[高柳無々々.com]


  
  2017/08/16 [水]   キャンプ


 今日から高二の息子は、中学時代の友人(元サッカー部)七人と、滋賀・湖南アルプスの堂山へ一泊二日のキャンプに出かけた。

 幸い、昨日からの雨もあがって時おり日がさし、明日も天候はもちそうだ(今年の夏は、酷暑の予報だったが、あにはからんや、夏らしい晴れ上がった日は少なく、雨模様の日々が続いている)。

 本当は、和歌山・加太沖の無人島・友が島へ、それも二泊三日で行きたかったのだが、友が島は県が管理しているキャンプ場のため高校生だけでは不可のようで堂山に変更し――ここはキャンプ場でも何でもなく、土砂に埋もれた広大な砂防ダムの跡地にテントをはる――また、昨日が雨のため一泊だけになったもの。

 我が家からは、テント×2、タープ、ガスコンロ×2、鍋セット×2、クーラー、調理用具などを貸し出した。

 思えば、彼らが小学生の中学年から高学年にかけて、毎年、春のGWと夏休みには、主に友が島へ、キャンプと釣り&海水浴に連れて行ってあげたものだ。

 我が家には車がないので、千晶と二人で何十キロもの荷物を背負い、電車とバスを乗り継いで出かけた。中学生になってからは皆、部活でいそがしく、キャンプは疎遠になっていたが。

 そして今、自分たちでキャンプに行くという。私はうれしかった。親から学校から、日々、管理されている彼らにとって、羽をのばせるというか、“冒険”できる貴重な機会だろう。

 そしていつの日か、彼らが大人になって、今度は子どもたちを連れてキャンプに出かけるような人間になってほしいと、願う。


  2017/08/15 [火]   fine art


 ビム・ベンダースの映画『誰のせいでもない』をビデオで観る。

 鋭い断面をみせるような作品ではないが、奥行きのある佳品。特に、主人公の苦悩・苦難からの脱出・展開が、雪に閉ざされた白銀の世界から北欧(?)の輝く青い湖面や陽光にきらめく樹木に移り変わってゆく背景演出は、熟達をかんじさせる。

 それにしても、タイトルのセンスのなさは???。原題は、『Everything will be fine』。


  2017/08/14 [月]   母、入院


 横須賀に住む弟より電話があり、老母が急性肺炎で入院したとのよし。幸いだいじにはいたらないとのこと。

 来月、娘が日本に戻ったら――母には大学進学、イギリス留学に際して多大な援助をうけているので――二人で見舞いに行こうと思う。


  2017/08/13 [日]   体を耕す 講習会


 一名の参加。終わった後、余裕をもって対応できた気がした。何度も場数をふんできた賜物か。

 午前の身体感覚入門で、内観技法の基本:(三)はらの間和り――のタテの回転――まで行っておくと、後半の行気と活元が、時間をそれほど気にせずにスムーズに運べる。

 反省点:行気の講習では、ひととおり内観点を説明した後、背中あわせになって私がひとつずつ言いながら内観してもらったが、やはり行気+愉気(相手の背骨に手を当てる)をした方が良かった。


  2017/08/12 [土]   書くことは、整理


 明日の講習会用に、配布資料を作り直す。久々に、午前一時まで作業。

 身体感覚入門:こし&はら、三つの養生法:(一)行気、(二)活元、内観技法の基本:(一)心眼、(二)呼吸、(三)はらの間和り・・・終了。

 残っているのは、養生法(三)愉気と、身体感覚入門:裏と表。後者は、新たに「感覚の理&内観の肝」というようなタイトルで、初めての方向けの概説に発展させたい。

 以上の資料を、近々[からだノート]にupの予定。


  2017/08/11 [金]   隣人愛


 彼は牧師を退職後、十三年間に十回の内蔵手術に耐え、最期の十ヶ月は腸閉塞のため点滴だけで生きていた。

 私は一度(二年前)の手術で今もシンドイおもいをしているのに、彼の肉体的な苦痛は想像を絶する。

 でも・・・と、私は思う。キリスト教の説く「あなたの隣人を自分を愛するように愛しなさい」を、「他者の苦しみを我が苦しみとせよ」という言葉におきかえたなら、彼こそクリスチャンらしい死に様ではなったか、と。

