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  2026/10/05 [月]   政治をエンタメにするな


 昨日の毎日新聞・朝刊の一面見出しは「「サナ活」余熱と落胆と」、「「率直さ」で支持率維持」と続く――タカイチの、嘘や誤魔化しの数々を批判もせずに(できずに)。

 風刺漫画ならいざしらず、“社会の木鐸”も堕ちるとこまで堕ちた。

 ※

 今日の菜芭は、リハビリで初めてりんごゼリーを口にし、それを見ていた主治医の判断で、胃ろうの増設は見送りになった。おおきな一歩。


  2026/10/04 [日]   “形にならない何か”


 楽天堂フレンズのメーリングリスト〈100年計画〉より――

 振り返ると、7月下旬に警察から一報があり、その夜、向かった奈良・吉野署で、担当の警察官から言われたのが「50m滑落して、生きているのが奇跡ですよ」。

 翌朝、ヘリで医大病院に救急搬送され、手術(脳圧を計るために頭蓋骨内にセンサーを挿入する)へ向かうストレッチャーの上で、菜芭はぐったりとして片目は閉じ、片目は瞳孔が開いていました(←死の兆候)。胸がつまりました。

 右脳を挫傷しましたが、幸いにも脳幹や脊髄、心臓、肺、内臓などに損傷はなく、両鎖骨の骨折&右肩関節の脱臼ですみました。確かにヘルメットを被り、ザックで守られたとはいえ、「上手に落ちたな」と誉めてあげたいです。

 2ヶ月で、最も困難ではと思っていた言葉を取り戻せたことは、感慨を覚えます。

 菜芭は生後三ヶ月から“アトピー・クイーン”と言われるほど重症のアトピー性皮膚炎を患いましたが、私たち夫婦はできるだけ薬(ステロイド)や病院に頼らないで、整体で治そうと、必死になっていました。1歳の時に2回も緊急入院させてしまうなど、間違いもおかしましたが、菜芭はよく応えてくれたと思います。

 幼稚園の時のエピソードを覚えています。ある日、二人でスーパーに買い物に行くと、レジのおばさんが、菜芭の湿疹だらけの顔と手を見て「まあ、かわいそうねえ」と言った時、菜芭は「これ、いいんよ」と反論しました。整体では、からだの内にできるよりも外に出す方が良し、とします。

 5年後に生まれた光太郎も、同じくアトピーと喘息を患いました。夜、息が苦しくて眠れないと、布団の上に座ってゼイゼイしている。1時間、2時間と、懸命に背中をさすってやります。「お父さん、くるしいよ。ぼく、もう、しんじゃうよ」時計の針は12時を回って、あと5分、これでダメだったら救急車を呼ぼう・・・。そんな危機を、何度か乗り越えてきました。

 それもこれも、「財産は遺してやれないけれど、このからだだけは」という親のエゴからでしたが。

 18歳まで有無を言わさず育ててきて、高校を卒業してからは二人とも自由に選択しています。特に菜芭は、髪を染めたり、歯列矯正をしたり、何かあると直ぐに医者にかかってムムム。それはそれで「整体原理主義者」にならないで良かったかな、と。バランスをとってもらえれば。

 この二ヶ月の経過をみていて、菜芭には調体(せいたい)を教えたことはありませんでしたが―いわゆる野口整体の活元を二度ほど一緒にやったことはあります―“無形の何か”が伝わっていたのかな、と親バカ(自己満足)で感じます。そのような“何か”は、親と子の間柄だけでなく、例えば師と弟子の間でも、起こりうるのではないでしょうか。

 四十代まで、自分の中に核たるものを持ちえずに、人生をふらついてきた私は、不惑の半ばになって師と呼べる先生と出会い、十年間、整体の稽古を受けてきました。具体的な稽古内容はほとんど忘れてしまいましたが、何を学んだかと言われれば、一言、生き方です。今は離れていますが、私の中には師の恩愛が生きています。

 長くなりましたが、これから菜芭には、食事・歩行・記憶のステップが待っています。フレンズ会員の皆様、変わらずご支援をよろしくお願いいたします。


  2026/10/03 [土]   友の力


 今日は、東京から菜芭の友人が三人、見舞いに来てくれた。一人は高校時代以来の、二人は大学時代からの知り合いで、Hさんとは東京・大井町のシェアハウスで共同生活をしていた。

