からだノート




(一)ことば遊び

@うらめしや〜Aま」と「からBまじめ

(二)内観技法の基本 (三)日々の養生&感覚の鍛錬法 (四)手間(真にふれる手)


(一)ことば遊び

@「うらめしや〜」

 からだとことばを育む会の【表現教室】の稽古に、「おばけアプローチレッスン」というものがある。これは、AB二人の人が4−5メートルはなれて立ち、お互い目をつぶる。BがAに向かって両手をさしのべ、Aが――からだの感覚で――近づいてゆくというものである。この時、Bは二通りのしかたで腕を出す。一つは手の甲を相手に向けて、もう一つは手の平を向けて、である。ではどちらが近づきやすいだろうか?

 一般的には、掌
(てのひら)を向けられた方が、距離が縮まる。ただまれに、邪気=「近づかないでえ」光線を(無意識で)発する人がいるので、そんな場合は「今晩のおかずはどうしようかな、とアレコレ考えてください」と指示を出すことにしている。

 私たちは、手の平で握手をし、手の甲で「しっ、しっ」と犬を追い払う。実は、からだとことばを育む会が稽古の拠り所にしている内観技法では、〈表〉と〈裏〉という根元的な二つのからだの感覚があり、肉体的な象徴が、表=面手
(おもて)すなわち顔と手、裏=大地とふれる足の裏ととらえ、さらに手もこまかく見れば、甲が表、平が裏なのである。

 高校の文化祭の定番、お化け屋敷には幽霊がつきものだが、誰もがおもいうかべるあの姿(額に三角巾、身に白い経帷子
(きょうかたびら)をまとい、両手をゆらゆらと前に出して、「うらめしや〜」と迫ってくる)は、江戸時代の絵師・円山応挙(まるやま・おうきょ)が初めて描いたそうだが、とげられなかった己(おのれ)の欲望や深い恨みをあらわすには、まさに手の平を向けるしかないだろう。

 なぜなら、もの(者・物・霊)との関係性でいえば、〈裏〉は、つながる感覚「わ」(漢字であらわせば、和・輪・環・我・倭)を生み、〈表〉はわかれる(和枯れる)感覚「こ」(漢字であらわせば、個・孤・小・子・粉)を生むからである。掌を向けられて幽霊に抱きつかれては、たまったものではない。

 では、お決まりの殺し文句は、「裏飯屋」=裏においしい飯屋がありますよ、だろうか。まさか。裏盲
(めしい)+感嘆の「や」、つまり、あなたに裏切られてもう目がみえない。このままでは成仏(じょうぶつ)できない。この落とし前を、どうつけてくれるの――という悲痛な自我の叫びなのである。

 内観技法は、肉眼を閉じて心眼でからだの感覚を視覚的にとらえようとする技法だが、〈表〉の感覚は白、〈裏〉の感覚は黒と位置づけている(クレヨンのような色彩感覚で理解されると困るが)。いわば、〈表〉は生、〈裏〉は死の象徴である(ただし、死とはいっても、生を産む母胎としての死=“おおいなる生”といったほうがよいかもしれない)。

 結婚式では、なぜ白いウエディングドレスを着るのか。葬式では、なぜ黒い喪服なのか。パトカーは、なぜ、上が白、下が黒く塗り分けられているのか。整体協会の創設者・野口晴哉
(のぐち・はるちか)は、テレビで相撲観戦をしていて、どちらが勝つか、言い当てたそうな「腹が黒い方が勝つ」。別に浅黒い肌をした力士のことではない。からだの感覚としてのはらが、死に勝る生はあるまい。

 しかし、私たちの人生は、白か黒か、で割り切れるものではない。詩人の宮沢賢治
(みやざわ・けんじ)は、詩集『春と修羅(しゅら)』の「序」で、次のように語りかけている。

 
わたくしといふ現象は
 仮定された有機交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (あらゆる透明な幽霊の複合体)
 風景やみんなといつしょに
 せはしくせはしく明滅しながら
 いかにもたしかにともりつづける
 因果交流電燈の
 ひとつの青い照明です
 (ひかりはたもち その電燈は失はれ)