 代受苦となって、一粒の麦が落ちたのかもしれない。


  2017/08/10 [木]   死者にみちびかれて生をいきる


 四年前、父をなくした。息子にとって、父親はひとつの“謎”だった。

 いま、三十年来の友をうしなった。友人もまた、ひとつの“謎”である。

 2009年にあらわした小説『巡礼記』では、「死者にみちびかれて生をいきる」と書いた。それは、〈歴史〉の死者達だったが、いまは〈生身〉の死者が、わたしを呼んでいる。


  2017/08/09 [水]   地方都市の疲弊


 普段、京都で暮らしていると感じることはないが、宮崎・都城へ初めて訪れてみにしみた。地方都市といっても人口15万人をかぞえるが。

 鹿児島で新幹線から乗りかえた日豊本線。単線、2両のワンマンカー。乗客はほとんど高校生。保線の手がまわらないのか、線路わきからおおいかぶさるようにはえる草木を、打ちはらいながら進む。

 駅前、閑散とした通り。「貸店舗」の広告も散見。横断歩道の白線は、きえかけている。視覚障害者のためのメロディーもなし。ひときわ偉容をほこる総合文化会館。「ふるさと創生資金」の一億円でたてたのだろうか。

 建物のなかは静まりかえっている。冷房のきいたロビーで,自習にはげむ女子中学生がふたり。立派な車椅子たいおうトイレで着替えさせてもらう。維持費が重くのしかかっていることだろう。

 経済とは経世済民という。電車の車窓をよぎる町々、家々をみながら、この一億人が食べていけるようにする、その困難さに、思いがしずむ。


  2017/08/08 [火]   訃報


 結婚式の司式をしていただいた木村武志牧師が、昨日亡くなられた。ここ十年にわたる闘病生活の後に、天国に召された。

 都城へ。明日のお通夜&明後日の告別式に出席。


  2017/08/07 [月]   覆水盆に返らず


 先日、テレビでプロ野球の巨人vs中日戦を観ていたら、解説者の山本昌さん(中日OBで、五十歳まで現役を続けた二百勝投手)が、こんなコメントをしていた。

 投手で肩や肘をこわす選手はおおいが、たとえ手術をしてカムバックしても、以前の投球フォームをビデオで観て良かったときのイメージに近づけようとしても、もう戻ることはできない。

 それよりも、今の体の感覚を大切にして投げていけば、大丈夫、道はひらかれる云々。

 面白いことをいうな、と思った。内観技法の身体観(人生観)と同じである。そう、体は元には戻らないのだ。いま・ここを、生きるしかない。過去を検証し、未来に希望を持つのはよいが、現在を忘却することなかれ。


  2017/08/06 [日]   日誌を書く


 この作業が、今の自分には欠かせない要素に思える。

 街を歩いて見聞し、本を読んで考察し、ニュースを知って慷慨する。

 後は、内観技法を探求し、ルーティーンとして、掃除・洗濯・門掃き・ゴミ出しに、糠漬け・豆乳ヨーグルト・豆もやし作り、そしてめだかと植木の世話。

 店の売り上げに一喜一憂し、子ども達のことではあたまを悩まし、週に一二度は晩酌をたのしみ、時折、ワークショップや講演会に出かける。

 こうやって日々が過ぎてゆく。書きとめるという仕草は、記録に残すこと以上に、別の価値を――言葉では上手にいえないが――持ってるように思える。

 生にいろどりをそえる、というか、“今日も昨日と同じ”という陳腐化から、自らを救うというか。

 あと必要なのは、千晶からいわれている「笑う」ことだろう。


  2017/08/05 [土]   体を耕す 講習会


 二名(男女一名ずつ)の参加者。男性は、前からのお店のお客さんで、置いてあったチラシを見て来られたが、女性の方は、先日登録した京都市市民活動総合センターに送ったチラシが功を奏したもの。