 千晶によると、友人達が持参した手作りアルバムを見て、菜芭はとても喜んだそうだ。そして、二十分ほどして彼らが帰った後は、余韻・感慨で静かになっていたという。家族とはまた別の、力を友人は持つのだろう。


  2026/10/02 [金]   菫


 このあたりの歩道を歩くと、民家の玄関先で、コンクリートのわずかな隙間に菫が根づいているのを、よく見る。靴で踏まれて、水分や養分も難しいと思うが、菫はもともと“雑草”でつよいのだろう。

 メルカリで、菫の種―4種、各50粒ずつ―を、三百円で購入した。たちつぼ菫はめだかの睡蓮鉢わきに、後の紫・白・薄紫ののじ菫は、ゲストハウスの庭に・・・来春の花が、楽しみだ。

 ※

 今日は、千晶が病院へ。菜芭は、昨日にもまして「こうたろう」「おとうさん」「おかあさん」「いちごがたべたい」と、発声したという。


  2026/10/01 [木]   今朝のエピソード&今日の菜芭


 楽天堂フレンズのメーリングリストより――

 ■今朝のエピソード

 今朝、いつものように北野天満宮に参拝に行くと参道脇の伴氏社(とものうじしゃ)という末社の前で、三脚を立てて写真を撮っている人がいました。

 誰かと思って見ると、パトリックさん!

 「何をしてるんですか?」と聞くと、鳥居の礎石を指さして、「蓮の文様、分かりますか」と。今まで数限りなく前を通ってきましたが、気づきませんでした。

 「神仏習合です、明治時代までの」「外国人の京都ガイドで使うためですか?」「ハイ」

 そんなやりとりを二人で―日本語で―していたら、少し離れて見ていた日本人の中年女性が近づいてきて「長時間、こんなところで撮影していたら、他の人に迷惑でしょ」と、一方的に言い立てて、去って行きました。パトリックさんが「私は他の人が来たら邪魔にならないように・・・」と言うのに耳も貸さず。

 確かにパトリックさんは、正面から社が見える位置に三脚を立てていましたが、脇から難なく通り抜けできましたし、そもそもこの小さな神様にお参りする人は、ほとんどいません。

 「No problem!」とパトリックさんに言った後、私は「残念だな」と溜息をつきました。

 件の女性も、「何を撮っているんですか?」と近づいて行ったら、日本建築に造詣の深いパトリックさんから―私のように―新たな知見を得られたものを。自らその機会を捨ててしまった!

 “他人に迷惑をかけない”≒“自己責任論”でフリーズしてしまった、昨今の日本で増殖している、日本人の一例でしょう―狭量な、
余りに狭量な。

 北九州で活動しているNPO法人抱樸の奥田知志さんが常々語っている“「助けて!」と言える社会へ”≒“お互いに迷惑をかけ合う”社会に向けて、小さな実践を積み重ねて行きたいです。

 ■今日の菜芭―気づいたこと

 *昨日と同じような「あ〜」という叫びを10回ちかくあげましたが、2回は“言葉の原型”というか“言葉にならない言葉”で、1回は、看護師さんが退室する際に「やあ」と言ったように聞こえました。

 *「あ・い・う・え・お」の五十音よりも、「い・ろ・は・に・ほ・へ・と」のいろは歌に、より注意を向けて耳を傾けていました(私は、はらの5つの調律点を内観しながら、発声=歌っています)。

 *中国式目の体操(疲れ目に効く4つのつぼを押さえる)をしてやると、気持ちよさそうに瞼を閉じますが、すぐにまた目を開けてしまいます。そこで「菜芭さん、目を閉じて下さい」と言うと、自分から瞼を閉じます。うとうととして寝てくれるかな、と期待しますが、また目を開けて・・・。の繰り返しでした。

 *点滴で鼻チューブの食事中に、足を器用に使って両足とも拘束をほどいてしまいました。しばらくそのままにしてやりたかったのですが、看護師さんが様子を見に来たので、二人で再度、拘束しました。「ごめんね、こんなこと誰もしたくないよね」と、看護師さんが―とてもイヤがる―菜芭に謝っていました。