 なぜ、青なのだろうか。漢字学者・白川静
(しらかわ・しずか)の指摘が、ひとつのヒントになるだろう。

 「(青は)古くは黒から白までの中間の暗をいい」(『字訓』普及版p.55 平凡社)

 そして、万葉仮名では、「こころ」に情の字をあてていた例もある、と何かの本で読んだ記憶がある。そう、私たちの心は、白−頭−理知の世界と、黒−肚
(はら)−本能の世界の間で、日々、この瞬間にもゆれうごいているのである。

 「地球は青かった」――宇宙船から地球を見た宇宙飛行士はこう発したが、私には(常識的には、海の青さであろうが)この地に生きる七十億の人間達が、せわしくせわしく生きながら発光させている、いとおしくもあわれな、生の光のように思える。

A「ま」と「から」

 ある朝、いつものトイレ掃除に入ると、スリッパが横を向いている。あなたなら、この後どうしますか? (1)足先で、ちょこちょこっと向きを変える、(2)スリッパをはいて、向きを変える、(3)腰を落とし、手で向きを変える。

 白状すれば――普段の私なら(1)をしていたのを――その日ばかりは、何か“そぐわない気”がして、(3)で直していた。

 その時、「手間
(てま)をかける」というのは、こういうことか、と初めて腑に落ちた気がした。「かける」を漢字であらわすと、駈ける・掛ける・架けるetc.になる。A→Bへの空間的な移動、それにともなう時間の発生、そして事前事後の間の何らかの変容をさしているように思われる。空の間と時の間をもっとも用いるのは、(3)の動作だろう。

 もちろん私とて、この用語の意味は知っていたが、「丁寧に」という言葉の置き換え、単なる比喩としての知識だった。大仰
(おおぎょう)に聞こえるかもしれないが、初めてからだの感覚として、言葉が身に染みたのだ。

 からだとことばを育む会の活動を続けてきて、このところ間(ま)という言葉が大切ではないか、と思うようになってきた。何より、人間であり、人が生きる時間・空間であり、日本という文化共同“体”での世間
(せけん)であり、そして手間である。

間(ま)

 整体では、もの(者・物・霊)にふれる(「さわる」ではない)手のことを、愉気
(ゆき)と称している。究極には、“いのちにふれる手”である。普段私たちは、ものから情報を得て識別するために、頭で手を操作している。それでは、いのちにふれられない。からだとことばを育む会の【表現教室】で行っている稽古は、ひとことでいって、ふれるための技(わざ)と理(ことわり)の追究である。

 では、どのようにすれば手で間を創れるのか?スポーツや武術・技芸では、「ひじをはれ」「ひざをぬけ」とよく言われる。これが肉体的な意味での――目に見えてわかりやすいという点では、〈表〉的な――間のとりかただろう。つまり、肩胛骨の中央と肘、手首をむすぶ三角形と、股関節、膝、足首をむすぶ三角形である。では、その〈裏〉付けは?

 内観技法では、物質的な肉体を名
(めい)、からだの感覚を実(じつ)ととらえている。「名実ともに」という時の表現である。あくまでも感覚が主であり、肉体は従であるとしている。では、からだの感覚としての間とは?

 語呂合わせに聞こえるかもしれないが、からだは、から(空・殻・腔)+強調・断定の「だ」ではないだろうか。こういったからといって荒唐無稽な話ではなく、医学的には、頭蓋腔
(ずがいこう)・胸腔(きょうこう)・腹腔(ふくこう)という三つの空間が存在する。

 内観技法では、それぞれ「意識」の間・「心情」の間・「気力」の間ととらえ――イメージとしては、PCのwindowsならぬ四角形の窓(平面体)/ピラミッドの形をした三角形の鏡(四面体)/欠くところなき光の玉(球体)――この三つの間(あいだ)を調えることを旨としている。頭は〈表〉(例 「面白い」)、腹は〈裏〉(例 「腹黒い」)の感覚の源ともいえるので、二つを映す胸の鏡・心鏡(しんきょう>心境)で、日々どのようにして表裏のバランスを保つか、の鍛錬になる。