 さっそく手応えがあって、うれしい。毎月二回、三千部送信されているというメールマガジンにも期待がもてる。


  2017/08/04 [金]   なまくらな一日


 どうも下腹の調子がおもわしくなく、力がはいらない。午後は布団でやすむ。

 仰向けになって行気や愉気を行っていると、呼吸の仕方を変えたほうがよいのでは、と思いつく。

 今までは〈表〉と〈裏〉で呼気・吸気のスタイルを変えていたが、呼吸そのものは――中心から下心に向かって息を吸い、下心から丹田に向かって息を吐く。この時、吸気では仙椎を後傾させ、呼気では前傾させる――同じ形をとり、ただはらを内回転させるか外回転させるかによって、〈裏〉と〈表〉を使い分ける、というように。

 どうも自分の理(ことわり)の探求プロセスは、まずケースごとに細かく状況設定をして仮説をたて(しばしば煩雑になる)、しばらく実践したあとで、簡便化をはかる傾向があるようだ。

 それが良いのか悪いのか。

 今日のぐうたらが、一つのインスピレーションを生んだとする。なまくらな生活→インスピレーションとは必ずしもならないし、ましてインスピレーションを得るためにぐうたらする、というのも、違うだろうなあ。


  2017/08/03 [木]   ルーティーンと脱ルーティーン


 稽古であれ日常生活であれ、物事をたんたんとこなしてゆくルーティーンの大切さはいうまでもない。

 だが、人も体も“慣性の法則”によってマンネリズムに陥りやすい。そこで、脱ルーティーンの仕掛けが必要になる。

 今まで表現教室 稽古会では、とにかく内観技法の基本を確立するために模索―チャレンジをくりかえしてきたが、心眼・呼吸・はらの間和りの三位一体は――パーフェクトではもちろんないが――いちおう定まったのではないか。

 このところ、ルーティーンと脱ルーティーンの循環というか調和が大事ではないか、と思うようになった。

 そこで、ルーティーン化である。秋からの稽古会では、まず前半で、@脊髄行気A腹部行気&母音発生B気合いを必ず行い、後半は表わす稽古をメインに、“日替わりのお楽しみ”にしようと考えている。


  2017/08/02 [水]   肉はハレの食べ物?


 ここ一二ヶ月、お腹の調子が良くない。食欲はあるのだが、食事前と後に、下腹がもたれてしまうのだ。胃ではなく、大腸のあたり。おならがしょっちゅう出て、便の具合もよろしくない。

 食べる回数をへらしてみたり、食事内容をかえてみたり、いろいろ試みてみたが、効果なし。おそらく腸内フローラの調和がくずれているのだろう。てづくり豆乳ヨーグルトや糠漬けも、とくに改善はみられず・・・。

 十代二十代の頃にお世話になっていた正露丸や、“滋養強壮”の薬用養命酒に手がのびかけたが、ふりかえってみて、肉の食べ過ぎでは、と思い至った。

 今、月に二回、小豆島から小さな仕事塾塾生のSさんが放牧で育てた豚のお肉が入ってくる。薬物は使ってないが、残飯飼育なので、“オーガニック”とはいえない。

 それでも飼い主の思いをうけてストレスフリーで育った豚たちの肉は、どこよりもおいしい。入荷すると、毎日のように、ではなく、毎日、二食も三食も食べていた。野菜も同時にとるように心がけていたが・・・。

 Sさんの豚どうのこうのではなく、肉そのものの過剰摂取が、よくなかったのかもしれない(動物性油脂)。これからは、肉をひかえて、野菜や魚メインの食事に切り替えよう、と反省。


  2017/08/01 [火]   今月のプランニング


1.仕事
 第一週:new豆料理キット×2を完成させ、経理の入力を七月末まで終わらせる。
 第二週:今月の豆料理セット(2ディッシュ・2カップ・乾物・おすすめ調味料)の準備
 第三週:お盆休み閉店・・・仕事はせず
 第四週:豆料理セットの発送

2.からだとことばを育む会
 第三週:〈からだノート〉の改訂、国分功一郎『中動態の世界』を下敷きに〈読書ノート〉を(できれば)書きたい、九月からの表現教室 稽古会の準備

3.その他
 8/25の誕生日の前日、24日(木)に、家族で若狭の「浜焼き食べ放題」バスツアーに参加(?)