雑誌 “湧” 

地湧社発行の雑誌『湧』の2007年3・4月号〜2009年1・2月号まで高島千晶が連載させていただいた文章です。

「湧」は直接定期購読制の雑誌です
 「湧」は、人間の生活の最も基本的な問題に焦点を合わせ、様々な活動分野での新しい視点を提供します/著者と読者を結んで、深い体験からの言葉、地から湧きたてのいのちの水をお届けします/地湧社の出版活動の消息を伝えるとともに、新刊書や催し物をいち早くご案内します。
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   第12回(2009年1・2月号) 子どもと豆料理ワークショップ

 透明の小さな丸いアクリルケースを20個もっています。それぞれに1種類の豆を詰めてあるのですが、全て並べると、まるでキャンディーかビーズでも陳列したみたいに、カラフルで美しい。

 お豆の話をしに出かけるときはいつもこの豆のサンプルを持っていきます。白い長方形の箱に入れているのですが、ふたを開け並んでいるところをまず見てもらう。今は皆さん、ケータイを持っておられるので、「ちょっと撮らせてください」と撮影されます。

 それから白い紙を皆さんにお渡しして、その上にお豆を一粒ずつとっていただき、20粒のお豆をそれぞれに触ったり並べたりしてもらいます。

 白い箱の中には、世界地図も折りたたんで入っていて、わたしはそれを広げます。そしてアクリルケースを一つずつ手にとって、白地図の上に置いていきます。「これは日本で一番最初に栽培されたお豆です。縄文時代の遺跡で見つかています。アフリカから来たんですよ」「このお豆はアメリカが原産。コロンブスのアメリカ到着の後、世界に広まったんです」、などと言いながら、白地図の上に色とりどりのお豆で並べていきます。

 面積の正しいグード図法の地図を用意しておけば、地球上のほぼ全域にお豆の原産が分布していることが一目瞭然です。「どうしてお豆は世界中で栽培されてきたんでしょうか」と皆さんに質問して、すこし考えてもらいます。

 答は、お豆がどんな痩せた土地でも栽培できる作物だから。お豆の根っこについた根粒菌が土地を肥やしてくれるからです。ここで畑から根っこごと抜いてきた枝豆を用意しておけば、根粒という小さい粒を実際に見てもらうこともできます。

 そして、豆のこの性質を生かした世界中の伝統農業について話をすすめることもあるし、時間があったらワークショップをすることもあります。特に子どもたちには実際に食べてもらうのが一番です。

 20種類全部というわけにはいかないのですが、4種類くらいのゆでたてのお豆とそのゆで汁を味わってもらいます。そして用意しておいた調味料で味を足してもらいます。

 調味料は3つに分類しておきます。塩や醤油、味噌といった「しょっぱい調味料」、酢やレモン汁などの「すっぱい調味料」、あとは「油」。それぞれのグループから調味料を選んで皆さん思い思いの味のマリネを作ってくださいます。少しずつお豆を小鉢にとって味つけていけば失敗がありません。ちょっと違ったかなあと思ったら、お豆を足してまたやり直せば、慣れない人でも納得のいく味に到達できます。小さい子どもほど思いがけない味を発見してくれるものです。

 つぶすとパンにぬるペーストができるよ、とわたしが言うと、子どもたちは即興で色んなことをしはじめます。つぶしてまるめてお団子状にしたり、平べったい小判型にしたり。ホットプレートで焼いたり。

 いつもゆでたお豆は参加者のお腹の中にきれいに消えます。「ジャズみたいですね」と言って下さった方がありました。先人たちも味わってきたに違いないこの楽しさを、子どもたちが未来の台所で大事にしてくれたら一番うれしいです。


   第11回(2008年11・12月号) 商品をとおしてできること

 いろいろと外国のお豆や豆料理を紹介してきましたが、日本にもあまり知られていない豆食文化があります。そのひとつが打ち豆という乾物で、大豆を一度水につけて小槌でつぶしてぺちゃんこにし、また乾燥させた物です。ご存知でしょうか。

 つぶしてあるので一晩水につける必要がなく、いきなり水から煮て10分くらいで柔らかくなります。つぶれるときに割れているのでだしも出てきやすくて、昆布と打ち豆だけで味噌汁のいいだしがとれます。打ち豆と大根の味噌汁はわが家の定番です。

 でも、豆屋を始めるまでは知りませんでした。北陸から東北にかけては、ごく普通にスーパーで手に入る物なのだそうですが、他の地域では、かなりご年輩の方でもご存じないので、ローカルな食べものなのだろうと思います。

 昨日は、切り干し大根と干し椎茸と一緒に煮ました。それぞれの戻し汁を合わせたところで煮たので、しょうゆだけで十分おいしい。打ち豆に限らず乾物は一般に、切ったり干したりと手間がかかっているので、料理するときに楽です。こんな頼もしい乾物の良さを伝える商品は作れないだろうか。

