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  2024/04/23 [火]   稽古会


 参加者二名。前回の焼き塩療法の発展で、うつぶせになった相方の背骨に手をあてながら、“福は内”の内観を行う。

 生後半年のAちゃんも“特別参加”。三月は泣き声としか感じなかったが、今日は、言語の卵というか元というか、明らかにコミュニケーションとしての声を発していた。彼女が、場を仕切っていたような。
 
 ※

 夜、南阿蘇でバイオダイナミック農法による「たのくら農園」を営んでいる瀬川さんを囲んで、zoomによるお話し会。「自分が生きる時間でカレンダーを創っていく」という理想を失わない姿に、共感をおぼえる。


  2024/04/22 [月]   燕、来訪


 今年はじめて、燕が電線にとまっているのを見た。Aさん逝去の知らせが、娘さんから千晶のもとに届く。ガンと判明して、半年。彼女が亡くなり、自分が四年半生きつづけている、そのちがいは、何だろうか。


  2024/04/21 [日]   魚鶴の大将を悼む


 近所の仕出し屋の大将が亡くなった。ここ数年、認知症をわずらって施設に入所しているという話だったが、先週の水曜日に息をひきとられた(と、回覧板がまわってきた)。享年八十八歳。

 二十年前、山口から右も左も分からない京都へ越してきた頃、大将は毎夕、近くの銭湯まで、店の前を通っていた。太っ腹で(比喩ではない)大きな声の大将と、いつしか言葉を交わすようになり、子どもの頃のイタズラ話や、にぎやかだった地蔵盆の想い出、趣味のバードウオッチングを―「かわいいでっせ」、おもしろおかしくはなしてくれた。
 
 それだけではない。金剛流の謡いもならっていた大将は、「どうぞ、高柳さん、行っておくれやす」と、演能会の鑑賞券を何度もくれて――もちろん、大将の負担で――金剛能楽堂へはじめて能を観に行った。
 
 何千円もする券は、自分ではとても買えなかったが、大将の気前よさで、能にふれることができた。「かわいがってもらった」、という表現が、まさにピッタリする。世話好きな、“町内の顔”だった。
 
 かなしい。


  2024/04/20 [土]   「待つことを知って、花は咲く」


 朝の散歩の時に見た、お寺の標語。自分の中から“何か”が現れるのを、待つ。人が来るまで、待つ。家族・友人・知人が自分を生きはじめるまで、待つ。『待つしかない、か』by 木田元&竹内敏晴の対談本を思い出す。

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 ゲストハウスの山吹は、花が散った後に剪定するのがよいというwebの教示だったので、樹形よく剪定。さらに、気になっていた梅も、おおきく枝を切った―と、青梅が8個、成っていた。初めての事。
 
 裏庭の柿の若芽も、剪定。捨てるのはもったいないので、柿の葉茶づくりにはじめて挑戦。


  2024/04/19 [金]   クチナシ


 十年ちかく前、お寺でもらった陽光桜の苗木。店まえの植木鉢にうえて、今年こそは、今年こそは花を、と待ちつづけたが、一度も咲くことなく枯れてしまった。

 その後の大鉢に、今日、ホームセンターで買ってきた八重クチナシを植えた。樹高60cmほどのものが、九百円とお買い得だった。梅雨まえの、あの白い花弁と香がたのしみだ。
 
 水色の紫陽花も、手に入れたい。と、欲がふくらむ。


  2024/04/18 [木]   新しい物は、うれしい


 今使っているリュックがキッズ用で肩身が狭いので、メリカリでドイターのフーチュラ32を7,500円で購入。7年前の物らしいが、ほとんど使用されていないので、お得な買い物だった。

 今日とどいて、うれしい。その勢いに乗じて(!?)――千晶の骨折を他山の石に――モンベルのトレッキングポール2本を、17,000円で購入(こちらは新品)。
 
 次の日曜or月曜に―天候を見て―またトレッキングに行くのが、たのしみだ。次は、赤坂山?


  2024/04/17 [水]   日沈む国の、一つの指標


 Doug@宮古島🐕氏の、4月16日付けtwitter @doughimself 。


  2024/04/16 [火]   リーダーとは?


