楽天堂フレンズのメーリングリストより――
■今朝のエピソード
今朝、いつものように北野天満宮に参拝に行くと参道脇の伴氏社(とものうじしゃ)という末社の前で、三脚を立てて写真を撮っている人がいました。
誰かと思って見ると、パトリックさん!
「何をしてるんですか?」と聞くと、鳥居の礎石を指さして、「蓮の文様、分かりますか」と。今まで数限りなく前を通ってきましたが、気づきませんでした。
「神仏習合です、明治時代までの」「外国人の京都ガイドで使うためですか?」「ハイ」
そんなやりとりを二人で―日本語で―していたら、少し離れて見ていた日本人の中年女性が近づいてきて「長時間、こんなところで撮影していたら、他の人に迷惑でしょ」と、一方的に言い立てて、去って行きました。パトリックさんが「私は他の人が来たら邪魔にならないように・・・」と言うのに耳も貸さず。
確かにパトリックさんは、正面から社が見える位置に三脚を立てていましたが、脇から難なく通り抜けできましたし、そもそもこの小さな神様にお参りする人は、ほとんどいません。
「No problem!」とパトリックさんに言った後、私は「残念だな」と溜息をつきました。
件の女性も、「何を撮っているんですか?」と近づいて行ったら、日本建築に造詣の深いパトリックさんから―私のように―新たな知見を得られたものを。自らその機会を捨ててしまった!
“他人に迷惑をかけない”≒“自己責任論”でフリーズしてしまった、昨今の日本で増殖している、日本人の一例でしょう―狭量な、
余りに狭量な。
北九州で活動している
NPO法人抱樸の奥田知志さんが常々語っている“「助けて!」と言える社会へ”≒“お互いに迷惑をかけ合う”社会に向けて、小さな実践を積み重ねて行きたいです。
■今日の菜芭―気づいたこと
*昨日と同じような「あ〜」という叫びを10回ちかくあげましたが、2回は“言葉の原型”というか“言葉にならない言葉”で、1回は、看護師さんが退室する際に「やあ」と言ったように聞こえました。
*「あ・い・う・え・お」の五十音よりも、「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」のいろは歌に、より注意を向けて耳を傾けていました(私は、はらの5つの調律点を内観しながら、発声=歌っています)。
*中国式目の体操(疲れ目に効く4つのつぼを押さえる)をしてやると、気持ちよさそうに瞼を閉じますが、すぐにまた目を開けてしまいます。そこで「菜芭さん、目を閉じて下さい」と言うと、自分から瞼を閉じます。うとうととして寝てくれるかな、と期待しますが、また目を開けて・・・。の繰り返しでした。
*点滴で鼻チューブの食事中に、足を器用に使って両足とも拘束をほどいてしまいました。しばらくそのままにしてやりたかったのですが、看護師さんが様子を見に来たので、二人で再度、拘束しました。「ごめんね、こんなこと誰もしたくないよね」と、看護師さんが―とてもイヤがる―菜芭に謝っていました。