核々
(かくかく)しかじか、左様(さよう)なら
 [2012/04/20]

                     

 一見、相対立しているようで本質的にはお互いにもたれかかり両者共に直面している課題の解決に向けて真に力を尽くしているとは言えない――例えば、憲法第九条や戦死者への祈念をめぐって対立してきた戦後の「革新」と「保守」の双方に欠落した視点から問題点を剔抉(てっけつ)し、歴史責任を負う主体としての日本人がどのように向き合うべきかを論じた『敗戦後論』の著者・加藤典洋氏が、フクシマを受けて昨年秋に評論集『3・11 死に神に突き飛ばされる』(岩波書店)を出版した。

書評

 この論考の中で加藤氏が「コインの裏表のような存在」としてとりあげているのが、手塚治虫原作の漫画『鉄腕アトム』と円谷英二が特撮監督を努めた映画『ゴジラ』という二つの文化象徴である。『アトム』は1951年に連載開始、1968年まで少年雑誌に掲載されたのと前後してテレビでも何度かアニメになって放映されている。一方『ゴジラ』は1954年に制作され、空前のヒットとなったため2004年まで計28本が続編として作られ延べ9920万人が観ている。アトムとは原子力で動く少年ロボットで、「心やさしい ラララ 科学の子♪」とアニメでも歌われた正義の味方である。それに対してゴジラは、ビキニ環礁の海底に眠っていた怪獣がアメリカの水爆実験によって眠りを覚まされ、怒りにかられて日本を襲うという設定であった(1954年の「第五福竜丸事件」が背景にある)。この一見相反するモノに対して、氏は次のように述べる。

 「この二つは、ともに「原子力=核」を想像力の母胎としているという共通点を持つ。ここに「原子力」と「核」と、二つの術語を並べるのは、この二つが、英語ではともにnuclearという一語に該当しているからである。このことを私は、先出の小出裕章の著書『隠される原子力・核の真実』で教えられた。この同じ語が、日本では、平和利用の際には、nuclear power plant=原子力発電所と呼ばれ、軍事使用の場合には、nuclear weapon=核兵器と呼ばれる。一方は、肯定的なイメージ、他方は、おどろおどろしい悪のイメージ。ほとんど無意識のうちに、私たちのもとで二つに「使い分け」られてきたが、英語では、ともにnuclear。原子力と核の根は、いわば表象のうえでも、同じなのであった。
 だとすれば、文化象徴としての「アトム」と「ゴジラ」にもまた、つながりがあるだろう。あってしかるべきだろう。そうでなければならぬ。
 しかし、私は、今回の事故が起こり、それを人に指摘されるまで、ついぞこの二つの文化アイコンが、いわば一つのもの、原子力エネルギー=核エネルギーを母胎としたコインの裏表のような存在であることに、思いあたらなかった。(中略)
 なぜなのか。
 私だけではない。この国には、管見に入った限りで、両者がともに登場するメディア・ミックス的な想像力の産物が、パロディとしても、これまで一度として作られていないらしいのである。(中略)ゴジラの破壊をとめようと、アトムがやってきて、ゴジラに説得を試みる、そんなパロディは、どこにもない。
 なぜなのだろうか」

 加藤氏の自問自答は続く。
 「なぜ私たちは、二度も原爆を投下されたのに、原発の平和利用に希望を見る、というような「過ち」を犯すことになったのか。
 しかしそれは、二度も原爆を投下されたのに、ではないのではないだろうか。そうではなく、私たちは、「原爆を経験した」から、「原子力エネルギーの平和利用」に夢を託すようになったのではなかっただろうか」

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 加藤氏の考察は次のように展開する。二度とこのような過ちを繰り返してはいけないという被爆者の“祈念”が、一つはアメリカの「アトムズ・フォー・ピース」(核の平和利用)戦略に、他の一つは日本の国家主義者たち(政府自民党・官僚・マスメディア)の核の「技術抑止力」論に利用されてしまったのではないか、と。
 被爆者の祈念がどのようなものであったかは、1956年の日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)の結成大会宣言文に見てとれる。