 具体的にいえば――内観に慣れていない人には分かりづらいと思うが――手でふれながら、胸においた心眼で、からだの感覚の焦点=気力の“煮こごり”(<二凝り・凍り)と、はらの中央の原点をむすんで三角形をつくり、集注をふかめることによって「かどがとれて、まるくはらにおさめる」。

 ただ、間は真(ま)に転換しうるが、魔にも陥りやすいという事は、重々
(じゅうじゅう)こころしておかないといけない。

 

 「和を以
(もつ)て貴(とうと)しと為し・・・」(聖徳太子『憲法十七條』)とされた日本という文化共同“体”は、150年まえの明治維新と1945年の敗戦によって、おおきくそこなわれた。では、私たちは、〈裏〉から〈表〉へ、和から個にのりかえて、大和人(やまとびと)よりも一個人として自立しえたのだろうか。いや、昨今の政治状況・社会情勢をみれば、そんなことは言えまい。文化・歴史を担う主体としての自覚を欠き、かといって客体の感覚を喪失して、根こぎにされたからだやことばが、この時空(じくう)を浮遊している。

 ただ、大言壮語癖のある私は、伝教大師・最澄
(さいちょう)が若き僧侶に向けて記したとされる文言を、自らの戒めにしたい。
 

「一隅
(いちぐう)を守り、千里を照らす」

 この言葉で思いおこすのは、近くのお好み焼きやのおばちゃんだ。北野天満宮のバス停の前で、「おもひで焼き」ののぼりをかかげて、四十年近く商売をしてきた。わずか三畳ほどの店、1個百円から特大でも480円。

 実は去年の正月に、イギリスに留学した娘を訪ねて家族で旅行したことがあった。そのストレスからか、高校生の息子がアトピーが悪化し、いつもおいしく食べているおもひで焼きで元気になりたいと、私が代わりに買いに行った。

 ひとしきり世間話にはながさいた後、「ここらあたりでおばちゃんのが一番おいしいと子どもが言ってるよ」と言うと、おばちゃんは喜んでくれたがすぐに真顔になって言った。
 「わたしは外国に行ったことがない。ここで日本を守っている」

 別に右翼でもなんでもない。普段、そんなことを話すような人ではない。朝は、店のまえを門
(かど)掃きし、「欲ばらんと」数百円の粉もんを売って子どもを育ててきた。

 私ははずかしかった。おまえは幸運にも何ヵ国か外国旅行ができたが、その体験を社会に還元しているのか?
 「和を以て貴しと為す」&「個として立たむと欲す」
『らくてん通信』第69号(2018/03/20発行)掲載

B「まじめ

  去る3月28日の朝日新聞朝刊に、前日の国会で行われた証人喚問についてのジャーナリスト・青木理
(あおき・おさむ)氏の感想が載っていた。

 「見ていた限り、佐川氏は一度もいすの背もたれに寄りかからず、いかにも真面目な官僚然としていた。ただ、発される言葉は国民や社会全体ではなく、政権と保身ばかり考えたものではないか」

 私は青木氏のコメントにYes!を投じるが――決してあげあしとりではなく――「真面目」という言葉に違和感を感じた。この当て字は、“真(ま=真理、真実)に面する顔、真からそむけない目”という意味で用いられてきたのではないか。私もテレビで観ていたが、彼の態度(からだ)は不真面目そのものだった。

 確かに現代では、「真面目な良い生徒」とか「仕事ぶりは真面目だった」というように、目そのものではなく、ある様態を表現する場合に用いられることがほとんどだろう。では、真面目とはどのような目を持つことなのだろうか?

