりしているという言葉から勝手に彼女のことを30歳くらいだろう、と思っていた私の前に現れた彼女はそれより若い。自己紹介で現在25歳であること、デンマークでの生活を送ったのが21〜22歳であったことを知り、私自身の20代前半と(勤務先のできの悪い部下と)つい比較してしまう。

 さて、皆さんは『デンマーク』といって何を思い浮かべられるだろうか。パーティの冒頭のはるかさんの問いかけには、殆どの人がすぐには答えられない。皆さんも、『LEGO』、『風力発電』をなんとか答えられるという方が大半なのではないだろうか。でも皆さん、安心してください。そういう国に留学した彼女も最初はデンマークについて、多くのことをイメージできなかったはずだから。なぜなら、彼女は最初からデンマーク留学を目指していたのではないのだ。大学を休学してまで彼女が行こうとしていたのはカンボジア。ところがハプニングがあってカンボジアには行けなくなってしまい、休学したのにこれからどうしようと悩んでいたときに、『松本英揮』さんという世界65カ国を巡られた方から勧められたのがデンマークだったというわけだ。こんないきさつでデンマークに留学したはるかさんが、見、聞き、感じたことをスライドを交えながら話してくれたのであるが、メインは『エコビレッジ』と『フォルケホイスコーレ』であった。

 日本の今の教育制度に疑問を抱き、娘をその制度に従わせることに抵抗を感じている私にとって、デンマークの教育制度は素晴しい、うらやましい、という言葉につきる。『シュタイナー』が提唱するようなノート(授業の進め方)、誰もがほめ上手、こういうやり方で英語を学んでいたらもっと上達したのにいうはるかさんの感想、自分の興味のあることをテーマに研究、さぼれば当然Kick Outさせられる、といったことからは、学ぶということの楽しさ、意欲を育むということ、個を大切にすること、自己責任の徹底など、教育とはこうあるべきではないかと考えさせられた。育児においても見習うべき点が多いと思う。そして、なによりもうらやましいと感じたのは、フォルケホイスコーレの存在と、高校卒業後にすぐ大学に進学することが普通のことではないということ(さらには、大学に進学すると約9万円が政府から支給されるということ)である。そもそも16、7歳という世の中がわかっていない時点で進路を決め(文系か理系か)、大学に進み、卒業と同時に就職し、一生その会社に勤め、その会社をやめてしまうとその後が大変、人生をドロップアウトしたという印象を持たれるという日本の仕組みを私は不自然に思っているのであるが(自分自身のことを振り返って思えるだけなのかもしれないが・・・)、デンマークでは高校卒業後に大きな旅行をしたり、アルバイトをしたりして世の中を見聞しながら自分の道を考え、大学に進学したい人はするという、よく考えれば至極当然な社会の仕組みがある。そして、意欲のある18歳以上であれば誰でも何度でも入学できるフォルケホイスコーレというものが多く存在して人々の「学習」を支援している制度もあり、人生は誰の前にも開かれており「何度でもやり直しの聞く人生」を国が支援している。このような素晴しい教育の仕組みを当然のものとして受けることができるデンマークの人々に対して、私は羨望の念をおぼずにはいられない。会社での壁にぶつかると自分のキャリアを生かす同じような業種の別の会社探しという形でしか解決しづらく、リストラされて自殺する中高年の増加という日本の現象も、この国では不思議なものと捉えられてしまうのではないだろうか、と考えてしまった。

