第11号2000/03/10


佐藤浩子さんのレポート(1)

子づれのインド旅行は楽ちん(佐藤浩子)


佐藤さんは楽天堂にインド・ネパールの雑貨を卸してくれている(今春はインド綿のたっぷりしたスカートとそろいのストールの組み合わせがすてきです)。佐藤さんの体験した子づれ旅行なのですが、さあてさて面白いのなんの。子育てのヒントが満載です。(編集長)

  去年の夏から秋までの3ヶ月間を、1歳3ヶ月になる息子(タオと呼ぶ)と二人で植物採集のためインドの西ガーツ山脈を旅した。一人でもハードなのによくもまあ、と呆れる人、心配する人等から様々なお言葉を頂いた。ただ一人、かってお子さんを連れてインドへ修行に行った経験のあるインド舞踊家の方に「3歳前なら大丈夫よ」と伺った。どうやら3歳を過ぎると日本の暮らしとは全く違う環境に飛び込むのは場所によっては難しく、時には受け入れられず外界をシャットアウトしてしまうこともあるらしい。早いうちに一度子供にインドを見せておこう。出発の準備を一人でコツコツと進め、ついに懐かしのマドラスへ向かった。デリーやカルカッタのような喧噪がなく、子連れでも安心だ。
  
  初めのうちは本当に大変だった。ケララ州での研究機関の許可が下りず、タオは私のショックが移って体調を崩してしまい、スケジュールはめちゃくちゃになった。マハラシュトラ州で先生に会い、最低限の採集を終わらせたらすぐ帰ろうと考えていた。
  この時運よく長年の友人であるカシミリにトリヴァンドラム駅のプラットフォームで再会した。彼は松葉杖をつき、家族に付き添われてようやく歩いていた。インドとパキスタンがカシミール問題で対立が深刻になる中、インド国内では商売上手な出稼ぎのカシミリに対する差別が悪化していた。ある日、サッカーのワールドカップでインドがムスリム国ザンビアに敗れ、ケララの村人たち(ヒンズー教徒)の不満が爆発しムスリムの彼は襲われたのだった。すぐに(といっても車で10時間も離れている)トリヴァンドラムの病院に運ばれ、シリコンの大腿骨を入れるほどの手術を受けて3ヶ月も入院した。その間に彼の奥さんは一人で出産し、彼は今日退院してこれから自分の店のあるニルギリ高原の田舎町へ帰って初めて息子と対面するところだった。

  そんなことは何も知らなかった私はちょうど同じ場所へ採集にいこうとしていたが、タオを連れてでは数日かけてたどりつけるかどうか不安だった。それを彼の家族は一緒に行こうじゃないかと荷物を運んで同じジープに乗せてくれ、その日の夜、目的地へ無事着くことができた。くたびれ果てたがすっかりショックから立ち直る。赤道に近い海岸部から上がってくると高地なので夜は寒く感じ、フリースを着込み、毛布にくるまって寝た。
  この町は涼しくのんびりしていて過ごしやすいのでここで体の具合をみて待つことにした。日が経つにつれて息子が日本にいた時よりもずっと生き生きとしてきた。
  タオは日本では便秘がち、夜更かし朝寝坊だった。皮膚の湿疹がひどくなることがあり、かきむしって寝られないこともあった。それがここでは湿疹がすっかりなくなってしまった。夜になると遊び疲れてぱったりと早く寝て、夜中もほとんど起きなかった。朝早く外がコーランやお経を唱える声、ラジオの大音響で私が目を覚ましてもタオはまだ寝ていた。私が朝の身支度やら掃除・洗濯が終わった頃、ちょうどよい具合に起きてきて必ず大量のうんちをすませ、外へ出かけた。
  
