第7号:1999/03/10


リレーエッセイ共生(5)

山羊と暮らす
(旭川市 中村清幸)


  北海道旭川市、今年は正に豪雪の地となってしまいましたが、ここで「ポキート農園」という小さな農園を、三年前から営んでいます。

  ポキート農園には、一組の山羊の夫婦がおります。今回は、この山羊を通して「共生」について考えてみます。夫婦というのだから妻と言うべきか?雌山羊は「なち」とかわいらしく、雄は「ガラガラドン」(略称ガラ)という雄壮な(?)名。仔山羊が次々と産まれても困るので、二頭は別々の部屋で飼っています。

  それぞれ二年前の春、鶏飼いと羊飼いの友人から分けてもらった仔山羊でありました。「なち」は当時小学四年の娘に、「ガラ」は小一の息子に世話を担当してもらうという条件の下に飼い始めたのです。これが二年経って現在、立派な、まぎれもない成山羊。仔山羊のうちから世話をするのだから、、、と踏んでいた狙いはみごとにハズレ、現在、山羊の相手をできるのは僕だけになってしまったのです。

  「なち」は気性が荒く、懐くと言うことがない。餌場につなぎに行くのでも綱を引くのは僕ではなく山羊の方なのです。目的地にたどり着くためには、そのあまのじゃくな性格を逆手に取って、正反対の方向に綱を引きながら、ジリジリとやっとたどり着く、という具合なのであります。これは疲れます。

  一方「ガラ」は普段は温厚な性格ながら、雄山羊に変わりなく、度々巡ってくる発情の時には、あり余った精力を僕にぶつけて来るのです。月に数回、僕の腰を頭でグリグリと押して、誘い水を撒きに来る。そしてその後の僕は山羊とのプロレス。山羊の戦法は、戦国時代の武将よろしく、こちらと呼吸がぴたりと合った時に、「ヤアヤアワレコソハー」とばかりに突進してくる一騎打ち型。なぜか後から突いてくることがないので、それが救いであります。

  むしろ発情期はその発する強烈な臭気に悩まされるのです。青草のエキスのようなその臭い、ちょっとエロチックなものを感じる。秋の臭いは特にきびしく、綱を引く時の為に上着とズボンを用意しなければなりません。

  もう一つ、どちらの山羊にも言えるのですが、時に杭からはずれていることがあり、そんな時は、もう問答無用とばかりに、キャベツ、トマトの苗、ブルーベリーの若木の葉、花畑、、、etc.、山羊に分別は無い。何でも食べる性質が裏目に出るのであります。

  こんな山羊を飼うことの難しさは、家畜と呼ばれながら、今も強く残しているその「野生」、人間の価値を軽く踏みしだき、食べ尽くすその「アナーキーさ」と、どう付き合うのか、というところにあるのかもしれません。僕自身、困り果てながら、実は、その特質を、いかにも山羊らしさと認め、時に面白がってもいるのです。

  山羊には苦労ばかりしているようですが、実は、あの濃厚な乳(「なち」のことなので、そう易々とは搾らせてはくれないのであるが、、、。)や、敷きわらと相まって、葉菜等によく働く極上の肥も提供してくれています。

  また、この地に住みはじめた頃、家のまわりをかこっていた多くの荒れ地。これを拓いてくれたのも山羊達の仕事なのです。そして、その後に残す植生のバリエーションには目を見張るものがあります。それは神の筆さばきとも言えるような、穏やかな自然景観なのです。

  今は、山羊達を放牧することを考えています。牧柵が出来た時、山羊達は今よりも自由を手に入れ、僕は、もう少し気楽な付き合いが生まれるのではないかと、この雪景色の中、夢見るのであります。  



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