第29号2004/12/01



あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 高島 千晶(たかしま ちあき)


 
正座すること、心地よいということ
 暮れにくたびれて足をくずし、新聞を読んでいると、もうすぐ4歳になる光太郎がそばに来て、きちっと正座して見せた。「お母さん、こうやって座って。」
 小さい正座姿のかわいらしさにつられてすぐに座り直すと、いつものように膝にのってきた。光太郎は正座した母親の膝の上にすわる心地よさを知っている。

週末の畑仕事
 去年の秋、数人で長岡京市の畑を借りた。それぞれ都合のつく日にかわるがわる行くのだけど、月に1、2度、日曜に集まって畑仕事をする。(飛び入り歓迎。)春は山菜を摘むことから始まって、豆を何種類かと和綿を植えよう。目下、くわのつかい方を研究中。小手先でなく全身でふりおろした時の快感をたよりに。

豆料理の普及は豆ランチパーティーから
 自分の中の心地よいという感覚をたよりに、何がよい仕事なのか考える。
 大きなイベントで、せわしなく物を売り買いし、使いすての容器で椅子もなく食事をするというさみしさを何度か味わったあと、豆ランチパーティーが生まれた。こぢんまりした昼食会。飾り気のない素朴な食事。テーマを決めて関心の近い人が集まって話をする。畳の上で落ち着いて。
 千利休からはじまった茶の湯の文化が小さい茶室だけでつくられたように、心から満足する経験があってはじめて、新しい文化は生まれるだろう。

小さいフェアトレード、ものづくりを通して
 インドに帰国する友人と組んで、小さいフェアトレードを始めることにした。会員のアイデアと手仕事でスパイスホルダーと鍋カバーの試作品が次々につくられた。特に鍋カバーは豆を煮るのにうってつけで、まさに豆料理クラブにふさわしい。沸騰したら火からおろして、鍋カバーをすると1時間でふっくら豆が煮えている。
 使っている時も収納するときも美しいこと、布どりにムダがないこと、シンプルで使い道が限定されないこと。これらの条件を満たし、使い手が大事にされていると感じられるていねいな商品をめざそう。

利益は戦争しないですむ社会のために
 何人かのアイデアと手仕事から生まれたフェアトレードである。生まれた利益はそれにふさわしい使い道を用意したい。
 昨年10月のイラクでの香田さん殺害事件を機に感じたのは、社会の余裕のなさだった。香田さんを責めたてた人々、戦争もやむをえないと感じてしまう人々が抱いているのは、弱肉強食という社会イメージであり、自分がこの社会で大事に扱われていないという苛立ちと不安だと思った。
 不安は議論では消えない。わたしたちにできるのは、弱肉強食以外の社会モデルを現実に育てていくこと。フェアトレードから生まれた利益をプールしていって、仲間が始めようとしている豆料理レストランなどの事業に出資しよう。金は天下の回りものということを実感できるような仕組みを作ろう。

毎日の台所仕事
 毎週、山田さんから届けられる旬の野菜のほかに、今年は自分たちが育てた野菜が加わる(はず)。今、畑ではほうれん草とかぶが育っている。今年はとれたての野菜をいたまないうちに料理しよう。今日の子どもたちが喜ぶような工夫をして。


憎しみではなく命の連鎖を
 
高槻 友子(たかつき ゆうこ)


