[高柳無々々.com]


  
  2017/09/20 [水]   久しぶりに母の声を聞く


 横須賀の母からTELあり。肺炎で三週間まえに入院していらいの声は、予想外に元気だった。

 「病院でつかれちゃったよ」と。むべなるかな。食事は弟が用意したやわらかいものを食べているという。ただ、水分はとってないらしいので、お店のオーガニックジュースを宅配便で送る。
 


  2017/09/19 [火]   そして、誰も、責任をとらない


 立本寺公園、その後。チャームケア社の老人ホームが完成し、10月から入居の募集を始めた。

 今日、聞いた話。昨年三月に京都市と立本寺がかわした“覚書”(祖師堂を解体して、代替公園を造成する)を、昨夏に寺側が一方的に破棄。

 その事実がいまだに市民に知らされず、寺の貫首も市の責任者も(市民への説明会で、おおみえをきったご当人たち)は、何の責任もとっていない。

 結局、高所得の老人(ホームの利用には、月額二十五万円が必要。このあたりの下町庶民にはとても手が届かない)が優先される経済原理に、子ども達の遊び場が奪われた。

 現代日本の縮図。


  2017/09/18 [月]   sushi, English available


 夕方、娘が家族で外食したいと言い出した。最初は回転寿司のくら寿司へと思ったが席がとれるのが八時過ぎとのこと。しかたなく、娘がwebで検索した堀川丸太町の桔梗屋というお寿司屋さんに――電話を入れてから――初めて行く。

 休日の月曜、市場の閉まっているときに営業している寿司屋では、期待できなまいと思っていたが・・・ドアを開けると、満席。しかも、我々いがいは皆外国人。

 老夫婦に若い息子(プラス飯場に一、二名)の家族経営でやっている昔ながらのお寿司屋さん。息子が慣れた様子で英語で対応している。

 こういう商売の仕方もあるんだな、と感心。

 くら寿司の倍の出費になったが、子どもたちはおいしかったと満足。一年ぶりの、家族での外食になった。


  2017/09/17 [日]   三つのよいことを


 いまかかっている中医学の仙頭さんの本『読対術』(農文協)に、私の体質“気滞”の人は、夜やすむまえに、今日一日の楽しかったこと、嬉しかったことを三つ、思い浮かべるとよい、と書いてあった。

 さっそく実践してみる。

・京都芸術センターでの発表会を――台風を口実に――休んで、下手な尺八の演奏で恥をかかずにすんだこと。
・その代わりに、内観技法の資料の下書きが書けたこと。
・午後は骨休めできたこと(午前中は、客注の発送におわれた)。

 これからは、夜だけでなく、朝おきたときも、“しなければならない”こと――今まではそうしていた――ではなく、“したいこと、楽しみたいこと”を三つ、思い浮かべるようにしたい。


  2017/09/16 [土]   体を耕す 講習会


 女性一名の参加。

【変更点】
 (一)午前の部の前半:まず一本歯の高下駄を体験、そのあとに「こしがはいる」座り方に移った。
 (二)午前の部の後半:心眼につづいて呼吸は、新たな丹田呼吸法で行った。最後に内観技法で背中に“ふれる”稽古を行ったあと、愉気はかんたんに説明するていどにとどめた。
 (三)午後の部の前半:まずはらの調律点その一〜その五を、母音を発声しながら、はらの間和りを〈裏〉〈表〉で行った←つづいての行気や活元への伏線。
 (四)活元は、肉体刺激法で実践したあと、内観技法はプリントでの説明にとどめた。

【反省点】
 おおむねの流れはよかったと思うが、〈裏〉と〈表〉のプリントが用意できてなかったのは、わかりづらかったと思う。
 また、活元の際に「誘導するので肩に手をあてますよ」と、あらかじめ言っておいた方がよいかもしれない(参加者をみて判断)。


  2017/09/15 [金]   香害?