 そこで、乾物料理キットを作ろうと考えています。「わたしたちの海山シリーズ」とか「地のものシリーズ」とか、そんな名をつけ、乾物の便利さだけでなく、乾物が作られた風土のこと、生産者が守ろうとしていることを伝える商品にできればと思います。

 前号で書きましたが、たとえば祝島は今、対岸の埋め立てで生態系が破壊されようとしています。これまでも祝島の特産の寒干し大根やひじきを買って祝島漁協を応援してきましたが、それら乾物とスパイスを使って「祝島サラダ」というキットを作ったらどうだろうか。そして、レシピの裏側に、祝島の人たちが守りたいと願っている海のことを書いたらどうだろう。読んだ人たちが、今行われようとしている原子力発電所の建設を知ることができるし、それがほんとうに必要のあることなのか考えてみるチャンスになる。四百円くらいのキットにすれば、友だちにプレゼントもしやすいし、人から人へと産地の声が広がっていくだろう。

 もちろん打ち豆も使おうと思います。わたしの店で扱っている打ち豆は福井県から仕入れているのですが、考えてみれば若狭湾は、それこそ原子力発電所が集中して建てられているところで、過去に事故も起こりました。わたしたち関西人がその電気を使っています。越前そばと打ち豆で「打ち豆そばパスタ」というのはどうだろう。

 この夏、関西のグループが青森県の新聞に意見広告を出しました。「たべたいねん青森、いらんねん再処理」。青森県でもうすぐ本格稼働する六ヶ所再処理工場に対しての意見広告でした。これを読んだ青森県の農家の方が、よく言ってくれたと喜んで、たくさんの長芋を送ってきてくれたそうです。わたしもおそすそわけをもらいました。

 風土を守る農家の人と台所をあずかる人とがつながって、わたしたちを養う海と山を守ること、それが試されているように感じます。

 わたしは青森県産のガーリックパウダーと大福豆を使って「青森ブルスケッタ」を作ろうかと試作中です。商品を作って、その商品を通じて人と出会っていこうと思います。


   第10回(2008年9・10月号) わたしたちには借りがある

 楽しかった食事の風景を思い浮かべるとき、いつも思い出されるのは、前に住んでいた山口の家でのことです。わたしは山に住むお百姓さんからお米を買っていたのですが、そのお百姓さんは田んぼに合鴨を放して雑草を食べさせていました。毎年、年末になると鴨をしめて、お米を買っている人に持ってきて下さるのですが、その年には料理までして下さるということで、町に住んでいたわが家が会場になり、お百姓さんから声をかけてもらった20人ほどが集まって、みなで鴨鍋と鴨の炭火焼きをごちそうになったのでした。平たい木の箱にはきれいな形の三角おにぎりがぎっしり並んでいた。農村に住む人の手際よさを感じるありがたい楽しい一夜でした。

 京都に越してきて豆屋をやるようになって、そのお百姓さんから米の裏作の小麦を買うことにしました。ふすまの入った全粒粉でチャパティという平焼きパンを焼くと、豆カレーにはぴったりなのです。そして、チャパティは全粒粉に水と塩を加えて焼くだけなので、粉の違いがよく分かります。このお百姓さんの全粒粉は格別です。

 今、日本のお百姓さんの時給はいくらぐらいかをご存知ですか。平均で三百円にも満たないと言われています。平均でこの値段ということは、手間をかけて無農薬で作っている人の時給がいくらになるかと考えたら、気が重くなってしまいます。手伝いに来た親戚の人から「こんなに手間をかけるんだっら、米の値段を10倍にしないと割に合わない」とあきれられたと話してくれたお百姓さんもありました。

 わたしは作物に値段をつけるとき、心苦しくなることがあります。1年畑の世話をしてこれだけの現金にしかならないのか、、、。そこにわたしたち町の小売店はいくらの利益を上乗せすることが適当なのでしょうか。このお百姓さんの時給が二百円前後として、わたしがスタッフを雇うときには時給八百円払うのですが、いったいわたしはいくら手元に残るように値段をつけたらいいんでしょうか。街での生活にはお金がいるから最低限このくらいは必要と割り切って値を決めますが、借りがあることはたしかに思えます。

 うちの店先には、山口県産の乾物がいくつか並んでいますが、祝島のひじきは特に人気です。島の人たちが寒い2月に海に入って、まだやわらかい若芽の部分だけを摘み、直後に釜ゆでして天日で干して仕上げるので、やわらかさが損なわれません。ひじきを豆と玉ねぎと一緒に和える料理を春に紹介しましたが、あのサラダはここのひじきに特に向いています。

 ところで、今、この祝島の対岸の田の浦の浜を埋め立てようという話が上がっています。祝島の人たちは、自分たちの大切な漁場の生態系が変わってしまったら暮らしていけなくなると、埋め立てに反対しています。埋め立ては、25年前に計画された原子力発電所を作るために、電力会社が県に6月に申請したのだそうです。