 内観技法では、三つの目を措定している(よく見ると、「真面目」という文字には、目が三つ含まれているではないか!)。

 まず、頭の上心
(じょうしん)にある肉眼。これは、ものを識別し、ものから情報を得るという、動物の目プラス、常識や科学の目である。からだの感覚では、基本的に〈表〉になる。

 次に、胸の中心
(ちゅうしん)にある心眼。この目は、自己の内をみつめる内省の目であり、外に向けてはもの(者・物・霊)の――表面・物質ではなく、深層・本質という意味での――“こころ”を感じる目である。心眼は、上心の〈表〉・下心の〈裏〉のどちらも映す“合わせ鏡”になっている。

 表現教室では、この心眼を鍛えることをメインにすえ、原則として目を閉じて稽古している。まぶたを開けていては、心眼が上に(脳へ)引きずられて本来の働きを失い、肉眼とかわらなくなってしまうからである。

 それでは、第三の目とは――漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に登場を願おう?!

ゲゲゲの鬼太郎

 鬼太郎には、目が一つしかない。右目である。左には鬼太郎の父親・“目玉おやじ”がひそんでいて、鬼太郎のメンター(師)としての役をはたしている。妖怪の鬼太郎が、なぜ“こちらとあちらの世界”を往き来できるのか?それは、鬼太郎が――左目を失って――右目しか持っていないから、というのが私の仮説である。

 現界
(げんかい)を生、幽界(ゆうかい)を死(=生の母胎でもあるおおいなる世界)ととらえてみると、それぞれの象徴が太陽と月ではないだろうか。『古事記』に曰く、

 
「ここに(伊邪那伎命(いざなきのみこと))左の御目(みめ)を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、天照大御神(あまてらすおほみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月讀命(つくよみのみこと)。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)(倉野憲司校注『古事記』岩波文庫 p.30)

 内観技法では、からだの感覚として、左目−右半身は〈表出〉を、右目−左半身は〈受容〉をあらわすととらえている。二つの感覚世界は、首の一点で×(交差)している。ゲゲゲの鬼太郎は、左目をまさに表に出し、右目でこの世とあの世の二世を生きている(受容している)といえないだろうか。

 『ゲゲゲ〜』の作者・水木しげる
(みずき・しげる)が戦争体験を記した『水木しげるの娘に語るお父さんの戦記』 (河出文庫) を読むと、彼が壮絶な戦場体験を生き延びたことがうかがえる(左腕は失ってしまったが)。ニューギニアの戦地で文字どおり九死に一生をえたのは、水木のたぐいまれな生命力+生命感のたまものであったと言っても過言ではないだろう。妖怪=物の怪(け)の世界を漫画に描くことができたのは、彼の想像力&創造力が豊かであっただけでなく、この“からだ”が下地にあったと思われる。

 私は鬼太郎の右目を、離眼
(りがん)と名づけたい。この目は、人にあっては心眼よりさらに下へ、内へ、奥へはいった、腹の下心(かしん)中央に位置する気力の目である。その働きとは、自己そのものを相対化し、“世界は、肉眼で見ている(現に在ると思っている、実在を疑わない、科学という一つの近代のものさしで実測可能な)コレだけではない”ことを知らしめる。

 能の大成者・世阿弥
(ぜあみ)の説く「離見(りけん)の見」とは、この離眼ではないだろうか。
 
 【離見の見】[資料
(pdfファイル)

 表現教室では心眼を鍛える稽古しかできていないが、これから試行錯誤しながら、離眼を探求したいと思っている。今はまだ、はらの中央(下心)と右目、視覚の対象(例えば、世阿弥のいう「見所」)の三点をむすんで三角形の間(ま)を創り――右目は開いて左目は閉じたまま――もの(者・物・霊)をはらにおさめることによって自己(自分の姿そのもの)を客体視できるのではないか、という仮説の段階である。

 

 何年か前、私は夢の中でイエス・キリストに会ったことがある。前後関係は覚えていないが、湖の岸辺でイエスが小舟に乗ろうとしている。弟子(?)が二人、船を出そうとしている。私がその場に立っている。イエスと目があった時――「この男には自我がない!」と私は驚愕
(きょうがく)してしまった。