イラクで香田証生さんが人質にされたニュースが流れた時、私は助産院でお勝手をしていた。御飯を食べにちゃぶ台に行った時は、ニュースの真っ最中だった。すぐには内容がのみこめず、えっ何?この人、殺されかけているの?と思って画面をみつめていると
 「バカだよね。」
 「何でこんなところにいたわけ?」
という会話がきこえてきた。実習に来ていた2人の学生の会話だった。彼女たちは軽蔑の目つきで、ひざまづかされている香田さんを見た。
 これには腰が抜けそうになった。えーっ何でそんな反応なの?世代の格差か?と思っていると、今度は40代の同僚が
 「旅行で行ってたんでしょう。どうかと思うわ。」
というようなことを言った。ひぇー、エライこっちゃ。3対1で、この4人社会で、早くも私は少数派――というか、ひとりぼっちだった。この人、殺されちゃだめだよ、何とかして助けよう、助かって。そのために何ができる?ってだれも思わないんだ。人間がこわれ始めていると思って、そら恐ろしくなった。
 今、目の前で奪われそうになっている生命に対して、その人を罵倒し、非難する。それも影でこそこそ言うのじゃなく、堂々と正義は我にありといった風だ。異議を唱えたりすれば、逆にふくろだたきに合いかねない勢いがあった。小心者の私は「もしかして私がまちがってんの?」と一瞬思いそうになるほどだったが「いんや、そんなことはない!」となんとか気持ちをたてなおした。
 夜になってもう一人の同僚Tがやってきて、話題は香田さんのことにも及んだ。彼女は日中他の職場で働いていて、そこでニュースをきいたのだと言う。
 「いやー、みんな香田さんが悪いって言うんだよね。それっておかしいと思うのよ。」
と言った。よかったー!友よ、同志よ、人間よ!って気になった。彼女は
 「外務省は全力で彼を救うべきだ。そのために私たちは税金を払ってんのよ!」
と言った。全くその通りだ。
 「だけどね、職場のみんなは全然そんな風に思わないみたいなのよ。おかしいよ。でも、なんだかそんな風に言い出しにくい雰囲気があって・・・。」
 彼女は小心者ではない。いつもはっきりと自分の意見を言う人だ。在日外国人問題で外務省相手に立ちまわったような人だ。その人でさえ、なんだか言いにくい雰囲気。これはいつから、どこからやってくるのだろう。
 答えは明々白々だ。前回の人質事件をうまく利用して、政府は人々の心に「自己責任」を刻みつけた。今回は政府は何の手段を講じる必要もなく、国民自ら「自己責任」を高らかに謳ってくれた。「自己責任」がジョーシキになってしまったのだ。証生さんとその家族はもちろんのこと、「何かおかしい」「ちがうぞ」と思う人々も、物申しにくいムードが確立されていた。
 だけど、どう考えてもこれはおかしい。殺そうとしている側じゃなく、殺されようとしている人に非難が集まるとは、どうしたわけだ?「命を軽んじるテロリストは断じて許せない」「テロに屈するな」ということで小泉政権はブッシュアメリカに追随し、自衛隊派遣にまで至った。でも、この事件をめぐる人々の反応をみていると、一体だれがテロリストに怒りを感じているのかさっぱり見えてこない。
 さらに香田さんは一般犯罪にまきこまれて命を脅かされていたわけじゃない。「自衛隊をイラクに派遣した日本という国の国民」だったために、命を奪われようとしたのだ。そのことを同じ日本人として、自分に問わなくてよいのだろうか。自衛隊派遣を許してしまった国民の1人として、その犠牲になろうとしている青年に
 「おまえが悪い」「(死んでも)仕方ない」
といった言葉を投げつけることは、到底私にはできない。証生さんが殺されて、家族は謝罪と感謝のことばを述べたというけれど、本当は謝るべきは政府と私たち国民の側だろう。
 それを皆が堂々と「香田さんが悪い」と公言してはばからないのは「国家(国策)に逆らうものは、殺されてあたりまえ」の論理がこの国ではばをきかせ始めているからだという気がしてならない。
 確かに香田さんの行動は情況判断が甘く、軽はずみなものだったかもしれない。けれどそれは「死をもって償うべき」ほどものもだったのだろうか。なぜ皆ニュースをきくやいなや、彼を罵倒したのだろう。あの苛立ちはどこからくるのか。
 もしかしたらみんな無意識の部分で後ろめたいからじゃないのか、と私は深読みする。実はみんなこれは人間としてあたりまえの感覚じゃないってことに無意識の部分で気づいていて、それを抑圧しようとするので苛立ち、ヒステリックになるのではないだろうか。いのちの問題を前にして、悲しみや畏れでなく、攻撃や苛立ちがあらわれてくるのはそのせいとしか思えない。テロで殺された人たちの家族はテロリストを憎み、戦争で殺された人たちの家族は相手国を憎み、報復を叫ぶ。イラクで捕らえられた香田さんに日本人は憎しみにも似た攻撃の刃を向け、そして、日本人に見捨てられて無惨に殺された息子の親たちは、誰かに憎しみを抱かずに生きていくことができるのだろうか。
 香田さんが殺されて世間は沈黙した。おくやみとしてではなく、速く消去ボタンを押してこのことを抹消してしまいたい空気が伝わってきた。彼がこんな形で殺されてしまったことについて、誰も語ろうとしない。この事件は日本人の心の奥底に、トラウマとなって沈んでいったようにみえる。アメリカ人がインディアンに対して、その後の数々の泥沼戦争に対して持ち続けているトラウマのように。
 これは、イデオロギーの問題じゃない。香田さんの失われそうになっているいのちを前に、なぜ皆がとにかく彼を救えと思わなかったのか。この国で、人間として当たり前の感覚がこわれ始めている。人間らしく生きることが難しくなってきている。当たり前のことを言える時代がもう終わりに近づいている。
 でもまだ間に合うぞ。人間の感覚をとり戻そう。アメリカに追随するのはやめよう。アメリカ人と同じトラウマを背負いこむ前に、日本人の心を取り戻そう。ブッシュ仕込みの「テロに屈するな」はやめて、自分の心に響く、誇りをもって言えることばを口に出そう。
 「憎しみの連鎖を断ち切ろう」
 「報復ではなく、和解を」
 それが香田さんへのせめてもの供養である。
 「あやまちはくりかえしませんから」

