100年計画  

2007年6月

[Topics]

01 May 〈二千年前のローマの自然農法〉(1)
 千晶です。
 先日少し紹介した四方田犬彦の本を読んでいると、2千年前、古代ローマ時代の詩人の『農耕詩』の一説が紹介されていました。そこにはいくつかの豆の名前が出てきました。

 ―ウェルギリウス『農耕詩』第一巻から引用―
 「もし、土地が肥沃でなかったなら、大角星(アルクトゥールス)が晃る頃に、浅く耕すだけでよい。そうすれば、肥沃な土地では、雑草が、豊かな実りの邪魔をせず、痩せた土地では、水分が、荒れた砂地から逃げ出さぬだろう。  

  また、刈り入れのすんだ畑は交替に休ませ、力を失ったその土地が、再び力をつけるまで放置せよ。ふるえる莢を持つ多くの豆を、あるいは矢筈豌豆の小さな種や、苦い羽団扇豆の脆い茎や、風にさやぐその下生えを、刈り取った土地には季節を変えて、黄金色の小麦の種を蒔くもよい。」(河津千代訳)

 これって、なんて秋場さん(北海道の豆生産者)からお聞きした話に似てるんだろうと思って、松浦さんにメールすると、松浦さんが次のようなメールを下さいました。

 「2000年前のローマでの文章興味深く拝見させて頂きました。矢筈豌豆を調べたら 今で言うカラスノエンドウのことらしいです。秋場さんも折笠さんもこの矢筈豌豆と小麦を輪作に使っています。。。地力の著しく低下した土地は2〜3年矢筈豌豆などをつくり放置します。2000年も前の話・・・これはすごいです。私が言うのもおかしいかもしれませんが、無肥料栽培ただものではないですね。」

 松浦さんの解説を読ませてもらって、ますますびっくりしました。ウェルギリウスは、紀元前70年から紀元前19年に生きた古代ローマ時代の有名な詩人だそうです。松浦さんは秋場さんや折笠さんにもお知らせするって書かれてました。なんとなくうれしくなりました。(後略)

07 May 〈日本の農業書
 静岡の藤田です。
 千晶さん紹介の2000年前の農法、たいへん興味深く読みました。高校の世界史で習った「三圃式農業」(でしたっけ?)は、これとつながりがあるのでしょうか。

 日本の古典にそういう記述がないか、との質問ですが、あまり古いのはわからないけど、江戸時代には各地で新田開発が行われ、たくさんの「農書」が書かれました。農業書籍専門の農文協という出版社から、「日本農書全集」というすばらしいシリーズが出ています。まさに近代化する以前の日本農業の知恵の宝庫。私の住む掛川市の図書館に全巻あるのですが、多すぎて全部読むのはとてもとても・・・。(米を作りつつこの全集にどっぷり浸るのが夢なのですが、いつのことやら)

 その中の有名な一冊に『会津農書』という1700年頃に書かれた本があり、「田冬水」(たふゆみず)つまり冬季湛水を勧める記述があることを知りました。

 普通水田は稲刈りが済むと乾田化しますが、田に冬も水を張る「冬期湛水」は、イトミミズが増えて田んぼを耕やし、雑草の種を地中に潜り込ませ、雑草が発芽しにくくなると言われています。冬期湛水は、今草対策の一つとして注目されており、私も松本で見たことがありますが、300年前すでに提案されていたのですね。冬期湛水田はまた、渡り鳥の飛来地として、水田の生きものの越冬場所としても、その効果が注目されているようです。

 私の参加する「除草剤を使わない稲つくり」というMLでは、この「会津農書」の田冬水の記述=以下の歌(?)の訳をめぐり、意見が飛び交いました。

 冬水をかけよ岡田へごみたまり 土もくさりて能事そかし(冬水を入れなさい。田んぼに有機物がたまり土も腐熟していいことだ)
 冬のうち居村の堀のかゝる田ハ 汚水ましハり猶によろしき(冬のうちに水がかけられる田んぼは、栄養のある水が入ってなおよい)
 あら田にも冬水かけよ土はやく くさり本田の性と成へき(新しく開拓した田んぼにも、冬水をかけるようにしなさい)
 ここまでは( )内の訳通りなのですが、そのあとが問題。

 元よりもひとろむきにハ冬水を かけ流しけりごみためるとて春の水かけしその田の稲草ハ  そたちきをへと実入かひなし
 【文献】『日本農書全集第二十巻 会津歌農書 幕内農業記』原著者:佐瀬与次右衛門、佐瀬林右衛門(1700年?)