 昨日、今日と、高二の息子が鼻水がとまらないと言って、学校を休んだ。

 千晶も体調をくずしている。

 季節のかわりめ、からだがついてゆけずに以前なら喘息になっていたのが、カゼで出たかな、と思っていたら、千晶がwebで調べて、“香害”ではないかと言いだした。

 ヨーロッパの化粧品や洗剤にふくまれる香料が、化学物質過敏症状態をひきおこしているのではないか、と。

 確かに、娘がイギリスから帰宅後に、二人とも体調をくずしている。真偽のほどはわからないが、対策としては使わない・洗い落とすしかないようだ。


  2017/09/14 [木]   街を歩く


 午後一時半すぎ、近くのローソンストアー(100円ショップ)へ新聞を買いに行くと、レジに数人の列。

 高齢者がバスケットに食品をたくさん入れて並んでいる。私はここでは新聞か消耗品(サランラップとかローソクとか)しか買わないが――買える物がない――パンや総菜、弁当がつめこまれている。

 千数百円・・・。経済的に苦しい老人が、多い現実。

 *

 そのあと、生協へ。ここも高齢者が多い。奇異に感じるのは、レジで皆(客が)無言だということ。

 店員の側が一方的に話して、黙って返す。これを奇妙(居心地がわるい)と言わずして何という。


  2017/09/13 [水]   言葉の力


 午後、稽古会のメンバーのNさんが来店。七月以来にお会いする。
 
 「お元気そうですね」――奥から顔をみせたときに、最初にいわれた言葉。意外に思う。今日は午前中、娘の荷物の整理・洗濯におわれて疲れを感じ(こういうときは、下痢ぎみでおなかの力がぬけてしまう)、しばらく横になっていたので。

 不思議なもので、そのあと、がぜん元気になって仕事をし、夕食後は尺八の練習をした。Nさんどうのこうのということではなく、(文字ではなく)生きた=身体性をもった言葉に、救われた気がした。

 逆にいえば、自分のこころのありようを反映して、例えば「顔色がわるいですね」(ちかごろ疲れぎみの人)とか「やせましたね」(つねに体重を気にかけている人)などという言葉がけは、相手の気をそぐだけではないか。

 自戒。


  2017/09/12 [火]   娘、帰る


 一年間の留学を終えて、今日、帰国した。伊丹空港へ出迎え。寿司が食べたいというので、スーパ−で買って持ってゆく。

 空港から京都駅まで、リムジンバスの車中で食べながら、四方山話。元気で何より。


  2017/09/11 [月]   座を変えつづけること


 一昨日の朝日新聞『be』で、書きとめておきたい言葉が二つあった。

 一つは、人生相談〈悩みのるつぼ〉:ゲイの告白をすべきか悩む高校生にたいして、回答者の美輪明宏(みわ・あきひろ)さんは、「成人になるまで待ちなさい」と結論をいったあとつぎのように語っている。

 「世の中は昔から、様々な種類の人間が共存しているのです。同性愛者も異性愛者も、ともに自然の法則の中で生きています。罪をおかしたわけでもないのですから、堂々と胸を張って、同じように生きていけばいいのです。(中略)

 (ゲイを笑いものにするテレビ番組の制作者と視聴者を批判して)自分が生きている狭い世界が「標準」だと思い上がっている人がいかに多いかを考えさせられます」

 *

 もう一つは、〈フロントランナー〉でのバイオリニスト・佐藤俊介(さとう・しゅんすけ)さんのインタビュー。

 「――ゼロから作りあげることが・・・。(という記者の質問をうけて)
 大事ですね。本当にこれでいいのか疑い、探し続ける。芸術は100%確信を持った答えが出ると死んでしまう。続けていくには欲求不満でなければ」

 *

 私も考えてみた。文学者(詩人や作家)の役割とは、「言葉を再定義する人」。言葉は世界観(思想)の表出でもあるから、その時代や社会に流通している“陳腐な言葉”で書かれた作品は、真の文学とはいえないだろう。