(編者注:仙人文庫発行『かすみ通信』No.176号から転載させていただきました。感謝いたします)

【連絡先】
楽天堂にお願いします。


大きいことを語ろう!
 
ワイルドツリー代表・平賀 裕子(ひらが ゆうこ)


 去年の11月23日エコ雑貨クラブの一員として豆ランチパーティ−に参加させていただきました。エコ雑貨クラブでは2度目、私にとっては初めての楽天堂さんとの出会いでした。高島夫妻の思い、豆ランチパーティーの場所と我々の宿泊を提供してくださったあすいろの皆さんの暖かさ、参加者の皆さんが真剣に生きている有り様が、豆料理のおいしさと相まって、心もからだも幸福感に満たされる、そんなひと時でした。皆さん、有難うございました。
 さて、エコ雑貨クラブの一員としてワイルドツリーがどんな活動をしているのかを紹介させていただきます。 
 普通の紹介っぽくいうと、「ワイルドツリーは、オーストラリアの“こだわりのモノ”を日本に紹介しています。一番最初に紹介したいと思ったのが、東海岸バイロンベイにあるノーザンライト社のミツロウキャンドルと素材のミツロウ。そして最近、西海岸のデンマークというところにあるエレメンタル社の、化学成分を一切含まず自然のものだけで作っているスキンケアー製品とその素材の植物オイル、エッセンシャルオイル、フリーラルウォーターを紹介し始めました。」ということになります。
 エコ雑貨ではなく“こだわりのモノ”とあえて書いたのは、エコロジー雑貨とくくってしまうのがあまりにももったいないからなのです。これは、他のエコ雑貨クラブのメーカーさんたちも同じ気持ちだろうと思います。だから、いまだにエコ雑貨クラブは仮名のままなのです。
こだわりのモノを作っている人には、自分のつくったモノに対する愛情、作ることの喜び、使ってくれる人に対する誠実さがあります。そしてそんなモノづくりの心、すべてのものに対する慈しみの心が、自然や地球環境に対しても誠実で、使う人が気持ちいいと感じてくれるモノを作り出すのです。つまり、当然エコでありながらも、シンプルで美しく、使う人の生活を豊かにしてくれるようなモノを、作り手の思いをきちんと添えてお伝えしていきたいというのが、エコ雑貨クラブの活動です。
 ワイルドツリーが紹介しているノーザンライト社も、エレメンタル社も、それぞれに思いがあり、とても一遍には書ききれません。そこで、今回はワイルドツリーの思いを書くことにしました。
 普通の紹介っぽく書かずに、隠れテーマを紹介すると、
「ワイルドツリーはビジネスを通じて社会を変えたいと思っています。そのために2つのアプローチをとります。ひとつは時間の流れかたをもっとゆっくりにするモノ・情報を発信したい。もうひとつは、人が「つながり」を感じられるように働きかけたい。」になります。
楽天堂さんが、「新しい文化の創造」という表現をしていましたが、まさに同じ思いです。