  毎日いろいろな動物たち―野良犬や野良牛を始め、ヤギ・羊・馬・ロバ・象・リス・サルなどすぐ近くで好きなだけ観察できた。たくさんの人達と出会い、いつでも遊び相手がいっぱいだった。誰でも―ほとんどすべての人が―エア・インディアの予約オフィスで働くOLや大学の教授や学生たち、ライフル銃を持った厳つい門番といった人でもタオを見るや否やサッと抱き上げ、遊び始める。最初のうちは親子でびっくりしっぱなしだった。しかしだんだん慣れてくるとこのモウレツにしつこい人々がありがたくなってきた。忙しいとき、ちょっと誰かにみてほしいと思ったらすぐ遠慮せずに頼めば(頼まずとも)みんながタオにかまってくれた。インド人は大の子供好きなのだ。
  インドの家へ行くと時々赤ん坊や子供のポスターがたくさん飾ってあり、初めてみたときはぎょっとした。日本の連続幼児誘拐殺人事件などを連想させたのだった。インドでは決してそうではない。インドではベビークリシュナという赤ん坊の神様がいるし、ムスリムでは子供の行いは神の言葉と同じように敬われるほどだ。大抵の人はすれちがいざまにタオの頬を軽くつまみ、その指にキスしてゆく。小さな子供を連れた見知らぬ親同士でも「ターター」と言い合って手を振る。絶対知らんぷりはしない。小さいうちから近所の子供の面倒を見るので子供も男性も赤ん坊をあやすのは得意だ。

  それまで日本で四六時中私に引っ付き虫だったタオは外の人達と遊ぶ楽しさが分かるにつれ、自分から知らない子供にバイバイするようになり、興味のある方へハイハイし、しまいには歩いて行った。私もしばしばバスで赤ん坊連れの乗客と席を譲り合い、おしゃべりしながらお菓子を半分こしたり、時には泣いている子をあやしたりと、車内で大変な時はお互い様といった感じで道中楽しく過ごせた。これらは日本に帰ってからもしばらく続けていたが、相手の反応がなかったり、怪しまれたりして親子ともどもがっかりだった。まわりの人達と遠慮なく付き合え、困ったとき助け合うのはインドのよいところだと思う。各地の友人たちの多くが「タオが大きくなって普段とは違う経験させたかったら、いつでもここで預かるよ」と真剣な顔で話してくるのには参った。彼らはタフな生活を送っているのに他人の子供まで常にそのような愛情と思いやりをもって接してくれるのだ。私にはとてもまねできない。
  一方日本の子供は大人達の他人に不干渉な雰囲気を察してなのだろうか、外で子供同士ほとんど接触を持たないように見える。また親は自分の子がほかの子にちょっとでも何かするとすぐやめさせてしまう。その分、子供は母親にべったりで、母親の負担が増しているのではないだろうか。子供の様々な問題も家庭内だけでなく小さいころからの外でのコミュニケーション不足が関係しているのではないだろうか。それまで当たり前に過ごしてきた、都市の大人が作った空間が子供に対して冷淡に感じられた。

  旅行中のトラブルのもとになるインド人の口癖「ノープロブレム」には何度も救われた。間違えてタオが漏らしてしまったり、水道の蛇口のねじを取ったり、窓からドアのストッパーを投げたりといった日本ではビッグ・プロブレムになりそうないたずらも笑いごとで済んだ。それどころかみんな私よりもよく勘が働いていて、最初から危なそうなものを取り除いたり、危険なときはサッと別な遊びに移ったりとタオを自由にさせておいて且つよく見張ってくれた。日本だったら母親一人が始終目を光らせて気が抜けず、外出するのも一仕事、と言っても過言ではない。が、インドでは子供のいたずらなんかいたずらと感じていないようなのだ。日本のようなダメダメづくしのルールがないから、子供はほとんどおこられない。むしろ子供のいたずらを見るのが娯楽のようだった。それよりも子供のケガの方が大変とばかりおじいちゃんおばあちゃんはあちこち目を光らせる。彼らは残りの人生を孫のために捧げることを誇りにしているとか。インドに優秀な科学者が多いのはこんな環境で育ち、自由な発想を生み出す能力を大人になっても失わなかったからではないか、と思った(と同時に、平気で人をだますトリッキーなインド人のキャラクターもここに原因があると考えるようになった)。