 ユーチューブの動画を観て、日本国を想う。


  2024/04/15 [月]   一世紀の歴史に、幕


 丸太町七本松のモリタ書店にシャッターが下り、貼り紙がしてあった。「1923年創業、この4月20日を持ちまして閉店・・・」。

 十坪にもみたない街の零細書店が、生き残る道は、なかった。あの店主(シングル男性、五十代?)は、これからどうしていくのだろう。


  2024/04/14 [日]   権現山へトレッキング


 昨年十一月下旬に左足が腓骨神経痛になって、四ヶ月ちかく“冬眠”していたが、初夏の陽気にさそわれて、ひさびさの山行。平バス停〜アラキ峠〜権現山〜仏山〜小女郎池〜薬師滝〜蓬莱駅のルート。約六時間。
 
 麓は新緑がひろがり、植林地に点々と山桜が咲きほこっていたが、頂上ふきんの木々は小指の先ほどの新芽がでたばかり。それでも、冬枯れの小女郎池のほとりで飯を食べ、小一時間、ひねもすのたりのたりかな、とシートに仰向けになってくつろいだ。
 
 次回は、赤坂山かリトル比良か、プランがはずむ。


  2024/04/13 [土]   教育にあらず、調教そのもの


 朝、天満宮へウオーキング。このところ、伊那や上田、松本の中学校名が書かれた観光バスが、何台も停まっている。長野県は、京都への修学旅行がさかんなのか。

 陽明門まえで、一団がぞろぞろと歩いていた。いきなり、カメラを持った担任(?)が、「10、9,8」と言い始めた。すると、生徒達がばっと集まり、門を背景に、記念の集合写真を撮っていた。
 
 羊のように従順な、「日本国民」が、こうして造られてゆく。


  2024/04/12 [金]   生と死


 七本松通り沿いのお寺の塀際に立つ木蓮の木。例年なら三月末に咲くが、今年は遅れに遅れてようやく花ひらいた。

 「深紅」、という言葉どおりの。墓地の端に生えているためか、よけい色あざやかに目に映る。
 
 ※
 
 末期ガンで入院していたAさんが、治療の手だてがなくなって、自宅に帰った。同じフレンズ会員のBさんが見舞いに行って、一緒に撮った写真を千晶にSNSで送ってくれた。
 
 憔悴している顔が写っているかと思いきや、今まで見たことのない、あかるくすんだ表情をしていた。執着を、落としたからだろうか。下の子がまだ中学生で、無念・未練はあるだろうに・・・。あるいは、クリスチャンとしての、信仰故?
 
 たとえていえば、赤ちゃんが生まれた時のような、かがやき。無から生へ、生から無へ。ひとつの輪が、閉じようとしている。こんなにも、人は死に向き合えるのか。
 
 ありがとう、Aさん。


  2024/04/11 [木]   ミモザの剪定枝


 六日に剪定して、そのあと、処理できなかった(天候と疲労の関係で)山のような枝を、まず、今朝、収集車が来る前に45Lのゴミ袋に4袋詰めて、収集場所へ。

 夕方、同じく2袋に詰めて、ゲストハウスのトイレまえに。まだまだ、あと2−3袋は必要だろう。残りは、明日。
 
 ※
 
 一条通の熱帯魚店で、めだかを五匹、購入。店前の睡蓮鉢のめだかが――メスだけになってしまったようで――赤ちゃんめだかが生まれなくなってしまったため。新しい血が、時には必要だ。


  2024/04/10 [水]   日本人とは?


 朝日新聞・朝刊、コメントプラス〈「日本人」は定義できない 多数派が抱く「純ジャパ幻想」の抑圧性〉by 社会学者・福岡安則(ふくおか・やすのり)氏のメッセージより――

■観念の「日本人」を類型化してみると……■

 日本人とは何か。それは定義不能で、問題設定そのものが虚偽だと思います。

 定義可能なのは、国籍法による「日本国民」だけですが、それも立法いかんで変わる人為的なもの。「日本人」の概念規定はどこにもありません。にもかかわらず、自分が典型的な日本人だと信じているこの国のマジョリティーは、まるで自明であるかのような「日本人」という観念を保持しています。