信州・伊那谷


■時間の流れ方をゆっくりにするということ
 私は3年前に、夫と小3の息子と共に、東京から長野県伊那市へ引っ越してきました。東京で暮らしている時に、早回しの中で生きていることに疲労しきっていました。もちろん、都会の早回しの中でも自分を見失わずに、自分の時間を生きている人もいます。引っ越してから、ゆっくりにするということは、「今、この瞬間」に、自分自身を傾けることなんだなあと、気付くことができました。
ここで暮らす人たちの姿を見て、「農」という人の営みは、自然に働きかけ、自然から働きかけられ、その時間の中にともにあることだということを実感しています。そして、植物が育っていく時間、こどもたちが育ち、過ごしている時間、ひとが死にむかって過ごす時間と、私が東京で過ごしていた時間は明らかに異質なものだということも感じています。
 ミツロウキャンドルを灯す時に流れる時間、キャンドルのもとに集い語らう時間、自然の恵みが詰まったボディーローションで全身をゆっくりと丁寧にマッサージする時間、自分の体と向き合う時間・・・。そんな時間の過ごし方を提案していきたいと思います。また、直接ビジネスとは関係ありませんが、わずかばかりの田んぼと畑で農作業体験、伊那谷に住む人たちの時間の流れを感じてもらえるような場、「みんなの家」(仮称)を建てるプロジェクトが進行中です。完成前でも、家作りの手伝いでも、完成後でも是非あそびにいらしてくださいね。そんな働きかけを通じて、結果として少しでも時間がゆっくりになったら、HAPPYです。

■人が「つながり」を感じられるように働きかけたい。
 いつから「つながり」が見えなくなったのだろう。近所の人が作った野菜とお母さんが作った洋服。お豆腐はお豆腐屋さん、自転車は自転車屋さん。そんなに昔のことではない。裏の森に遊びに行く息子。春には山菜、秋にはきのこの恩恵にあずかる。「自然に感謝」なんて言葉に出さなくても、きっと感じているはず。私たちはつながっている。過去とも未来とも。今は、そのつながりが見えないだけ。だから、想像力をうんと働かせて、つながりを感じたい、感じてほしい。きっと、つながりの中で生きていることが実感できれば、キッチンの排水口の行き先や自分の日常の行為が南の島の存亡につながっていることも想像できると思うのです。
 だから、ワイルドツリーは、オーストラリアの大地でゆったりと生きている人たちの思い、誰が、どんな思いで作ったモノなのかを伝え続けていきます。それから、前述のみんなの家(仮称)に遊びに来た子供達に、畑になっているとうもろこしの姿を、自分が植えた苗がお米になって食卓にのぼる喜びを伝えていきたいと思います。その事で、少しでも暮らしの中でつながりを実感できたら、HAPPYなのです。
 以上、大きいことを語りましたが、ワイルドツリーはまだまだ小さな一歩すら踏み出していないような状況です。でも、あせらずゆっくり、足元を見つめながら、一歩一歩を身の丈で進んで行きたいと思っております。決して無理せず、今の自分を受け入れながら。いつか後ろを振り向いた時に、「もう、こんなに来てたんだ。」と思えるように。