 その目は――摩周湖のように――深く、湖面に写った顔の影のように、私の姿だけがうつっていたのだ。「わたしについてきなさい」、そう言われたら、私は何もかも捨てて――手に持っているものも、家族も何もかも――この人についていくだろう、と直感していた。

 クリスチャンからは、「何をバカな!イエスは神の子だ」としかられそうだが、私は「人間は、ここまで達しうるのだ」と夢からさめた後、感慨にふけった。客観的に考えれば、キリストを描いた聖画の記憶と、その日の何らかの心的インパクトが合作した産物に過ぎないかもしれない。

 でも私にとっては、目がすべてをものがたっていることを――いわば身体知として――知った体験になった。肉眼→心眼→離眼というのは、人間の成熟を表す三段階ではないだろうか。人はパンのみにて生くるにあらず。そして、死者とともに在る。

 まじめに生きようと思う。   
2018/04/16 記)
附記

 最近、マスメディアによく登場する政治家や芸能人に、左右の目の大きさが違う人が多いような気がする。からだの感覚でいえば、〈受容〉と〈表出〉のアンバランスが原因であろうが、どちらの目を開いて(あるいは閉じて)“世界”を見ようとしているのか、くらべてみるのも面白いかもしれない。

 ゲゲゲの鬼太郎は、生まれつき左目を失っていたが、戦国武将の伊達政宗
(だて・まさむね)は、幼い頃に病気によって右目を失明したそうである。彼は〈表出〉の人となり、「独眼竜」(どくがんりゅう)と呼ばれた。

 また、目の左右ではないが、劇作家&演出家&役者の野田秀樹
(のだ・ひでき )氏は、舞台で集注すると、寄り目になるという興味深い体験をつづっている。
 
 【役者の寄り目】[資料(pdfファイル)

 
最後に、では、目の見えない人はどうなのか、という疑問が当然おこってくるだろう。私には正直わからないと言うしかない。他の知覚(特に聴覚)と心眼で補っているのでは、と推測するばかりだ。さらに、耳も聞こえない盲聾者
(もうろうしゃ)のケースは?

 思春期に、視覚と聴覚をすべて失った福島智(ふくしま・さとし)東京大学教授は、著書『ぼくの命は言葉とともにある』(致知出版社)の中で、次のように述べている。

 
「『光』と『音』を失った高校生のころ、私はいきなり自分が地球上から引きはがされ、この空間に投げ込まれたように感じた。自分一人が空間のすべてを覆い尽くしてしまうような、狭くて暗く静かな『世界』。
 ここはどこだろう。(中略)私は限定のない暗黒の中で呻吟
(しんぎん)していた。

 
美しい言葉に出会ったことがある。全盲ろうの状態になって失意のうちに学友たちのもとに戻ったとき、一人の友人が私の手のひらに指先で書いてくれた。
 『しさくは きみの ために ある』
 私が直面した過酷な運命を目
(ま)の当たりにして、私に残されたもの、そして新たな意味を帯びて立ち現れたもの、すなわち『言葉と思索』の世界を、彼はさりげなく示してくれたのだった」(同上書 pp.16-17)

 
(二)内観技法の基本

【内観技法とは】

 人間の身体を、肉体(物質)ととらえるか、からだ(空・殻+強調の「だ」 例)「ダメだ」)ととらえるか、あるいはどちらに比重をおくかで、身体観・人間観、ひいては世界観がおおきく異なってくるでしょう。肉体は、あくまで個体としての生命活動を行っているのに対して、からだは、個を超えて、“いのち”(「いの」は強調 例)「いの一番」+ち「地・血・乳・父」=根元的な存在)をつなぐ、いわば“いのちのもえ”とでも呼ぶべき生命感+生命力の働きがあります。

 人間をなぜ“人の間”と書くのかと考えた時、人が物理的な間
(あいだ)という以上に、感覚的で関係的な時間・空間・世間(せけん)の間(ま)を生きている存在だからではないでしょうか。何よりも、からだが一つの間(ま)なのです。この間は、伝統的な身体運用・身体用語では、「はら・こし」に象徴されています。