 その観念を「血統」「文化」「国籍」の3要素で類型化してみましょう。すべてそろった「純粋な日本人」のほか、いずれかの要素を欠く日系移民1世、帰国子女、帰化者、中国残留孤児、民族教育を受けていない在日コリアン、アイヌなどが抽出できます。もちろん現実にはグラデーションがあり、いずれにも当てはまらない人もいますが、あくまで理論的な類型枠組みです。

 このうち、日本の多くの人が抱く日本人像は、なお「純粋な日本人」、今風に言えば「純ジャパ」にほぼとどまっています。そして3要素の中で明らかに重視しているのが血統です。ノーベル賞受賞者のうち真鍋淑郎さんら3人は米国籍を持つ米国人なのに、政府もメディアも「日本人」としてカウントし報道していることが、それを表しています。

 ただ、ここでいう「血統」は、生物学的概念というより、あくまで「血統意識」に過ぎません。実際には日本列島には有史後も様々な人が渡来し混合したので、純粋な日本民族なるものは存在しない。もちろん現在も単一民族社会ではない。文化も各地で多様で、日本語という言語の基本構造以外に本質的な「日本文化」を定義することも不可能なはずです。
 
■排除でも同化でもないメカニズム■

 でも、多くの日本人は、この国にいる人々の多様な背景を見ないことにしているかのようです。元は「日本国民」だった在日コリアンへの扱いが典型ですが、戦後日本の定住外国人政策は、完全な「排除」でも、権利の平等化を伴う「同化」でもなく、従属的位置に固定する「抑圧」でした。つまり、遠ざけ、見下す。イジメで言えば「シカト」と「パシリに使う」に当たるのでしょうが、紛れもなく差別です。これは現在、外国ルーツの日本国民に対してマジョリティー日本人が示す姿勢やまなざしに通じているように思います。いわば「純粋な日本人」以外を厄介者の「2級市民」にしてしまう回路です。

 教えていた大学のゼミで「在日の人たちはなぜルーツを隠すのか」と素朴な疑問を口にした学生がいました。しかしゼミ生の中に当の在日コリアンがいることを知ると、絶句しました。

 様々な背景を持つ人々が実は身近にいること、出自を明らかにしにくい社会を多数派がつくっていたこと、そして無関係と思っていた差別に自らが加担していたことに、気付いたのです。ましてや東アジアと遠いルーツと外見を持つ人たちは隠しようもなく、更なる生きづらさを抱えて日々を過ごしているでしょう。

 自分が「日本人」であることを疑ったことがない人こそ、日本人とは誰なのか、無意識の抑圧者になってしまっていないか、自問すべきです。


  2024/04/09 [火]   柳宗悦を、ふたたび


 神谷美恵子『生きがいについて』でふれられていた、柳の〈僧と非僧と捨聖〉が収録されている『柳宗悦宗教選集第4巻』(春秋社)をメリカリで購入し、柳の“神秘体験”を記述したという〈宗教の理解・神に就て〉を含む『柳宗悦全集第3巻』(筑摩書房)を図書館で借りる。

 以前―二、三十年まえに?―柳の『南無阿弥陀仏』を読んだ、記憶がある。当時は、それだけで終わってしまったが。柳による一遍上人の再評価に期待。


  2024/04/08 [月]   花祭り


 釈迦の誕生にあわせるように、ゲストハウスのシャガが花ひらいた。熱は一晩ねて平熱にもどったが、体調はかわらずイマイチ。風邪ではなく、コロナウイルスの後遺症だろうか。

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 フレンズ会員でクリスチャンのAさん――昨秋から、ステージ4のガンで闘病中――から、千晶にメッセージ。「絶食になりました。天国がちかいです。最期は、家に帰りたい。千晶さんに会えて、うれしかった。」
 
 一昨年秋の豆ランチパーティーの場で、「来年春に夫が停年退職したら、離婚を考えたい」と語っていたが、できなかった、かなわなかった。それを思うと、かなしい。
 
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 日刊ゲンダイヘルスケア 2024年04月08日 〈現在の医学では治らない・・・尾藤イサオさん加齢黄斑変性症を語る〉より――太陽が明るいからじゃなく、雨が降って暗いからじゃなく、“自分の中のもの”で明るくするんです。誰もがみんな強いところがあるし弱いところもあって、世界はそれでバランスが取れているんじゃないでしょうかね。