【連絡先】
〒399-4501
長野県伊那市西箕輪3883-3 TEL&FAX 0265-73-0638
URL http://www.wildtree.com.au/  E-mail  hiraga@bekkoame.ne.jp


エチオピア絵日記 (3)
 
エチオピア・シェコ族の生活 三谷 裕希(みたに ゆき)


 シェコの人々はすでに服を身につけている人も多くいますが、中には腰に葉っぱをぶら下げてやりを持っているだけの人もいます。彼らのほとんどは裸足で、それでもジャングルのような森の中をピョンピョンとびまわります。大人も子供も女性も。大きな荷物をかかえていようが、登りだろうが下りだろうが真っ暗闇であろうがペースは変わりません。本当に!!
 我々(とくに私)の非力さを痛感しました。
 女性は特に働き者で朝から洗たくやら食事の準備、飲み物やパンを作る為にトウモロコシを大きな臼でひいたりしています。時には親子で連なって女の子同士髪を結い合う姿なども見られます。コーヒーセレモニーの準備が始まると、どこからともなく(一体普段は何をして過ごしているのか皆目見当のつかない)男の人達がゾロゾロやってきます。
 こんなペースで昼になり、夕方になると頭がボーーッとしてきて風の音や臼をつく音、たきぎのパチパチはじける音がとても心地いい。
 塩と交換に野菜を売りに来る少年。畑仕事の帰りにおしゃべりをして帰る陽気な女達。次々と独自の遊びを見つけて夢中になる子供達。
 そこには、今日本で失われつつあるコミュニティーの土台がありました。そして、それを見ながら私が住む日本にも、こういう輪のような、皆で支え合う社会が再び定着するといいなあ、と切実に思ったのです。

シェコの生活


 シェコの主食はタロイモです。ここではバーカと呼ばれています。トウモロコシも多く、メニューは多様です。又、ごまが採れるので、和食に近い味でした。ではシェコのごはんを紹介します。

