第25号2003/12/01


新連載 すべての子どもが自分の言葉を獲得するために
田中 光子(たなか みつこ)


 国際結婚をした友人から、子どもの言葉の問題や学校選びで迷う様子を聞いていたとき、田中さんと出会った。道に迷ってうちの店に入ってこられ豆を買われたご縁だが、お話をお聞きすると、バイリンガル、聾唖者といった言葉の獲得が難しい環境に置かれた子どもたちに対して、支えるための準備が社会の側に何もないことに気づかされた。基本的人権にかかわる大事な問題、執筆をお願いした次第です。(千晶)
 母語の獲得には「臨界期」があると言われていますが,皆さんご存じですか? レネバーグという人が主張した「言語獲得の臨界期」説(1967)です。臨界期,その時期は思春期前頃(10-12才頃)であり,その時期を過ぎると,母語の獲得ができなくなる,あるいは不完全なものになるというぎりぎり限界の時期のことをいいます。
 となると,臨界期中に普通の子どもとは異なった言語環境にあったり,あるいは,普通の子どもとは異なった言語習得経験をした場合,どうなるのでしょう?うまくバイリンガルになれる場合は幸せですが,二つの言語が入り混じって,どちらもきちんと獲得されず,中途半端になる場合だってありえます。これは目に見えない悲劇です。 実際に深刻な言語問題をかかえた子供達や成人がいます。新聞などで読まれたことはないですか?
 帰国児童生徒,国際結婚家庭の子ども,外国人児童生徒の言語の問題など社会問題として浮上しています。近頃では,聾児の言語の問題も明らかになってきました。ですから臨界期までに少なくとも一つの言語(日本語,日本手話,外国語など・・・)をきちんと獲得しておくことが,いかに重要かおわかりいただけるでしょう。

 一度,ある試みをしてみましょう。意識して母語の獲得過程をふりかえってみる作業です。われわれは言語を国語と外国語に分けてしか捉えてきませんでした。言語を内のものと外のものに分けるだけですから,「国語」という内の言語の中にあっては,わざわざ「日本語」と名乗る必要はなかったんですね。そんな中で他の言語を意識しないままに母語を獲得してしまいますから,よもや臨界期があるなんてことなど想像もしなかったはずです。

 では始めましょう。まず赤ちゃんのころ,お母さんの話しかけを通して言葉が耳に入ってきます。慣れ親しむにつれ,だんだんその言葉を自由に使ってコミュニケーションがとれるようになります。
 そして,小学校に入ると「国語」の勉強が始まり,今までの「聞く」,「話す」だけの世界から一転して,「書く」,「読む」というちょっと努力の要る世界が加わってきます。例えば,小学1年生の子どもが文字を書くのを思い起こしてください。とくに漢字は縦棒や横棒,曲っていることもあったりして,いちいち見ながら書いていくのは子どもにとってなかなか難しそうです。書いて,書いて,身体で覚えていくしかありません。
 「読み」も大変です。小学1年生の子どもが教科書を読むのを思い起してください。詰まり,詰まり何とか声にして読みはできているものの文章の意味をすべて理解しているかというとあやしい時があります。それは「日本語」が話し言葉と書き言葉とで違っていますから子どもにとっては余計難しいのでしょう。
 このように読み書きの積み重ねによって,今まですぐに消えてしまっていた音声による言葉を文字で表わし,目で見ることができ,何度も繰り返し読むことによって言葉が母語としてどんどん強化されていくのです。さらに10才頃には漢字や難しい言葉が一段と増え,思考言語の学習も始まります。
 こうして母語の「聞く」「話す」「書く」「読む」の基本技術の獲得は終了となります。これらの技術を使って自分の心の中にある思いも自由に表現できるのです。もしそういう手段がなかったら,どれほど苦労することでしょう。
 ですから母語獲得の臨界期にあたる時期に,諸事情によって異なった言語環境,あるいは,異なった言語習得経験を余儀なくされる子どもには,細心の注意をはらわなければならないと思います。日本語であれ,日本手話であれ,外国語であれ,ともかく一つの言語がその子どもの母語としてきちんと獲得されるよう,親は配慮すべきです。自分の言葉で自分の心の中の思いを自由に表現できないのは,どんなに哀しいことでしょう,そう思われませんか。
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 以上,母語獲得の「臨界期」についての話でした。次回はもう少し具体的なお話をしようと思っています。今回は,このへんで。
 筆者自己紹介: “言語の臨界期”を科学的に検証することを目的に,認知心理学実験を続けています。社会に何か役に立つことができればと願い,研究を始めて早8年。参考になる研究論文はほとんど見当たらず,ネットで検索したfMRIなどによる脳研究の結果と照らし合わせつつ,ひとりでがんばっています。友人達は半分あきれながら応援してくれます。投稿と学会発表のために日本神経心理学会,日本心理学会,情報処理学会,日本手話学会,言語科学学会の会員です。京都市左京区在住。
【連絡先】
楽天堂または mttanaka@zk9.so-net.ne.jp