  2024/04/07 [日]   お花見


 伊丹の母を、千晶と訪問。施設で車椅子を借りて、近くの瑞ケ池公園まで桜を観に行く。おおきな溜め池をかこむ堤に、染井吉野が植えられている。おおくの人が、観桜に来ていた。

 「一年後、果たしてこの桜を観られるのかしら」――九十六歳の母は、そんなことを想わないのだろうか。初めて施設から“遠出”をしてよろこんでいる母の姿を見て、そんな疑問がうかんだ。
 
 というのは、経済評論家の森永卓郎さんが、ステージ4の膵臓癌をわずらい、医者から「今年の桜は観られないだろう」と宣告されたのを、webで読んでいたからだ。

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 帰宅後、発熱、37.7℃。コロナの再感染をおそれて、以前、仁和診療所で渡された薬を服用して、就寝。


  2024/04/06 [土]   ミモザの剪定


 この動画が参考になった。時間は四時間、剪定枝がやまのように積もった。


  2024/04/05 [金]   街の書店、閉店


 毎週一度は買いに行く千本丸太町のパン屋さん・宮内ベーカリーのとなりのM書店。

 以前は―といっても、越してきたとうじの二十年前は、店主のお姉さんが同じ町内に住んでいるよしみで、何回か注文したが・・・取り寄せるまでに二週間もかかるため、いつしか、アマゾンを利用するようになり・・・今は、中古はメルカリかアマゾンで、新刊は7ネットショッピングで買うようになった。
 
 今日、スチールの空(から)の本棚が店前にあったので、中をのぞくと、閉店の準備中だった。何か、特色がないと、街の零細書店は、生き残れないだろう。


  2024/04/04 [木]   今日は、街で


 めだかの産卵用に、コーナンでほていあおいを3個、購入。北野商店街の熱帯魚屋さんにめだかを買いに行ったら、残念ながら品切れ。明日に、入荷(?)。

 ゲストハウスのミニ自転車用に、上七軒のコンズサイクルで、前かごを取り付けてもらう。五千円くらいかな、と思っていたら7,130円なり。手間賃が2,400円で、仕方ないか。


  2024/04/03 [水]   『学研の科学』編集長の言葉


 四月一日の朝日新聞・夕刊に、載っていた――

 「究極のスライム」作りでは、ひとつの気付きがあった。ある愛好家に会いに行くと、インドの豆由来の食物繊維など絶妙な配合を喜々として教えてくれた。完成品は2階から垂らしても切れない。すごい。楽しい。「自分が好きなことを突き詰めた人の熱量は周囲の人に伝播(でんぱ)する」。
 
 オレもこうありたい。


  2024/04/02 [火]   街を歩く


 桜が咲きはじめたが、竜本寺の桜も、仁和小学校の桜も、樹によってまちまちで、五分から七分咲きのものもあれば、まだ蕾のままもある。枝垂れ桜は、全般に、遅いような。

 ある町内の電柱に、烏の剥製がぶらさがっていた。「カラスのカー公が、がんばっています」と書かれた札と一緒に。見れば、下にカラスよけのゴミ・ネット。う〜ん、そこまでやるか。
 
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 原稿、終了。後は、寝かせて、語句の修正のみ。


  2024/04/01 [月]   エープリル・フール


 朝、千晶と一緒に、千本釈迦堂まで散歩。お亀桜は、今が花さかりだった。アマチュア・カメラマンが、数人。

 ゲストハウスの前においてある、はなかいどうが咲きはじめた。残念ながら、お寺でもらった陽光桜が枯れてしまったので――一度も花ひらくことなく――二重にうれしい。また、ゲストハウスの庭のおおてまり、昨年は一つしか花群がつかなかったが、今年は、数えてみると、二十ちかくも小さな花芽が! 五月(?)の開花が、たのしみだ。
 
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 先月中旬から続いていた、宿泊客が、今夜で最後のお泊まりになる。ほっと、一息。明日は、『らくてん通信』の原稿を仕上げたい。