 「私たちは今日ここに声を合わせてたからかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまたとふたたび繰り返してはなりません。破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄の方向に向わせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります」

 加藤氏はここにアメリカのプロパガンダによるマインドコントロールの影響をみつつ、しかし彼ら(被爆者)には原子力の平和利用を祈念する“権利”があると指摘する。なぜならば、
 「(原爆は)「人道に対する罪」とは呼ばれつつも、その罪科のもとにこれをもたらした者を処罰するにはいたらない。戦闘員・非戦闘員、大人・子どもひとしなみの無差別の大量虐殺である以上、国際法違反であることは明白だが、日本の国も、国連も、国際司法裁判所も、これに抗議の声をあげ、これを取り上げ、違反国を指弾また、処罰する気配もない。そのすじみちはどこにもみえない。
 原爆を投下した米国は、いまなお、そのことで、法的な指弾を受けていない。また、自ら謝罪もしていない」 

 私たちには責任がある、と加藤氏は言う。被爆者をそこまで追い込んでしまったことに対して、また「どうすれば、原爆で死んだ――殺害された――無辜の人々の無念が、霽(は)らせるのか、そのことを、社会全体に向け、また、世界全体に向け、深く考えてみること」の責任が。

 私たちの責任は、さらに二重性を帯びてくる。というのは、非核三原則(核兵器を持たず、作らず、持ち込ませない)を「国是」(1968年、佐藤栄作首相の国会答弁を歴代政府が継承)としていた日本国家が、1969年の沖縄返還交渉の時に有事の際の沖縄への核兵器持ち込みを認める密約文書を佐藤・ニクソン(アメリカ大統領)会談で交わしていたのである(この密約はスクープした新聞記者の“女性問題”に矮小化されて国家による権力犯罪が問われることはなく、後に佐藤栄作はノーベル平和賞を受賞することになる)。

 なぜ彼ら(日本政府)は、沖縄を本土の“捨て石”にする核の持ち込みに反対しなかったのか、できなかったのか。それは“唯一の被爆国”という建前の下で、本音としてはアメリカの「核抑止力」に通じるイデオロギーを共有していたからである。
                                 ※

 日本では、原発は「国策民営」と言われている。なぜ「国策」なのか。加藤氏は次のように論究する。核燃料サイクルの確立(原子力発電所の使用済み核燃料を再処理してプルトニウムを抽出し、高速増殖炉で再び燃料として使用するもの。日本の現状では高速増殖炉もんじゅの実用化が白紙のため、ウランと混ぜて既存の軽水炉型原発で燃料として用いるプルサーマル発電が試験段階に入ったが、作年のフクシマ事故により各地で中断を余儀なくされている)を建前(=隠れ蓑)としつつ、本音はプルトニウムを保有することで「核兵器は持たないが、核兵器を製造する技術的、潜在的能力は保持することに、一つの抑止力を認める(中略)現在の世界の軍事バランスのうえに立つ戦略的なあり方」を権力層が志向してきたからではないか、と。

 1955年に制定された原子力基本法には「核燃料サイクルを確立」という文言が盛られているが、その秘められたネライは岸信介(当時の自民党幹事長、後の首相)『回顧録』の次のような述懐から窺える。

 「昭和三十三年[1958年]正月六日、私は茨城県東海村の原子力研究所を視察した。日本の原子力研究はまだ緒についたばかりであったが、私は原子力の将来に非常な関心と期待を寄せていた。
 原子力技術はそれ自体平和利用も兵器としての使用も共に可能である。どちらに用いるかは政策であり国家意志の問題である。日本は国家・国民の意志として原子力を兵器として利用しないことを決めているので、平和利用一本槍であるが、平和利用にせよその技術が進歩するにつれて、兵器としての可能性は自動的に高まってくる。日本は核兵器を持たないが、[核兵器保有の]潜在的可能性を高めることによって、軍縮や核実験禁止問題などについて、国際の場における発言力を高めることが出来る」(山本義隆『福島の原発事故をめぐって』みすず書房より引用、[ ]内は著者補足)。