 「ひとろむき」とは何ぞや?とここで皆首をひねりました。
 これの解釈は長くなるので省きますが、おもしろかったのは、意見を交換するのが皆農家なので、自分たちの経験から解釈を試みる、その結果、抑草のヒントになるのではと今MLで注目されている田んぼの状態こそこの「ひとろむき」ではないか、という大胆な仮説まで飛び出しました。これはすごい、だって本の訳の再考につながるのですから。

 もう一つ。17世紀半ばに書かれた『百姓伝記』という農書があります。これは、三河(愛知県東部)から遠州(静岡県西部)の沿岸地帯の農業について記した本で、その中に出てくる十内圦(じゅうないいり)という地下用水路が、掛川市の南部地域(旧横須賀藩)に今でも残っています。

 ここに西大谷川という涸川があり、その西側は保水力のない土地で、農業用水の確保に苦労してきました。逆に東側は湧き水が豊富。そこで、西側地域の庄屋が、西大谷川の底に圦(いり)と呼ばれる石の樋(とい)を埋めて、東側から西側へ水を通す工事を、藩に願い出ました。許可がおりて工事が始まり、川の底へ樋を埋めるべく土手を切り開いた時、豪雨が襲って周辺の村に大損害を与えてしまいました。庄屋は責任を取って自害。

 しかし工事の中断を惜しんだ奉行が、その意志を継いで工事を完成させました。十内圦とはこの奉行の名前から取ったもので、昭和44年に大井川用水ができるまで、実に300年の間、この地域の水田を潤してきたのです。

 私はこの話を上司から聞き、仕事のあと早速見に行きました。今は入り口がコンクリートでふさがれ、中を見ることはできませんが、以前調査で入った上司によると、人一人がしゃがんで歩けるくらいの広さだったそうです。

 「百姓伝記」にはこのような話がいくつも載っているそうで、今何気なく見ている田んぼや畑の風景は、気の遠くなるような労働の上にあるのだということを、あらためて感じます。

07 May 〈二千年前のローマの自然農法〉(2)、背景
 千晶です。痩せた土地に豆の栽培をすすめたウェルギリウスの時代とわたしたちの時代に共通点が多いことを、忘れないうちに書いておきます。ご興味のある方、ご覧下さい。

 イタリアの農業はウェルギリウスの時代、危機に瀕していたようです。『農耕詩』が書かれたのは、戦争が続いた後で大地が荒廃していました。戦争というのは、ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)の暗殺を含むローマ帝国の内乱です。

 未来社の河津千津訳『牧歌・農耕詩』の解説では次のように書かれています。
 「その時、イタリアの農業は、戦争によって農地が荒廃したこと、労働力が減退したこと、海外から安価な穀物が輸入されるようになったことなどのために、すっかり衰えてしまった。それを補うべく、大土地所有による大農経営が始まったが、それは細々と生き残っていた農民さえも没落させ、農業を、利益の多い葡萄やオリーブ栽培に偏らせる結果となってしまった。」

 なんだか、現代の農業との共通点を感じますね。
 その当時、ウェルギリウス以外の知識人たち(大カトー、ウァロー)が奨励していた農業の規模は途方もなく大きかったそうです。「彼らは、大勢の奴隷を使い、監督官を置き、オリーブに240エーカー、葡萄に100エーカーなどという広大な土地をもって、二次産業の生産から牧畜、養魚まで、多角的な経営を行うことを勧め」る。

 ところがウェルギリウスは違っていて、彼の勧める農業には奴隷が出てこない。
 「ウェルギリウスの農民は自ら耕し、水を引き、肥料を与え、収穫する。農具や什器まで自分で作る。彼を助けるのは情愛に満ちた家族と、同じような生活を営む近隣の人々と神々である。」