 わたしは祝島の人たちからも借りがあると感じています。太古の昔から命を育んできた海にも借りがある。その借りは返すことのできない、受けとるばかりの恵みだろうと思うのです。「ごちそうさま、ありがとう」とニコニコして言えるような関係がずっと続いてほしいと願います。


   第9回(2008年7・8月号) 豆は生きている

 知り合いのお百姓さんから、土つきらっきょうを買って、塩漬けにしました。らっきょうというのは1年2年と土の中において段々と身をしまらせ小さくして掘り出すのだそうですね。身のしまった小粒らっきょうは本当においしい。

 3キロの小粒らっきょうを洗うのはくたびれるかなと最初思いました。古い流し台の背丈に合わせ、かがんで一粒一粒土を落としながら皮をむきます。そしたら、わたしもらっきょうにつられて身がしまってくるのか、むしろ背中や腰がしゃんとして気持ちよくなってくる。

 料理をするとき、わたしたちは無意識にも(体でも)自然の恵みを感じているのでしょう。お豆も、もちろん自然の恵み。乾物で死んでるように見えるけれども、土に埋めれば芽が出てくるから、命の元です。お豆からも、らっきょうと同じような密度のある勢いを感じます。

 数日水につけておいた緑豆から芽が出ているのをはじめて見つけた時。おや、おいしそう、と試しに食べてみたのですが、これはもうもやしで、サクッとしておいしい。5ミリでも芽が出れば、お豆も火を通さずに食べられるんだ、と驚きました。

 これはスプラウトと呼ばれるポピュラーな食べ方だと後で気がつきました。インドではほとんどの家庭がこの豆もやしを作って食べていると聞いたことがあります。日本のスーパーで売られているような芽の長いものではなく、ほんの少し芽が出たばかりの豆をサラダにしたり炒めたりして食べている。発芽直後の豆はビタミンが豊富で一番栄養があるんだそうです。台所に家庭菜園があるようなものですね。

 それにしても、自前の命の力で発芽して人間を養ってくれる豆は、なんてすばらしい自然の恵みだろう。

 話は変わりますが、人類は5万年前にアフリカを出て世界中に散らばったことが最近の生物分子学の成果で分かっています。世界中の人類の祖先はアフリカ人なんです。ひょうたんもまた世界中のものが全てアフリカの原産だということがわかってきましたから、5万年前、人類はひょうたんに水を入れアフリカを出たのではないかと推察する学者もいます。

 それを聞いたとき、わたしは思ったのです。日本の縄文時代の遺跡には、ひょうたんと並んで緑豆も見つかっているのですが、この緑豆もアフリカ原産という説があるので、もしかしたら人類は5万年前、ひょうたんに水を入れ、緑豆を葉っぱに包んで、旅をはじめたのではないだろうか、ひょっとして。

 仮にそうだとしたら、石器時代、人類はお豆をどうやって食べていたのだろう。皆さんはどう思われますか。

 縄文時代以前は、人類はまだ土器を持たない。土器に入れ煮ることができないのだとしたら、そう、もやしにして食べていたのではなかろうか。わたしはそんな風に想像しました。わたしさえ「発見」した豆もやしの食べ方を石器人が発見しなかったはずがない。これならば土器も燃料も火さえもいらない。想像はどんどんふくらみます。

 ちなみに、インターネットで調べたところ、「豆もやしを食べる石器人説」はどこにも出てきませんでした。ちょっと残念。


   第8回(2008年5・6月号) B級料理の魅力

 料理には、大別すると二種類あると思うのです。スペシャルな技や材料が必要な料理と、誰にでもつくれる日常食と。たとえば日本料理でいうと、寿司や天ぷらが前者で、これは世界中で有名になっています。一方、卯の花、きんぴら、ほうれん草のおひたしなどが後者で、こちらの方は世界に広まることはありません。よその国の食文化が知られるようになるのは、たいていレストランやホテルからですから、そこの国の人がごく普通に家庭で食べている料理というのは知られにくいようです。

 さて、豆料理ですが、そのほとんどが後者の、いわばB級料理。豆をつかった料理に「貧乏人の」という形容が使われることがあるくらい、どこの国でも豆はありふれた食材です。(そのわけは去年の秋号で書いたように、豆がどんなやせた土地でも栽培できる優れた作物だから。)たとえばイタリアで貧乏人のケーキといえば、白いんげん豆のケーキ。粉が買えない貧乏人がマッシュした豆に粉を少しだけ加えて作るケーキというわけです。

 豆屋になって世界の豆料理を調べてみれば、すぐに役立つ実用的な知恵がいっぱいでした。難しくって作れないということはまずないし、時間もかからない。

 赤ちゃんのいる忙しいおうちに豆料理をひとつおすすめするとしたら、虎豆のミルク煮はどうでしょう。柔らかくゆでた虎豆を牛乳(または豆乳)と黒砂糖とともに小鍋で煮るだけ。つぶしながらやると離乳食になります。