本屋で見つけた本(9) 「そのコ」を見つけたら
詩集 『そのコ』
乙益 由美子(おとますゆみこ)


 どんなにがんばって読んだところで、恐らく人生で一度も手にとることのない本>の方が多い。まるで人生で出会う人間が限られているように。本屋に行くたびにそう思う。
 強烈な色彩や、キツいアピールを送るタイトル文字や帯が並ぶ店頭で、わたしはつくづく冷淡になってしまう。
 半日書店にいても、これといった本を見つけられなかったせいか、気持ちが悪くなって家に帰った。前の日に、友人から出来たばかりの本を送ってもらっていたことを思い出した。そうだ。これから書店に出るこの本を、いったいどれくらいの人たちが手にとることだろう。発行部数はとても少ない。この本を書店で見つけた人は幸いだ。むしろ、手にとって見ることのできない人のために、紹介しよう。

 ぱくきょんみさんは、1956年、東京生まれ。在日韓国人二世。著作の記名はひらがな表記を選んでいる。25年来、同世代の詩人の中で、無類の才能の持ち主として見つめてきた友人だ。著書には詩集『すうぷ』(絶版)やエッセイ集『庭のぬし』翻訳には『地球はまあるい』(G・スタイン著)等々。この第二詩集は、23年ぶりとなったが、言葉を研ぐ仕事を厳しくやり遂げてきた、一つの結実がこの本だと言える。本を手にしてみるとわかるけれど、夫である岡崎乾二郎氏による愛らしい表紙は、このごろあまり見かけなくなった愛蔵版という言葉を思い出させてくれる。

 詩集『そのコ』には、21篇の詩が収められている。そのうち12篇が、いろんな「そのコ」のこと。わたしの知っている「そのコ」をその中に見つけてしまって涙が出てしまったけれど、「そのコ」はさまざま。見たことのある「そのコ」も、見たことのない「そのコ」も、どんどこ胸に迫ってくる。例えば「そのコはホアンである」という詩は、静かな抑制の効いた詩だけれど、ほとんど修辞らしいものはない。不安を抱えた母と子の表情、短い間の、不安の部分と愛情のあらわれる部分の一瞬を描きわけて、全体には、ホアンという音の響きが救いにかんじられる。ほんの少し暖色系の色調の、秀逸な詩だ。詩を書く立場から言えば、至難の一篇だ。

 そもそも詩は、人にすすめられて書くものではない。けれど人が詩を書くとき、何か力強いものが、その人を押していると思う。そのため、その人は書く他ない。そうして、その力強いものを真っ向から受けとめて前へ出す力がなければ、詩が成就しないのも本当だ。詩集『そのコ』は、その成就を見る稀有な一冊となった。――いくつかの詩の読後には、ぽってりとした見たこともない淡色のついた不思議な絵の具が一滴あらわれては消える。ほんのかすかな一瞬の香りと共に。そして音の響きは止まない。