 彼は自然と人間の調和を前提にして農業を考えて、理想的な規模を割り出したようです。そして、今まで農業をしたことがない人(主に退役軍人)のために農業を教える目的で書かれたのが、『農耕詩』でした。

 『農耕詩』の目次は、次のようになっています。
第1巻 穀物
第2巻 樹木
第3巻 家畜
第4巻 蜂蜜

 もう一度、『農耕詩』の第1巻から例の一節を引用し、その解説を付します。
 もし、土地が肥沃でなかったなら、大角星(アルクトゥールス)が晃る頃に、浅く耕すだけでよい。そうすれば、肥沃な土地では、雑草が、豊かな実りの邪魔をせず、痩せた土地では、水分が、荒れた砂地から逃げ出さぬだろう。

 また、刈り入れのすんだ畑は交替に休ませ、力を失ったその土地が、再び力をつけるまで放置せよ。ふるえる莢を持つ多くの豆を、あるいは矢筈豌豆の小さな種や、苦い羽団扇豆の脆い茎や、風にさやぐその下生えを、刈り取った土地には季節を変えて、黄金色の小麦の種を蒔くもよい。

 ※大角星(アルクトゥールス)というのは、牛飼い座の星。この星が東の空に晃るのは9月。麦の種蒔きの季節。
 ※7行目以降は、穀物を連作するのはよくないが、春に豆類を作った土地なら、その年の秋に小麦の種を蒔いてもよい、ということ。豆科植物には空気中の窒素を固定する作用があるから、休耕地としておくよりもはるかに有効に土地を使うことができる。矢筈豌豆(やはずえんどう)と羽団扇豆(はうちわまめ)は、家畜の飼料となる豆科の植物。

10 May レモンの皮、二千年前のローマの自然農法(3)、ウエルカム・オーバー40&男性
 千晶です。(前略)ところで、豆について調べていたら、またウェルギリウスの名に出くわし、しかも見過ごせない大事な話だったので、ここに紹介します。

 原書房の『世界食物百科』(マグロンヌ・トゥーサン=サマ)に書かれていたのですが、ファーブルがウェルギリウスの『農耕詩』を詳しく読んでいたようなのです。ファーブルというのは、ファーブル昆虫記で有名なファーブルです。「生粋の南フランス人である彼はインゲン豆を好んで食べたが、おいしい料理を堪能したとき、思わず『豆よ』と呼びかけずにはいられなかった」とのこと。そして、害虫のゾウムシの好む豆の種類によって、その豆の原産を探ろうとする試みが展開されていて(これはとても面白いけれど省略)、その途中でウェルギリウスが出てきます。

 そこに、先日の河津千代さんの解説ではもう一つはっきりしなかったことが、詳しく書かれています。一部、引用します。
 「ところでファーブル氏も気がついていたことだが、すでに古代ローマ時代に、詩人ウェルギリウスが『農耕詩』のなかで、秋にfaselusを播くように勧めている。いくつもの事典が17世紀以降、このfaselusをインゲンマメと訳してきた。ところがどんなアマチュア園芸家も、復活祭前にインゲンマメを播いても実がならないことを知っている。また古代の博物者はだれ一人としてインゲンマメの形状に言及していない。」17世紀にはヨーロッパではすでに豆と言えばインゲンマメだったのですが、インゲンマメはコロンブス以降にアメリカ大陸から伝わったものであり、古代ローマにはインゲンマメはなかったのですね。

 河津千代さんの解説を読んだとき、へんだなあと思ったのです。素直に読めば、ウェルギリウスは秋に豆を播けと言っていると思うのですが、豆をインゲンマメと考えたら、秋に播くのは不自然なので、河津さんは春に豆を作った土地なら秋に小麦を播いてよいとかなり不自然な解説にされたんだろうと思います。あの秋に播けと書いているのは、インゲンマメでなく別種の豆だったんですね。「あるい」ということで、「やはずえんどう」と「はうちわまめ」というのが出てきますが、最初の「ふるえる莢を持つ多くの豆」というのは、ローマ時代に既に常食されていたソラマメかヒヨコマメかレンズマメかエンドウのうちのいずれか、あるいはすべてだったと思われます。(後略)