 幼稚園や学校にお弁当を用意する忙しい朝。ゆでる必要のない大豆料理はどうでしょう。一晩水につけた大豆に片栗粉をまぶして油で揚げて、醤油とみりんを煮立たせたものにからめる。冷めてもおいしいし、サニーレタスの上にのせると、見た目もきれい。

 それから豆をいつも多めにゆでて残った分を冷蔵庫や冷凍庫に入れておくのもおすすめ。煮もの、炒めもの、スパゲティーと、ほとんどの料理に加えることができて便利です。たとえば、一口大に切った厚揚げを赤唐辛子、しめじ、小松菜と炒め合わせ、ゆでたお豆とゆで汁少々を入れ、薄口醤油、オイスターソースで味つける、なんていう料理もさっと作れる一品です。

 繊細で手間を惜しまない料理上手な友だちからも刺激を受けていますが、彼女たちの話を聞くと、小学校三年生の時にはプロのようにだし巻き玉子が作れたとか。わたしはといえば、大人になって結婚したときも料理のレパートリーは二つ。だけど、台所に立つうちに料理を楽しいと感じるようになりました。今ならこうは言えそう、「B級料理ならまかせて!」

 B級料理人のわたしのレベルからすると、ギョーザ、春巻き、グラタン、ビーフシチューなど日本でポピュラーな外国料理はちょっとやっかい。やっかいな料理だから、これだけ冷凍食品などが普及したんだろうと思います。

 料理をしない人が増えたと言われますが、世界のB級豆料理が日の目を見れば、「これなら私でも作れる!」ということで、たくさんの家庭に作る楽しさが戻ってくるかもしれませんね。


   第7回(2008年3・4月号) 町家から「100年計画」

 夫婦で商売をやっています。五年前に京都で小さい町家を借りて豆屋をはじめてからは、店と家が一緒。三畳くらいの店、四畳半の事務所、三畳の茶の間があって、奥に六畳の座敷兼作業場、これだけの小さなスペースで一日中顔をつきあわせて仕事し、おまけに二歳になったばかりの子どもがちょろちょろしていた開店当初はけんかばかり。仕事と家事が終わって、子どもを寝かしつけるために二階に上がるとほっとしました。、ただし、二階はしっちゃかめっちゃか。きれい好きな夫はがっかりして、夜おそくからそうじを始める。

 でも、それから五年たった今は、この家の住み心地はなかなかのものです。それぞれの得意分野を担当し、夫はそうじと事務全般、わたしは台所仕事と接客をしています。

 わたしたちの家は築百年になる昔ながらの町家ですが、町家というのは商売するのに便利なようにできていて、細長い土間の台所から、すりガラス引き戸ごしにお客さんが来られたのがわかります。あわてて出ていって、最初の頃こそよく鍋を焦がしていましたが、今は子どもたちが手伝ってくれるから大丈夫。お客さんと話しこんで台所に戻ってくると、茹でかけのほうれん草が茹でてあったり、焼き魚の番をしてくれていたり。

 店と家が一緒、いわゆる職住一致のいいところのひとつは、子どもの仕事がたくさんあることです。たとえば、お店の商品を紹介するカードは娘がつくります。「パンにつけるとGOOD!」とか「激ウマ!」とか、ちょっとわたしが使わないような言葉が踊っています。息子の方は、「ひよこ豆、おいしいよ。ぼく一番好き」などとお客さんに話しかけています。ちょっと立ち寄っただけのお客さんに「あれ?お豆買わないの?もうすぐ銀手亡なくなるよ」と声をかけたりして、お客さんもわたしもびっくりします。

 三年前からは週に三日、パートで働くスタッフも加わりました。彼女ともぶつかりあいながら学んでいます、相手のこと、自分のこと、一緒に仕事するということ。夫婦と同じですね。

 そして、この町家は、パブリックな場でもあります。この家で豆料理クラブの会員と話し合ったことは数え切れない。共同で豆を煮るための保温調理用鍋カバーを開発しました。社会や政治の話もします。イラク戦争が始まった翌年の春、日本人人質事件に端を発してマスコミでは自己責任論がとりざたされたのですが、あの頃からでしょうか、何だかおかしいよということがある度に、店先で、あるいはご飯を食べながら、わたしたちは話すようになりました。いまさらながら、豆料理はそんな風に人が集まる場所には最適です。

 それにパソコンのおかげで、井戸端会議には全国の会員が加わっています。メーリングリストに、毎日のように誰かが書き込みをしている。笑いあり、涙あり。

 イギリスのコーヒーハウスから政党政治が生まれたと、歴史の本で読んだことがあります。100年後の教科書に、「日本では、豆屋、米屋、八百屋、酒屋などから民主主義が広まり根づいた」と書かれていることを想像すると、ちょっと楽しい。ちなみに、豆料理クラブのメーリングリストには、「100年計画」という名前がついています。