 いつもの指定席をかえて座ってみること。水平にであれ、垂直にであれ、数十センチちがうだけで、今までとは世界は面貌を異にする。

 それだけの力をもった言葉を、身につけられるかどうか。


  2017/09/10 [日]   尺八を購入


 今日は、午前中はホームレス支援のNPO・ホームドアへ送る内職の準備でおわる。

 午後は、お腹の調子がイマイチで――きのうの夫婦喧嘩の後遺症――やすむ。

 夕方、尺八の稽古にはいるが、みがはいらず。webで「尺八の吹き方」を検索。小一時間、ホームページをサーフィンして、プラスチック製の尺八「悠」を日本コンダクター販売で購入することに決める。11880円なり。

 手にとるのが楽しみだ。


  2017/09/09 [土]   表現教室 稽古会


 後期、初めての稽古。

 講習会を終えたHさんが参加して四名。はじめにアイス・ブレイク「夏の思い出」のインタビュー&描画。

 つづいて白隠の丹田呼吸法について講話、呼吸の実践、はらの間和り+母音の発音にすすむ。

 このあと、母音を発声しながら楽器を演奏する、を予定していたが、時間の関係で次回にまわす。


  2017/09/08 [金]   尺八、初めての体験


 京都芸術センター主催の〈ワークショップ〜感じてみよう・ふれてみよう 日本の音〉に参加。

 六種類の和楽器から希望して体験・指導を受けられるというので、横笛を考えていたが、紹介された講師をみて、尺八に変更。

 初めて触れた尺八は・・・音がでない(涙)。指は緊張してこわばり、唇の形をかえたり息の向きを工夫したりと、悪戦苦闘。ようやく音がでても、一定しない。それでも一時間半のあいだで「さくらさくら」をひととおり吹いて、他の参加者と合奏。

 十七日(日)には、発表会。はてさて、どうなることやら。塩ビ製の尺八を練習用に借りて帰る。


  2017/09/07 [木]   渥美清


 夜、テレビで「渥美清の生涯」を観る。

 結核の病をへてから、人がかわったことと、唯一こころをゆるした脚本家・早坂暁(はやさか・あきら)氏の「渥美清は喜劇役者と思われているけれど、ほんとうは悲劇役者ですよ」という言葉が印象にのこった。

 “寅さん”のイメージからぬけだそうとこころみながら、果たせなかった渥美清の軌跡は、ぎゃくにいえば、「運命」の受容の人生だったのかもしれない。


  2017/09/06 [水]   求心力


 新聞を読むと、民進党の前原代表が山尾議員の幹事長起用を撤回した件に関して、「来月に行われる衆議院の三補欠選挙で破れれば、はやくも求心力を失いかねない」と書いていた。

 「求心力」という言葉はなにをさすのだろう。対比して考えて、自民党の安倍晋三には求心力があるのだろうか?分かったような分からないような、陳腐な言葉をつらねているだけではないか。

 菅官房長官の記者会見で、問い質しているのは東京新聞の望月記者(女性)のみ。あとの記者クラブの面々(男性)は、唯々諾々と黙ってパソコンのキーをうち続けている、光景・・・。

 ジャーナリストの“魂”は、何処へ。


  2017/09/05 [火]   うんち談義


 昼前、嵯峨野へめだかの餌にするミジンコをとりにゆく。たんぼでは、早稲(わせ)の稲刈りがはじまっていた。広沢池の西端、葦のはえている水場で小さなタマミジンコを、田のあいだに点在する市民農園(?)のあぜの大きなポリバケツでミジンコをゲットした。

 *

 家に帰ると、北海道・北見のポキート農園から卵がとどいていた。キー坊さんに頼んでおいた鶏糞も同梱。なかをあけて驚いた。臭いがまったくしない!汚いかんじもまったくない。まるでお菓子のようだ。

 さっそくミジンコバケツにいくつか入れた。自家配合飼料(それも北海道産の原料にこだわって)、抗生物質などの化学薬品不使用、平飼い、有精卵のポキートの卵のすばらしさをあらためて知った。

 よく大便は健康のバロメーターというが、鶏でもおなじことがいえるのだろう。あとでキー坊さんに問い合わせたところ、緑餌(りょくじ)をおおくあたえているうえに、夏場は鶏舎のなかが暑いので、一日で乾燥鶏糞ができるそうな。