15 May もう1冊、憲法論も
 おはようございます、千晶です。(前略)
 昨日、ここで紹介した『越境の時 1960年代と在日』(鈴木道彦著 集英社新書)はすばらしい本でした。このような人生を歩んでこられた日本人がいるのだなあと思い、このような日本人が日本人ならば、わたしは日本人であることに誇りが持てるだろうと思った。この島国に暮らしていても他者に開かれるということの可能性があることと、そのような道を歩むことの厳しさを感じました。ほんとうに感動しました。

 この本を加藤哲夫さんから勧めてもらった経緯は次のようなものでした。わたしが次のような近況を書いたのです。(このMLに書いたこととも重なる部分があって、すみません。)

 「わたしの近況ですが、息子が通っていた幼稚園の牧師さんたちがチームでまとめられた『日韓キリスト教関係史資料第二巻』というのを読み、そして牧師さんのお話を聞いています。らくてん通信で紹介し、豆ランチパーティーにもお招きしようと思っているところです。戦時下の朝鮮半島におけるキリスト教弾圧、神社参拝を強制した歴史が学校から始まったことを知ると、今の東京都の君が代を歌わない教職員の処分の話と重なり、紹介すべきだとの思いにかられますが、この大きな仕事をどこからどのように紹介したらいいのか、と迷うところです。

 教会関係者が、2000人投獄され、50人が獄死し、200の教会が閉鎖に追い込まれたのだということ。そして日本のキリスト教会が当時、朝鮮半島に赴き、神社参拝をするよう説得したという経緯があるだけに、そのような歴史を明るみに出すことが教会内部の大きな抵抗をともなったそうです。周囲との摩擦に消耗する中でなしとげられた7年がかりのその仕事に頭が下がります。

 その牧師さんは、歴史をまとめる中でたくさんの朝鮮人のうめき声を聞き、そうして知ってしまった以上、来賓として入学式などに招かれても、君が代は歌えないし起立もできない、日の丸の下をくぐることにも屈辱と感じると話されます。静かな控えめな方だけに、胸をつきます。」

 そしたら加藤さんが、何冊か本を勧めてくださって、その1冊が鈴木氏の本でした。加藤さんのその本の紹介は、、、
 「詳しくは本を読んでいただきたいのですが、鈴木氏は、フランツ・ファノン著『地の呪われたる者』の翻訳者です。フランス文学者としてフランス留学時にアルジェリアの独立戦争に出会い(ということはパリに留学や逃亡しているアルジェリア人たちとの接点が生まれたということですが)、帰国して、フランスにとってのアルジェリアは、日本にとっての朝鮮であるという視点から、李珍宇という18歳の殺人犯の手記と出会い深い衝撃を受け、さらに金嬉老事件の支援団体をつくるという形で関わった人です。

 その中で、朝鮮人に対する日本の戦前戦後を通じた過酷な差別の実態と、それが例えば、李少年や金氏に与えた影響が述べられるのですが、だから情状の余地ありという方向の弁護ではなく、問われている日本人の責任について真摯な探求が行われています。千晶さんが紹介してくれた『日韓キリスト教関係史資料第二巻』にかかわる仕事は、まさにそういう事実ときちんと向かい合う仕事ですね。」

17 May  〈君が代不起立〉 その(2)
 こんばんは。東京の吉田です。(前略)
 今日は、東京で君が代不起立を貫いている根津公子さん(今年の卒業式で「君が代」不起立、停職3ヶ月処分)、河原井純子さん(同じく停職6ヶ月処分)のお2人が、都教委に対して起こしている「停職処分を取り消せ訴訟」の第4回法廷を傍聴してきました。

 今日は、原告(つまり、根津さん河原井さん)から、都教委による君が代起立強制は憲法19条「思想・良心の自由」の侵害にあたることを主張し、その根拠を説明しました。

 学校現場での教員に対する処分の根拠は、都教委からの「入学式・卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱について(10・23通達)」に基づく校長による「職務命令」違反、です。根津さん河原井さんは、公務員として憲法と教育基本法にしたがって良心的不起立を貫いているのであり、起立を強制する都教委側がむしろ憲法違反なのだと主張しているのですが、都教委はそこを焦点化しようとしません。