 先日、ぱくさんを囲んで,こじんまりとしたすてきな出版記念会が開かれた。わたしも参加して、実に久しぶりに見る知人の顔に、いつになく救われた気がした。詩人の國峰 照子さんが詩集の最後の一篇「わたしは、しない」を朗読された。國峰さんは、その詩を、我が身のものとしていらしたにちがいない。声だけから入ってきたその詩は、完璧だった。聴いていてすばらしい詩だとわかる。しかもそれは、國峰さんが一つの呼吸もまちがえることなく、その詩を読み切ったからだ。わたしはきいていて、自分が間を読まないで目で読んでいたことに気がついて、恥ずかしく思った。國峰さんの声が示した間は、みごとな解釈であり鑑賞なのだ。記憶にずっととっておきたいと思った。

 きょうの空に
 一点の曇りも見つけないで
 冬枯れの前に
 あばれ枝を整理しないで
 木の実いっこに
 木の葉いちまいに
 木の枝先いっぽんに
 賢しげな眼をあげないで
 ことばに詰まらないで
 わたしは、しない

 ひとの嘘に
 じぶんを見透かされないで
 ふつふつと噴き出した
 妬みやそねみに惑わされないで
 ほら
 映像に終始する「伝達」だから
 爆音やとどろきはここまで届かない
 ここまで、どこまで
 薄い笑いが蔓延して
 世界の軸が外れていく
 平たい調和にくちびる舐めないで
 わたしは、しない (「わたしは、しない」全篇)

 もしも書店の一角に埋もれている『そのコ』の姿を見つけたら、ひっぱり出して、よくここへやってきたね、と声をかけてもらえませんか。

詩集  『そのコ』

詩集  『そのコ』 ぱく きょんみ・著 岡崎乾二郎装画
書肆山田 2400円  


〈乙益 由美子・4月から徳島市在住・1957年生まれ・
主婦・著書に詩集2冊・ようやく3冊目の詩集をまとめる気持ちになりました。読書は,謎をもらう場所。それがある日,生活の中で解けることがあります。スローワールドを持つ暮らしです。〉

カナリア日記 (2)
 
化学物質過敏症アドバイザー 齋藤 昌代 (さいとう まさよ)