和風バーカガンフォ(1) 和風バーカガンフォ(2)
バーカガンフォ バーカ
モク ボコロ
トウモロコシパン トウモロコシキッタ


 一緒にエチオピアへ行った相方は、今年5月末再び単独でエチオピアへ渡りました。今の時期、シェコの村にはトウモロコシしかなく毎日トウモロコシのフルコースだそうです。

【連絡先】
hoantama@hotmail.com
ホームページ http://www12.ocn.ne.jp/~hoantama/


中国茶の魅力(2)
小さなお茶道具 こじま ゆり


 夏がやっと終わり、ハッキリしない秋が過ぎ、11月下旬になってようやく冬の気配が訪れてきました。今年は地震や水害など天災が多く、まずは被災されました方々に心からお見舞い申し上げたいと思います。
  世の中気持ちが落ち込んでしまうニュースが多いのですが、香り豊かな、そして暖かい中国茶で心身ともに少しでも暖まりましょう。中国において茶の利用は「薬用」から始まったといわれています。言い伝えによると、今から3400年ほどの昔「神農」(体は透けていて五臓六腑が見える)と呼ばれる人物?が「100(たくさん)の草を食べ72の毒にあたり、その毒を茶をもって解毒した」とのこと。その後環境の変化などにより「食用」へと移行し、その後「飲用」としてのお茶葉の利用が出てきます。お茶の淹れ方にも変遷がありますが、前回お伝えしました淹れ方の始まりは明朝の中期。「茶壷」を使ってお茶を入れる、そして清の時代に入るとその「茶壷」の発展へとつながります。
  少し堅いお話で始まってしまいました。そろそろ今回のテーマ「お茶道具」のお話に参りましょう。中国茶を楽しむために、やはり中国茶器が一揃いあるといいですね。中国茶器の代表といえば「茶壷」。中国江蘇省宜興で紫砂という土で作られるもの(陶器)[宜興紫砂壷]が一番適してるといわれています。この「茶壷」には保温性があり、また表面には気孔があり味や香りを吸収しかつそれらをしっかりと引き出してくれます。青茶(烏龍茶)、紅茶、黒茶を淹れるのに向いています。陶器という特性から茶の香りをしっかりと吸い込みますので、茶葉ごとに茶壷を使い分けることが理想的かもしれません。長年使い込んだ茶壷はお湯を注いだだけでもそのお茶の香をほのかに香ることができる♪ こういう状態にすることを「養壷(ヤンフー)」と呼びます。読んで字の如く「茶壷を育てる」ことなのですがこれもまた中国茶の楽しみの一つです。しかし現実の問題としては、茶葉ごとに茶壷を揃えるのは難しいですよね。そこで多くが磁器製の「蓋碗」というお道具がお目見えです。茶壷の代わりにもなりますし、蓋で茶葉を抑えるようにしてお茶を直接飲むことができる優れもの。どの種類のお茶でも気楽に淹れることができます。他には、飲む時に使うのが「茶杯」。お茶水の色が分かりやすいように内側が白いものがよいでしょう。

茶道具(1)
茶道具(2)
茶道具(3)


  以上は初心の方がまずは揃えるといいものですが、更に次のものを揃えるとより楽しくなるはずです。「茶通」(茶壷の口に茶葉が詰まった時などに使う)、「茶杓」(茶葉を茶壷に入れる時などに使用)、「茶則」(茶筒から茶葉を出す時に使う)、「茶挟」(熱くなった茶杯を持ったりする)、「茶漏」(茶壷の口に乗せ茶葉を淹れやすくする)。これらをひとまとめにして「茶道組」といいます。
  そして前回も出てきました香りを楽しむための「品茗杯」、お茶の濃さを均一にするための「公道杯(茶海)」。またこぼれたお湯を受ける「茶船」や「茶盤」もあります。茶杯などを温めたお湯を捨てるための「水盂」、お湯を沸かすポットは「随手泡」といいます。
  これらが揃ったら、さぁ、どんなお茶をどうやって飲みましょうか?次回は茶藝と題して、緑茶の淹れ方をご紹介したいと思います。


本屋で見つけた本(12) いつでも どんなときでも
長新太著 マンガ童話『なんじゃもんじゃ博士』
乙益 由美子(おとますゆみこ)


 目が痛い。老眼鏡の一つも買おうかと考える年頃なのだから仕方がない。考えているうちに読書の秋ともすれちがい、これといった本を見ることもなかった。ところがある日、小さな記事を見つけた。「なんじゃもんじゃ博士」のマンガが単行本になったという。『母の友』という月刊誌に毎月掲載されていた「マンガどうわ」は、かつて、我家のみんなが楽しみにしていたページだった。最も家族の中で一番あとから読み始めたのがわたしだったのだけれど。子どもたちがが大きくなって我家には一冊の『母の友』もない。みんな人に譲った。本になったのなら、これだけは持っていたい。本屋に駆けこむと、ありました。老眼鏡なしでも読めるので、嬉しさもひとしおです。

 著者の長新太さんは、1927年東京生まれ。漫画家、絵本作家。絵本『ぞうのたまごのたまごやき』の絵、『キャベツくん』の絵本などいちど見たら忘れられない自由な色彩をを持つ。興味のある方は、子どもの本のコーナーをおすすめしたい。
 長女が小学校2年生の頃、ミュージカル形式の「ぞうのたまごのたまごやき」を2年生全員での学習発表会で上演した。CMで絵を見たこともある。長新太さんの作品は、意外な場所で、意外なかたちで、ご存知の方も多いかもしれない。