   第6回(2008年1・2月号) お金を使わない楽しみ

 商売人になって今年で17年になります。商売のコツは何かと聞かれたら、余分な在庫を持たないことと答えます。シーズンはじめにはうきうきした洋服も仕入れすぎて在庫の山になったら、シーズンの終わりにはゴミみたいに感じられ気が重くなります。商売は在庫との闘いです。

 ようやく最近になって、余分な在庫を持たなくてすむようになってきました。豆料理クラブを思いついて、決まった会員に毎月お豆を届けるようになったのが大きな転機でした。会員の数が安定すると、お豆以外の食品や生活雑貨の必要な量も予想がつきます。

 十年、洋服屋を営んだわたしは、消費をあおるような商売の仕方に限界を感じていました。ほとんどのお客さんは十分、セーターを持っているのです。それでも買ってもらわなくちゃいけないから、今年はピンクがトレンドだとかを言わなくちゃいけない。東京でそう決めたら、どこの街でもいっせいにピンクを使ったショウウインドウの演出をする。お客さんだってくたびれてきます。

 商売は好きだけれども、消費をあおるのはやめたいと思うようになりました。特に子どもができてからは、お金を使わない楽しみを伝えたいと思うようになりました。理想は消費に歯止めをかける商売です。けれど、そんな商売って成り立つんだろうか。

 豆の商いは、その思いにぴったりでした。豆料理が普及して結果としてお肉の消費が減れば家畜のえさとしての穀物消費が減る。穀物を穀物のまま食べたら、今収穫している穀物量で全世界の人口を養えるんだそうです。また、家庭で料理する楽しみを通信でシェアすれば、買って手軽に気晴らしする消費文化から抜け出して、台所仕事の充実感を大事にする次の文化を育てていける。

 消費文化は全盛期を過ぎたのではないかと思います。身近な若い友人を見ているとそう思います。バブル期に大人になったわたしたちの世代とちがって、お金をかけずに手をかけて楽しみをつくりだす人が増えている。借家の小さい部屋を気持ちよく整えて、わたしやこどもたちを手料理でもてなしてくれたり、裁縫が苦手なわたしにかわって破いたズボンをおしゃれに繕ってくれたり。若いのにすごいなあと感心させられます。

 商売を営みながら余分な在庫を持たないためには、信頼し支え合うような関係性、コミュニティーが必要です。「今年は黒豆がたくさん収穫できたので、黒豆の料理を提案していきます」「水害で銀手亡がとれなかったので、かわりに大福豆をつかってください」、わたしはそんな風にお願いします。会員は理解してくれます。畑でできたものに合わせて商売ができます。このようなつながりがあることほど、小さい商売にとって心強いことはありません。

 東京中心のトレンドを次々に消費する楽しみよりも、コミュニティーや継続的なつがりを選択する人は、若い層にも確実に育っています。


   第5回(2007年11・12月号) いんげん豆に宿る妖精の話

  北海道の北見に住むお百姓さんを訪ねたとき、豆畑にいる妖精の話を聞いたことがあります。妖精が畑仕事を助けてくれ、必要なことを教えてくれるという話でしたが、60歳を過ぎたIさんの日焼けした風貌に妖精がどうも結びつかなくて、失礼なことに吹き出してしまいました。わたしの頭の中にある妖精とその友だちはティンカーベルとピーターパンみたいだったのです。

 ところがずいぶん後になって、Iさんの畑に住んでいるのはデオハコなのかもしれないと思いつきました。デオハコというのは、とうもろこし、かぼちゃ、いんげん豆の精です。アメリカ先住民のイロコイ族は、この3つの作物を特別に大事にしていて、三姉妹の精がいるのだと信じていました。Iさんの畑で作られていたのは、いんげん豆だけでしたが、Iさんは植物と話する人でしたから、デオハコに気に入られたのかもしれないと思いました。

 金時、手亡、虎豆、うずら、、、いんげん豆の仲間はすっかり日本に定着していますが、生まれ故郷ははるかアメリカ大陸です。コロンブスが唐辛子やトマトなどとともにアメリカ大陸から持ち帰り、ヨーロッパ、アジアへと広がりました。日本には中国から隠元法師が江戸時代に持ってきました。

 最も古いいんげん豆は7千年前のメキシコの遺跡に見つかっています。同じ洞窟からとうもろこしも見つかっていて、この二つの作物は古来から一緒に育てられてきたことがわかっています。