 い草のにおいだと思いこんでいた畳のにおいは、パウダー状の化学物質が振りかけられているものである。だから畳を日に干してたたくという、昔はどこの家でも行っていた作業をすることによってかなり除去できる。間違っても濡れ雑巾でふくのは逆効果である。畳にしみ込ませた防虫剤も日に干して風通しをよくすることによって揮発を促すことができる。
 畳屋さんの助言により、やるべきことはわかったが、体力的にも衰弱の一途をたどっている私一人の力では、何もできない。それで、職場の上司、同僚からボランティアを募り、「畳たたき隊」と称して、土日に畳たたきに来ていただいた。マンション1階駐車場に「バンバン」という畳たたきの音が響いた。畳たたきに使うたたき棒も職場近くの竹屋さんで特注で作ってもらった。近頃は、畳を干してたたくという作業をする家がほとんどないため、竹屋さんでも、年輩の職人さんが昔を思い出して、たたき棒のかたちを指示してくれた。私も、見たことのない畳たたきの棒を注文して、使いやすいものが手に入るか不安であったが、年輩の職人さんがいて助かった。京都だからこそ手に入った「畳たたき棒」であったような気がする。
 「畳たたき隊」によって、精神的には少し落ち着きを取り戻すことができた。また、薬務課のシックハウス担当者が、入浴によって汗を流すと楽になる患者さんが多いと聞いている。との話しをしていたことを思い出し、1日に2〜3回、入浴をした。衰弱によってフラフラしながらも浴槽の中では、一時的にSFの世界から抜け出せた感じだった。体調も少しずつ楽になっていった。とは言え、このままでは快復は見込めない。事務用品にも反応していたので、仕事も続けられないと思われた。今後の人生に暗雲が立ちこめた。なんとかしなければならない。
 パソコンにも反応して具合の悪くなる体にむち打って、必死にインターネットでの検索を始めた。「化学物質過敏症」と入力して検索すると1万件以上のページにヒットする。到底、全部は見ることができない。とりあえず、最初の方に出てくるページを開けてみる。CSのメカニズム、原因、症状など、現在わかっているだけの情報が掲載されている。でも、私が知りたいのは、対処方法や治療方法である。これが、なかなか書かれていない。
 何日か検索を続けているうちに、やっと、先輩患者のホームページにたどり着いた。そのページを読み、私は「多種類化学物質過敏症(MCS)」患者となっている状態であることがわかった。つまり、化学物質過敏症が重症化し、最初の原因物質以外の物質にも感作して症状が出るようになってしまっているのだ。そして、生活の中に潜んでいる有害化学物質を、反応するしないにかかわらず排除し、身体に取り込む化学物質総量を少なくする努力と、体内に蓄積された化学物質を体外に排出する努力が始まった。
 具体的にどんなことをしたかというと、まず、次に列挙するものをすべて捨てた。
 化粧品、香水、ヘアスプレー、制汗スプレー、洗濯用合成洗剤、台所用洗剤、石けん、シャンプー、リンス、台所用漂白剤、洗濯用漂白剤、洗濯用柔軟剤、トイレ芳香剤、殺虫剤、虫よけスプレー、防水スプレー、衣類用防虫剤、アルミ鍋、アルミ容器、読まない本、雑誌、プラスチック容器、植木など。
 そして、適度な運動をして汗を流すようにした。しかし、マンションの部屋からは、有害物質を排除できても、職場からは排除することができない。仕事を続けながら対処できるほど、症状は軽くなかったので、病気休暇をとって、伊豆にある実家で療養したいと考えた。NPO法人CS支援センターのホームページには、CSには、空気の良いところでの転地療法が良いこと。東京にある北里研究所病院では、CSの診療をしてくれることが書かれていた。
 病気休暇のために必要な書類である医師の診断書を手に入れるため、北里研究所病院に電話をした。医師を選ばなければ1ヶ月後の4月7日に予約が入れられるとのことだった。あと1ヶ月は、ここでがんばらねばならない。職場に着いた途端、拷問のような攻撃を事務用品や印刷物から受けながら、じっと耐える日々だった。有害物質が中枢神経に作用し、自律神経はズタズタの状態である。目の焦点があわず、パソコンの入力もミスタッチばかりで、肩が非常にこる。頭が重く、大海の真ん中で嵐に遭い、船酔いに苦しんでいるような状態だった。
 4月6日、プラスチック可塑剤のにおいがプンプンする新幹線に、事前に病院から送られてきた活性炭入りマスクをして乗った。花粉症の季節でもあり、マスクをしてもあまり違和感を与えずにすんだように思う。何年か先、花粉症並にCSが広がれば、季節を問わずマスクをしている人が街を歩くことになるなぁ。ふとそう思った。翌朝8時半までには病院へ着いていないといけない。病院までの経路を入念に下見をして、ホテルに泊まった。禁煙者専用の部屋が用意されているホテルだったので、たばこのヤニや残り香に苦しまなくて済んだのは助かった。
 北里研究所病院では、MCS患者に特徴的に出るデータが出たということで、診断書を書いてくださった。これで、病気休暇が取得できる。ホッとした。でも、ホッとしたのもつかの間、実家では、同居する家族にMCSに対する理解と協力を求めないといけない。血を分けた親、妹弟でも、根気よく説明をくり返して行くしかなかった。
 現代は、身近な生活用品にも、極微量の有害物質が含まれている。現在の技術では正確な測定が難しいぐらいに極微量な量である。1ピコグラムという単位がある。1ピコグラムは、1兆分の1gのことである。ダイオキシンや環境ホルモンと呼ばれる化学物質に使われる単位である。つまり、1ピコグラム単位でも有害物質があると、MCS患者は健康をおびやかされる。そして、まるで超能力でも備わったように、目に見えない有害物質をかぎ分けてしまうのである。人類への警告を受け止めるかのように。(化学物質についての解説が次回に続く・3回連載)

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