 『なんじゃもんじゃ博士』には、福音館書店から発行されている月刊誌『母の友』に掲載された199話が、まとめられている。マンガどうわ、という紹介があるけれど、異色のジャンルでしかも主人公は博士と動物。モノトーンの線の世界で子どもたちに迫るのだから、たいへんな試みといえる。1985年4月号から、93年6月号までの99編がハラハラ編。93年7月号から02年の12月号までの100編がドキドキ編。およそ18年に及ぶ。恥ずかしながら、ちょうど、わたしが結婚した年からの連載開始。家の中って社会的ではないわ、なんて考えながら家族と暮らしていたこの間、毎月毎月なんじゃもんじゃ博士はゾウアザラシと旅に出ていたのだ。なんてことかしら。
 物語は、毎月16コマの中におさまり、1コマめは、タイトル。2コマめは、地平線と博士とゾウアザラシ。そして毎回、旅の途中の大ハプニングを暗示する何ものかが、背景にチラリ。そしてたいていの場合「博士とゾウアザラシがやってきました」という一言ではじまる。それは昔、紙芝居のおじさんの持ってきた最初の一枚の場面のようでもあるし、むかしばなしをするといって、毎回同じ話を少しずつ変えるおじいさんのなつかしい語り口にも似ている。そして、そういう入口からは想像もつかない世界がはじまる。雪ダルマだけが乗ったバスがやってきたり、山だと思っていたらオイモだったり、眼鏡や橋が歩いてきたり。奇想天外なのだ。ハラハラドキドキしていても、ワクワクして旅は続く。マンガの最後の欄外に著者の一言がついていて、その言葉が、このマンガの世界と現実を結びつけているきれいなリボンのよう。
 小さく描かれているのに博士は円いソフト帽を被り、眼鏡をかけ、ゾウアザラシと同じ横顔をしているのがわかる。ゾウアザラシときたら変幻自在で、伸びたり縮んだりする。博士はゾウアザラシがもとの姿に戻るか心配になるくらい。
 ただ、いつも二人が現れるとき、少しさびしい感じがしていた。地平線がぽつねんと二人をうかびあがらせて孤独感を含んだ場面に見えてしまうのだ。
 しばらく本から離れてもの想いにふけっていたら、思い当たることがあった。
 中学生の時、サン・テ・ジュクベリの『星の王子様』からの一文が教科書に載っていた。そこには細い線で描かれた絵が添えられていた。その絵が帽子にみえるか、それともヘビがゾウを飲みこんだところ、に見えるか。その問いかけは、中学生のわたしには退屈なものだった。けれど、この二人の物語に続々と出てくる変形し変容する登場物体をみていると、急にあの問いかけの謎が見えてきたような気がした。『星の王子様』には、常識的な見方しかしない大人に対する怒りがあった。だから、子どものことしか知らない子どもが読んでもその問いかけの意味がわからない。むしろ、たくさんの大人に会ってはじめて、あの本の悲しみがわかるということなのだろう。博士とゾウアザラシがあらわれてくる2コマめの地平線は、星の王子様が1人で歩いていたどこかの地平線に続くような気がしてならない。ゾウを飲みこんだヘビ。なんじゃもんじゃ博士の世界では、日常茶飯事の出来事ではないか。
 あの地平線は、日常の常識の世界との境界線なのかもしれない。なあんて大人はこざかしく考えるから、子どもにキラワレル。
 何はともあれ、地平線と共に、そこに立ってみると、全部ふっとんでとても伸びのびとした気分になる。博士とゾウアザラシになり切って、この世界を楽しむことがいちばん。暖かくやわらかい気持ちを何度でも呼びさましてくれる。

なんじゃもんじゃ博士

長新太著 マンガ童話『なんじゃもんじゃ博士』  ハラハラ編 ドキドキ編  福音館書店 各1050円


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