 もっといえば、2003年の「10・23」通達の翌年、2004年の卒業・入学式の際に、200名以上の大量の処分者がでたことに危機感を感じた都の教職員が、「そんな義務はないはず」と「予防訴訟」というのを起こし、昨年9月21日、東京地裁で勝訴しています。(「教職員らが入学式・卒業式・周年行事などの式典時の国歌斉唱に際して、起立斉唱し或いはピアノ伴奏をするべき義務はない」)(岩波ブックレット『「日の丸・君が代」を強制してはならない」を参照してください)この「9・21判決」が出たにも関わらず、都教委は、今年の卒業式での不起立に対しても、累積処分をしてきているのです。とにかく「都教委の命令に従え」「言うことをきくまで処分しつづけるぞ」「クビにするぞ」ということなんです。

 この累積処分については、今日、原告弁護団から「職務命令を発令し、これに従わなければ処分、そして再発防止センターでの研修の強制、この命令―処分―研修を、不起立をやめるまで執拗に繰り返し、なおかつ処分は累積していくというやりかたは裁量権の乱用」との主張もありました。

 根津さんは今年の処分で、現在、停職6ヶ月です。来年の卒業式に不起立を貫けば、今度は「免職処分」となるだろうといわれています。この悪夢をぜひとも阻止したい。人は国家のためにあるんじゃない!アイヒマンにはならないぞ! これは教員だけにとどまる問題ではないです。みなさん、ぜひともご協力ください。根津さんは、停職処分中も毎日、現在とこれまでの勤務先の中学校校門前に立ち、なぜ自分は国旗国歌の強制に反対するのか、訴えています。生徒や同僚の教員、そして保護者や、通りがかりの市民の人たちと話し合い、共感だけでなく、反発を受けながらも、粘り強く話しかけています。河原井さんは、東京以外の全国の人たちと、このことについてひざを交えて話し合いたいと全国行脚を実行中です。皆さんの中でも、直接に根津さん、河原井さんと話をしてみたいという方がおられましたら、私宛にでもご連絡ください。以下の根津さんを応援するHPに掲載されている「ほうせんか」などのニュースレターをひとつひとつ読んでいくと、根津さんが教師としてどんなにすばらしい人であるかもよくわかります。どうぞ読んでみてください。
 http://www.din.or.jp/~okidentt/nezusan.htm

 上のHPに掲載されている「国旗・国歌」について考えるに諸外国との比較が多く述べられています。たしか、フランスのサッカー選手ジダンが前々回のワールドカップの際にフランス国歌を歌わなかったところ、「愛国心に欠ける」と非難されていましたよね。サッカー選手といえば、中田選手も最初の頃は、試合前の「君が代」斉唱を拒否していましたよね。バッシングを受けてから歌うようになりましたが。永井愛さんの芝居『歌わせたい男たち』のチラシの裏には、「ロンドンでこんなことが起これば、教員や保護者、生徒が一斉に立ち上がって抗議して大騒ぎになる」といった内容の、演劇プロデューサーによるコメントが載っていました。 (後略)

[レシピ]

07 May 〈レンズ豆と手羽元の炒めもの〉、ヴェンダースの撮影日誌
 千晶です。(前略)
 このところ、子どもが好むので、お豆とお肉の組み合わせをいろいろ試しています。一昨日は、レンズ豆と手羽元の料理が好評でした。今まではお肉でなくじゃこか干しエビでやっていました。どれもおいしいので、よかったらおためし下さい。

 レンズ豆を半カップほど小鍋で茹でます。手羽元4本に塩こしょうします。フライパンを熱し、ごま油とにんにくのスライスを入れ、香りが出たところで手羽元を入れ、両面軽く焦げ目をつけ、ふたをして弱火でじっくり焼きます。手羽元に火が通ったら、いったん取り出し、大根の間引き菜の刻んだのをフライパンにたっぷり入れ強火で炒めます。さっと火が通ったら、手羽元と茹でたレンズ豆、少量のゆで汁を入れ、炒め合わす。しょうゆで味付け。