  こうしてみるといいことずくめに見えるが、もちろんインドならではの問題にもいくつか遭遇した。まず食事。タオはまだ辛いインド料理は食べられなかった。誤解のないように言うが、多くのインドの食べ物はそう辛くない。インドの子はだいたい1歳を過ぎると食べ始める。しかしタオは、微量でも唐辛子が入っていると受け付けなかった。さらに南インドはベジタリアンが多く、肉や卵を食べさせるのも一苦労した。町中を探検して中華や屋台のフィッシュフライを買いに行ったりした。先生や友達の家で辛くないスープやインド式離乳食をもらったり、台所を借りたときもあった。採集に出かける日や次の場所へ移動する際のタオの食料調達は最も難しい。牛乳だけはどこの茶屋でも搾り立てを沸かして哺乳瓶に(断っておかないと砂糖をいっぱい)入れてくれるのには助かった。ビスケットや揚げ物の類も常に豊富だ。帰ってから虫歯ができてしまったが、、、

  子供の乞食がたくさん集まってくるのも困った。向こうはこっちが子連れで肉体的にも精神的にも逃げられないのを知っててしつこい。タオは全く分かってないからお友達ができたと大喜び。あげても、あげなくてもよりよい解決の見いだせない、厳しいインドの現実だ。
  また、ボンベイなどの大都市で生活するアッパークラスの子供たちはきちんとしつけられていて日本の子供そっくりだ。メガネをかけ、見知らぬ人には決して声をかけない。タオが接近したら、初めて見たモンゴロイドフェイスに驚いて泣き出した小学生がいた。変わりつつあるインドの姿にさみしい気もする。
  日頃プライバシーの尊重云々と他人との接触の少ない東京からインドへやってくると大抵の人はインド人のおせっかいとしつこい視線にくたびれてしまう。でも子供といるとこれがとても大きな味方に変身するのだから面白い。我々はいつ何時でも不意の来客には大歓迎だった。そしてしばしば旅の途中で振り回される原因の、いいかげんともいえる、インド人のルーズな性格は私たちの失敗を笑って許してくれる寛容さへと見方が一転する。またタオといるとすごいことをやらかすので日本の異常な衛生観念が払拭され、かえってこちらのほうが怪しい添加物やケミカル物質がないために安全に感じられた。そういうわけで一人旅よりもずっと楽しく快適に感じられた。

  こうして私たちは何とか採集を続けた。タオをしょって歩いてジャングルへ入るのは難しいため、なるべくオートリクシャーや車で目的地へ一気に向かい、写真を撮っている間は運転手にタオと遊んでもらった。そして帰ってタオを寝かせてから花がいたまないうちに標本を作り、朝まで作業した。採集をしない日はタオのしたいようにさせ、インド人の家族連れの集まるハトバスツアーのようなものに参加したり、ゴアのビーチであんよの練習をしたりと思い切り遊んだ。ともかくタオのことを考えて予定は慎重に決め、できる範囲で行動したお陰で一人では無理をして壊した自分の体の調子もよく観察できた。
  そしてズルズルと滞在場所が増え、帰りの飛行機の予約を何度も変更し、帰国日になってもフライトキャンセルを祈ったりするほど、充実した毎日を過ごせた。おそらくインドが特別楽しいわけではなく、ほかの国も子連れで旅行したら今までとは全く違う視点でその土地を歩き、いろんな子育ての方法を体験できるだろう。西洋人を始め、よその国のツーリストが気軽にタオに話しかけて遊ぶのを見てそんな気がした。

  ただインドのこういった子育てに理想的な点のいくつかはおそらく昔の日本で当たり前であったろうに、と想像すると残念でならない。たずねる人が健在なうちに過去のようすを聞き、戦後の経済成長の中で失ったものを見直せないものかヒントを探してこれから変えていこうと思う。



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