【からだの感覚 こし・はら】資料(pdfファイル)

 私たちが真面目
(まじめ)に、手間(てま)をかけて生きれば――語呂合わせではありませんが――間は真(ま)にかわりうるのではないでしょうか。真面目とは、真に面する目を持つこと=真理・真実から目をそむけない事であり、手間とは、真にふれる手を持つこと=もの(者・物・霊)と一体になる事です。

 “いのちのもえ”(生命感+生命力)を生きるために、整体を礎(いしずえ)に生まれたのが、内観技法です。この身体技法は、心眼(みずすましの目)・呼吸(ひょうたんの息)・気力(まわるたまの腹)の三位一体でからだの感覚を視覚的にとらえようとする
(わざ)と(ことわり)です。

【心眼(みずすましの目)】技法&資料
(pdfファイル)

 心眼とは、からだの内の感覚を観る内観の目であり、外に向けては、もの(者・物・霊)の本質を見抜く心の目でもあります。

 一方、肉眼は、ものの表面を、外から、形で、物質的に把握しようとする目です。

 水棲昆虫のみずすましは、目を四つ!持っています。実際には左右の目がそれぞれ上下に分かれ、上の目で空中の敵や餌を、下の目で水中のそれをとらえるそうです。

 稽古会では、集注を深めるために肉眼を閉じて稽古をしますが、心眼が鍛えられれば――日常生活において、肉眼を開けている時でも――真面目に生きられるのではないかと思います。

【呼吸(ひょうたんの息)】技法&資料(pdfファイル)

 臨済宗
(りんざいしゅう)・中興の祖といわれる江戸時代の禅僧・白隠(はくいん)は、若くして禅病にかかり(おそらく公案の解を考え続けて頭に血がのぼり、心身のバランスをくずした状態ではないかと思われます)、京都・白川の仙人に教えをこいて、丹田を意識した呼吸で病を克服し、84歳まで長寿を全うしました。

 白隠はこの呼吸法を、「瓢(ひさご=ひょうたんのこと)呼吸」と名づけました。ただ残念ながら、その経緯を記した著作『夜船閑話
(やせんかんな)』には、イマイチわかりやすく書かれているとはいえません(腹式呼吸で丹田を活性化させる息づかいだと思われます)。

 稽古会では、心眼を腹の中心に向けながら息を吸い、丹田に息を吐く、一種の腹式呼吸法を実践しています。

【まわるたまの腹】技法&資料(pdfファイル)

 からだの腹を玉(○)ととらえ、意識的に回転させることによって肉体の筋力を越えた力を産むことは、中国武術の意拳でも行われています。生命感覚としてのはら・こしという間(ま)は、気力の母胎なのです。

 気力の気は、〈名〉=情報であり、力(ち「地・血・乳・父」+起源・由来の「から」)は、〈実〉=実体です。気と力は、一体となって“いのちのもえ”(生命感+生命力)を担っています。

 内観技法では、はらの間和(まわ)り(回転)の違いによって、二つの根元的な生命感覚が産み出されるととらえています。一つは、内回りから生まれる受容する力/つながる関係性としての〈裏〉であり、もう一つは外回りから生まれる表出する力/わかれる関係性としての〈表〉です。

 私たち現代人が、日常的には〈表〉の感覚で生活しているので、稽古会では、〈裏〉を鍛えることに主眼をおいています。ですが、人が時間・空間・世間という間(ま)を――客体であり主体として――生きるためには、どちらの感覚も欠かすことはできないでしょう。



(三)日々の養生&感覚の鍛錬法

【三つの養生法】行気[技法&資料]・活元[技法&資料]・気合[技法&資料(pdfファイル)

 整体協会の創設者・野口晴哉
(のぐち・はるちか)は、お弟子さんから「一人でできる稽古法には、どんなものがありますか」と尋ねられたときに、「一に行気(ぎょうき)、二に活元(かつげん)、三に気合(きあい)」と答えたそうです。