 これだとお肉だけでなく大根葉とお豆も喜んで食べました。お豆屋菜っぱがお肉のうまみを吸っているので子どもは喜ぶのでしょう、ご飯に混ぜて食べていました。残ったお豆を翌日、しらたきとにんじんの千切りとに炒め合わせ酢じゅうゆで味付けたのも、なかなかいけました。(後略)

08 May 〈黄スプリットピーの元気が出るスープ〉、竹布長袖Tシャツ
 千晶です。(前略)
 わたしの方は、今、ハーブスパイスコース用の料理をあれこれ試していますが、その途中で気がつきました。レモンの皮を使った料理のおいしい季節です。Basicコースの10月号で、レモンの皮入りレンズ豆スープを紹介して、あれは隠れた人気料理なのですが、これから少し暑くなってくるときこそ、おいしい料理かもしれません。ただ、国産のレモンが容易に手にはいるのは今月いっぱいでしょうから、ぜひ、この季節におためし下さい。

 今日、わたしはイエロースプリットピーでレモンの皮入りスープを作りました。昔、ゆらからもらったレシピです。

〈黄スプリットピーの元気が出るスープ〉
[材料]イエロースプリットピー 2カップ、水 8カップ、ベイリーフ 1枚、バター 大さじ2、オリーブ油 大さじ1、玉ねぎ 1個(みじんぎり)、にんじん 小1(さいの目切り)、セロリ 2本(さいの目切り又は薄切り)、にんにく 2かけ(みじんぎり)、塩 小さじ半、クミンパウダー 大さじ1、レモン 1〜2個(皮と果汁)、黒こしょう・パプリカ・パセリ(いずれも適量)
[作り方]
@豆と水とベイリーフを火にかけ、沸騰したら弱火で45分煮る。ざるやこし器でこし、鍋に戻す。
Aバターとオリーブ油をフライパンにとかし中火で玉ねぎを炒める。玉ねぎが柔らかくなったら、にんじん、セロリ、にんにく、塩、クミン粉を加え、10分、弱火で炒める。
B@にAを加え、やわらかくなるまで弱火で煮る。おろしたレモンの皮と果汁を入れる。
C塩とクミンの加減を見、必要ならそれぞれ加える。こしょうとパプリカで香りをつけ、パセリを浮かべてできあがり。


 わたしはレモンの皮が好きだから、みじん切りにしてたっぷり入れました。8人分とあったので半分の量で作ったのですが、後で後悔しました。もっと作っておけば良かった!セロリは省いたけれど、それでもとってもおいしかったです。(後略)

12 May 〈レモンシロップのマフィン〉、マメゾウムシ
 千晶です、おはようございます。
 ■藤田さん、ご近所にレモンのなる木はありますか。山口のご近所の古いうちはどこもお庭が広くて、レモンの木があるおうちからよくいただいたのを思い出します。

〈レモンシロップのマフィン〉
[材料]黒砂糖 大さじ6、溶かしバター 大さじ4、ヨーグルト 240cc、たまご 1個、レモン果汁 60cc、レモンの皮のすり下ろし 小さじ半、小麦粉 480cc、ナツメグ 少々、重曹 小さじ4分の3、ベーキングパウダー 小さじ2、塩 小さじ4分の1、(好みで)ナッツ類のみじんぎり 半カップ、ラズベリー 1カップ
(レモンシロップ)てんさい糖 大さじ5、レモン果汁 60cc、レモンの皮のすり下ろし 小さじ半
[作り方]
@オーブンを190度から200度に温める。
A中くらいのボールに、黒砂糖、溶かしバター、ヨーグルト、卵、レモン果汁、レモンの皮を入れよく混ぜる。
B別の中くらいのボールに、残りの粉類を入れてよく混ぜ、まん中に穴を開けてAを注ぎ、すばやくかき混ぜる。(好みで、ナッツ類やラズベリーを入れる。)
Cマフィン型のふちまでいっぱいにBを注ぎ、15分から20分くらい焼く。くしをさしても生地がついてこなかったら焼き上がり。マフィンをすばやく網かなにかの上におき、シロップをかけるまで10分は冷ます。
D小鍋にシロップの材料を入れ、沸騰させたら弱火で5分煮詰める。それから5分冷ます。そして、小さじ1〜2をマフィンの上にたらす。10分、がまんする。さあ、召しあがれ。

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