 国家主義者の面目躍如の文章である。被爆者の祈念を真に尊び、「軍縮や核実験禁止問題」に積極的に関与しようとするならば、自ら核兵器保有の潜在的可能性を低めることこそ他国への範を示す筋道であろうが、「国威発揚が第一」という“始めに結論ありき”のため、論理が倒錯した詭弁になっている。しかしそれ以上に問題なのは、このよう国策のイデオロギーたる核の「技術抑止力」論が、国民に知らされることなく(かつて一度も国会で議論されたことがない)、政府自民党(+民主党)・官僚・マスメディアの権力層によって密かに保持されてきた点にある。例えば、1969年に外務省が密かに作成した『わが国の外交政策大綱』という「極秘・無期限」の文書には、次のように書かれている。

 「核兵器については、NPT(注 核拡散防止条約のこと)に参加すると否とにかかわらず、当面核兵器は保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともにこれに対する掣肘をうけないよう配慮する」

 加藤氏はこのような状況を戦前と比較して危惧する。
 「それは戦前の「国体」と似ている。なぜなら、国の基本をなす基軸であるのに、一度も国民の信を問われておらず、また国会でも討議にふされないまま、別の場所で決定されているからだ。
 またそれは、戦前の「天皇制」と似ている。鶴見俊輔と久野収が、かつて天皇制の顕教密教制というものを唱えたことがある(『現代日本の思想――その五つの渦』)。戦前の社会では、天皇は、まず初等教育機関で、タテマエとして、神だと教えられ、その後、高等教育機関で、ウチワの真実として、国家の一機関であると教えられた。前者は顕教、後者は密教であり、この二つの使い分けで天皇制が機能していた、とする考えである。これに似て、「原爆を経験した」日本の悲願のかたちとして唱道された「原子力の平和利用」は、タテマエにすぎず、その実、高等教育機関を出た官僚のあいだでは、その同じものが、「技術抑止」の手段と理解されている。そしてそのことは、国民に知らされてはならない。あるいは、人は、そのカラクリを知ることで、国の密教世界の列に加わる」

 私たちには責任がある。フクシマにもオキナワにも、そしてビキニやヒロシマ・ナガサキにも。
  「原発は民主主義の問題である」――昨年亡くなった加藤哲夫(元せんだい・みやぎNPOセンター代表理事)の至言である。 
                                 ※

東北ともにあり

 今年の3月11日、京都で第1回のマラソン大会が開催された。その時、コース沿いの仁和寺門前で、僧侶たちが「東北 共に在り」という幕を掲げて応援した。フクシマから1年――しかし沖縄では半世紀以上も、アメリカ軍基地に存在する(と誰もが疑念を抱く)核兵器(アメリカは軍事上の観点から核の存在を否定も肯定もしない「あいまい戦略」をとり、日本政府はアメリカからの事前通告がない限り日本には持ち込まれていないと信じるという没主体的・欺瞞的な態度をとり続けてきた)に脅かされてきた。 

 〈基地があるから核がある〉〈原発があるから核になる〉――それならば、私たちが沖縄から本土からアメリカ軍基地(の象徴的存在が、「世界一危険な軍事基地」とアメリカ軍関係者ですら認める普天間飛行場だろう)を無くすことができれば、と同時に核の「技術抑止力」論に基づく核燃料サイクルを放棄して原発を廃炉にすることができたなら、その時初めて、被爆者の祈念から生まれた国是の非核三原則は真の意義を取り戻し、私たち自身もまた建前と本音の乖離を克服することができるだろう。どんなに困難な道であっても、世界に先駆けて核廃絶への道筋をつけることこそ“唯一の被爆国”日本に生きる公民としての私たちの使命ではないだろうか。

 そのことを心中に期しつつ、私は「沖縄 ともにあり」の小幡を掲げようと思う。



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