 内観技法の観点からいえば、行気と気合はからだに清らかな気を入れる→〈裏〉の感覚にあたり、活元はからだから邪
(よこしま)な気を出す→〈表〉の感覚にあたります。ですから、この三つの養生法は、ワンセットでとらえる必要があるといえます。

 日常的に実践するうえでは、行気は朝起きたときに行うのがよく(布団に寝たままでも、トイレで腰掛けているときでも、通勤電車のなかで吊革につかまりながら)、活元は夜、寝る前に行うのがよいでしょう。気合は、ここぞという時に、自分に活・喝!を入れます。

 続けるための秘訣は、文字どおり続けることです。ぜひ、この身体技法を、日々の養生(からだとこころを調えること)にとどまらず、自らの生命感覚を鍛えるものとしてご活用下さい。

【個人的な体験】by 高柳無々々 

 2015年春に、膿胸
(のうきょう)という病を患い、一カ月半、入院・手術をしました。口の中のナントカという常在菌が肺に入ってしまい――普段なら、免疫がはたらいてなんともないそうなんですが、体調がすぐれずに抵抗力が弱まっていると――化膿して、レントゲン写真では左肺が真っ白になっていました。

 内科的処置では治療できなかったため、医師が内視鏡を見ながら耳かきのようなのもので膿をかきだし、4Lの水で肺を洗い流す手術を受けました。手術そのものは支障なく終わったのですが、実はその数日後、肺が空気漏れをおこしていることが分かったのです。

 医者からは、このままでは第二の手術が必要になる、と告げられましたが、それが何ともおぞましいものでした。体網
(たいもう)という腸をおおっている膜――要するに、脂肪の塊――が免疫力に優れているため、それを横隔膜を突き抜けて胸まで引き上げ、肺の穴をふさぐと同時に、膿胸でできた空洞を埋める、という内容でした。

 聞いてるだけで、げんなりしてしまいました。第一の手術はともかく、第二のそれはいかにも不自然に感じられて、何としても避けたい。ただ、自然に治癒する確率は10%だと宣告され、次の手術日がすでに1週間後に設定されている・・・。

 不安と焦りにさいなまれながら、自分にできることはこれしかない――ベッドのうえで一人、活元と行気、愉気を続けていました。季節は、桜からつつじに代わっていました。すると、四、五日して、空気漏れが治まったのです。医者からは、「奇跡だ」と言われました。

 もちろん、入院してから一日三回、点滴で抗生剤を受け続けていましたから、この身体技法のおかげで治ったとは断言できません。ただ、オールタナティブなものを持ち合わせていないと、近代医療のまえでは“まないたの上の鯉”よろしく、受け身でしかない己の無力さを痛感するだけではないでしょうか。この時ほど、十年近く整体を学んできてよかったと思えたことはありません。

 このように書いたからといって、私は決して医療システムを否定するものではなく、整体などの東洋的な、代替療法と補い合えばよいのでは、と考えています。二者にある大本の違いは、「西洋」が病気を健康に対置して克服すべきものとしている一方、「東洋」では養生(生を養う)を旨とする点でしょうか。

 整体を稽古していながら病気になったのでは説得力がない、と言われるのを覚悟のうえで、私はこの入院・手術の体験をへて――大仰
(おおぎょう)なようですが――病気は運命ではないか、と思うようになりました。

 釈迦が、〈生老病死〉を人間の根元的な「四苦」と捉えたように、誰にも避けて通れない道ではないか、と。

 そして、野口晴哉も語っていますが、整体(やその他の東洋的な身体技法)は、予防接種でもなければ万病に効く特効薬でもない、と今では考えています。

 それでは、何のために? 私なりのこたえが、“現れる”を“表わす”人生の表現活動であり、人間の分際を知って(規=のり)身を美しくたもつ(躾=しつけ)、日々のつとめです。

(四)手間(真にふれる手)


からだとことばを育む会