 さすが教育の先進国といわれるだけのことはある制度に感嘆し、デンマークがとても魅力的な国だと思ったのであるが、もう1つデンマークを魅力的に感じてしまったものが『エコビレッジ』である。日本で自然と共生するというと都会から離れ仕事も捨ててしまういわゆる「田舎暮らし」を私はすぐにイメージするのであるが、デンマークのエコビレッジは都心から30分くらいのところにあって自分の職業を維持し生活の拠点だけ移すものである、ということにまず驚かされた。関心はあっても憧れだけでなかなか実現できないのが今の日本であるが、このように誰でもがで気軽に参加できることで裾野も広がっていく、というのは大事なことだと思う。そして、例えば自分たちで暮らしを決めていくといったことなど、エコビレッジに住む人が人生を楽しんでいることや、共有、共同生活をしているということは、昔の日本ではごく当たり前に行われていたことなのに、と一抹の淋しさを感じつつ、「作り上げる悦び」、「人との関わり」、「地に足のついた生活」など、人生の大切なものを再認識させられた。楽天堂さんが目指されているもの、会員が共感したものが、エコビレッジにはあるのだと、エコビレッジには関心が高まる。さらには豆ランチパーティの前夜千晶さんと豆ランチパーティ用のジプシースープを作りながらお伺いしたご友人の話(MLでも紹介されていたネットワークビジネスで苦労せずしてお金を儲けること)に、気持ちの悪さを覚えたり魅力を感じなかったことが腑に落ちたのである。

 はるかさんが報告してくれたことは、よく考えれば当たり前のシステムばかりである。それが当然に行われているデンマークを知るにつけ、如何に我々の住む日本が歪められたシステムで運営されているのかと思い知らされた気がする。「リサイクル」、「リユース」は日本でも盛んに行われているが、デポジット制をみても、日本では購入した店でしか引き取ってもらえないのに対し、デンマークではどこでも受け付けられていること、自動車購入時には180%の税金を課したり(100万円の自動車を購入するのに税金が180万円もかかる)、自転車専用道路を設けることで環境への配慮を推進していくことなど、改めて聞かされると日本で行われていることが生半可なものであること、行政が本腰を入れて問題に取り組んでいないことなどがよくわかる。何が大事か、何を大切にして生きていくのかなどを再認識させられた、はるかさんの話から垣間見たデンマークには、現在の日本が抱える問題の解決へのヒントが詰まっている、人生への示唆に富んでいる、と感じたのは私だけではないはずだ。

 今回のこの素敵な出会いに、デンマークを紹介してくださったはるかさんに、このような機会を設けてくださった楽天堂さんに深く感謝いたします。はるかさんにはあらためて「エコビレッジ」について紹介していただけるようですし、私はまた話を伺いに東京からはせ参じます。興味をもたれた皆様、豆ランチパーティでお会いできるのを、色々とお話できるのを楽しみにしております。


田舎暮らし入門(2/11)

 MLでご案内のとおり、2月11日の豆ランチパーティー(ゲスト:ワイルドツリー代表・平賀裕子さん)についても、不肖ながら私より報告させていただきます。皆様への報告といいつつ自分のためであることも、ご案内のとおりです。流されやすい私はサラリーマン生活に戻ってしまうとその忙しさの中でせっかく豆ランチパーティで受け取ったメッセージを消化できず、自分の考えを熟成させることなく日々が過ぎ去ってしまうため、しっかり立ち止まって考える機会が必要だと思い申し出た次第です。申し出ていながら、相変わらず成長のない部下を叱咤し、どうすればいいのか悩んで日々が過ぎてしまい、それとともに記憶が薄れてまったくもってお粗末なものとなってしまいました。駄文ながらまたお付き合いください。  

 「心を亡くす」と書いて「忙しい」。平賀さんの報告の冒頭を聞いて思い浮かんだ言葉である。平賀さんご一家が長野県伊那市に移られたのは、田舎暮らしを始められる方の多くの方の動機と同じで、日々の「忙しい」暮らしである種の「心」を「亡くされ」つつあることへの危機感からとのことである。しかし、である。満員電車に乗ることに始まりストレスのたまるサラリーマン生活と育児とで慌しく過ぎてしまうことに私も危機感を募らせ、のんびりとした田舎暮らしに憧れがあるものの、今の暮らしを捨ててどうやって生活していくのか、「田舎」といってもどこに住まうのかなど、実際始めるとなると多くの問題がありなかなか実現はしない。疑問を感じて質問を投げかけたところ、返ってきた答えは「流れに乗った」というもの。例えばご主人の退職金についてはその当時退職するのが最も多くもらえること、伊那市にちょうどいい物件が見つかったこと、お子さんが通われていた幼稚園から同じ小学校に通うお友達がいないこともあって、その小学校には行くつもりがなかったことなど、自ら切りをつけるというより背中を押されるように自然と当時の生活を振り切ることができることが重なったことにより、平賀さんの脱東京生活が始まったのである。