 イロコイ族の人たちは、畑に穴を開け、まずとうもろこしの種と肥料になる魚を埋めました。とうもろこしの芽が出てきたら、お豆を植え、お豆はとうもろこしの茎を支柱のようにしてツルを絡ませて成長します。その後、かぼちゃを植えると、かぼちゃの大きな葉っぱは地面をおおい、畑の乾燥を防いで、水をたくさん必要とするとうもろこしの成長を助けます。豆は前回書いたように、根っこの根粒に住むバクテリアが窒素肥料を合成してくれるので、畑を肥やして他の植物の成長を助ける。デオハコの三姉妹は畑でこのように助け合っているわけです。

 畑だけでなく台所でも、とうもろこしと豆をあわせることの利点は気づかれていたようです。とうもろこしがヨーロッパに広がったとき、ペラグラというビタミン欠乏症がはやったのですが、これはとうもろこしとお豆を食べ合わせていた先住民には見られない病気でした。

 植物の望むところとその力を感じ取ることができる彼らの繊細さは、ヒダーツァ族のとうもろこしに歌う慣習からもうかがえます。「わたしたちは母親が子を愛するように畑の作物を大事にします。子どもが母親の歌声をきくのが好きならば、とうもろこしもわたしたちの歌を聴きたいだろうと思って歌うのです。」

 一四九二年にコロンブスがアメリカ大陸に上陸すると、わずか数十年で先住民の数は半分になっと言われています。二百年後には5パーセントにまで減っていました。聖なる食べものであるとうもろこしもたびたび焼き払われ、畑が奪われました。

 食卓に金時豆とかぼちゃが並ぶようなときには、ふっとデオハコのことを思います。北見の広い豆畑と、大まじめでいて笑いをさそうIさんの話しぶりも思い出されます。


   第4回(2007年9・10月号) 空気からパンをつくる 

 昔、小学校の教室で、植物は空気の中にわずかに含まれる二酸化炭素をつかって光合成をするのだと習いました。そして、空気の中のおよそ二割は酸素でこれはわたしたちの呼吸に欠かせないものであり、のこる八割がおおむね窒素であることも教わりました。クラスの男の子が質問したのを覚えています。「窒素って何のためにあるんですか。」「なんのためやろなあ」と先生。

 それから30年経ったことになりますが、一昨年の夏の終わりに北海道の豆畑で、一人のお百姓さんから、窒素というものの役割を教わりました。窒素がなくてはどんな植物も育たないこと、同じ土地ににんじんを連作したら土がやせてしまったこと、ところがそこに豆を植えたら地力が回復したこと、それは豆の根っこに根粒という小さなつぶがあり、そのつぶに住む根粒菌が空気の中から窒素をとりだしてくれるからだということ。

 そのお百姓さんは、ネクタイをつけた姿のまま、ぶあつい手で足元のふかふかした土を掘り起こし、豆の根っこにくっついている直径3ミリくらいの小さなつぶつぶをわたしに見せて下さいました。「これのおかげで土が元気になるんです。根菜ばかり作るのをやめて、豆と根菜を交互に作るようになったら、無肥料栽培でみごとな収穫ができるようになりました。」

 あとになって、植物のみならず動物も微生物も命あるものは皆、生きていくのに窒素を必要とすることを知りました。人間は植物と(植物を食べた)動物を食べてタンパク質という形で窒素をとり入れます。

 そして、この命に欠くことのできない窒素というものを、やっかいなことにほとんどの生物は空気からとりこむことができません。それは海に漂流する人が水に囲まれながらも水を飲めないのに似ています。もし海水から真水を取り出そうとしたら、工場と大きなエネルギーが必要になるでしょう。

 20世紀になって、ハーバーという科学者が空気中の窒素を固定する方法を発明しました。それこそ工場と大きなエネルギーを必要とする方法でしたが、この発明のおかげで窒素肥料が生まれ、農地の生産性は飛躍的に向上しました。たくさん穀物がとれて地球の人口は4倍になったと言われています。ハーバーの墓碑銘には「空気からパンをつくった」と記されました。

 やがて、石油エネルギーを大量消費する化学肥料の負の側面が明らかになると、先のお百姓さんのように肥料をつかわない農業にたちかえる人も現れました。同時に、ちっちゃな根粒の中で化学工場で行われているのと同じ化学合成が行われる不思議がつまびらかになって、自然の営みもまた空気からパンをつくるのだと知られるようになりました。

 日本では昔から、田んぼのあぜに枝豆を植え、田植えの前にもマメ科の植物であるレンゲを植えて緑肥としてきましたし、アメリカ大陸では紀元前からいんげん豆とトウモロコシが混作され、インドでは小麦畑にレンズ豆が植えられています。世界のいたるところで、農民は豆の持つ不思議な力に気づいていたようです。

 先日、古代ローマ時代の『農耕詩』にこんな1節を見つけました。「刈り入れのすんだ畑は交替に休ませ、力を失ったその土地が、再び力をつけるまで放置せよ。ふるえるサヤを持つ多くの豆を、あるいはカラスノエンドウの小さな種や、苦い羽団扇豆のもろい茎や、風にさやぐその下生えを与えよ。」