 糞をあつめていると、手がすべすべになる、というのもうなずける。


  2017/09/04 [月]   久々の稽古


 中医学の漢方薬を飲み始めて十日。お腹のはりやガスがなくなってきたのはたすかるし、鼻水も少なくなってきた。ただ、肝心の痰と咳は、明らかに減っているとはいえず、ぼちぼちである。

 ひにち薬なのは、覚悟している。

 今日、梅雨まえいらい久々に剣術の稽古をした。白隠禅師の“ひさご呼吸”を試みる。体に負担をかけないように、はらの間和りを〈表〉にたもって肉体と同調させてみた。

 セーブして動いたからかもしれないが――意外なことに――息切れしなかった。漢方+食事に気をつけているためかもしれない。


  2017/09/03 [日]   コペルニクス的転換


 朝、風呂のなかで思いいたる。今まで、からだの感覚〈裏〉→他者との関係で“わ” (和・我・輪・環・倭) の感覚を生み、〈表〉→“こ” (個・己・孤・小・粉) の感覚を生む、ととらえてきた。が、逆ではないか。

 他者との関係性が――意識するとしないとにかかわらず――〈裏〉または〈表〉の身体感覚を生じさせるのではないだろうか。

 もちろん、すべてが関係性にゆだねられるわけではなく(他律的)、世阿弥(ぜあみ)が『風姿花伝(ふうしかでん)』で語った“陰陽の調和”や、柳生宗矩(やぎゅう・むねのり)が『兵法家伝書(へいほうかでんしょ)』で説いた“活人剣”のように、自律的な身体感覚をおびることができる場/人も、ありうる。

 それも継続的な稽古が前提になるが。


  2017/09/02 [土]   街を歩く


 「今日も買い物してきはったんや」

 戸口に立っていた見知らぬ老婆から声をかけられる。「ええ天気やしなあ」――「そうですね」、としか返せなかった。

 散歩がてらコンビニに新聞を買いに行き、有機野菜農家の佐伯さんで、なす一盛り百円を(ぬかづけと焼きなす用に)二やま、味噌汁の具に小松菜のつまみな百円を買ってビニール袋に入れ、手にさげて家にもどる路地でのできごと。

 そうか、そうだったのか。

 今日も、歩きながら、呼吸法を試していた。基本的に人は起きている間は活“動”しているのだから、肉体は〈表〉=表出になる。その場合、意識しなければからだの感覚は肉体に同調して〈表〉になる。

 それでは世阿弥のいう陰陽の調和はえられまい。からだの感覚を意識的に〈裏〉=受容に保って(=はらの間和りを内回転させて)、表裏の間(ま)を調えること。

 そのとき呼吸は、二次的な問題になる。息を吸い、吐くという動作は肉体の働きなのだから、ただ深く――肛門をひきしめ、仙椎を前傾&後傾させることによって骨盤底横隔膜を活性化させ、下腹=丹田で――呼吸すればよいことになる。

 白隠が座禅をさして“動”の呼吸、やすむときに“静”の呼吸といったのは、『白隠の丹田呼吸法』(春秋社)の著者・村木弘昌が書いているような動=吐き切る呼吸、静=吸い切る呼吸ではなく、ただ深さの違いなのではないだろうか。

 すなわち、休む(眠るetc.)ときには、誰も意識的な呼吸などできないのだから。逆にいえば、起きてる間は――意識できるときは常に――白隠のいう「丹田呼吸」が求められているのだ。

 呼吸はシンプルに、深く、はらを内回転させて他者や世界を〈受容〉して・・・と念じながら歩いていたときに、おばあさんから声をかけられたのだった。

 さもありなん。


  2017/09/01 [金]   民進党の代表選


 参議院議員の有田芳生(ありた・よしふ)氏は、「枝野氏が善戦した」とtwitterでツイートしていた。

 そうなのだろうか。

 もしそうならば、この結果が――おおきくいえば――日本の現状を表しているのだろう。残念だが。