2/11 豆ランチパーティー みつろうキャンドルを灯して

 私がもし田舎暮らしを始めるとしても、当然今の生活を振り切るという問題と同時に、人付き合いをどうするかという問題が待ち受ける。私自身(田舎生活とは少し異なるものの)島根県松江市に小学生のころ住んだことがあり母から聞いているのでわかるのであるが、一般に田舎といわれるところのコミュニティは大概よそ者には冷たい。特に地域の人々とのつながりが大切な田舎において、その地域に如何に溶け込んでいくかは重要な問題である。またいったん溶け込んでしまうと「濃厚な」人付き合いが始まるのであるが、私は昨日の夕食のおかずはなんだったかとか、昨日夫婦喧嘩をしていたといったプライバシーのない暮らしというのもストレスになってしまうため、如何にドライにかつ良好な関係を保つか、という問題が待ち受ける。これら「人付き合い」という問題についてどのようにクリアにされていったのかという私の問いには、平賀さんご夫婦が非常に素晴しい回答をしてくださる。要は、「自分がどのようにそこと付き合っていくのか」という自分の姿勢を明確にし、常に自分を基準に生きていく、ということなのである。自分が田舎暮らしで何をやりたいのかという基準を確立し、そのために譲れること、譲れないことなどを判断し、この基準に従って行動していく。人付き合いもこの基準にそっていくだけなのだ。もともとの穏やかな魅力的なお人柄ということも当然あるのだが、平賀さんはこの基準で行動されて特段問題はないとのことである。

 お子さんの学校のことについても、東京を離れることについて嫌がられるということはなかったのかと思ったが、前述のとおりそもそも幼稚園時代のお友達と同じ小学校に通えないという事情から、知らない人ばかりの仲で新しくお友達を作っていくというプロセスは東京であっても同じであり、お子さんの抵抗は少なかったのかと思われる。現在では「伊那の方がよい」と東京への未練はお持ちになられていないとのことで、彼にとってもHAPPYであるというのはなによりである。小学校までは歩いて30分ほどかかるとのことであるが、たかだか6年間のためだけでロケーションを考えることはされなかったというものが、結果的にお子さんにも楽しい道のりになっているのだと思うと、何が本当に子供のためなのか改めて考えてしまう。

 一口に「田舎暮らしをする」といっても、そこで何をするのか、なぜ田舎でなくてはならないのか、ということを明確にせずに、ただ漠と「田舎暮らし」に憧れているだけでは実現しない。また、田舎暮らしを始めても、うまくいかずまた東京に戻ってしまうということになってしまう。実際、2年くらいで東京に戻ってしまう人も多いようであるが、これはなにも田舎暮らしに限らず自分の目標がはっきりしていなくては何事もうまくいかない。平賀さんのご主人は、都会と田舎をつなぐ架け橋としての仕事がしたい、ということでそういう活動をするNPOに現在は所属していらっしゃる。東京へのご出張もあって週半分は東京ということもあるようだ。ただ、ご自身の道が明確になっているだけに、半分が都会暮らしになったとしてもそれはストレスにはならないとのこと。

 平賀さんは田んぼや畑を借りていらっしゃり、初めの年は転がっていた足踏み式の脱穀機を使って昔ながらのやり方で脱穀までされたそうである。自分の食べる分だけということで、とても楽しんで育てていらっしゃることがよくわかる。今年は豆料理クラブの会員の方も田植え等の行事に参加させていただけるとのことで(平賀さんの楽しみを奪って恐縮であるが、みんなでやったほうが楽しいとおっしゃるので・・・)、今から楽しみである。

 豆ランチパーティの後行われた蜜蝋ろうそく作りは、すっかりはまってしまいました。すごく単純な作業の繰り返しなのですが、作る人によって形がまったく異なり、単純なものほど奥が深い、と思った瞬間です。自分で作ったことによる愛着もあり、もったいなくてなかなか使えそうにありません。平賀さん、ご指導ありがとうございました。
 
2/11 みつろうキャンドル作りワークショップ みつろうキャンドル作りワークショップ


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