 二千年前の理想の農業は、北海道のお百姓さんが教えてくれたとおりでした。


   第3回(2007年7・8月号) テーブルのしごと

 わが家の六畳間に、座敷机とちゃぶ台を並べ、さらに子ども部屋からこたつ机まで持ってきてテーブルを三つ並べれば、さあどうぞ、ここが豆ランチパーティーの会場です。「わー、なんだかなつかしい」と初めて来た人が言います。「小さいときのお誕生日会みたい」。

 このところは近くのお寺の奥座敷をかりることが多いのですが、それでも自宅に人を招く時の雰囲気と変わりありません。大きな鍋からよせ集めのまちまちなお椀に豆スープをよそい、一緒に食事し話をする。「まるでネパールでご飯を食べてるみたい」と先日はネパールからの客人にも喜ばれました。床の上に車座になることか、それとも一品持ちよりでいろんな家庭料理が机の上に並ぶことがネパールに似ているのか、わたしにはわからないのですが。

 新しく住みはじめた町で友だちを作りたいと思ったら、「お昼をどうですか」と誘うのはおすすめです。子育て真っ最中で外に出歩けなくて、でも支え合う仲間が必要だと感じている人にぴったりですし、介護の必要な家族を抱えている人にとっても良い方法かもしれません。

 豆スープは、そんなおおぜいが集まるときにこそ重宝します。たとえば、えんどうのひきわりを半カップと水6カップを鍋に入れて火にかけ、かぼちゃ500グラムと玉ねぎ1個を薄切りにして入れ、ことこと煮ます。塩こしょうで味つけ。これならば、一人分つくるのも10人分作るのも手間はかわりません。それに人数が急に増えたって大丈夫。

 おいしいパンとひよこ豆のペーストを用意したら、あとは、集まってくる人の手料理や果物に期待しましょう。持ちよりパーティーの主催者は、料理が得意じゃない方がいいのです、大きな声では言えませんが。今日のスープは塩が足りないなあとか、このペーストのお豆は茹で方がたりないなあとか、そんな風だからこそ、頼りない料理人をカバーすべく、集まってくる人はおいしいものを持ってきてくれることでしょう。

 京都で商売をはじめて半年して、豆ランチパーティーを思いつきました。お店をしていると自然とお客さんから興味深いお話を聞くことが多くて、一人で聞くのはもったいない気持ちになります。そこで、来月我が家に来て話してくださいませんかとお願いするようになりました。

 毎月、ゲストを一人招いて、ごはんの前にその人に話してもらうことにしています。お百姓さん、助産婦さん、パン屋さん、中央アジアを旅した人、いろんな人に来てもらいました。それぞれの回にお話のテーマが決まっているので、関心の近い者どうしが集まってきて、話がはずみます。「今度、畑を見せてください」とか「一緒に子どもを遊ばせましょう」とか、そこからは主催者の手を離れて、次々と関係が生まれていきます。

 コミュニティーをつくるのに必要なのは、同じ鍋の豆スープをわけあうテーブルかもしれません。


   第2回(2007年5・6月号) 急ごしらえの店

 豆は考えようによっては、野菜やお米より扱いやすい食材です。切ることも皮をむくことも研ぐこともしないで、お鍋に入れて水を注ぐ。翌朝、火にかけたら、たいていは半時間で煮えています。ゆでたお豆をそのまま食べてもおいしいし、ゆで汁はスープとして使えます。お豆とゆで汁を火にかけ、あり合わせの野菜をうす切りにして鍋に入れれば、かんたんなスープのでき上がり。お豆のゆで汁がだしになるので、固形のブイヨンも必要ありません。よい塩があればいい。欲をいえば少しのスパイス。

 豆から出てくるこの滋味は、日本ではあまり知られていません。本当に豆と野菜でこんな味になったの?と驚かれることがしばしばです。和食の場合は砂糖と甘く煮ることが多いのですが、豆そのものの味を生かした料理が世界中で作られていることを知れば、甘い煮豆ばかりではもったいない気がしました。

 豆を売ると同時にシンプルな調理法もあわせて紹介していきたい。これが失業中に思いついた豆料理クラブのアイデアです。会員を募り、豆とレシピとスパイスなどを定期的に家庭に送る。一年間料理してもらえば、春夏秋冬、その季節にあわせた豆料理を味わえるので、豆は家庭に定着するにちがいない。

 半年後、豆料理クラブをスタートしました。台所での試行錯誤は楽しかったのですが、会員は思うように集まらず、どのように呼びかけていいかもよくわかりませんでした。翌春、縁あって京都の西陣のはずれに小さい町家を借り、我が家は住みなれた山口を離れました。

 引っ越した先は下町で、物価が安く、通りで出会った人どうしが気さくにおしゃべりしている町でした。どうやって商売をしようか、何ヶ月もかけてゆっくり考えればいいと思っていたのに、町を歩くと気持ちが変わっていきました。
 ことに、小さな八百屋さんの前を通りがかったとき、軒下にマジックでイラク戦争にどうして反対してるか書いた紙を貼りだしているのを見て、いてもたってもいられなくなりました。(伝わる人もいるであろうと)読み手を信頼して呼びかけてくれたその言葉に、わたしもそうして他者に呼びかけたいという思いが湧いて出たふうでした。数日前にアフガニスタンに続いてイラクでもが戦争が始まっていました。こうしてはいられない、一日も早く商売を再開しよう、と思いました。わたしにできることは豆を売ることだとも気がついたのです。アフガニスタンの豆スープやハモス(中東の豆料理・ひよこ豆のペースト)を紹介することで、それらの豆料理を育んだ台所を身近に感じられるようにしよう、そういうことに共感してくれる仲間を作ろう。

 翌朝、1時半に目が覚め、準備をしました。引っ越して3日目の朝でしたが、家の前に折り畳み式の丸テーブルを広げ、ビニール袋に詰めた色とりどりの豆を並べました。白、緑、黄、オレンジ、茶、黒、、、。それらは、築90年になる町家の古びた格子の前で美しく映えました。お店のチラシにはこう書きました。「豆はおいしい。豆は安い。豆は保存がきき、楽しく料理ができてからだによい。世界中の人がこぞって肉を食べれば食糧危機は深刻になるばかりだけど、豆なら大丈夫です。世界中の人が満ち足りた食事ができるように―これが楽天堂・豆料理クラブの願いです。」

 このチラシは、それからの数ヶ月、京都でたくさんの出会いを招くことになります。


   第1回(2007年3・4月号) 豆屋になる

 京都西陣で小さい豆屋をやっています。ここ十年外国旅行に出かけたことはないけれど、古い土間の台所に立てば、そこが世界の台所につながっていると感じられます。だって、どこの国でも母ちゃんたちは、その日そこにあるものでおいしいごはんをつくって一家を切り盛りしているんでしょうから。

 えっ!かぼちゃと豆と玉ねぎだけで、こんなにおいしいものがつくれるの?、、、この今日のわたしの感激は、会ったこともないイタリアのおっかさんの「どう?たいしたもんでしょう?」という誇らしさとひとつです。
 ああ、ムング豆っておいしい。トマトと玉ねぎとほんのすこしのスパイスがあれば、こんなに立派なカレーができるんだ。それもあっという間に。インドの母ちゃんたちに、ありがとうと言いたくなります。

 どんなに心細い時でも、台所に立って少ない食材に集注して工夫すれば、自分が頼もしく思えてくるから不思議。のこりものの野菜だけでこんなにおいしいシチュウを作ってしまえるわたしは、なんてすばらしいんだ。鼻歌の一つも出てきます。世界中、どこの国でも、庶民はつましい台所で、こんな風にない知恵をしぼって、自分と家族を養ってきたにちがいない。明日からの暮らしになんの保証がないとしても、今日、おいしいものを作ってみせる知恵がある。貧しい暮らしの中でこそ身につけてきた知恵がある。その知恵ひとつで子どもたちを喜ばすこともできる。子どもたちがお鍋をのぞきに来るとき母親は気がつきます。なんて自分は幸せなんだろう。生活のあれやこれやで頭がごちゃごちゃになっていた不機嫌な女はもういない。

 2001年秋、10年やってきた洋服屋の経営が苦しくてもう店を閉めようと覚悟しなくてはいけなかったとき、5歳の娘とまだ1歳にもならない息子を抱え、わたしは心細い気持ちで暮らしていました。それはアメリカでテロがあった秋で、ウィスコンシンに住む親友もまた同じでした。「ふだんはリベラルな人たちもどんどん好戦的になっているよ。」「アフガニスタンと戦争を始めるかもしれないね。」

 先行きに希望が持てるような明るいニュースが何もない中で、わたしたちの台所仕事に拍車がかかりました。そしておいしいものを作るたびに、レシピをファクスで交換していました。「今日はこんなおいしいものを作ったよ、ひよこ豆とみかんとねりごまがあればできる、どうぞおためしあれ」。

 この先貧乏になること間違いなしという状態だったわたしにとって、彼女が送ってくる質実なレシピの心強かったこと。お豆と野菜だけで申し分なくおいしいものができるんだ。

 それから数ヶ月していよいよ閉店を迎えたとき、夫は小説家になって家族を養うなどと悠長なことを言って周囲をあきれさせ、わたしは実際のところ、親子4人、どうやって食べていけばいいのかと途方に暮れていました。けれど、すっかり重荷を下ろしてしまうと意外にもさっぱりし、4日目には豆料理クラブという新しい仕事が思い浮かんだのでした。


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